■となりのストーカー -4-


ほどなく聞こえてきた壁からの控え目なノック音を待って、すぐに隣に移動した。
「この程度でも、聞こえるんだな」
ゾロのあまりの素早さに若干引き気味のサンジに、「そうなんだ」と意気込んで答える。
「あんた全然気付かないのか?壁一つ隔ててっけど、隣でなにやってもほとんど筒抜けだぞ。多分、俺が部屋で屁をこいても聞こえる」
「え、マジで?」
ますますドン引いたサンジに構わず、昨日と変わらぬ美麗な料理が並べられた食卓に着く。
「だからあんたも、気を付けろよ」
「わかった、おならは我慢する」
「そこじゃねえ、むしろ我慢するな。どでかいのバンバン出さねえと身体に悪い」
ゾロは「いただきます」と手を合わせてから、「それでな」と話を続けた。

「気を付けろってのは、こんな安普請なアパートだから物騒だってことだ。世の中、どんな奴がいるかわからねえ。あんまり不用心だとあんたが危ない目に遭う」
「は?俺がか?」
サンジはあからさまに馬鹿にした声で、ははっと笑った。
「レディでもあるまいし、野郎の一人暮らしで危ないもクソもねえだろ。大体この部屋には、盗られるもんなんざなにもねえ」
確かに、綺麗に片づけられてはいるが、殺風景な男の部屋でもある。
だが、身の危険はなにも金銭関係だけではないのだ。
「だから、世の中にはいろんな奴がいるっつってっだろうが。あんたみたいにちょいと小奇麗な奴は、野郎でも危ねえ」
「――――・・・」
サンジは箸を置いて目を眇め、無言で懐から煙草を取り出した。
火を点けて一服する。
暢気な仕種に、ゾロの方がイラッと来た。
「他人事だと思ってっと、痛い目ェ見るぞ」
「そりゃどうも」
スパスパと吹かしてから、灰皿に押し潰した。
表情を変えず、そのまま椅子を引いて立ち上がる。
「色々ご心配いただいてありがたいんですがね、ちょっと立って貰えます?」
いきなりの丁寧語と態度の冷たさに、驚きながらもゾロも箸を置いて立ち上がった。
「こうか?」
「ん、もうちょいこっち。テーブルから離れて」
手の甲を立ててチョイチョイと手招く。
サンジの背後は寝室らしく、片方開けられた引き戸の向こうにはベッドが見えた。
不覚にもドキリとする。
「一体なんだって・・・」
一歩足を踏み出したところで、ふいっと空気が揺れた。

ほとんど体勢を崩さないまま、サンジの片足がゾロの目線より上に上がっている。
側頭部に触れるギリギリの場所で、動きが止まった。
反射的に遮ったゾロの肘にも当たっていない。
「なんだ、いきなり」
「あんたも、反応いいな」
サンジは振り上げた膝を曲げ、片足立ちでトトンと軽く跳ねた。
「いっぺん、ガチでやり合ったら、結構いい勝負になるかも?」
「なんか、武道やってるのか?」
ゾロの問いに、サンジは口元を緩めて足を下ろした。
「空手を少々…と言いたいとこだけど、我流だ」
「それにしちゃ、形が綺麗で堂に入ってる」
動きに無理がなく、身体にも負担が掛からない自然な動きだ。
「ジジイ直伝だ」
「お祖父さんがいるのか」
「ああ、まあそんなとこ」
サンジは言葉を濁して、そのままストンと椅子に腰を下ろした。

「そういう訳だから、俺の心配とかはいらねえの。俺ァ強ェんだから」
なるほど、自分の強さを誇示したかったらしい。
ただ者ではないことはわかったが、それでゾロの心配が消える訳ではない。
「腕っぷしの問題じゃねえ、てめえの性質の問題だ」
「俺の、なんだって?」
剣呑な目付きで顔を顰めるサンジに、ゾロは溜め息を吐いた。
「自覚がねえから、なお性質が悪い。とにかく、あんたはどうやら底抜けのお人好しらしいから、悪い奴に付け込まれる心配がある」
「だから、俺みてえな野郎を相手に・・・」
「男女関係ねえっつってっだろうが。そもそも、お前俺だって初対面だってのにホイホイ家に入れたじゃねえか」
そこで、サンジはぐっと言葉に詰まった。
「だって、お前隣に引っ越してきたんだろ?」
「それは俺が言ったことだろ。もし嘘だったらどうする」
「――――・・・」
俄かに不安になったようだ。
心なしか、蒼褪めている。
「マジ?」
「だから、例え話だ。俺ァ、初対面でも家に上げて飯食わせてくれるような人間、初めて見たぞ。まあ、俺だってずっと実家暮らしで世間知らずなのは否めないが、それだって心配になる人の良さだ。まさかと思うが、あんた今までもちょくちょくこういうことして来たんじゃねえだろうな」
「こういうことって・・・」
叱られた子どもみたいに首を竦めてみせるサンジは、あざといくらいに可愛らしい。

「だから、見も知らない奴に飯食わせたりとか」
「だって、腹減ってるだろ?」
「あるのか!」
まさかと思って聞いてはみたが、本当にやっていたとは。
なぜかゾロの方が愕然として、目と口を大きく開けたまま固まる。
「マジかよ、そいつら大丈夫なのか?」
「大丈夫だから言ってんだろうが。大体、てめえは大袈裟なんだよ。みんな美味いって喜んで食べてってそれきりだ」
「飯代は」
「そりゃあ、後ででも払うって言ってくれるけど俺は受け取らねえ。食わせたくて作ったんだ。商売のつもりはねえ」
「それじゃ、気持ちが治まらねえだろう」
ゾロはたまたま、今後もお付き合いがある隣人だったから食費を納めることに成功した。
だが行きずりの相手なら、施してそれきりだ。
それでサンジの気持ちは済むだろうが、相手にとってはそうとは限らない。
ゾロがそう言うと、サンジはムッとして言い返した。
「施すとか、そういう言い方は止めろ。別に俺は同情とか可哀想にとか、そういうんじゃねえから。俺が作りたくて作ってんだ」
「だったら尚更、それなりの対価は受け取らねえと相手にだって失礼だぞ」
ゾロの言葉に、サンジはハッとして黙ってしまった。
悔しそうに唇を噛むも、言葉には出さない。

「大体、一体どんくらいの奴にただ飯食わせたんだ」
「別に、そんなには・・・」
サンジは戸惑いつつも、ひいふうみいと指を降り数え始める。
「えっと、ここに来てからか?」
「ここにって、この部屋に住む前の話からか?」
自然とサンジの過去に触れられる展開になって、ゾロは内心、心ときめかせつつも何気ない風を装って頷いた。
「そうだ、心当たりがあるならまず、そこから」
「だったら、俺がもうちょっとガキん時かなあ。ジジイの店に住み込みで働いてっ時、ゴミ捨てに裏口出たら行き倒れてる奴がいて、そいつにチャーハン食わせてやった」
「そりゃ、どんな奴だ?」
「別に、普通の若い兄ちゃんだったぜ。ちょっと顔色悪くて目の下の隈が凄かったな。頭にバンダナ巻いててイキった格好してたけど、俺が飯食わせたらすんげえ素直に喜んで、美味い美味いって涙まで流して喜んでくれたっけ」
――――その人相は、丸っきり昨日声掛けてきた奴じゃねえのか?
懐かしそうに目を細めて微笑むサンジとは対照的に、ゾロは険しい顔付きになる。

「他には、どんな奴がいるんだ?」
「えーとな、ここに越してきてからだけど、俺が中学ン時の後輩だかなんだかでこう、お前みたいな髪の色で毛をトサカみたいに逆立てたのがな」
――――トサカか!
「なんでかしらねぇけど俺に憧れてたって纏わりついて来て、うるせえから試食用のクッキーくれてやったり」
「それから?」
「バイクでブンブン走り回ってる暴走族がうるせえから夜中に蹴り倒して、ついでにボコボコにしてやったらなんでか懐かれて、それもうぜえから朝飯作って食わせてから追い返したり」
「・・・それから?」
「不良同士でタイマンやって、どっちもボロボロで河原に倒れてたからその場で芋煮を食わせたり」
「なんでそうなる」
根気よく事情聴取をするつもりだったが、途中で突っ込まずにいられなかった。

「人間ってのはな、腹が減ったらイラつくもんなんだ」
そう言って、サンジは笑顔で「まあ食え」と缶ビールを差し出してくる。
コップに注いでもらって、ゾロもサンジに注ぎ返した。
「美味いもん食ったら、誰だって笑顔になれるし心も和むさ。俺ァ別に、美味い美味いと褒めて欲しい訳じゃねえんだ。黙って食ってたっていい。ただ、そいつの表情が和んだら・・・ついでにとびきりの笑顔になってくれりゃあ、それで」
「――――・・・」
ゾロは無言でビール飲み干した。
今の俺は、眉間に皺を寄せてしかめっ面だ。
サンジの手料理は美味いし、こうして一緒に食べられるのはとても幸せなことだとわかってはいる。
だが心配が先に立って、和やかだの笑顔だのがすっぽりと抜けていた。

「・・・悪い」
「ん、や、いいよ」
素直に過たことで毒気が削がれたのか、サンジの方が戸惑ってモゴモゴと口元を動かす。
そうして誤魔化すようにビールを飲んだ。
「あんたが、俺のことを思って説教してくれてんのはわかるし」
「別に説教なんて偉そうなことしねえよ。それに、あんたに気を付けろっつっても無理な気がしてきた」
「だから、俺は十分気を付けてるって」
自覚がねえのが、一番怖え。
ゾロは用心深く、考えを巡らせた。

「あんたが強いのはよくわかったし、単純に親切心で行動してるってのも理解した。そこで提案だが、これからは可能な限り一緒に飯を食わねえか?」
そう言うと、サンジの表情がぱっと明るくなった。
「え、いいの?でも俺、仕事の都合で時間が不規則だし、夕飯だって遅くなることもあるぜ」
「だから無理に合わせなくていい。俺もバイトなんかがあるしな。タイミングが合えば一緒に食おうって話だ」
「その程度のユルさなら、いいけど」
サンジが心配するのは、あくまでゾロのことを思ってのようだった。
こいつどこまで人がいいのかと、呆れるやら感心するやらで複雑な心地になる。

「お互いガキじゃねえんだし、俺だって一応てめえのことはてめえで面倒見れる。だが、飯を食うならあんたの飯がいいし、一緒に食えればなおのこと美味い」
「そ、そうか?」
サンジはあからさまに照れた顔をして、けれど言葉にはせず横を向いて煙草を吹かした。
さっきから、ろくに食べないで煙草ばかり吸っている。
「だからお前も一緒に食え、もう煙草はしまいだ」
「あ、ああ。食事中に悪かった」
素直に灰皿に揉み消して、改めて料理に箸を付ける。
「俺もな、こうして一緒に食うといつもより美味い気がする」
「だろ?手始めにこれから1週間の、お互いのスケジュール確認して調整しようぜ」
「あ」
サンジは思い出したように声を上げて、「あれ」と指差した。
「皿、洗ってくれてありがとう」
「こっちは飯食わせてもらってんだ、それくらい片付ける」
「あと、金が置いてあった。あんな大金は困る」
「ああ、それについても一緒に計算して計画立てようぜ」

残り少ない学生期間を充実させるべく、新進の鍛錬も兼ねてバイト生活を選んだが、今ではそのすべての稼ぎを食費につぎ込みたくなっていた。
それほどまでに、胃袋を掴まれてしまっている。
そしてなにより、この男の身の周りのことが心配でならない。

底抜けのお人好しで無防備なこの男のことを、特別に思っている人間はきっと多いはずだ。
あの隈男やトサカ男だけでなく、サンジ自身が覚えていない他の奴らも多分いっぱいいる。
だからこそ、いきなり現れた隣人ゾロへの敵意の眼差しが複数あるのだ。
――――こりゃ、ウカウカしてられねえぜ。

サンジ自身が気付いていない複数ストーカーから、サンジを守れるのは自分しかいない。
ゾロはそう決意して、今後のライフスタイルの中心にサンジを据えることに決めた。




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