■となりのストーカー -7-


ナミの前でだらしなく鼻の下を伸ばし、デレデレするサンジの姿はゾロにとって新鮮だった。
サンジは、ゾロだけに限らず大抵の男の前ではつっけんどんな態度を示している。
それでいて放っとけない性質だからか、しょうがない感を前面に押し出しつつ甲斐甲斐しく立ち働いて世話を焼く。
そんな時サンジは、少し斜に構えた感じで素っ気ない素振りをするのが常だ。
そうして会話の流れから緩く微笑んだり、小首を傾げて見せたりする。
気だるげな仕種がドキリとするくらい色っぽく感じられて、すげない態度も逆に意味深に思えて罪深い。

ところが、今日はどうだ。
ナミを前にしてクネクネと身を捩じらせ、跪く勢いで美辞麗句を並べ立ておべんちゃらを言いまくっている。
その顔は、まさに目をハートマークにして小鼻を膨らませ鼻の下を伸ばして涎も垂らさん勢いで、ぶっちゃけ非常に不細工だった。
そんな不細工加減でも、これがサンジだと思えば可愛らしく見えるのが不思議と言えば不思議だが、それにしたってこの激変ぶりには驚くしかない。
ゾロや、恐らくは他の男の前では整った顔立ちでクールに対応するのに、本命であるはずの女の間でこうなるとは。
サンジという男は、いろんな面で残念としか言いようのない不幸な星の下に生まれているのかもしれない。
目の前のやり取りからそう分析し、ゾロの、サンジへの庇護欲は勝手にいやましに高まって行く。

「じゃあ、このシェフのお任せコースをお願いするわ。飲み物は、水でいいわ」
「喜んで〜。デザートは選べるタイプだけど、特別にすべて盛り合わせでサービスしちゃうよ」
「お、いいな。じゃあ俺もお任せで」
「そりゃどうも、デザートはこの中からお選び下さい」
「随分態度違うな、オレ」
ナミに対してはデレデレと相好を崩しているが、ウソップに向かう時はキリッと眼差しまで変えている。
思い切り逆効果だが、そのあからさまな待遇の差を面白がる余裕がウソップにはあり、そんなウソップの気安さにサンジもすぐに馴染んだようだ。
「どうぞ、お選び下さい長っ鼻様」
「めっちゃ慇懃無礼!ていうよりただ無礼!俺ァそんな名前じゃねえっての。じゃあショコラの誘惑?チョコムースで」
「畏まりました。おい、マリモは?」
「誰がマリモだ」
「ふふふ、いつもこんな感じなの?」
ナミに話しかけられれば、すぐにデロンと表情を緩める。
「そんなことないよ〜。俺は素敵なレディに弱いだけさ」
「そんなこと言って、毎日ゾロに美味しい食事を作ってあげているんでしょう?」
「え、あ、いや、それは成り行きで・・・」
急に素に戻って、あわあわと両手を振る。
「お隣さんのよしみでさ、こう、勢いでさ」
「いくら勢いでも、ほぼ初対面の男に飯を食わせてくれるなんて、めったにないことだぜ。最初に聞いた時、大丈夫かって心配になったし」
「ゾロが?」
サンジがきょとんとした顔でゾロを見つめると、ウソップはサンジの腰辺りを手の甲でパフンと叩いた。
「いや、あんたが」
「え、俺?」
なんで?問いたげに目を瞬かせる。

「チビナス、ぐずぐずしてないでとっととオーダー持ってこい!」
「チビナス言うな!あ、じゃあこれで・・・」
スタッフの怒鳴り声に踵を返しかけ、慌ててゾロを振り返る。
「俺も、シェフお任せで頼む、デザートは適当に」
「了解」
悪戯っぽくニヤンと笑う。
それは、いつもゾロに見せる表情だ。
踊るような足取りで厨房へと消えたのを見計らい、ンナミはテーブルに肘を着いてそっと声を忍ばせた。

「ウソップから経緯を聞いて、どんな人だろうって思ってたけど、なんだか放っとけないタイプね」
ウソップも、顔を寄せて頷いた。
「話しを聞いてるだけじゃ怪しさMaxだったけど、実際に会ってみると信じられないくらい人が良さそうな奴だな。うん、口は悪いけど、悪い奴じゃないと思う」
「当たり前だろ」
何をいまさら、となぜか誇らしげに胸を反らせるゾロの脛を、ナミはブーツの先で軽く蹴った。
「あんたも人のこと言えないのよ。やけにバイトに励んでると思えば、その稼ぎをほとんど食費に注ぎ込むとか。知り合って間もない相手に現金を預けるって時点でかなりヤバイのに」
「それを言うなら、あいつは初対面の俺を部屋に上げたぞ」
「心配合戦してんじゃないっての。私から見たら、彼もあんたも目クソ鼻クソよ」
「ナミ・・・」
ウソップが額に手を当てたところで、両手に前菜のプレートを乗せたサンジが颯爽と現れる。

「こちら、ズワイガニとセロリのレムラードでございます。根セロリのグラニテと共にどうぞ」
皿を置くだけでも、流れるような所作が美しい。
本職はコックだと聞いているのに、ウェイターのプロのようだ。
「これ、お前が作ったのか?」
ゾロが小声で問うと、いんやと首を竦めてみせる。
「ようやく前菜を任されるようになったとこだけど、今日はホール担当に回されてっから作ってねえんだ。けど、特別にデザートは仕込みからさせてもらってるから、楽しみにしておいてね」
最後の方はナミに向かって言うと、ナミは「それは楽しみ」と微笑んで見せた。
「ああ〜なんってキュートなんだろう。まさに女神の微笑み!」
やはり、だらしなく表情を崩して大袈裟な素振りで身悶えている。
こりゃダメだとゾロが肘を着いたところで、玄関の扉が開き「いらっしゃいやせー」とドラ声が響いた。

「こんにちは。急だけど、いいかな?」
「あ、どうぞどうぞ」
顔を見せたのは、20代後半くらいの男性だった。
背が高く精悍な顔立ちだが、黒髪の癖っ毛と薄く浮いた雀斑が愛嬌を感じさせる。
スタッフの反応から常連客かと推測したゾロの隣で、ナミが「あ」と声を上げた。
「エース」
「おや、ナミちゃん奇遇だね」
「え、オーナーとお知り合い?」
間に挟まれた格好で、サンジが目をぱちくりさせている。
「え、オーナーってこのお店エースのところの?」
「ああ、去年から」
「そうだったの、あちこち手広くやってると思ったらまあ」
「え?え?ナミさんはオーナーとど・・・あ、いやなんでもない」
客のプライベートに立ち入ってはいけないと気付いたか、慌てて口ごもった。
「いいのよ。エースは彼のお兄さん」
「か、彼ぇ?!」
声のトーンは抑え気味だが、その分驚愕に目を見開いた。
まるで、この世の終わりのようだ。
「あら、私に彼の一人や二人、いないように見えた?」
「い、いや、もちろん一人や二人どころか数百人侍らせててもおかしくないとは思ってたよ。でも、まさか本命がいたなんて・・・」
「生憎ね、もちろん本命は一人だけよ」
ぱちんと片目を閉じるナミの前で、サンジは見るからに萎れてしまった。

「ああ、でもしょうがないよね。やっぱりナミさんみたいな素敵なレディを世の男どもが放っとく訳ないんだ。でも、だからって本命気取るんじゃなく、もっとこうナミさんにプレゼントを貢いだり美味しい料理をご馳走したり、素敵な場所へ連れて行ったりする方が一般的かと」
「お前、会って間もないのに恐ろしいほどにナミのことを見抜いているな」
ウソップの恐ろしげな呟きに、エースは朗らかに笑った。
「俺が知らない間に、いつの間にか仲良しになってたんだな」
「ナミ、本命ってルフィのことか?」
ゾロが視線をエースに止めたまま問えば、ナミはそうよと頷いた。
「エースはルフィのお兄さんなの」
それで、この店のオーナーか。
世間は広いようで狭いなと、感心する。

「いきなりで失礼なんだけど、ご一緒させてもらってもいいかな?」
エースが問えば、ナミとウソップが顔を見合わせ、二人同時にゾロを見た。
ここで勝手に仕切って判断しないのが、ナミのいいところだ。
「どうぞ」
ゾロがそう言うと、サンジはさっと空いている椅子の後ろに回りエースが座れるように引いた。
「じゃあ俺にも同じものを」
「畏まりました」
「あと、皆さんの分も飲み物を選んでくれる?」
営業用スマイルで会釈し下がるサンジは、そつのないベテランウェイターのようだ。
店に来ただけで、サンジのいろんな顔が見られる。

ほどなく運ばれてきたワインを手に、乾杯した。
「ご馳走様」
ちゃっかりと礼を言うナミに、エースはどういたしましてとグラスを掲げる。
「以前から、このお店に来てたの?」
「いいえ、今日が初めてなの。実は、サンジ君に会いに来たのよ」
「サンちゃんに?」
ナミは前菜を口に運び、うーんと目を細めた。
「美味しい」
「食べ慣れた味がする気がするけど、なんだろう」
「確かに、すげえ知ってる味―――」
噛み締めてから、ああと気付いた。
「マヨネーズだ」
「そうか、マヨネーズか」
「あんた達もう、なんか台無し!」
ぷんすかと怒るナミに、エースは続きを促した。
「サンちゃんと友人だったの?」
「私達は今日、初めてお会いしたのよ。この、ゾロのお隣さんでね」
「先月から、一人暮らしを始めたんです」
口当たりの良いワインを飲みながら、端的に説明する。
「たまたま、隣に住んでたのが彼で。成り行きで晩飯を作ってもらったりしてます」
「へえ、そう言えばサンちゃんも一人暮らししてるんだっけ」
ここに住めばいいのになあ。
そう、独り言のように続けたエースにゾロが食いつく。
「ここに住めばって、住み込みで働くってことですか?」
住める場所があるのなら、アパートを出て行っても困らないのではないか。
「うん、昔はここに住んでたんだ」

サンジが近付く気配を感じ、会話を止めた。
束の間の沈黙の中、手早く皿が下げられる。
続けてスープを配られ、サンジが引っ込んでから口を開いた。
「この店の開店当初から、サンちゃんはここに住んでたんだよ」
「え、じゃあ最近?」
ウソップが目を丸くするのに、エースが苦笑した。
「いいや、開店して10年以上経つかな。元々、ここの料理長がオーナーをしていてね。俺は家族と一緒によくここに食事に来てた。サンちゃんと初めて会った時は、俺はまだ高校生だった」
懐かしそうに目を細める。
「サンちゃんはその頃小学生・・・だけど、同い年の子達よりちょっと小さかったんだ」
「じゃあ、オーナーのお子さんか、お孫さんとか?」
「詳しくは知らないけど、血縁関係はなかったと思う。オーナーが亡くなった時に相続問題も出なかったし、養子縁組もしてないんじゃないかな」
「あ、オーナーは亡くなったんだ」
「うん、数年前にね。それからしばらく店を閉めていたんだけど、去年うちが買い取って当時のスタッフも呼び寄せて再オープンさせた」
「それで、今はエースがオーナーなのね」
ナミとウソップが交互に説明するのに、ゾロが割り込むように軽く片手を挙げた。
「その、オーナーが亡くなったことであいつは一人暮らしを始めたのか?」
「そう、その時はまだサンちゃん高校生だったかな。通ってた高校を中退して、専門学校行ったんだよ。自分の力量じゃまだ、店を継げないって。卒業後、他の店で修業してて、俺がこの店買い取る時に古参のスタッフを呼び寄せてサンちゃんも戻って、“バラティエ”を再開させたんだ」
「だったら、前みたいにここに住めばいいんじゃねえか」
「うーん、確かにそうかもしれないけど店のリフォームもしたし、居住スペースは今でも掃除はしてるのかなあ」
そこまで詳しくは知らないらしいエースに、ゾロは心の底でほっとした。
やけに馴れ馴れしく“サンちゃん”呼ばわりするので、内心穏やかではなかったのだ。

「なんでそんなに、彼が住む場所に拘るのよ」
「ここに引っ越して来たら、お隣さんじゃなくなるんだぜ?」
ウソップの指摘に、それもそうかとゾロはハッとした。
お隣さんでなくなったら、見張るのに超不便だ。
「そうだな。ただ、なんで慣れ親しんだ場所に戻らないのか、不思議なだけだ」
「独立心じゃね?そういうお前だって、一人暮らし始めたじゃねえか」
サンジが皿を下げに来て、不意に口を閉ざす。
「このスープ、とてもまろやかで美味しかったわ」
沈黙を誤魔化すように、ナミが感想を囁く。
「ありがとうございます、気に入ってもらえて嬉しいよ」
メインディッシュを置いてサンジが立ち去ると、全員心持ち身体を前倒しにして顔を寄せた。

「サンちゃんがいま住んでるところって、かなり古いアパートだって聞いてるけど」
「なんで知ってるんだ?」
ゾロが警戒をあらわにすると、エースはメインディッシュの肉を頬張りながら頷く。
「前に、今度遊びに行きたいな〜って軽口叩いたら、真顔で『古くてボロいんで来ないでください』と断られてさ」
「・・・確かに、古くてボロいです」
誰でも招き入れる訳ではないのかと、ホッとする。
「そんなに古いとこ?だったら、セキュリティとか危ないんじゃない」
だったら尚更、隣人に現金を任せるのは心配ではないか。
ナミは、エースの手前口には出さなかったら非難がましい目でゾロを睨む。
「セキュリティ以前の問題だ。建物自体が歪んでるし、あちこちガタが来て放置状態で」
「なんでまた、そんなとこ引っ越したの?」
ナミの当然の疑問に、背後で隈男が聞き耳を立てた気配を感じた。
あちらはあちらで、ゾロ達の様子を窺っているらしい。
「家賃が安いから」
端的かつ適当な答えに、ナミは納得する。
「そりゃそうでしょう。まあゾロだったら、屋根があって寝られるだけでいいって頓着しなさそうね」
「まあな」
みんなソース一滴まで残さず、綺麗に皿を平らげた。




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