Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 6


チュンチュンと、小鳥が囀る声で目を覚ました。
カーテン越しに、朝の柔らかな日差しが降り注いでいる。
サンジはむっくりと起き上がると、両腕を高く上げて目一杯伸びをした。
「う〜ん、よく寝た」
寝つきこそ悪かったものの、眠ってしまえばぐっすりだった。
久しぶりの爽やかな目覚めだ。
ハンカチを捲ると、バスケットから身軽に下りてゾロがまだ深く眠るベッドの縁をトトトと走る。
窓の桟に飛び降りて、カーテンを潜った。
端に行くほど歪んで見えるガラス越しに、光に溢れた外を眺める。
「あ」
目の前に、チョッパーのピンク色の帽子が見えた。
軽く窓を叩くとすぐに気付いて、やあと蹄が付いた手を上げた。
「おはよう、早いね」
鍵が掛かっていないから、外から窓を開けてくれる。
緑の息吹が感じられそうな清々しい空気が入ってきた。
「チョッパーこそ」
時計を見れば、まだ5時過ぎだ。
「ちょっと往診に行ってくる。リスの子どもが足を怪我したみたいなんだ」
「そりゃ大変だ」
「1時間くらい掛かると思うから、コックはゆっくり寝ていなよ」
「う〜ん」
王子のくせに貧乏性と言うかワーカーホリック気味なサンジは、一度目覚めると二度寝ができない性質だ。
「折角のいい天気だし、散歩でもしたいなあ」
とは言え、サンジの足ではさほどの移動距離もない。
「なら、よかったらこの子に乗って行くといいよ。ちょうど朝の食事時間だし、コースは決まってるから1時間もしないうちにここに戻ってくる」
そう言って紹介してくれたのは鹿の親子だった。
チョッパーは鹿に向かってなにやら話し、鹿の親も了解したように頭を揺らしている。
「小鹿のお尻に乗るといいよ、頭だと草を食べるために下がっちゃうから」
「ありがとう」
小鹿の可愛い尻尾に掴まるようにして、乗せてもらった。
時々ぴるぴる動くが、それがなんともくすぐったく気持ちがいい。

「じゃあね、行ってきます」
「行ってらっしゃい、行ってきます」
お互いに手を振って反対方向へと向かう。
鹿の歩みはゆっくりで、あちこちで草を食み立ち止まりつつ、ぽてぽてと進んだ。
サンジはその間、森の中の景色を眺め、低く垂れ下がった枝から木の実を取り若芽を摘んだ。
「朝飯にちょうどいいぞ」
あれこれと食材を集めつつも、森の清廉な空気を胸いっぱいに吸い込む。
梢を渡るリスが珍しそうにサンジを見下ろし、飛び交う小鳥も挨拶をするように頭上で羽ばたいた。
「チョッパーはこいつらの言葉がわかるんだよなあ、すごいなあ」
番の蝶がひらりひらりと舞いながら通り過ぎ、蜜蜂の羽音が近く遠く響いている。
かっぽかっぽと揺られながら、朝露に輝く樹々を眺め風の音に耳を澄ませた。

森の外れまで来たのか、家の屋根がぽつぽつと見えてきた。
その中に一際大きく立派なお屋敷がある。
その屋敷の裏庭が森へと通じているらしく、鹿の親子はすぐ傍まで立ち入って草を食み始めた。
早起きな村人はいないかと伸び上がって村の方を眺めていると、後ろからパカランパカランと聞き覚えのある音が近付いてきた。
振り向くと、やはりそげキングだ。
ソワソワと落ち着かない挙動で、周囲を窺いながら歩いて来る。
朝の挨拶をしようとして、止めた。
どうにも、辺りを憚る感じだ。

小鹿の尻尾に隠れるようにしてじっと見ていると、そげキングは屋敷の裏門を軽く飛び越え、足音を消しながら蔦の絡まる豪奢な飾り窓へと近寄った。
よく見れば、片手に小さな花束を抱えている。
もう片方の手の甲で軽く窓を叩くと、すぐにカーテンが開いた。
「おはようございます」
「おはよう、カヤ」
姿を現したのは、気高い姫君を多く見てきたサンジでも思わずはっとするような美少女だった。

淡いプラチナブロンドの髪は朝日を浴びて輝き、日に焼けていない肌は透き通るように白い。
大きな瞳は慎まし気に伏せられ、長い睫毛が可憐な顔立ちにささやかな影を落としている。
「テテウスの花を持ってきたよ、この朝露は咳に効くんだって」
「いつもありがとう」
カヤと呼ばれた少女は、白い手をそっと差し伸べた。
顔は頼りなく前に向けられたままで、窓辺に立つそげキングがその手に小さな花束を握らせる。
美しい瞳があらぬ方向を向いているのを見て、サンジはこの可憐な少女が盲しいていることに気付いた。
「目の具合はどうだい?」
「ええ、今日みたいにお天気のいい日はよく見えるの」
そげキングの声のする方に首を傾け、花が綻ぶように笑う。
「そげキングさん、こちらに立ってられるでしょう?お日様が影になるわ」
「よかった、見えているね」
そげキングは前足を折って地面に跪き、カヤを気遣うようにその眼前に手を翳した。
カヤは花束を口元に持っていき、目を閉じてすうと息を吸い込む。
「いい香り」
「少しは咳が楽になるといいんだけれど」
言いながら、そげキングは首を伸ばして部屋の中を見た。
「相変わらずすげえ花の山だな。こんなの見劣りするぜ」
「いいえ、私にはこちらの方がとても芳しくて好きです」
どうやら、カヤの部屋の中には多くの花が飾ってあるらしい。
「あれかい?婚約者の・・・」
そげキングの言葉に、カヤは表情を暗くした。

「クラハドールさんはとてもいい方ですわ。毎日こうしてお花を届けてくださって、目の見えない私にせめてもとお部屋をいい匂いで満たしてくださる」
口ではそう言いながらも、カヤの表情は哀しげだ。
「でも、私―――」
「カヤ」
言葉の先を遮るように、そげキングはそっと細い肩に手を置いた。
「テテウスの花は、少しでも君の咳が治まればと思って持ってきたものさ。比べるべくもない」
でも本当はチョッパーの薬はもっと効くのに、と小声で囁く。
「森の中の名医さん、お会いしてみたいわ」
「トナカイだけどな、ほんとに名医なんだ。昨日も蛇の尻尾の切り傷を縫ってあげていた」
それから、そげキングはあれこれとここ数日の間にあったらしい出来事を話して聞かせる。
「それに、昨夜は素晴らしい友人ができたんだ。逞しい剣士と、それは可愛らしい小さい人だ」
「小さい人?」
「こんくらいだ」
カヤの手を取って示す。
「まあ」
「こんなに小せえのに、ちゃんと手とか足とかついてるし動くし喋るんだぜ」
人をなんだと思っている。
サンジは小鹿の尻尾の陰に隠れつつ、そげキングに怒りの念波を飛ばした。
「本当に、人間がこんくらいのサイズにまでちっちゃくなっただけなんだ。まだ若い男でさ、金髪で色が白くてまるでどこかの王子みたいな風貌なんだぜ」
「剣士さんのお連れさんなんですか?」
「一緒に旅をしてると言っていた。どういう経緯で知り合ったのかはわからねえが、見たとこお忍び王子とその従者ってとこかな」
正解だ。
そげキング、やはり侮れない。
「仲の良いお二人なんですね」
「ああ、少なくとも俺が見る限り剣士のが小さな王子にデレデレだな。顔は無表情で無口で無愛想なんだけどよ、なんつうかこう、小さい王子を見る目がそりゃあ穏やかで優しいんだ」
サンジは急に気恥ずかしくなって、尻尾に捕まり顔を伏せてしまった。
こうして自分達のことを他人の口から聞くのは、なんともバツが悪いものだ。
悪口じゃなくても。


「王子様は、大切に守られてるんですね」
「そんな感じだな、本人は無自覚かもしんねえけど」
「お二人にもお会いしてみたいです・・・」
はっと、そげキングは弾かれたように立ち上がった。
「ごめんカヤ、そろそろ」
「わかりました、ありがとうございます」
カヤも小声で答え、落ち着いた動きでそっと窓を閉める。
そげキングは足音を消しながら後退りし、垣根を飛び越えて森の中へと帰っていった。


カーテンを閉めてすぐに、部屋の中から声がする。
「お嬢様、お目覚めでございますか?」
「おはようメリー、いい朝ね」


成り行きで一部始終を見守ってしまったサンジは、食事を終えてぽっくりぽっくり歩み始めた小鹿の背に揺られながら、遠ざかるお屋敷の様子を眺めていた。







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