■となりのストーカー -10-


『部屋の片付けを手伝っちゃくれねえか』
ゾロから連絡を受け、ウソップは二つ返事で引き受けた。
人に頼まれることは多々あっても、自分から頼みごとなどしないゾロにしては珍しい。
引っ越してからそろそろ1月経つというのに、今頃荷解きかと若干呆れながら教えられた場所に向かった。

噂には聞いていたが、本当に酷い有様のアパートだった。
建物全体が傾いで見えて、ボロいにもほどがある。
どう見ても廃墟っぽくて人が住んでいるのかも怪しいが、道から見上げてすぐ正面の2階の窓には明かりが点いていた。
あそこがどうやらゾロの部屋だ。
ギシギシ撓る錆び付いた鉄の階段を昇り、ひびが入った床を歩く。
表札はないが、生活感がある扉は二つしかない。
その内の、灯りが漏れている部屋の扉をノックした。

「おはよー」
「おう、開いてる」
すぐに応えがあり、ノブを回すと軋みながら回った。
「お邪魔しまー・・・」
中を覗いたウソップは、そのまま固まってしまった。



「なんじゃこりゃーっ?!」
いくらボロいアパートだからって、この惨状は酷すぎる。
元は二間の部屋だったろうに、壁に大穴が空いて隣の部屋が丸見えだった。
対照的な間取りであちらの方が若干モノがあり片付いているから、隣のサンジの部屋なのだろう。
ウソップは驚愕のあまり、ギョロ目をさらに大きく見開いて振り返った。
「ゾロ、なんだってこんなことした?」
「お、わかるのか」
「わからいでか」
丁度人型に穴が開いている。
ギャグのようだが、ゾロがこのまま全力で突っ切ったとしか思えない現状だ。
「ちっとな、風通しがよくなったが」
「風通しとか、そういうレベルじゃねえだろうが。ああああ、もう」
ウソップは思わず頭を抱えてしゃみ込んだ。
部屋の片付けと聞いてはいたが、こういうことだったか。
「どうすんだよ、原状回復・・・できんのかこれ」
「いっそ壁を取っ払っちまおうかと思ってよ」
「器物損壊のレベルじゃねえぞ」
「いいさ、どうせもうすぐ潰れるアパートだ」
「工事で潰す前に、物理的に潰れるぞ」
足元に散乱している瓦礫を拾い、所在なさ気にポイと放る。
「で、俺にこれを片付けろと」
「お前なら、もうちょっと自然な感じで壁の穴を演出できるだろ?」
「マジか?マジで俺に求めてんのはそれか?」
それなら話は違うなと、ウソップは改めて部屋の中を見渡した。
確かに、これはこれで面白そうな部屋にできるが――――
「そもそも、サンジは了解してんのか?ってか、サンジはどうした。逃げたか」
「なんで逃げんだ、仕事行った。今日は市場に買い出し当番だと」
ゾロがいきなりこれを仕掛けたとしたら、サンジはさぞかし驚いたことだろう。
「どういった経緯でこうなったかは、落ち着いてからゆっくり聞かせて貰おうか」
ウソップは腕を捲り上げ、早速作業に取り掛かった。


買い溜めしてあったごみ袋に、分別した瓦礫をどんどん入れていく。
雑多な掃除はゾロに任せ、ウソップはもっぱら壁面の処理に当たった。
壊れたなら壊れたなりに、見苦しくない断面に加工してやる。
ブラウン管が割れてしまった古いテレビなどは、処分するだけで金が掛かるが仕方ないだろう。
「そもそもこれはサンジの私物だろうが、弁償しろよ」
「そう言ったんだが、元々テレビは見ないから別にいいと言われてよ」
「だからって、はいそうですかって訳にも行かねえだろ。代わりのもんなんか買え。パソコンとかipadとか」
「そういやあいつ、持ってるのもガラケーだったな」
この、倹しい生活から見てもそう裕福そうな暮らしには見えない。
「こんなアパートに、お前が越して来るまでサンジは独りで住んでたのか」
ウソップは改めて、部屋の中を見渡した。
壁に空いている大穴を差っ引いても、古くて汚い建物だ。
3階建てで部屋数は知れているが、それにしたって入居者が一人だけなら閑散としすぎていてただっ広い。
自分だったら、とてもこんなところ住み続けてはいられないとぶるりと背中を震わせた。
「いくら家賃が安くったって、防犯の意味からも建物の安全性からも、もうちょっと考えるなあ」
「そもそも、このアパートは取り壊しが決まってるようだ」
「はあ?だったらなんで、ゾロが越して来れたんだよ」
最もな疑問を投げかけつつ、ウソップは辛うじて壁に引っかかっているコンセントの差し込み口を点検した。
「配線は切れてねえな、けど―――――」
一度プラグを引き抜いてから、じっとコンセントを眺めている。
「どうした?切れてんのか」
問いかけるゾロに、目線だけ上げて顔を見つめた。
物言いたげなウソップの様子に、ゾロは黙って視線を巡らせる。
片手に持ったコンセントを、もう片方の手で指さした。
声に出さず、唇が大きく動く。
『盗聴器っぽい』

ウソップの唇が確かにそのように動いたのに、ゾロは眉を顰めて見せた。
盗聴器とは、穏やかではない。
複数のストーカーだけでなく、私生活そのものを見張られているというのか。
単なる付きまといの限度を超えている。
「・・・この」
コンセントを握り潰そうと手を伸ばして、ウソップに躱された。
『しばらくこのままの方がいい』
ウソップがチラシの裏に、手早く文字を書いた。
それに歯噛みしつつも、ゾロは大人しく伸ばした手を引っ込める。
ふと見知った気配を感じて、音もなく立ち上がった。

「どうした?」
ウソップが元通りコンセントを差し込んでいる間に、ゾロは忍び足で扉の前に立ち勢いよく戸を引いた。
派手な羽飾りを付けた帽子が、マントと共にくるりと回転する。
「なにしてんすか」
「おのれ、なんたる理不尽。いまどのように登場しようか画策していたところだというのに!」
「くだらんことしてないで、用があるならさっさと入ってください」
ゾロが招き入れたいかにも怪しげな風体の男に、ウソップは呆れながらも居住まいを正す。
「え、あの、どちらさん?」
「俺の叔父だ、そしてこのアパートの持ち主だ」
「初めまして、鼻長き者よ。わが名はミホーク」
「仰々しいのか失礼なのか、よくわかんないおっさんだな」
ウソップは立ち上がり、煤で汚れた手をズボンで拭いた。
「この者の叔父にして、アパートの持ち主である」
「なに、ゾロがここに越してきたのは訳ありなのか?」
「察し良き者よ」
「ああまあ、色々あってな」
そこまで言ってから、ゾロはふと眉を顰めた。
「ところで叔父貴、俺に何か言うことはないのか?」
「うむ、息災であるか様子を見に来ただけだ」
平然と答えるミホークに、ウソップも首を傾げた。
「え、叔父さんは今来たとこだよな。昨夜とか、来てないよな」
「ああ」
「そうこまめに訪れるほど、俺は暇ではない」
ふん、と胸を張るミホークに、ゾロは疑わしげな視線を送る。
「だったら、この穴についてちょっとは言及してもいいんじゃねえか?」
背後の壁に大穴が空いているのに、ミホークはおもむろに驚いた様子を見せた。
「これはなんたる暴挙、ゾロ、お前の仕業か!」
「――――・・・」
「なんだろう、この拭いきれないわざとらし感」
ウソップも、初対面ながらあちこちに漂う違和感に眉を顰める。
「まあよいではないか。解体が自主的に早まったと捉えるとしよう」
一人でうんうんと頷くミホークは、甥っ子がやらかした粗相を許してやる己の寛大さに酔っているように見えた。
あまりに堂々とした態度に、ウソップはどこか釈然としないながらも納得した。
「まあいいか、片付け要因が一人増えたってことで」
「叔父貴、そっちの片付け頼む」
「甚だ遺憾なり、現場監督なら吝かではないぞ」
「突っ立ってるだけなら、邪魔です」
追い立てるようにわざと足元を狙って掃除機を掛け始めたゾロに、ミホークはマントを翻しながら飛び退る。
「週末のゴロ寝親父のごとき扱い、許すまじ」
ひりひらりと軽やかな身のこなしでサンジのベッドヘッドや窓際、洗面所の洗濯機の上と飛び回った。
「・・・この部屋、重力ねえのか?」
「昔からああだ。叔父貴には重力も摩擦も物理的法則も、関係ねえ」
「すげえな」
心底感嘆というよりも、面倒臭いから一言で済ませた的ぞんざいさで、ウソップは黙々と掃除を進める。

「さっきの話に戻るけどよ」
「ああ」
「サンジ、なんでこの部屋に住み続けてんだろ。ちゃんとした・・・ってえか、どっちかってえと一流の店に勤めてんだし、そんなに生活が苦しいってことはないんだろ?」
「ああ、それはそうだな」
天井にぶら下がってマントで身を包み、コウモリのように聞き耳を立てているミホークを意識しつつ、ゾロも相槌を打った。
「昨夜、ちいとそんな話にもなったんだが、結局聞きそびれたな」
「お前は詰めが甘い!」
ミホークは逆さになったままマントを広げ、目と口をカッと見開いた。
「せっかくサンちゃんが身の上を語ろうとしておったのに、敢えて突っ込まず話を流すとは何事か。俺がなぜお前をここに送り込んだと思っておる!」


「――――・・・」
「――――・・・」
ゾロとウソップは同時に手を止めて、ぶら下がるミホークを見つめた。
「そもそもお前は、どうでもよいところで押しが強い割に相手がもうひと押しして欲しいところではぐらかす悪い癖がある。恋の駆け引きとしては及第点だが、俺の手足となって働いてもらう場合マイナスでしかないぞ」
「――――・・・」
「――――・・・」
文字通り上から目線で説教するミホークを、二人は真顔でじっと見つめ続ける。
視線の冷たさにさすがに居心地が悪くなったか、ミホークは再びマントを羽織り直して心なしか身を竦めた。
「リアクション薄き者達よ、なにか抗弁してみよ」
「あんた、昨夜あいつが身の上を話し出したって、なんで知ってるんだ?」
ゾロの冷静な突っ込みに、ミホークはさかさまになったままきょとんとした。
「先ほど、その鼻長き者が・・・」
「俺は、サンジは貧乏人じゃねえだろって話しか、してねえぞ」
「いや、身の上がどうとか」
「言ってねえな」
「言ってないな」
ウソップは、しゃがんだままコンセントを引き抜いた。
それをゾロに手渡すと、ゾロは天井からぶら下がるミホークを睨み付けたまま手の中で握り潰す。

「さて、どこで何を聞いてたって?」
ゆっくりと拳を上げ、粉々になったプラグの欠片を指の間から少しずつ零すと、ミホークはマントを羽織ったまま身を竦めた。
「これはしたり」
「この、盗聴魔のド変態!」
「誤解である、俺はただ、サンちゃんの動向を知りたい一心でだな――――」
「問答無用!」

ゾロは体勢を低くして、無刀流・竜巻を繰り出した。



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