峠の狼 -3-


天空に月だけが煌々と輝いている。
辺りに響くのは虫の音と緩やかなせせらぎ、そして草葉を踏む足音。

ちゃぷりとかすかな水音を立てて、サンジは顔を上げた。
背後に月を背負い立つ男は、気を殺しただ茫洋と佇んでいるだけなのに、やけに絵になっている。
口元に薄く笑いを浮べて、サンジはゴツゴツとした岩場に手を置き僅かに姿勢を低くした。
遠慮がちに近付く影が、その動きに合わせてゆっくりと屈む。
「もっと浸かれ、肩が出てんぞ」
湧き出る温水よりも熱い掌が、肌を包んでそっと押して来た。
中途半端な温度の湯に裸体を沈めても、揺らぎ立ち昇る湯気はすぐに霧散して、風の冷たさがより一層肌を刺す。
「もう夜に浸かれる季節じゃねえな、明日からは昼間に入れ」
「てめえがいればな」
言い返せばややむっとした顔付きながら、ゾロは殊勝に頷いた。

この寂れた峠の廃屋に一時の居を構えた理由は、鉱泉が湧いているのをゾロが見つけたからだった。
傷付いた鹿が、かすかに湯気を立てながら流れ落ちる小さな滝に身体を打たれているのを見て、ピンと来たらしい。
水脈を傷付けぬよう慎重に、けれど大胆に地面を掘って、人一人分がやっと入れるような穴を作り、根気よくそこに湯を(張れた頃には殆ど水なのだが)張って簡易の温泉を拵えた。
「気も心だ、毎日浸かってみろ」
頬を泥で汚しながら、そう言ってにかりと笑う邪気のない顔に不覚にもキュンと来て、以来ゾロがいる夜にだけこの温泉で身を浸している。

いかに腕に(脚に)覚えのあるサンジとは言え、昨夜のようにゾロが不在の時に一人素っ裸で湯に浸かる気にはなれない。
以前、一人で湯浴みをしていたら案の定夜盗に襲われて、全裸で大立ち回りをする羽目になった。
そのあまりの間抜けぶりは自分でも滑稽だったし、加えて事が終わった後にノコノコ帰って来たゾロが
激怒して、瀕死の夜盗どもに止めを刺した上、サンジにまで仕置きと称して無体な行為を強要したことがあった
ので懲りたのだ。

「どうした、寒いのか?」
想い出してぶるりと肩を震わせたサンジに、ゾロは湯で暖めたタオルを掛けて濡れた髪を撫でてきた。
そのまま右腕を湯に浸すように押しやって、両手でゆっくりと揉み擦っていく。
首から肩、二の腕に肘の内側。
痛すぎず強すぎず、適度の力で筋肉を揉み解し血流を促してくれる。
どこで習ったのか単に本能のなせる業か、ゾロのマッサージは実に気持ちがいい。
触れるだけで凝りや澱みが溶けてゆくようで、ぬるま湯に浸かりながらサンジの身体はどんどん弛緩していった。
「あ〜気持ちいい〜」
「やってるときも、そんくらい素直な口だといいのによ」
卑猥な笑みを浮かべるゾロの顔にぱしゃんと水を掛けて、サンジは右腕を預けると岩肌に凭れた。
湯に浸かるサンジにせっせとマッサージを施すゾロは、実に甲斐甲斐しい。
とても、世界一の大剣豪とは思えない。
「俺って、世界一の男に腕揉ませてんだよな」
ぽつりとそう漏らしたら、ゾロはまた口元を歪めた。
「揉ませてんのは、腕だけじゃねえよな」
またぱしゃんと音を立てて、ゾロの顔に湯が掛かる。



二人で船を降りて、陸路から旅を続けて。
何よりも、ゾロはサンジのことを気に掛けてくれていた。
大剣豪への夢を叶えてしまったせいか、野心や貪欲さは影を潜め、ひたすらにサンジと共にあることに心を
砕いているようだった。
そのことに、違和感を覚えずにはいられない。
自分が知らぬ間に夢を叶えた男は、今は一人の男にのみ執着しそのためだけに生きているかのようだ。
―――そんなんで、いいのか?
ゾロが唯一執着する当人であることに、サンジは戸惑っていた。

俺なんかの側にいて、俺と暮らすことだけで、てめえは満足してんのか。
俺みてえなつまらない男に、この先の人生を捧げるつもりなのかよ。
てめえはてめえで、もっとやりてえこととか新しい夢とかねえのかよ。
このまま、当てもない浮き草暮らしでひっそりと終わっちまうような男じゃねえだろてめえは。

ゾロの指がゆっくりと腕の筋を撫でた。
その痛みに眉を顰め、けれどその力強さを心地よく感じながらサンジは枯れ草の浮いた水面をじっと見つめる。
こんな風に、サンジの腕が治るように努力してくれるのは凄く嬉しい。
側にいて、愛情を隠さず思い遣りに溢れた眼差しで自分だけを見つめてくれているのも、時に泣きそうになるくらい嬉しくて胸にクる。
だけど、本当にこれでいいんだろうか。
お前がそうやって、俺の腕を治そうと必死になってくれるのは、無意識にでも何かを取り戻したいと思っている
からじゃないのか。
俺の腕が壊れちまったから、俺は夢を捨てた。
俺の腕が動かなくなったから、俺は船に帰らず麦藁のクルー達にも背を向けた。
俺の腕がダメになっちまったから、俺の居場所は海の上じゃなくなった。
それらのすべてを、俺の腕を元通りに治すことで、取り戻せると思ってるんじゃねえだろうな。


サンジはついと視線を上げて、傍らに腰を下ろし俯いているゾロの顔を見た。
気配に気付き、ゾロが顔を上げる。
「なんだ?」
両手の動きをそのままに、ゾロは表情を変えずサンジを見つめ返した。
決して穏やかとは言えない、一見無表情に見えるゾロの顔つきだが、サンジにはわかる。
その瞳は柔らかく欲情を秘めないで、純粋にサンジのことを案じている。

どうした?
寒くはないか?
腕は気持ちいいか?
少しは、感触が戻ってきたか?
―――また、元通りに動くといいな

違うんだ、違うんだゾロ。
例え、俺の腕が元通りに戻ったとしても、俺たちの仲が出会った頃のように戻れるなんてことは、決してないんだ。
俺とてめえが今までの10数年をそれぞれに過ごしてきたように、腕だけじゃなく過去は取り戻せなくて、掛け違えてしまったボタンは、もう直すことなんてできないんだ。
俺とお前の心が離れてしまったことも、俺がお前を裏切ってしまったことも、お前以外の男を愛してしまったことも、
すべては事実で消しようがなくて。
それでも、今はお前だけを愛してるんだなんて、一体どの口が言えるっていうんだろう。

それを口に出して伝えることは傲慢だ。
だけど、このままじゃちゃんと伝わっているのかが不安で、一緒に暮らしていても俺からの想いなんて、お前が
どれだけ汲み取ってくれているのかわからない。
伝えたいのに、伝えられない。
もどかしくて、こんなにも近くにいるのにお前が遠い。

ぱしゃり、と水音が鳴った。
さんざめいていた虫の音がぴたりと止まり、ややあってまた遠慮がちに鳴り始める。
「・・・ゾロ・・・」
サンジの右手の指を、ゾロは口元に寄せて軽く食んだ。
ぴりっと、痺れのような痛みが走る。
「ゾロ・・・」
自分の声が、欲情に濡れて掠れているのがわかる。
見返すゾロの瞳も、先ほどまでなかった淫猥な光を浮かべていた。
「てめえはいつも、唐突だな」
サンジはふるふると首を振ったが、うまく言葉にはできなかった。

いつも、確かにいつもそうだ。
自分の中で考えが煮詰まって言葉で溢れ出そうになった時、まるでそれを阻むかのように無意識に
ゾロに対して欲情してしまう。
言葉ではなく身体で何かを伝えられるかもしれないなんて、なんでそんな風に思ってしまうのだろう。
それでいつも、自分の中の激情を有耶無耶にしてしまっているのに。

サンジの沈黙を了解と取って、ゾロは指を口に含んだまま湯の中に両手を差し入れた。
月の光を受けてまろやかに艶めく肌を撫で、背中から腰へと指でなぞる。
「さすがに冷えるだろ、部屋に戻るぞ」
「・・・いい、ここで」
岩淵に手を置いて、サンジは膝を着いて腰を上げた。
浅い湯船から水を滴らせて、白い下半身が湯気を纏いながら闇に浮かんだ。
繁みの中ですでに勃ち上がった雄に、ゾロは顔を寄せねっとりと舌を這わせる。
「―――あ・・・」
自ら足を広げ、ゾロの短い髪を掻き混ぜながらサンジは白い息を吐いた。
すんなりと伸びた足が、ゾロの頭を挟んで蒼白く濡れている。
恥ずかしくてとても正視できず、空を仰ぎ見れば丸い月が煌々と辺りを照らしていた。
ざわめく樹々、枝葉が擦れる音と虫の声。
木立の中にいるとはいえ、どこかに潜んだ山賊どもが声を殺して見ているかもしれない。
そう想像すると余計に身体の芯が熱くなって、淫らに疼いた。
かすかに、股の間でゾロが笑った気配がする。

湿った狭間に遠慮なく指を立て、ぐいぐいと押し広げ撫でながらペニスを激しく愛撫してくる。
舐められ吸われ、軽く歯を立てられれば、すぐにでもイってしまいそうになって思わず声を上げた。
「・・・まだだぜ」
ゾロは意地悪く根元を押さえつけながら、尿道口を舌先でつついている。
そうしながら片手の指はもう何本も内部を抉って、腹の裏を擦るように好いところを突いて来た。
「あう、や・・・だって、そこ、は―――」
「イイって言えよ」
サンジは決して素直に善がらないと知っているのに、わざと焦らしながら快感で責めてくる。
「なあ、言えよ。気持ちいいなら、そう言えよ」
「や、そこは・・・やっ―――」
「嫌なら止めんぜ」
指の動きが止まって、サンジは足を広げたまま呆然と目を見開いてしまった。
その表情があまりに幼く見えて、ゾロは思わず失笑する。
「・・・お前って・・・」
「な、なんだ馬鹿野郎、やる気あんのかてめえ!」
こんなときまで喧嘩越しな、この男がこんなにも愛しい。

「んじゃ、やる気を見せてやろうか」
サンジの足の間に腰を下げて、ゾロは前を寛げた。
いつ見ても堂々と、“やる気”溢れる一物が現れる。
サンジはちっと舌打ちしつつ、身体を起こしてそれに顔を寄せた。
ちろりと舌先で舐めてから、視線だけゾロに寄越して見せ付けるように頬張った。
ぐんと、口の中でそれが膨張するのがわかる。
「先走ってんじゃ、ねえよ」
苦味を舌先に乗せてちろりと竿を舐め、また口に含んだ。
月の光を背に受けて、暗く影になったゾロの顔が欲望にどす黒く染まって見える。
「・・・この野郎、上等じゃねえか」
低く呻く声すら、獰猛でセクシーだ。

サンジの髪を掻き混ぜながら、ゾロは勝手に腰を振ってきた。
喉を突かぬように気をつけ、舌を精一杯蠢かして口の中の暴れ馬を宥め煽る。
時折わざと歯を立ててやるのに、それすら気持ちいいのかゾロの口端が涎が出んばかりに歪められた。
「くそ、たまんねえな」
サンジの顎を掴んで勢いよく引き抜くと、涎に濡れた唇に噛み付いてねっとりと舌を絡めた。
お互いに目を細め、見つめ合いながら唇や歯を味わい、舌を吸い合う。
冷えた身体を温めるよにがっちり抱き締めながら、ゾロは唇を離した。

「ルイジのも、咥えてやったのか?」
唐突に出た名前に、サンジは驚いて目を瞠り動きを止めた。
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
硬直して口を開けたままのサンジに、ゾロはもう一度言葉を繰り返す。
「ルイジには、どうしてやってたんだ?てめえから奉仕してやってたのか」
ひやりと、頭から冷水を浴びせられたようにサンジは青褪めた。
一体いきなり何を言い出すのか。
ずっと忘れていた、もうなかったことにしようとすら思っていたその名前を、なぜ今ここで言い出すのか。
「応えろよ、ルイジとはどうやってたんだ」
言いながら、ゾロは決して乱暴ではない仕種でサンジの腰を抱えると、開かれた双丘の奥に己を宛がった。
「こんな風に、あいつも挿れたのか?」
「く、あ・・・」
ずん、と激しい衝動を伴ってゾロが入ってくる。
何度経験しても慣れない最初の挿入に、勝手に逃げる身体を押さえつけゾロは性急に腰を振った。
「どうだ、あいつとどう違う?」
「・・・や、めろっ」
「そう言って、奴の前でも嫌がってみせたのか?逃げる真似もしたか?あくまで、真似だろうがな」
「うっ」
慣れた身体を分け入って、サンジが感じる場所を無遠慮に突いてきた。
ここを背後から突かれると、もう快楽ばかりが先走って何も考えられなくなってしまう。
そのサンジの性を知り尽くして、ゾロは執拗にそこばかりを責める。
「てめえをこうやって、善がらせて啼かせたのかあいつも。まだガキだから、そこまでは無理か」
「や、やあっ・・・ゾロっ」
内股に手を回し、空に向かって大きく脚を広げられながら深く突き上げられた。
月明かりの下、濡れそぼった己が蜜を零しながら揺らめくのが視界に入る。
触れられてもいないのに、悦びで勝手に勃ち上がったそれは歓喜の涙を流しながらゾロの律動に合わせて踊った。
あまりに滑稽で哀れで、浅ましい欲望の証。
「ふ、あっ・・・い―――」
「応えろってんだよ」
ギリ、と背後から乳首を抓られ、肩に噛みつかれる。
「いっ、や・・・」
左手は脚と一緒にゾロに絡め取られていて、身動きが取れなかった。
無意識に上がった右手が、ゾロの肘を払う仕種を見せる。
「あいつに突っ込まれて、気持ちよかったか。あいつ以外の野郎にも、ケツ貸したのか?」

陸に下りて二人で旅して、それからずっと穏やかに過ごしていたゾロの口からこんな言葉が出るなんて。
サンジは信じられない思いで宙を見つめた。
一体なぜ、今になって。
忘れた振りをしてお互いに目を逸らしてきた過去を、逃げ場がないまま突きつけてくる。

「言えよ、俺以外の誰に抱かれた?」
ゾロのモノが内部を蹂躙し、熱い迸りを注ぎ込みながらもまだ貪欲に満たそうとしてくる。
サンジは喉の奥から慄くような息を吐いて、下半身を震わせた。
ゾロのすべてを飲み込んで収縮し、射精感が止まらない。
「ひ、あ・・・」
「まだだぜ」
きゅうきゅうと痛いほどに締め付ける結合部を更に押し広げるようにして、ゾロは容赦なく律動を続けた。
あまりに強い刺激と快感に我を忘れ、サンジは涙を零しながら首を振り声を上げる。
「や、っだあ、だれ・・・もっ」
「ん?」
「誰、にも・・・あいつ、だけ―――」
軽い痙攣を起こして強張るサンジの両足を上げて、尻を揉みながら上げ下ろしを繰り返す。
「なんだって?」
「あいつ、だけだ。こんな・・・お前以外っ・・・あ」
「こんな?こうやって突っ込まれるのがか?」
啼きながらコクコクと頷き、ひいと息を漏らす。
「ルイジに突っ込まれて、そうやって啼いたか?」
ルイジと名を聞く度に、サンジの奥がきゅうと締まる。
自分でも自覚できるのだから、ゾロはとっくに気付いているのだろう。

「恋しいか?ルイジが」
またきゅうと下腹が切なくなって、サンジはきつくゾロは締め付けたまま顔を上げた。
「んな訳あるか、このクソ野郎っ」
ずんと深く突かれ、あられもない声が漏れる。
サンジは右手でゾロの腕を掴むと、爪を立てた。
「お前、お、まえを見てたんだ・・・あいつん中に―――」
言い訳じみているが、それが真実だ。
だって、しょうがないじゃないか。

「てめえに、クリそつだったんだから、よ・・・」
顔も身体も、性格も―――
「おい?」
ゾロの頬を引き寄せ、サンジは涙に濡れた瞳でしっとりと見上げた。
「・・・声が・・・」
「あ?」
ゾロの目が訝しげに顰められる。
「あいつの声が、一番お前を思い出させた」
奴の自分を呼ぶ声が、求める言葉が、熱い吐息が。
すべてがゾロを思い起こさせて―――

「あいつに抱かれている時に、てめえの名を呼んじまった・・・」
ゾロの目が見開かれた。
その表情があの時のルイジを思い起こさせて、サンジの胸にぎゅっと重い痛みが走る。
「この、クソ親子っ」
半端に開いたゾロの唇に、自分から噛み付いた。
腹の上でサンジの身体を器用に反転させて岩場に横たえると、ゾロは口付けながら上に圧し掛かり更なる
挿迭を繰り返す。
中空にぽっかりと浮かぶ月が視界からぶれて霞み、目も開けていられなくなった。

「あ、はっ・・・ああ、ゾロ―――」
「まだ、だぜ」
「やだ、もう・・・もう、や―――」
「まだだっつってんだろ」
空に伸びた足が白く揺れる。
「あ、ひ・・・ひぃ―――」
一際深く突き入れて、ゾロは一気に引き抜いた。

月光を受け、白い一閃が闇を駆け抜ける。
風にそよぐ枝葉がざわりと揺れて、隠されていた気配が一斉に牙を向いた。




next