■となりのストーカー -6-


九岳荘の名に相応しく、ゾロが借りている部屋もあちこち傾いでガタついていた。
天候によっては引き戸が上手く開かないし、壁にも罅が入り柱との境にも隙間がある。
そんなおんぼろ具合だから、今さら天井の羽目板がズレていても違和感はないが、とりあえずゾロは胡坐を掻いてじっとその隙間を睨んだ。
3分程度で根を上げたか、板がバコンと外れて羽根飾り付きの帽子を被った頭がさかさまになってヌッと現れる。
「そのように待ち受けられると、現れ難いではないか!」
「敢えて出てこないように見てたんですよ。諦めて帰る選択肢はないんですか」
そもそも、普通に登場できないのか。
茶目っ気が過ぎる叔父をそう窘めても、本人は知らぬ顔で音もなく軽やかに畳の上に降り立った。
天井裏から現れたというのに、埃一つ舞わない。

「ってか、なんでその帽子脱げないんだ?」
「重力に負けるような、軟弱な帽子ではない」
折れ曲がった羽根飾りを整え、改めてマントを翻しゾロの前に立つ。
「弱気ものよ、己の成すべきことを忘れたか」
「はい?」
叔父を無視すると後が面倒なことになるのは学習済みなので、ゾロは仕方なく急須に湯を汲んだ。
ついでに、引っ越してくるときに大量に持ち込んだ徳用おつまみ袋の封を開ける。
サンジと晩酌するようになってからは、まったく手を付けていない。
「これでも飲んで、帰ってください」
「夜分に訪れた客に対して、茶を出すなど。しかも、出がらしではないか?!」
「今朝入れた茶袋ですよ」
「もはや本日の日付も変わろうかという時刻に、なんたる仕打ち!」
憤懣やる方ないと言った風の叔父を冷めた目で見つめ、ゾロも出がらしの茶を啜って「それで?」と促す。
「ご用件は?」
「先ほども言うたであろうが。己の成すべきことを・・・」
「学生の本分は、学業です」
「そうではない!というか、そなたもしや突っ込み待ちではなくマジボケなのか?!」
叔父が驚愕の表情を作ったので、ゾロもようやく思い出した。
「…あ」
「あ?」
「いえ、もちろん頑張っておりますよバイト」
肉体労働のそれではなく、叔父に雇われた件だった。

「隣を追い出す、件ですよね」
「いま思い出したであろう」
叔父とは視線を合わせず、いいえと首を振る。
「もちろん、そのために隣に近付いたのですから・・・」
そこまで言ってから、はっと壁際を振り向いた。
「って、こんな会話してたら隣に筒抜けじゃないですか」
なにせ、お隣さんの生活音がすべて聞こえる安普請なのだ。
いままでの会話も、テレビ音とは誤魔化せない。
「案ずる必要はない。サンちゃんは今、シャワーを浴びておる」
「はあ?!あんた、なに人のプライバシーに踏み込んでんだ!」
ゾロが形相を変えると、叔父はいやいやと若干慌て気味に両手を振った。
「別に、サンちゃんの動向を探った訳ではない。先ほど風呂場に入る音を耳にしただけだ。天井裏にいるだけでも、どの部屋でなにが起こってどうなったぐらいはすべて把握できる」
「犯罪です」
「だから、気配だけだと申しておる。おれは家主だぞ。店子の安全を守ることも立派な役目」
「ストーカー、13号ですね」
「ちょっと待て。ストーカー呼ばわりは心外だが、それにしても13号とは何事か」
引っかかるのはそっちかと思いつつ、ゾロは生真面目に言い返した。

「あいつをストーキングしてる男の数ですよ。まず、目の下に隈作った顔色の悪い男。これが第1号」
ゾロは指を折った。
「次に、髪の毛を逆立てたトサカ男が2号。ただし、この男の傘下かたまに当番を入れ替わる下っ端がいますが数に入れてません」
「当番ってなんだ」
叔父の突っ込みを無視し、ゾロは斜め上あたりを眺めながら指を折る。
「それから暴走族のチーム。ハンサムを名乗る大男が3号。ほかのチームメンバーもすべて関わってますがとりあえずこいつが筆頭です。それから、地元高校の不良チームですかね。とても学生とは思えないような人相の悪いのが、集団であいつを慕ってます。元々は河原で決闘してたところをサンジが仲裁して、いも煮を食わせたとかで・・・」
「さすがサンちゃん、情が深いことよのう」
「個人だけでなく集団が多いので、実際のところ人数は把握できてないんですよ。大体、叔父貴が13号くらいかなあと」
「結局、大雑把ではないか!」
きちんと数字の根拠を述べよ!と見当違いなところで憤りながら、叔父は冷めた出がらしを啜った。

「だが、こうしてサンちゃんの周辺を調べておるのは感心なことだ」
「ええ、追い出すにしても相手にどのような事情があるかを把握しておかなければ、説得のしようもありませんからね」
成り行きによる出まかせを、さも当然のことのように口にする。
「段取り八分と申しますか、下準備を万全にして心置きなく出てってもらう計画です」
「その意気やよし。ならば俺から助言することなどなにもなかろう」
すっくと立ち上がった叔父に、ゾロはやれやれと首を竦めた。
「なにせ、お前の存在が件のストーカー達から怪しまれておる。ここ数日『なぜ入居者がいるのか』と問い合わせがひっきりなしに来ておってな」
「立ち退きを迫っていたのに新たに入居は、誰が見たっておかしいでしょう」
「そうでなくとも、この九岳荘への入居希望は殺到しておったのだ。俺がいくら断っても、家賃の10倍は払うからと食い下がるものも多かった。金の問題ではないというのに」
さもありなん、とその様子が容易に想像できる。

「それもこれも、隣が出てったらすべて解決するんじゃないですか」
「そのための、お前の入居だ。くれぐれも、目的を忘れるでないぞ」
「肝に銘じます」
叔父が現れるまで、バイトのことなどまるっと忘れていたゾロだったが、そんなことはおくびにも出さず神妙に頷き返す。
視線を上げたら、すでに叔父の姿はなかった。
天井の板もきちんと嵌められ、どこにも気配はない。
「一番怪しいのは、叔父貴だろう」
呟いたところで、隣の部屋からドライヤーの音が聞こえてきた。
どうやらシャワーを終え、髪を乾かしているらしい。
「俺も風呂に入るか」
ゾロは立ち上がり、もう一度天井に目を向けて気配が完全に消えたのを確認してから、風呂場へと向かった。





向かいのコンビニ。
裏手の雑居ビル3階トイレ。
スポーツ用品店横非常階段の踊り場。
バラティエ観察スポットをあれこれと吟味した結果、通りを挟んだ斜め向かいにある2階喫茶店の窓際の席に落ち着いた。
珈琲1杯で2時間粘れるし、週に3回ほど通う常連客として定着すれば怪しまれない。
生憎、この場所からは店内は見えないが厨房があるらしき壁が見える。
もう少し神経を研ぎ澄ませば、サンジが立ち働く気配くらい感じ取れるかもしれない。
ゾロは精神修行も兼ねて、ほぼ隔日のペースでその席に座っていた。
何もしないで壁を睨んでいるとさすがに怪しまれるので、適当に文庫本を開いて視線を落とす。
そうしながらも、意識はバラティエの壁に向かっていた。

今日は開店早々、あの隈男が客として店に入っていった。
ゾロが見張り始めてからでもすでに5回店に入っているから、常連客の位置付けなのだろう。
真面目なサラリーマンには見えないし、平日の昼間に一人で食事に来るのもいかにも胡散臭い。
なにで生計を立てているのか知らないが、時々子分らしき若い連中を引き連れているのも見かけるから(店に入る前に追い払っている)、ただのチンピラではなさそうだ。

道に面した生垣の向こうで、制服をだらしなく着こなしたいかにも頭の悪そうな男子高校生たちが、ぴょんぴょん跳ねて中を覗いていた。
これは、サンジを勝手に“兄貴”と慕うG5高校のガキどもだろう。
喧嘩の仲裁に入って豚汁を食わせるとか、どんな展開でそうなったのかはさっぱりわからないがサンジならなんでもアリな気がする。
まあ、ガラは悪いが悪さをするようには見えないから可愛いものだ。
トサカは朝、暴走族は夜と手分けしてボディガードを担っているように思えるから、こちらも心配せずともいいような気がしてきた。

ふと、駅から歩いてきた二人組に気付いて文庫本を閉じた。
待ち合わせにはまだ早いが、ナミとウソップが周囲を眺めながらぶらぶらと歩いてくる。
ゾロは会計をするために、階下へと降りた。
「おう」
「あらゾロ、もう来てたの?」
喫茶店から出たところで、タイミングよく顔を合わせる。
「迷わずに来るなんて、珍しいわね」
「別に、普通だろ」
「いやいや、俺傘持ってこなかったぞ」
「雨なんか降らねえって」
ウソップの軽口に肩を小突いて返す。
学生らしくラフな格好だが、ウソップは元々センスが良くて安物でも粋に着こなす。
ナミも、度を越した守銭奴だから自分が着る物に基本的には金を掛けない。
聡明な美人なので数人の男からあれこれと貢がれているようだが、金目のものはどんどん売り捌いて勝手に現金化しているようだ。
今日もニットワンピースの上からコートを羽織っただけのシンプルな装いながらも、生来のスタイルの良さでモデルのような雰囲気だ。
「素敵なお店ね、ゾロも初めてなの?」
「ああ、だが外観に反して中は魚市場みてえらしいぞ」
「なにそれ、楽しみ」
ゾロが扉を開けると、中から「いらっしゃいませイカ野郎!」と怒声のような歓待を受けた。



「予約していた、ロロノアです」
威勢の良さにびっくりしているナミとウソップを背にして立ち、ゾロはそれとなく店内の様子を窺った。
観葉植物の向こう側、カウンター席の一番端に隈男の背中が見える。
どうやらあそこが、奴の定位置らしい。
隈男も、ゾロの声で気付いたか背を向けた状態で耳を欹てているようだった。
「いらっしゃいやせ、ちびなすから聞いておりやす」
「ちびなす?」
思わず聞き返したら、厨房からギャルソンエプロンを身に纏いながらサンジが走り出してきた。
「余計なこと言ってんじゃねえこのクソカルネ!」
ほっそりとして引き締まった腰に、黒のギャルソンエプロンがよく似合う。
ゾロは思わず見惚れてしまった。
そんなゾロを差し置いて、サンジはまっすぐ後ろに立つナミへと歩み寄った。
「いらっしゃいませ、なんて美しいレディ。ようこそバラティエへ」
「こんにちは」
ナミはそつなくにっこりと微笑み、サンジにエスコートされるまま先に立って歩き出した。
美人だの可愛いだのと、言われ慣れているからこの程度では動じない。

「くっそ、ゾロの奴隅に置けないな。こんな素敵なレディと知り合いだなんて」
「高校からの腐れ縁だ」
「なにが腐れ縁だ、運命の女神様がお前を通じて巡り会わせてくれたんだ〜」
ねーと若干馴れ馴れしくナミに話し掛けるのに、ナミは邪険にするでもなくおもねるでもなく、ただニコニコと笑っている。
椅子を引いてナミを腰かけさせ、優雅な仕種でメニューを差し出す。
「本日のランチはこちらのコースになっております。また、レディースメニューもこちらに」
「ありがとう」

ナミの向かい側に座りながら、ウソップはゾロにこっそりと囁いた。
「なんか、俺らガン無視されてる気がするんだけど」
「まあ、元からこういう奴らしいが」
傍からに観察している分には面白いなと、ゾロはサンジの新たな面を発見して楽しんでいた。





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