峠の狼 -4-


パチパチと爆ぜる音を繰り返しながら、廃屋だった小さな店は赤い炎に包まれた。
「たいしてモノはねえのに、よく燃えるなあ」
「古いし、よく乾燥してたからな」
暢気に言葉を交わしながら、二人揃って揺らめく炎をぼんやり眺める。
明るい月夜だった空は今は黒煙に阻まれて、闇で塗り込められたかのように暗い。
それでも時折煙の間から差し込む光が、地上の惨状を照らし出した。

木立ちの樹々は乱雑に切り倒され、その周辺に元は人間であったものの残骸が散らばっている。
地面に染みた血はどす黒く広がり生臭い風が吹き渡っていくのに、清冽な月明かりが
全てを包み込むように降り注いで、どこか厳粛な雰囲気を醸し出していた。
「ったく、派手に斬り散らかしてくれたもんだ。明日、村の人らが片付けんのに大変だぞ」
「しょうがねえだろ、いきなりだったんだからよ」
嘯くゾロに、サンジは苦笑を漏らし肩を揺らした。
「嘘付け、気付いてて誘い掛けた癖に」

表立って敵対はしないものの、勝手に峠に住み着いて通りすがりの旅人を気まぐれに助ける
二人の寝首を掻くのを、山賊達は虎視眈々と狙っていた。
わかっていて、隙を見せたのだ。
「てめえこそ、常よりノってたじゃねえか」
ゾロのからかいにも薄笑いを浮べて、サンジは肩に掛けた上着から煙草を取り出して咥えた。
「いいとこで邪魔しやがるから、イき損ねた」
片手だけで急いで身に着けたシャツはくしゃくしゃで、ボタンもろくに合わせていない。
風にはためく襟元から色濃い鬱血を残す肌が照らし出されて、炎の動きと共にチラチラとゾロを誘う。
「確かにモノ足りねえな」
伸ばされた腕をぺちんと叩き、左手で燐寸を擦った。
「ぐずぐずしてっと麓から人が来んぞ」
「でかい焚き火にしか思わねえよ」
ゾロはその場にしゃがみ、背後から覆い被さるように両手で抱き締めてきた。
しばしその腕の温もりに身を任せ、乞われるまま口付けに応える。


火の粉を散らしながら、廃屋が崩れた。
熱風が血生臭さを掻き消し、立ち昇る黒煙は清かな月の光を遮る。
しっとりとゾロの舌を食み、その硬い頬を撫でて顎に手を添えた。
「・・・なぜ、急いだ?」

いくら山賊共が目障りだったとは言え、何も根絶やしにしなくてもいいはずだ。
だがゾロは、逃げようと背を向けた者にまで斬撃を放った。
サンジに蹴り飛ばされ地に伏した者の首を掻き切り、息の根を止めて回った。
なによりも―――
なんで今頃、ルイジの名を出したのか。

炎を照り返し紅に染まる瞳で真っ直ぐに見据えるサンジの、頤に添えられた指の冷たさを
楽しみながら、ゾロは何度か啄ばむように唇をつけた。
「実は、カモメール便が届いてな」
「なんだと?」
カモメール便は、個人を特定して親書を手渡す稀少にして高額な通信手段だ。
「驚いたな、その辺の賞金稼ぎより有能じゃねえか」
ゾロは腹巻の中から手紙を取り出した。
小屋を燃やし尽くした炎は下火になり、手元を照らし出してくれるほどの明るさはない。
それでもサンジは、ゾロから引っ手繰った手紙を両手で透かすように掲げて文字を読んだ。
「えーなになに?・・・ぶっ飛ばす?」
「北に住んでる強え奴をぶっ飛ばすから、手エ貸せとよ。この先の寄港地も書いてある」
「くっそう、それを早く言えよ。ナミさんのサインがあるじゃねえかっ」
思わず抱き寄せて、鼻先でくんくんと匂いを嗅いだ。
仄かに、ナミを思わせる爽やかな柑橘系の香りがするような・・・気がする。
辺り一面焼け焦げて血生臭いのだけれども。

「んで、てめえはどうすんだ?」
そんなサンジの様子を可笑しそうに見ながら、ゾロは今更なことを問うて来た。
軽い口調にややむっとしながらも、サンジは手紙を懐に大事そうに仕舞う。
「しょうがねえなあと言いたいところだが、ナミさんのお呼びとあってはすぐさま駆け付けねば、騎士サンジの名が廃る」
ナミさん、待っててー!と白み始めた東の空に向かい気炎を上げるサンジの後ろ姿を眺めながら、ゾロはやれやれと荷物を担いだ。
「そいじゃあ善は急げだな、黙って俺に着いて来い!」
先ほどまでの、しっとり隠微な雰囲気はどこへ行ったやら。
颯爽と左手を上げてサンジが指差す先は、東の空だ。
峠を越えてもう一山越えれば、そこには海がある。

ゾロは夜露に濡れる蔓草を一筋千切ると、さっさと先を歩くサンジに追い付いた。
「ちょっと待ててめえ」
「あんだよ」
振り返る前に、サンジの左手を掴んで引き寄せた。
「お前はなあ、片手だけを使うことに慣れちまってんだよ」
船を降りてからの陸暮らしで、よほど悠長に過ごしていたんだろう。
効かなくなった腕を無理にでも使おうと努力することすら忘れるほどに。

「だからな、マジナイだ」
ゾロは左手の薬指に、青い蔓草を巻いて結んだ。
「こっちの手ばかり使おうとする時思い出せ。てめえの右手もちったあ動く、つか、もう動くようになった。だからこっちばかり使わなくてもいいってな」
この蔓草がいつまでも切れないように、少しでも長く大事に取って置けるように目印として。

サンジは左手の薬指を繁々と見つけてから、半端でなく頬を紅潮させた。
「・・・他に、やりようはねえのかよ」
呟く声が喉に絡んで掠れている。
それが余計に気恥ずかしいのか、怒ったように口元をへの字にして横を向いてしまった。
「それ、切るなよ絶対。気をつけて生活しろ」
「うっせえバカ、こんなんされたら嫌でも気がつくだろタコ」
「もし切れたら、また結んでやる」
「・・・どうせなら、草じゃねえもんにしろよ」
「なんか言ったか?」
「別に」
「チョッパー、驚くだろうな」
「まあな」
「ルイジ、気がつくかな」
「てめえやっぱりそっちのが狙いか。なんて大人気ねえ奴だ、恥ずかしー」
「てめえに関しちゃ、俺はいつでも大人気ねえぞ」
「威張るな!」
ぎゃあぎゃあ言い合う二人の影は朝日を受けて長く伸びながら、やがて曲がり道の角へと消えた。




晴れやかな空の下、かつて来た山道を登りながら大きく深呼吸をした。
日が暮れた後は恐ろしげな怪物のごとく黒く佇んでいた山も、昼間見れば緑が滴るような
美しい景色だ。
青く澄んだ空と同じように晴れやかな気分で、峠の茶屋を目指す。

携帯武器代と称して男を雇い、麓まで送ってもらったお陰で父の死に目に間に合った。
結局言葉を交わすことも詫びることも詰ることもできなかったが、それでも死に行く父親の目線はしっかりと自分を捕らえ、物言いたげに唇が動いていた。
病に衰え枯れ枝みたいな指を掴んでしっかりと握れば、満足したように瞼を閉じてそれきり逝った。
喪主として葬儀を執り行い、世話になった村人達にも礼を尽くすことができた。
何もかも、あの茶屋の二人のお陰だ。



葬儀を終えた後、しばし村に留まっていた時にふと、思い出したことがあった。
麓まで送り届けてくれた、あの強そうな男。
どこかで見た顔だと思ったら、最近あちこちに手配書が出回っている「雷撃のルイジ」に顔がそっくりだったんだ。
村の集会所に貼ってある手配書を眺めて、実によく似ていると一人頷いたりして。
あれほど似通っているということは親戚か、もしくは年の離れた兄弟なのかもしれない。
それなら、強そうなのにも道理が行くというものだ。
なんにしても改めて、あの二人には礼を言いたい。


額に滲むを汗を拭って、山頂へと辿り着いた。
なのに、あの日そこにあったはずの小さな茶屋が跡形もない。
違う山を登ったかと思わず周囲を見渡したが、故郷へと続く山並みは見慣れたものだ。
よく見れば、茶屋があった辺りの地面が黒く焼け焦げて木屑や廃材が散らばっている。
火事にでも遭ってしまったのだろうか。
しばらく呆然と佇んで、あの夜のことを思い返していた。

崩れそうな廃屋だったのに、中に入ってみればいい雰囲気の酒場だった。
薄暗い中でも幻みたいに淡く発光して見えた、金髪の男。
気配もなくただ酒を飲んでいた、精悍な男。
煙草の煙が揺らぐ店内で、虫の音以外なんの音もしなくて。
静寂に包まれながらも決して息苦しくはなかった、穏やかで暖かな空間。
気分を一新してくれた酒の味。
センスがまるで違う素晴らしい料理。
挫いた足に包帯を巻いてくれた白い指。
動かなかった彼の右腕。

何もかもが、確かにあった出来事の筈なのに、まるですべてが夢だったかのようだ。
キツネかタヌキにでも・・・化かされたのかな?

なんとなく途方に暮れて。
ただ山頂を渡る風に吹かれながら、長いことその場所に立ち尽くしていた。





しばらくして後―――
新しい手配書が巷を席巻し、すべてが夢ではなかったことを知ることになる。



END