triangle -12-



酔った上での一夜の過ちなら、まだ言い訳が立つ。
若かったとか甘かったとか、酒に弱かったとか。
がしかし、目覚めてから2度目の一発とかなるともう、弁解のしようもない。

「あああああ…」
スッキリ発射して二度寝しているゾロの横で、サンジは頭を抱えてずっと呻き続けていた。
いくら悔やもうが喚こうが、起こった事実は覆らないのに。
「…参った」
サンジは赤くなりすぎて涙まで浮かべた顔を、乱暴にごしごしと擦った。
どう己に言い訳しようとも、誤魔化し切れないのはわかってる。
ただ、悔しいだけだ。
ゾロに全部見透かされたことが。

サンジが大好きなのは今でもナミただ一人だけど、ゾロはなんでだか放っておけなかった。
いきなり殴られたり、飯をまずいと言われたり、誰がどう見ても一発で毛嫌いされそうな散々な態度なのに嫌いになれなかった。
むしろ積極的に関わって、自分から懐に手招くような真似をして。
挙げ句、気持ちを自覚する前に身体から思い知らされてしまった。
どうしよう。
腹が立つけど嫌じゃない。
嫌じゃないんだ、だから困る。
けれど、ゾロの気持ちはナミにあるんじゃないのか。
ナミにまったくその気がないのなら、サンジとしては身体を張ってゾロの横恋慕を阻止した形になるから、大義名分は立つのだけれと。
大義名分って、一体誰に対してだよ。
結局、自分にじゃないか。
自分のことばかりじゃないか。



ぐるぐる考えていてもラチが開かないので、諦めて遅い朝食の準備を始めた。
身体を動かしている方が、余計なことを考えずに済む。
手早く食卓を整え、煙草を一服した後まだ寝くたれるゾロの横腹に思い切り蹴を入れてやった。
自分の尻と横腹にも響いたけれど、こうでもしなきゃやってられない。

ゾロは顔を顰めて唸りながら起き上がったが、目の前にサンジがいるのを認めてなぜか表情を緩めた。
こういう何気ない仕種に絆される自分を自覚して、自己嫌悪の堂々巡りだ。



味噌汁を啜って、ゾロはほんの少しだけ「お?」と言う顔をした。
サンジにだけわかる程度の微妙な変化。
「美味えか?」
してやったり感満載で、ニヤリと笑ってやる。
対してゾロはどこか悔しそうにチラリと視線だけ上げて、ふうと湯気を吹いた。
「熱い」
「それだけじゃねえだろ」
「…塩気がある」
「上等じゃねえか」

サンジが作る味噌汁はだしを利かせて、味噌自体は少なめだ。
これで塩気を感じ取れるなら、大した進歩と言えるだろう。
「その和え物どうだ」
「歯触りがいい、あと、香ばしい」
「卵焼きは?」
「味はしねえ…が、舌に甘え」
「豆の煮付けは」
「つるつるするな、けど柔らかえ。昆布が甘え」
何を食べてもなにも感じなかったゾロが、考えながら食べるようになった。
そのことが、サンジにはとても嬉しい。
自然とニコニコしながら話を聞いていたら、ゾロがじっと見つめ返した。

「あんだよ」
きまり悪くて、表情をむっとしたものに差し替える。
「お前、まだナミのことが好きか?」
思わずむせそうになった。
逆に煙を深く吸い込んで飲み込み、空咳をする。
「当たり前だろうが!俺のこの世の女神はナミさんだ!」
好きなのに、他の男と寝るような真似をした自分は、もうナミと付き合う資格がないだろう。
けれど、ナミを想う気持ちに変わりはない。
「そうか」
ゾロは、そんなサンジの複雑な男心を知ってか知らずか、横柄に頷いた。
「なら、俺の代わりにあいつ見張れ」
「―――は?」
ポカンとして、ゾロの顔を凝視する。
「あいつはまたなにしでかすかわからねえからな。夜の仕事辞めたからって、アーロンが手を引くとは限らねえし、まだ油断できん。だが、俺じゃあナミはますます反発する」
言って、サンジの目を見据えた。
「その点、てめえには気を許してるだろ。夕べ襲われ掛けた時も、てめえにわざわざ連絡してる。てめえの言うことなら、あいつも聞くかもしれねえ」
「なに言ってんだよ。確かに、ナミさんのことは俺に任せとけーって言いたいけど、俺は―――」
―――てめえと。

「できるなら俺が、四六時中ナミの傍にいてえんだがな。仕方ねえ、代わりにてめえに頼む」
「なに、勝手なことを…」
「てめえはナミが好きで、俺に惚れてんだろが。なら俺に協力しろ」
「――――?!」
あんまりな言い草に、咄嗟に反論できなかった。
ただ口をぱくぱくと開けては閉めて、奥歯を噛み締め言葉を飲み込む。

「ナミは今日、午後から母親が入院してる病院に見舞いに行く。毎週水曜に行ってんだ。面会時間は2時からだが、あいつの講義終了時間考えると、多分5時頃になるな」
「―――…」
「病院の中は大丈夫だろうが、行き帰りは危ない。俺も時間が許せばついて行きたいが、バイトもある。今日の夕方、てめえ時間ねえか?」
「…あるよ」
「なら決まりだ。グランドライン総合病院、知ってるか?」
「ああ」
祖父が一時、入院していた病院だ。
「そこの外科病棟だ。広くて迷路みてえだが、ナミから目を離さなきゃ、てめえなら大丈夫だろう」
「…てめえよりはな」
皮肉に笑って言い返せば、ゾロはなんだよとガキ臭い表情で口を尖らせた。



「ご馳走さん。じゃあ俺は行く」
「ああ」
立ち上がったゾロは、座ったままのサンジを訝しげに見下ろした。
「一緒に出ねえのか?」
「後片付けあるし、俺は急がねえし」
「そうか」
「こないだ教えたから、西海駅わかんだろ。最悪、2駅先行ったってどこかで電車には乗れる」
「そうだな」
ゾロは納得したように頷いて、靴の踵を踏みながら玄関ドアを開けた。


「ゾロ」
「あ?」
サンジは少し言い淀んでから、口にした。

「ゾロはナミさんが、大好きなんだな」
「当たり前だろう」
ためらいもなくハッキリと応える。
「あいつは俺にとって、この世で一番大事な女だ」
「―――…」
サンジは、顔を上げてゾロを見ることができなかった。
きっと臆することなくサンジを見つめて、瞳を煌めかせながら答えているのだろう。
そんなこと、顔を見なくてもわかる。

「じゃあな。また連絡する」
「おう」
パタンと扉が閉まり、足音が遠ざかって行っても、サンジはずっとテーブルに着いたままだった。





わかっていたことだけれと、現実に突き付けられると正直辛い。
ゾロの、ナミへの想いに揺らぎはない。
だから、サンジを頼ったのだ。
利用できるものはなんでも利用しようとか、サンジの好意に付け込んだとか、そういうつもりはなくて。
ただ純粋にナミだけを想って行動しているだけのこと。

サンジだってナミのことが大好きだ。
ゾロがナミを守ろうとするなら、それに協力することは厭わない。
寧ろこうやって頼って貰えたことは嬉しい。
そうして、心の中で自分を納得させる事柄をいくつか上げてみせても、胸のモヤモヤは消えなかった。




ゾロの言い付け通りに行動するのは癪だったが、ナミにもしものことがあっては大変だからサンジはやっぱり夕方グランドライン総合病院に来てしまっていた。
先にナミの学校に寄ったのだけれど、姿は見えなかったから病院に来た方が確実だと踏んだのだ。
大きな総合病院だから外科病棟も恐ろしく広く、入院患者も多い。
ナミの母親の名前も知らないし、なんと言って病室を突き止めたものかと思案しながら歩く。
面会時間を過ぎているから、廊下にも人通りが多い。
ふと、談話室に人だかりができていることに気付いてそちらに足が向いた。

「はい、嬢ちゃん風船こんなになっちゃったー」
おどけた声音と共に、子ども達の歓声が上がった。
見ているのは小児病棟の子達だろうか。
車椅子に乗っていたり、点滴や酸素ボンベを引いていたり、それぞれに物々しいいでたちだけれど、パジャマ姿の子ども達は目を輝かせて中央にいるピエロに見入っている。
赤い鼻が特徴の、なんともどぎついメイクを施したピエロが器用な手付きで細長い風船をくるくると巻き取って、あっという間に花や犬を作っていた。
「ようし、こっちの勇ましい兄ちゃんには強―い剣だ」
風船長い剣を作ると、後ろで風船の準備をしているアシスタント的な青年にばっさり斬り付ける。
「やーらーれーた」と大げさに叫びながらもんどりうって倒れる青年は、にししと笑って身軽に起き上がった。
「あーん」
突然、子どもの小さな泣き声が聞こえた。
持っていた風船が手から離れ、高い天井にポンポンと頭を付けながら揺れている。
「あーもう一個作っちゃおぅ」
ピエロがニコニコ言って宥めるのに、青年はちょっと待ってろと窓枠に手を掛けて、器用に壁を伝い最後はジャンプして風船を掴んで帰った。
「すごーい!」
子ども達から歓声が上がり、拍手が沸きあがる。
まるで猿みたいだなと、サンジは呆れて見入っていた。
最後にピエロが子ども達全員に風船を渡し、その場はお開きになった。
子ども達は名残惜しそうにピエロや猿みたいな青年に纏わり付いていたが、看護師に促され一人また一人と病室に帰っていく。
さて自分も病室探しに行こうかと踵を返し掛け、反対側の廊下から聞き覚えのあるヒールの音が近づいてくるのに気付いた。
―――ナミさんだ。
我ながら、ナミ感知能力が高いと感心する。
果たして予想通り、ナミが姿を現した。
壁際に身を潜めるサンジには気付かず、まっすぐに前を通り過ぎて談話室へと入った。



「むーぎーわーらー!俺より目立つなっつてんだろが!」
子ども達がいなくなった途端、ガラの悪い口調でピエロがパコパコどついてくるのに、青年は笑いながら飛び退って避けている。
「悪い悪い、だってあの風船がいいっつてたじゃねえか」
「風船なんてどれでもいいんだよ。色だって同じのにすりゃ変わりねえ」
「んなことねえ、あの子はあれがよかったんだ」
麦わら・・・なるほど、青年は首にゴムを引っ掛けて麦藁帽子を背負っている。
「ルフィ!」
ナミの声が掛かり、青年は器用に横っ飛びしながら振り返った。
「ナミ、久しぶり」
「今日はこっちだったのね」
お互いに駆け寄る二人に、ピエロはちっと顔を顰めて乱暴に持ってきたトランクを広げた。
「とっとと片付けちまえ麦わら!あんたもだ、手伝え」
「わかった」
「了解」
あのナミが、居丈高に命令されたと言うのに反発もせず素直に従って、しかも笑顔で片付けを手伝い始めた。
散らばった道具を取っては手渡すのに、ナミは終始笑顔でいかにも楽しそうで。
いつも、ゾロやサンジの前で張り付いたような笑みを浮かべているのとは違う、どこかあどけなさが残った明るい表情にサンジは少なからずショックを受けた。






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