■となりのストーカー -5-


朝は、5時きっかりに起床。
目覚ましが鳴る前に起きているのかそもそも目覚ましが必要ないのか、ベル音が聞こえたことはない。
トイレを済ませ洗面所で顔を洗い、すぐに台所に立つ気配がする。
卵を掻き混ぜる音。
熱したフライパンでなにかを炒める音。
チーンと音がして、オーブンが止まったらしい
「今日は洋食か」
隣から届く音と匂いで判断して、楽しみにしながら寝床から出る。

ゾロ自身も身支度を整え、隣に移ってサンジと一緒に朝食を摂った。
自分の部屋にゾロを残して先に出勤するサンジを見送り、食後のコーヒーを啜りながら窓辺に立つ。
朝方は冷え込みが厳しく、まだ薄暗い。
白い息を吐きながら早足で歩くサンジの後ろを、付かず離れずの距離でトサカ頭が後を付ける。
駅に着いて電車に乗るまでを見届けるのが、彼の習慣らしい。
「うし、俺も行くか」
ゾロ自身のバイトまではまだ時間があるが、戸締りをしっかりと済ませて外に出た。
そのまま、サンジの仕事先に直接向かう。



サンジの職場は、電車で2駅先にあるフレンチレストラン「バラティエ」だ。
ネットで調べてみるとなかなか評判のいい店だった。
味よし、コスパよし。
接客の評価は意見が真っ二つに別れるが、どうやらスタッフが荒っぽいおっさん揃いらしく、それが逆に新鮮で心地いいと一部には受けているらしい。
最初は色々と下調べしていたゾロだが、ネットで調べていても埒は開かないと、直接バラティエに足を運ぶことにした。

駅から徒歩10分と書いてある割にはたどり着くまで小一時間ほどかかったが、なかなか雰囲気の良い店だった。
まだ開店前で、人通りも少ない。
外から様子を窺ったり窓から覗きこんだりしたら、怪しまれるだろう。
そう判断して向かいのコンビニに入り、雑誌を選ぶふりをして店を眺め見た。

玄関には「Close」の札が掲げられている。
正面横の路地に裏口があるらしく、そこに度々業者が出入りしていた。
奥を抜けた裏通りにゴミステーションがあるから、サンジがあの隈男と出くわしたのはあの辺りだろう。
いろいろと想像しながら観察していると、あっという間に時間が経ってしまう。

気が付けば、バイト開始30分前になっていた。
気忙しいなと、1時間粘ったコンビニを出る。
バイト先も、この店の近くに変えた方がいいかもしれない。

サンジが店で働いている間は、さして危険はないだろうと判断した。
昼食も賄いで済ませ、外出する機会もないと聞いている。
それでもゾロはちょくちょく、バイトの合間にはレストランへと立ち返って意味もなく店の前を通り過ぎたり、裏口を見張ったりしていた。
サンジの姿が見られるかと思ったが、厨房に篭りきりらしくフロアには出てこない。
その代わり、客としてあの隈男がいたり、店の雰囲気にはあまりそぐわない男の姿が度々目撃された。
どれも行儀よく食事をしていたから、まあ害はないのだろう。

早朝に出勤するのは、市場に買い出しに出る水曜日だけだった。
他は早番遅番を取り混ぜて、割とランダムだ。
店の定休日は毎週木曜日。
それとあと1日、スタッフ同士でシフトを組んで休みを取っている。
他にも有給休暇があり福利厚生もしっかりしているようで、ブラック企業ではないらしい。
店のオーナーは、ゾロやサンジとさして年が変わらない、若い実業家だった。
幾つか手広く事業を手掛けていて、バラティエもその一店舗に過ぎないようだ。
サンジの身辺を調べ、なにかと気を配りつつ本人に悟られないように護衛の真似事をしてみる。
そんなゾロの日常は、なかなかに忙しい。




「最近、付き合い悪いわよゾロ」
机に突っ伏して爆睡していたら、いつの間にか講義は終わったようだった。
頭に鞄を乗せられて、目が覚める。
「久しぶりに合コン企画してるの、どう?」
誘って来たのは高校からの悪友、ナミだった。
「いかねえ」
「なんでよ、あんたが来ると参加率ぐんと増えるのよ。しかもこっちのレベルも上がるから、男がよく釣れるのに!」
ナミに係れば、身も蓋もない。
「知るか」
「まあまあ、ゾロは今バイトに燃えてんだよな」
フォローに回るウソップに、ナミはふんと鼻で笑った。
「どうせ鍛錬替わりで稼ぎは二の次の、肉体労働メインでしょ。こっちは飲み放題を付けるわよ」
“飲み放題”の単語に、危うく釣られそうになった。
ゾロは厳めしい表情を作って、首を振る。
「今は酒よりも小銭稼ぎだ」
「なにそれ、いつから守銭奴になったの」
「ナミの口からその言葉を聞くと、なんかシュールだな」
ウソップは気持ち悪そうに首を竦め、執り成すようにゾロを振り返る。
「けど、ゾロがそんなに金に執着するもの珍しいな。なんか買う当てでもあるのか?」
「いや、すべて食費に当てる」
「は?なにルフィみたいこと言ってんの。いや、そもそもルフィにはその発想はないけど」
首を傾げるナミの隣で、ウソップはアワワと青ざめた。
「お前、もしかしてお隣さんに貢いじゃってるのか?え、マジ?」
「人聞きの悪いことを言うな」
「え、なにそれ?ゾロが貢いでるの、受けるー」
顔を顰めたゾロとは対照的に、ナミの目が好奇心で輝き出す。
「ちょっとどういうことよ。最近一人暮らし始めたって、それでお隣さん?」
「なんか、ちょっと怪しいお隣さんなんだよ」
「怪しくねえよ、お人好しなだけだ」
ウソップが詳細を説明し、ゾロは部分的に訂正した。
それでなんとなく、ナミにも事情は伝わったらしい。

「そこまで悪意のない、無防備な人って逆に存在が疑わしいわね」
「だろ?尋常じゃないだろ」
「それがあいつなんだから、仕方ねえだろうが」
三人の中では最も常識人なのウソップの心配は、ナミにも理解できた。
そもそも、本来なら他人に興味など持たないはずのゾロの執着ぶりが異様だ。
「うーん、どっちにしろ私も会ってみたいなあ」
「ダメだ」
あっさり断られ、なんでよと唇を尖らせる。
「あいつ、異様なほど女好きなんだ。店に女の客が入っただけで鼻血出すからって、ホールに出してもらえないらしい」
「うっそ」
「マジか?本人がそう言ってたのか?」
「いや、スタッフに聞き込みしたらそう言っていた」
「聞き込みしたのかよ!」
「どんだけ食い込んでるの?ゾロ?!」
「大丈夫だ、あいつには悟られてない」
「むしろそっちのが問題だろ。そんなコソコソするような真似、お前らしくねえ」
ウソップが言うと、ゾロはむっとして言い返した。
「別にコソコソなんざしてねえ。むしろ堂々と話を聞いたりしてる。聞いた相手があいつに話すかどうかは、人の勝手だ」
「伝わってねえのか」
「だろうな、俺があいつの店を知ってることも、あいつは知らねえようだし」
ゾロはゾロで勝手に動き回っているが、それで特に見咎められることもないらしい。
なんともややこしい関係に、ウソップとナミは揃って首を傾げた。
「そもそも、なんでゾロはそのアパートに越してきたんだっけ」
「それも訳ありだが・・・」
そこまで言ってから、ゾロは「そうだ」と顔を上げた。
「お前ら、一緒に飯を食いに行くか?」
「へ?」
「お」
ゾロに食事に誘われるなど珍しい話だが、会話の流れから目当てはその店だろう。
「一人で食いに行くには敷居が高そうだが、お前らと一緒なら不自然じゃねえ」
「もちろん、同行させてもらうわよ。誘ったからには奢りでしょうね」
「それくらい、食い扶持は稼げる」
「乗ったわ、さすが太っ腹」
その週末に、3人でバラティエに出かけることが決まった。



今夜は、サンジは遅番で帰宅が10時近くになる。
偶然を装って店からの帰路を待ち伏せようと思っていたゾロだったが、ゾロ自身もバイトが長引いてギリギリの時間になった。
せめて部屋を暖かくして迎えてやろうと急いで道を走るのに、背後からパラパラと賑やかなクラクションが鳴り響く。
――――夜中だってのに迷惑な、バイク野郎だな。
すれ違いざまに蹴倒してやろうかと立ち止まると、ゾロのすぐ後ろでバイクも止まった。
「夜中に迷惑だろ、この騒音野郎!」
聞き覚えのある声に、振り返る。
ライトが眩しくてよく見えないが、バイクの後ろから見慣れたシルエットが降りたつのが分かった。
「夜は静かにしろ!」
「Yesハンサム!」
ヘルメットを脱いで投げるように手渡している。
「ほんとにここでいいんですかい?」
「いいよ、送ってくれてありがとう」
「それじゃ、気を付けて」
「静かに帰れよ」
「おう、野郎ども!静かに走れ!!」
「Yesハンサム!!」
威勢のいい声とは裏腹に、極力エンジン音を押さえながらゆるゆると走り去る。
なんだったんだと見送るゾロに追いついて、サンジは隣に並んだ。

「知り合いなんだよ。今夜は引けるのが手間取ってめっちゃ遅くなっちゃってさ。でも店出たところで偶然出くわして、送ってくれるって言うから」
「へえ、よかったな」
話を合わせて歩きつつ、ゾロは「違うだろ」と内心で突っ込んでいた。
偶然な訳がない。
あの暴走族集団も、サンジの様子を窺いに店の周囲をウロウロしているうろつき仲間だ。
帰りが遅くなった時には、偶然を装って送るつもりだったんだろう。
「まあ、ご苦労なこった」
皮肉も込めてそう労うと、サンジも笑顔で頷いた。
「うん、ありがてえな」

先に戻って部屋を暖めてやることはできなかったが、こうして一緒に帰るのもいいものだ。
針のように細い月が、ビルの隙間の空から時折覗いている。
夜の静けさに包まれた気持ちになって、なんとなく親密感が増す気がした。
「今度の土曜、大学の友人と飯食いに行くことになった」
「へえ、昼?夜?」
「昼だ。バラティエとかいう、レストラン」
「マジかよ!」
サンジは立ち止まり、その場で飛び跳ねる勢いで足踏みした。
「そこ、俺が勤めてる店だぜ」
「そうなのか?」
「ああ、そりゃすげえ偶然だな。そうか、ゾロが飯食いに来てくれんのか」
嬉しそうにはしゃいだ顔をしてくれるので、ゾロの方まで嬉しくなった。
「そりゃ、俺も楽しみだ」
「何時ごろ来るんだ?予約は入れてあるか?」
「いや」
予約までは、気が回らなかった。
そう言えば、土日のランチは予約を入れた方がいいとネットにも書いてあったっけか。
待ち時間など発生したら、ナミにどんな文句を言われるかわかったものではない。
「明日にでも、予約の電話を入れる」
「いいよ馬鹿、そんな他人行儀なこと言うなよ。俺が予約確認しとく」
「いいのか?仕事なのに」
「いいって、お前って本当に固いな」
ゾロにしてみれば親しき仲にも礼儀ありで、特に仕事に絡むことはきちんと立場を弁えなければならないと思っていた。
だから、サンジの親しげな言葉に戸惑ってしまう。
「うちのお客さんで来てくれるんだ、サービスするぜ」
「無理するなよ」
「大丈夫だよ。お前ってほんとに真面目だなあ、で、何名様?」
「3人だ。男2人と女が1人」
「レディも連れて来てくれるのか!そりゃ大歓迎、マリモのくせにたまには役に立つなあ」
「お前のためじゃねえよ、しかもなんだよマリモって」
夜中なので小声で応酬しつつ、それじゃあ頼むなと約束を交わしてそれぞれの部屋に入った。




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