■となりのストーカー -2-


ありきたりのものだけど―――と謙遜しながら食卓に並べられたのは、外食と見紛うばかりに美麗な盛り付けだった。
こりゃすげえと素直に感嘆しながら、ありがたく手を合わせる。
「いただきます」
持参したビールを隣人にも注いで、喉を潤してから箸を付ける。

「・・・どう?」
無言でバクバクと口に運ぶゾロを、お隣さんはどこか不安げに眺め見た。
「美味い」
「そう?」
途端に、ぱあっと花が咲くように笑みが広がった。
その変化に、つい目を奪われる。
まだ咀嚼しきってない食べ物をごくんと飲み込み、噎せかけてビールを飲んだ。
「大丈夫か、ゆっくり食えよ」
「おう」
咳込みでもしたら、甲斐甲斐しく背中でも擦られそうな雰囲気だ。
妙に居た堪れない心地になって、ゾロは新しい缶ビールの封を開け「あ」と唐突に気付いた。
「なに」
「自己紹介がまだだったな」
お隣さんに礼を言おうにも、名前も知らない。
「そうだっけ」
こちらも、暢気なものだ。

ゾロは箸を置いて居住まいを正し、軽く頭を下げた。
「今日、隣に越してきたロロノア・ゾロです。お世話になります」
「あ、あ、」
お隣さんも慌てて座り直し、ちんまりと膝に手を着く。
「サンジです。コックやってます」
「コック」
なるほど、とガテンがいってゾロは深く頷いた。
「だからこんなに、変わってて美味いのか」
「か、変わってる?」
サンジは面食らったように、目を瞬かせた。
「俺の料理、変だった?」
「いや、俺があまり洋食を食べ慣れてないせいだ。正直、目の前に並べられてるご馳走がなにで出来てるのか半分はわからん」

ゾロの母の嗜好で、実家では和食一辺倒だった。
学食も利用するが、ハンバーグだのカレーだのスパゲッティだのと、こちらも定番ものしか食べたことがない。
この、黄色とかオレンジとか赤とか緑とか、見た目に食欲をそそる野菜のようなものからして、なにだかさっぱりわからない。
「この魚の切り身とか、すごく美味い」
「カルパッチョだよ、気に入ってくれた?」
「この肉の切れ端も」
「ブルギニョン、賄を貰って来たんだ」
さあもっと食えと、サンジはまだ手を付けていない自分の分の皿まで差し出してきた。
「いや、そもそもあんたが食べるために作ったもんだろ。俺ばっかり頂いては申し訳ない」
「いいから遠慮せず食えよ。俺ァ、人が美味そうに食ってんの見るのがすげえ好きなんだ」
そう言って、煙草を咥えながらニヤンと笑う。
「そんな気前のいいこと言ってっから、そんな細っこい身体なんだ」
「なんだとお?俺ァ確かに見た目スレンダーだが、結構筋肉ついてんだぜ」
「どうだか」
売り言葉に買い言葉で挑発するような物言いをすると、子どものようにムキになって乗って来た。
「てめえがちょっとムキムキだからって馬鹿にしやがって、見ろ」
そう言って、立ち上がりざまにバッとセーターをたくし上げる。
インナーのシャツも一緒に引き上げたから、白い腹が丸見えになった。
なるほど、確かに引き締まって綺麗に腹筋が割れてはいるが、それよりもその肌の白さがゾロの目を射った。
正視してはいけない何かを見た気がするのに、目が離せない。

「・・・お、おう」
「どうだ、参ったか」
ここはひとつ、ゾロも腹を見せるべきだろうか。
だがそこから何か不毛な展開が待っていそうで、思い止まった。
「参りました」
「わかればいい」
サンジはふんっと鼻息を一つ吐いて、モソモソと服の裾を直す。
ゾロとしては、ほっとしたような残念なような複雑な気分だ。
動揺を誤魔化すべく、ゾロはぐいっとビールを呷った。

「しかし今日は、帰りが早いんじゃないのか?」
確か叔父は、隣人は10時過ぎにならないと帰らないと言っていた。
だが今は、8時を少し過ぎた頃だ。
「ん?俺の帰る時間、知ってんの?」
ぶほっと、危うくビールを吹き掛けた。
これはなんたる失態。
「いや、コックだってえと、大体夜遅くまで仕事してるイメージがあってだな・・・」
我ながら苦しい言い訳だが、なんとか噎せるのを堪えて声を絞り出す。
「ふうん、確かにそうかも。今日は早番なんだ、いつもは10時過ぎるよ」
サンジは何も気付かなかったようで、それよりもと身を乗り出した。
「酔いが回ったんじゃねか?顔、真っ赤だぞ」
水でも持って来ようかと気を利かすのに、手で制す。
「いや、大丈夫だ」
「酒、弱いんだな」
「そうでもねえよ」
ゾロはゴホンと咳払いして、飯を食べることに専念した。



「ご馳走様でした」
綺麗に食べ尽くして行儀よく手を合わせると、サンジは満足そうに笑って頷いた。
「お粗末様でした」
「いやすげえな、さすがコック」
ゾロは元来口が上手い方ではないが、言葉にせねば伝わらない誠意があることは理解している。
なので、ゾロ的にかなり苦労してなんとか言葉を繋いだ。
「初日からこんな美味いもん食っちまったら、明日からの落差が半端ねえな」
実際、実家の母も料理上手で、ゾロの舌は同年代の若者よりも肥えていた。
だが食や味にさほど執着はないので、食える物はなんでも食うというスタンスだ。
明日からは、適当にあるものを摘まめばいい
「自炊、できんの?」
「ああ、飯は炊けるぞ
「――――・・・」
サンジの表情、怪訝なものに変わる。
「おかずは?」
「コンビニに、惣菜があるだろ」
「米だけ炊いて?」
「炊くのが面倒なら、弁当を買ってくればいい」
「たまにはパンとか」
「買ってくる」
「めん類とかは?」
「買ってくる」
サンジの顔が、徐々に剣呑な物に変わっていった。
なにか機嫌を損ねることを言ったかと、空気を察して首を傾げる。
「今どきなんだって売ってるから、食えりゃいいだろう」
「よくない!」
そこでダン!と、サンジが机を叩いた。
思わぬ剣幕に、ゾロはぎょっとして目を見開く。
「ちなみに、明日の朝は何を食べる気だ?」
ほぼ詰問状態で、若干仰け反りつつ答えた。
「朝は食わねえ。ギリギリまで寝てる」
「ダメだ!朝食は一日の基本だぞ」
サンジは鼻息荒くそう言いきって、むう・・・と眉間に皺を寄せた。
「明日、お前何時に起きるんだ」
「バイト初日だから、8時にはバイト先に着いておきたい。こっから30分程度らしいから、7時半に起きる」
「7時に起きろ。その時間に朝食を用意しといてやる」
横柄な物言いだが内容は親切なので、ゾロは戸惑った。

「そりゃありがてえが、あんた見ず知らずの隣人に対して親切すぎやしねえか?」
「別に親切で言ってんじゃねえよばーか。だれが野郎に親切になんかするかってんだ」
お近付きのしるしにご馳走を頂いた手前、これが親切ではないと言い切られては判断に困る。
「そんないいガタイして若いのに、食を蔑ろにするのが気に食わねえだけだ。てめえが、別に食いたくねえつうんなら無理強いはしねえが・・・」
最後の方は不安気に尻すぼみになったので、ゾロは慌てて身を乗り出した。
「食いたい!すげえ食いたい!」
「お、おう」
今度はサンジが、仰け反る番だ。
「だが、喰わせて貰ってばっかりじゃいけねえ、それなりの対価を払わせて貰う」
「対価って・・・」
具体的な話となると、サンジの方が腰が引けて見えた。
スイッチの入りどころがよくわからない男だ。

「せめえの食費は、俺が持つ」
「そんなん、俺が食わせたくて勝手に作ってるだけだから」
「だから、労力はあんたに任せる。そん代わり、あんたが食う分も含めて食費は俺が出す」
「そんなん、折半でいいじゃねえか」
「ダメだ、絶対ェ俺のが多く食ってる。それに、作るのも献立考えるのもあんたなんだから、あんたの方が絶対余計に労力使ってて不公平だ」
ゾロも交替で食事を作ろうと提案できればいいのだが、残念ながら、米を洗う以外の能力はまだ持ち合わせてはいない。
だからといって、ご馳走になりっ放しは絶対に嫌だ。
「ただ作るだけだって俺からみたらすげえことだが、毎回献立を考えるのも結構な苦労だってお袋も言ってた。俺がたまには、リクエストするぐらいできればいいんだが・・・」
そう言うと、サンジはぱっと顔を明るくした。
「おう、それ、それいい!なんでもリクエストしてくれ」
そうすると調理の幅が広がって、俺の修業にもなるとはしゃいで手を叩く。

「さっきはコックって名乗ったけど、実は俺まだ見習いなんだよね」
「は?これでか?プロ並みだぞ」
「さんきゅ。でもまだまだ修行が足りねえんだ。だから、こうしてプライベートでも調理で実践できるの、大きいなあ。自分一人だと、どうしても手ぇ抜きがちになるし」
「俺の分が負担になった時は、いつでも言ってくれ」
「そんなん、ねえよ」
「今はないつもりでもいつかあるかもしれねえ。それとも、俺の料理が食いたい時は、そう言ってくれたら努力する」
「なに食わされるの?」
一瞬思案してから、口を開いた。
「お握り、とか」
サンジはははっと笑い声を立てる。
「そりゃ楽しみだ。いつか頼むぜ」

切りのいいところで、ゾロは席を立った。
せめて後片付けぐらいできるといいが、それこそ初対面の人間に台所を触らせることを、この男は嫌がるだろう。
「ご馳走さんでした」
もう一度礼を言い、玄関に向かう。
「あ、忘れ物」
ビールが入っていた袋の中には、つまみがそのまま置いてある。
「いやいい、つうか、食料関係は全部あんたに預けていいか?」
そう問うと、サンジはうーんと首を傾けてから頷いた。
「まあ、そうすっか」
「明日、今後の食費を持ってくる」
「そんなんいいよ」
「よくねえ、恩義に甘えるだけじゃ筋が通らねえ」
「固いなあ」
呆れる声を背中に、それじゃあと扉を開けた。
外から冷えた空気が流れ込んでくる。
「おう、寒い」
「隣ってのは、便利だな」
「だな、おやすみ」
サンジにそう言われ、ゾロは改めてちょっと照れてしまった。
「おやすみ」
なんとかそう返して、扉を閉める。

今までいた部屋の温かな空気が、まだ至福に纏わりついている気がする。
扉を一枚隔てただけなのに、なぜか寂しい気持ちになってすぐ隣のドアの鍵を開けた。
そうしながら、話の成り行きを思い起こして「あれ?」と気付く。
サンジには明日の朝食の話を持ちかけられたのに、いつの間にか毎回の食事の話にすり替わってしまっていた。
これは、ゾロの方が厚かましかっただろうか。
若干反省しつつ、まあいいかと開き直った。

それよりも、部屋の外に出た瞬間から刺すような視線がいくつも背中に刺さっている方が問題だ。
昼間感じたものもあるが、今は明らかに複数だった。
しかも、方向がバラバラ。
一体、何人の人間に見張られているのだろう。

「なんなんだ、一体」
物騒だなと思いつつ、ゾロは気付かないふりをして自分の部屋に入った。






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