■となりのストーカー -1-


就学中に無事内定を貰えたゾロは、残りの学生生活をどう充実させようかと考えた。
剣道は今まで通り続けるとして、単位は問題ないから学業をほどほどにしバイト三昧に明け暮れようか。
どうせなら実入りがよく、鍛錬替わりにもなる肉体労働を中心に―――

ほつほつと考えながら母屋を片付けていると、珍しく叔父が遊びに来た。
「達者でおるか、弱き者よ」
大きな羽飾りのついた鍔広帽子に、派手なペイズリー柄のシャツ。
ご丁寧にマントまで羽織った、誰がどう見てもまごうことなき不審者が中庭の物干し台の上にすっくと立っている。
だがゾロは、敷地内に車で乗り付けた辺りですでに気配を感じていた。
物干し台の上も想定内だ。

廊下から顔を出した母が、「あらまあミホさんいらっしゃい」と暢気に出迎える。
「叔父貴、たまには玄関から入ったらどうだ」
「つまらぬことを。そちがいる場所にダイレクト出没が楽しいのではないか」
確かに、叔父はゾロが油断している時に限ってどこからともなく現れ、その神出鬼没さに度々驚かされた。
だがそれも小学生の頃までだ。
思春期を迎えた辺りでいい加減ゾロも慣れ、気配にも聡くなった。
今では、ゾロの対応は塩どころか絶対凍土にまで冷え切っている。
それでも、叔父はまったく懲りない。

「内定おめでとう。だが、あくまで内々に定まったことであって確約ではない」
「そうですね」
「人生、山あり谷ありでいつなん時、なにが起こるかわからぬ。後は卒業を待つだけ楽勝〜などと、浮かれるなど言語道断」
「そうですね」
ゾロは荷物をまとめながら、適度に相槌を打った。
黙って聞き流すといつの間にか縁側の下に潜り、「聞いておるのか!」と羽目板を突き破って下から覗き込んでくるのだ。
自宅を壊すのは、親に申し訳ない。

「かと言って肉体労働だけで日々を消耗するのもまた味気なし。そこでそなたに、割の良いバイトを斡旋いたそう」
「そうですね」
言ってから、「え?」と振り返る。
「バイト?叔父貴が?」
怪訝さを前面に押し出し過ぎたか、叔父は鼻白んだ様子で顎髭を撫でる。
「俺がバイトを紹介することは、ことほどさようにお前を驚愕たらしめる言動であろうか」
「そうですね」
またしても棒読みで肯定し、荷造りを再開させる。
ほんの少し、興味が湧かないこともない。

「なに、仕事は簡単だ。俺が管理する物件にしばらく住んで、居住者を追い出してもらえばよい」
「そうですね・・・ってか、はあ?」
今度は、手を止めてブンと振り返った。
追い出すなど、物騒な話だ。
「俺は、犯罪に加担する気はないですよ」
「犯罪などと大袈裟な。ただ、立ち退きを渋る居住者に穏便に出ていってもらう策の片棒を担ぐだけのことだ」
ところどころ難ある表現を差し挟み、胡散臭さを更にいや増しする。
「どこか、取り壊す物件ありましたっけ」
「差し押さえから買い取ったアパートだ。築50年だが最初から手抜き工事で、あちこちガタがきており危険極まりない。無論、住民には引っ越し先の斡旋や見舞金など弾んでおるのに、どうしても一人だけガンとして立ち去ろうとはせん」
「それを俺が、追い出すと?」
「ボロアパートとは言え、お前一人が増えるくらいでびくともせんぞ。どうだ、一部屋借りてしばしそこで住まぬか。そして、どうしても退去しない者の事情をそれとなく探るがよい」
「そして、体よく追い出せと」
「バイト料は弾むぞ」
叔父はさっさとそのアパートを取り壊して、新たに駐車場を作りたいらしい。
あちこちに管理物件を有し、不労所得だけで一代築いたやり手だ。
手駒に使われるのは癪だが、社会勉強にはなるかもしれない。
なにより、これから住まいを探す手間が省ける。
「じゃあ、お手伝いさせてもらいます」
叔父は「うむ」と厳かに頷いた。
「では早速、共に参ろう。九岳荘へ」




「冗談がベタすぎますよ」
「なにがだ」
丸っきりチンドン屋仕様の叔父から、2メートル離れて歩く。
「“くだけそう”って、縁起悪過ぎでしょ」
「実際、いつくだけてもおかしくない状態だったからそう命名した。俺が手に入れた時点でどこも水平ではなかったからな」
実家から電車を乗り継いで1時間もかからない郊外の、駅近い場所に九岳荘はあった。
駅開発であちこち立て直したか、新しい店が多く道も綺麗に舗装されている。
その中にあって、異彩を放つほどにそのアパートは古くて傾いていた。
眺めているだけで、三半規管が弱いものなら眩暈を起こしてしまうだろう。
からくり屋敷とか錯覚の家とか、そういう名前が付けられそうだ。

「駅から近いのはいいですね」
「そなたの部屋は2階の突き当り、11号室だ。隣の10号室に先住者がいるが、他に住居人はいない」
「空部屋ばっかなのに、わざわざ隣に越して来るって怪しまれませんか?」
「以前から何度も引っ越しの催促はしておる。いきなり怪しげな隣人現れれば、ああこれはとっとと出てけとお尻叩かれてんだなと気付きもしよう」
アパートまで案内して、叔父はさっさと立ち去ろうとした。
「もう行くんですか?せめて所有物件の確認とか」
「早々に取り壊すものをいまさら確認も必要なし。そもそもサンちゃんがおらぬものを、立ち寄ったとてつまらぬわ」
「サンちゃん?」
「お隣さんは、夜10過ぎにならぬと帰らぬぞ。しかも朝早い。邪魔をせぬようにな」
叔父が言っていることは、さっぱり要領を得なかった。
居座っている隣人を追い出すためにゾロが引っ越しして来たのに、相手の邪魔をするなとか支離滅裂だ。
若干早いが、もう耄碌したのだろうか。

「まあいいか」
ゾロは気を取り直して、錆びついた階段を登り始めた。
どうせ大学を卒業するまでの、わずかな期間だ。
おんぼろアパート暮らしを、楽しませてもらおう。



エントランスもオートロックもなにもない。
外から帰ってきたら階段を上って、即玄関という昔懐かしい開放的な構造だった。
確かに不用心だが、ゾロ的にはなんにも問題はない。
空き部屋の扉には、備え付けのメールボックスにこれでもかというほどダイレクトメールやチラシが突っ込んであった。
ゾロがこれから入る部屋と、その隣の部屋だけがすっきりとして綺麗といえば綺麗な佇まいだ。
「―――――・・・」
鍵を開けて中に入る。
ゾロが入居して来ることを想定して、中は綺麗に片づけられていた。
なにもかも叔父の思うとおりにことが進むことは気に食わないが、別に悪い話ではない。
それよりも・・・と、ゾロは窓を開けて駅方面を見渡しながら腕を組んだ。
叔父と共にこのアパートに着いた時から、ずっと纏わりついてくるこの視線の主は誰だ。

昔から剣道その他武術を嗜み、厳しい精神鍛錬も積んできたゾロなので、気配にはことのほか聡い。
だから、最初から殺意に似た視線を浴びていることには気付いていた。
今も、右斜め下の生け垣の影から、誰かに睨み据えられている。
視線だけで、刺すように痛い。
「熱意はわかるが、気配を殺せないようでは単なる小物だな」
ゾロはそう判断し、さして気にしないことにした。



友人ウソップのツテを得て、いくつかバイトにあり付けた。
どれも肉体労働を主とし、手取りがいい。
夜間は週によって警備員のシフトにも入れる。
電話であちこちと打ち合わせをし、学業との調整をしている間にあっという間に日が暮れた。
無人のアパートはことのほか静かで、駅方面の往来のざわめきもどこか遠くのように感じられる。
うらぶれて寂しい気配だが、静かでいいとゾロは気に入った。

一旦外に出て、近くのコンビニでビールとつまみを買い込んだ。
部屋に備え付けられた冷蔵庫は古くて小ぶりだが、ビールを冷やせればそれでいいだろう。
まっすぐ部屋に帰るはずが、なぜか見覚えのない路地に出て、さらに来たことのない道を行きつ戻りつした後、ほとんどシャッター通りとなっている商店街を通り抜ける。
ふと、前を歩く金髪の男に目が行った。
この辺ではやけに目立つ、雰囲気を持った背中だ。
叔父ミホークも別の意味で目立つ存在だが、あれはわざとやってるとしか思えないファッションセンスから来るものだから、種類が違う。

目の前の男は、金色の髪にひょろりとした痩身。
手足が長く、ただ歩くだけでもどこかリズムに乗っているかのように軽やかで、しなやかだ。
服装自体はむしろ質素で地味なのに、なぜか惹き付ける魅力がある。
なんとなく男の後をついていったら、角を曲がったところにアパートがあった。
駅から近いと思ったのは、錯覚だったのかもしれない。
アパートが見つかってこれ幸いと思ったのに、男はそのままゾロを先導するようにして階段を昇って行く。
追いかける足音に気付いたのか、男は昇りきったところで後ろを振り向いた。
数段下で立ち止まったゾロと、目が合う。
「・・・なに?あんた」
振り返った男は、長い前髪で片方の目を隠した鬱陶しい髪型だった。
だが、残された片方の目は落ち着いた青色で、白い肌に馴染んで見える。
後をつけてきたと誤解したか、警戒するような表情にゾロは改めて顔を上げた。
「今日、ここに引っ越してきた」
「は?」
階段の上と下。
ほぼと同じ年、同じ身長同士の男が見つめ合う。
「引っ越しって、ここ、もうすぐ取り壊されんだぜ」
あきらかに狼狽した男に、ゾロはどうしたもんかと口を噤んだ。
知ってると応えてしまっては、ならなぜ引っ越してきたと突っ込まれそうだ。
「知らん、とにかく今日から、よろしく」
まずは挨拶と、両手を揃えて膝横に添えて頭を下げた。
男も律儀な性格なのか、慌てて居住まいを正し「こちらこそ」と頭を下げている。

「あ、引っ越し蕎麦とか、用意がしてねえ」
今頃気付いたことを声に出すと、男は砕けた様子で笑った。
「なにそれ、若いのに固えな」
「あんただって、同じくらいだろ」
ゾロが階段を昇りきるのを待つようにして、歩き出す。
「俺ちょうど20歳、来年の春に21歳になる」
「じゃあタメか。俺ァもうすぐ22歳だ」
「あ、同級生か。でも早生まれだとやっぱ損した気分になるな」
「これからはちょっとでも若くて、得だろ」
話ながら、お互いの部屋の前で立ち止まった。
隣同士だから、ドアノブに鍵を差し込む位置も同じだ。

顔を合わせて動作を止めてから、男の方が一瞬ためらいを見せた。
ゾロは気付かないふりをしつつ、すぐにはドアを開けないでじっと待つ。
「あのよ、それ、今晩の飯か?」
男に言われ、ゾロは手に下げたビニール袋を掲げて見せた。
「ああ、さっきそこのコンビニで買ってきた」
「ビールばっかじゃねえか」
「つまみもあるぞ」
申し訳程度のつまみを引き出すと、男はハアとため息を吐く。
「もう飯食って、それは夜用の?」
「いや晩飯。今日は昼飯も食ってねえから、さすがに腹が減ったなと…」
「なんだと?!」
男は目を剥いて、改めてゾロが買ってきた袋を見た。
「晩飯なんて、入ってねえじゃねえか」
「だからビール」
「ビールはおかずじゃねえ!」
叱咤するように強く言い、まったくもうと一人ごちる。
「しかも昼飯もくってねえって、そんないいガタイしててどんな食生活してんだ」
ゾロはバツが悪そうに後ろ頭を掻いて、白状した。
「実は、恥ずかしながら今日から初めての一人暮らしでな。さっきまでなんやかややってたら飯食うのを忘れてた。コンビニ行っても別に食いたいもんもねえし、ビール飲めりゃそれでいいかと」
「よくねえ!」
即座に否定され、ぐっと言葉に詰まる。
「一人暮らし初日からこれじゃあ、先が思いやられるぜ。仕方ねえ、これもなにかの縁だ」
男はそう言うと、自分の部屋の扉を引いて身体をずらした。
「狭えとこだが、うちに寄れよ。最高に美味い飯、食わせてやる」
そうしてどういう成り行きか、引っ越し初日に初対面の隣人の部屋にお邪魔することとなった。




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