Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 8


「おはよう」
「朝から珍しいね」
いつもは人目に付くからと、早朝カヤの元に寄る以外は出歩かないそげキングだ。
それが、片手に籠を抱いてコソコソと家の中に入ってくる。
「夕べ、ドワーフのじいさんに濁酒の代わりにコックが作ったミートパイを持ってったろ?したらすげえ喜ばれてさ、またまたお礼にって預かってきた」
籠の中身は猿酒と青い果実だった。
「ブルーミルの実だ。これは栄養価が高いよ」
「けど摘んだら早いとこ食べないとすぐ黒くなっちまう。だから急いで持ってきた」
ありがとうと受け取って、サンジにとっては顔の半分ほどの大きさもある実に齧り付く。
「すっぱ・・・あ、甘えっ」
「美味いだろ、癖になる味なんだよなあ」
「この青い色にアントキヤネンってのが含まれてて、目にいいんだよ」
そげキングを迎え入れて、お茶も出さない内から立ったままパクパクと果実を食べる。
ゾロも手を伸ばして実を摘まみ、3粒一度に口に入れてモグモグしていた。
「貴重な実なんだな、ありがとう」
一粒食べただけで満腹になったサンジが、そげキングの分の朝食も作るべく動き始めた。
と、その袖を指先で軽く引きとめて、ゾロが小さな布巾でサンジの顔を拭いてやる。
「頬に青い汁ついてっぞ」
「お、ありがと」
チョッパーとそげキングは黙って目を合わせ、声に出さないままやれやれと肩を竦めて見せた。

「そげキングも朝飯食ってくだろ?」
朝から早速猿酒を開けているゾロを置いておいて、チョッパーもいそいそと食器を出す。
「あ、いいかな。もう夜が明けちまうと一目につくからよ、今日は夕方までここで過ごしていいか?」
「大歓迎だよ」
「俺も」
サンジははしゃいだ様子を隠しきれず、弾んだ声で呪文を唱えてそげキングの前に見目麗しい朝食を出現させた。
「うまそー、いただきます」
「美味いぞ、俺もおかわりー」
「まかしとけ」
チョッパーがそげキングの隣に腰を下ろし、カップにお茶を注ごうとしてふと手を止めた。
「あれ?」
「ん、どうした」
そげキングのどんぐり眼が小さなチョッパーを見下ろす。
「この匂い・・・」
「匂い?」
テーブルの上のブルーミルの実は粗方食べ尽くしてしまった。
それでもまだ甘酸っぱい匂いが漂っている。
「いや、これじゃないんだ。朝食の匂いでもない」
クンクンと鼻を動かし、そげキングの髪に顔を寄せる。
「―――花、かな?」
「あ、今朝もカヤにテテウスの花を持って行ったけど」
「いや、それとは違う」
チョッパーの真剣な表情に、サンジもじっと動きを止めた。
「花って、カヤちゃんの部屋の中にいっぱいあったんじゃないか?」
つい口を挟めば、そげキングはぎょっとした顔で振り向いた。
「え、カヤちゃんって」
「あ・・・」
「ああ」
チョッパーが間を取り成すように割って入った。
「今朝、コックは小鹿の背中に乗って散歩に出たんだ。その時、村外れのお屋敷でそげキングを見たらしい」
「ご、ごめん」
バツが悪そうに謝るサンジに、そげキングは慌てて首を振った。
「いや、いいんだ。そっか見られてたのか、全然気付かなかったなあ」
言って、後ろ頭を掻く。
「いやいいんだ、いいんだけどよ。そうやって見られてるってことは、結構他にも見てる人いるのかもなと思ったらこう、不安になってな」
「そげキングって、ケンタウロス族の割にはそういうところで勘が働かないよね」
チョッパーにズバリと言われ、そげキングは面目ないと小さくなった。
「昔っからこうなんだよな。勘が悪いっつうか気配に疎いっつうか。それで迂闊だってよく言われた」
「そうなのか?」
サンジから見れば、そげキングはむしろ慎重で思慮深く見える。
「小さい時からそんなだったから、余計意識して慎重に振舞うようになったんだ。どうしたって他のみんなみたい敏感に反応したりできないから」
「匂いにも疎いしね、そういうのは森で暮らすには命取りになったりするんだよ」
今まで黙って酒を飲んでいたゾロが、ふと手を止めた。
「お前、子どもの頃のこと覚えてるか?」
「へ、俺?」
そげキングは目をぱちくりとして、自分自身を指差した。
「俺・・・はあまあ、物心つく頃からあんまり運動神経よくねえなあとは思ってたよ。友達の中で一番足が遅かったし、ジャンプもあんまりできなかったし。今はなんとか人並みに動けるようになりはしたけど、他の奴らに敵わないって部分のが多いしな」
それでも劣等感を滲ませない、からりとした話し方をする。
「その代わり、俺はそれなりに弓の腕を磨いたし狩りでは誰にも負けたりしねえ」
「だよな、そげキングはもう立派なケンタウロスだ」
そういうチョッパーの言葉にも、ゾロはなんとも腑に落ちないような顔をしている。
「なんだよ、なにか気に掛かるのか?」
思えば、ゾロはそげキングに最初に会った時からどうも妙な表情をしていた。
納得できないような、訝しむような。
「親は健在か?」
そげキングは笑顔のまま首を振った。
「いや、オヤジは元々俺が生まれる前に死んじまったって話しだし。お袋も俺が小さい頃に病気で・・・な。でもすげえ俺のこと愛してくれてたぜ。子守唄とか、よく憶えてる」
「そうか、苦労してたんだな」
サンジが言うと、よせやいと長い鼻の下を指で擦った。
「おふくろが死んじまった後は、近所のおばさんとかこの酒くれたドワーフのじいさんとかが面倒見てくれて、ケンタウロス族みんなが俺を育ててくれたようなモンなんだ。それが俺たち一族の特性でさ。まあ、一族全体が親戚か家族みたいなもんさ」
サンジは話を聞きながら、じんわりと胸が温かくなるのを感じた。
いくら粗暴で好色な一族とそしられようとも、彼らには彼らの社会があり絆がある。
人間の尺度でモノを図るのがいかに馬鹿らしいことか。

「それで、カヤんちに花がいっぱいあったってどういうこと?」
チョッパーに軌道を戻され、サンジははっと我に返る。
「ああ、確かそげキングが言ってたろ。花の山とかなんとか・・・」
そこで口を濁した。
確か、婚約者と言う単語も出ていたっけか。
けれどそげキングは表情を明るくしたまま、うんと快活に頷いた。
「カヤの婚約者から、毎日山のように花が届くんだよ。それでいつも部屋の中が満たされてる」
「―――花」
チョッパーは難しい顔をして腕組みをする。
「それはどんな花だい?毎日違う花かな」
「いや、一緒みたいに見えるなあ。確か白い花弁に青い筋の入った花でよ。可憐で儚い感じはカヤのイメージに合うかもしれねえが、ちょっと暗い感じがするなと俺は思う。個人的に」
そう言われるとそうかもしれない。
儚げでか弱いカヤだけれど、笑顔がとっても明るかった。
もっと温かな色味の花の方が、彼女には似合うはず。

「白い花びらに青い筋・・・」
チョッパーはぴょんと椅子から飛び降りて、奥の部屋へと駆け込んだ。
すぐに分厚い本を持って戻って来る。
「それは?」
「薬草事典」
自分の2倍はありそうな本をテーブルに載せようとするのを、すかさずゾロが手伝った。
ページを捲れば、緻密な薬草のイラストが至るところに散りばめられている、オールカラーの豪華本だ。
「へえ、綺麗なもんだなあ」
覗き込むそげキングの前で、チョッパーはパラパラとページを捲っていく。
「あ、これだ。そげキング、この花じゃない?」
「ん?ああこれ・・・んー」
似たような色の花が二つ、並んで描かれている。
けれど片方の花には、花弁の端に青い斑点があった。
「どっち?」
「こっちだ、この斑点があった」
チョッパーがきゅっと唇を噛み、表情を険しくした。
「これ、毒草なんだ」
「―――なっ」
「なんだって?!」
そげキングと二人、飛び上がらん勢いでサンジも立ち上がる。
「そ、そそそそりゃあどういうことだ!」
「それがほんとなら、大変じゃないかっ」
「慌てないで、即効性じゃない。って言うか、命には別状がない」
チョッパーの小さな蹄に遮られ、渋々座り直した。
「けれど、これは視神経を麻痺させる作用がある。つまり・・・」
「カヤの目が見えなくなったのは、これのせいだってことか?!」
そげキングは、彼らしくなく語気を荒げ噛み付くように言い返した。
「なんでだ、なんのためにっ」
激しい怒りのせいか、握った拳をぶるぶると震わせテーブルに押し付けた。
そのまま振り下ろしたら、テーブルも自分の手も傷めてしまうほど強い動作になるのだろう。
チョッパーは努めて冷静に言葉を続けた。
「あくまで一過性だから、花の匂いを遠ざけたら症状は治まるんだ。毎日花が届けられると言うのなら、そのせいかもしれない」
「あの野郎・・・」
そげキングの震えがサンジにも伝わって、腹が立つより悲しくなった。
こんなにも真剣に、一途に想っているそげキングにも、そしてカヤにとってもなんて酷い仕打ちなんだろう。
「暗殺用の目くらましなんかに使われる毒草だよ。よく似た無毒の花があって、花束にして差し替えられたりするものさ」
芳しい香りだが、長時間嗅いでいる内に目の前が暗くなって視野が狭まる。
おかしいと気付いた時には、自分の足元も覚束ないほど見えなくなるのだ。
「後遺症はないけれど、一刻も早くこの花からカヤを遠ざけた方がいい」
「そげキング!」
サンジは立ち上がり叫んだ。
「早くカヤちゃんとこ行って、あの部屋から連れ出して来い」
「ああっ」
踵を返し掛けて、その場で足踏みした。
躊躇う素振りでぶるんと尻尾を振る。

「ダメだ」
「なんで」
「だって俺は、こんな姿だし・・・」
両手を広げ、馬の胴体を誇示するように蹄を鳴らした。
「何を今さら、そんなのカヤちゃんだって・・・」
言いかけて、はっとする。
「もしかして、カヤちゃんはお前がケンタウロスだってこと・・・」
「ああ」
そげキングは悲しげに俯いて、サンジを見下ろした。
「知らないんだ」







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