Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 5


「Bon appetit!」

呪文とともに、テーブルの上に見目麗しいご馳走が並ぶ。
サンジにしたら夜中用の軽食程度だが、そげキングは手を叩いて喜んだ。
「すげえ、魔法だ!初めて見た」
「な、すげえだろ?」
チョッパーの方が得意気に胸を張る。
ゾロはさっさと濁酒を空けており、そげキングはチョッパーとサンジのために小さなグラスに苔桃酒を注いだ。

「んじゃあ、かんぱーい!」
「新しい出会いに乾杯」
こつんこつんとグラスの縁を当て、サンジは立って覗き込むようにして苔桃酒の上澄みを舐めた。
甘くて冷たくて、舌にほんの少しぴりりと来る。
「・・・美味い」
「だろ?」
俺これ好きなんだーと、チョッパーは蕩けそうな表情でクネクネしていた。

「この森にはケンタウロス族が住んでるのか?」
ゾロの問いに、そげキングはいやあと首を振った。
「森の奥の湖を越えて、その先の山が住処だ。俺はここの温泉を借りに、ちょくちょくこっちまで来てるだけで」
「この森は、どっちかって言うと人の住処の方が近いんだよ」
チョッパーの少し困ったような表情に、サンジは「?」と首を傾げた。
「じゃあ、村の人達はケンタウロス族と仲がいいのか?」
「・・・いやあ」
そげキングの口調が鈍る。
「ぶっちゃけ、俺はなるべく人間の前に出ないようにしてる」
「なんで?」
「見つかったら、追い払われるからさ」
そんな、とサンジは憤った。
「なんでだよ、ケンタウロス族の方が昔からここに住んでたんじゃないのか?」
「まあ、確かにこの森は元は俺たちの住処だったらしいけど」
「人間に、追われたんだよね」
チョッパーの同情するような物言いに、サンジが憤然と立ち上がった。
「いくら人間だからって、こんな人のいいケンタウロスを追っ払うなんて酷いじゃないか」
まあまあと、チョッパーが宥めた。
「確かにそげキングは人がいいけど、ケンタウロスがみんなこうじゃないから」
「寧ろ、こいつのが稀だろう」
口を挟んだゾロに、残り3人が「え?」と首を向ける。
「ケンタウロス族は確かに陽気だが、粗暴で度を越した好色でもある。それで人間とのトラブルが絶えない」
「・・・そうなのか?」
そげキングを振り返れば、まるで自分の失態を指摘されたかのように顔を赤らめて後ろ頭を掻いていた。

「実はそうなんだ。昔――村で結婚式があった時に、よりにもよってその花嫁と友人の娘さん達を集団で浚っちまったって事件があってなあ」
「そんなっ」
今度はこっちに憤る番だ。
「まあ、そん時は村人総出で救出に出て事なきを得たんだが、以来ケンタウロス族は村に立ち入り禁止ってなった。その後も、森に花を摘みに来た娘さんを浚ったり後家さんを誘惑したりして、それはもう色々と―――」
「結果、ケンタウロス族は森からも追われて湖向こうの山まで追い出されたと」
チョッパーが引き継ぎ、半笑いで説明する。
「・・・自業自得だな」
「面目ない」
まるで自分のことのようにうな垂れて、そげキングは小さくなっている。

「だが、お前はそうじゃない」
ゾロの言葉に、そげキングははっとして顔を上げた。
「好色で粗暴だということを差し引けば、ケンタウロス族は基本的には陽気で知性もある。ケイロンはまさしくそのタイプだった。お前に似合いの名前じゃないのか」
ひたと目を見つめながら言われ、そげキングは照れたように俯く。
「いやーそう言われると・・・」
「そうだよ、弓の名手だし、まさしくケンタウロス族の英雄だよ」
チョッパーの言葉に、サンジがへえと目を輝かせる。
けれどそげキングは目を閉じて首を振った。
「違うんだ、なぜだか知らないけど俺にはその名前は相応しくないって思える」
人がよく心優しく、それに加えてそげキングは謙虚な男らしい。
確かに、粗暴で好色なケンタウロス族とは少し気質が異なるようだ。
そげキングの表情に少し翳が差したことに、サンジは気付かぬ振りを通して再び苔桃酒に口を付けた。



まるで旧知の仲のように親しく酒を酌み交わして、その夜は4人で遅くまで飲んでいた。
眠るのが惜しいほどで、こんな楽しい夜はサンジには初めてだ。
「もうそろそろ寝床に入った方がいいんじゃねえか?」
ふと立ち上がったゾロが、バスケットを手にして帰ってくる。
チョッパーが作ってくれた、サンジ専用の簡易ベッドだ。
「もうちょっと、いいんじゃれ?」
そう答える言葉が、すでに呂律が回っていない。
「旅の途中って言ったけど、急がないんだろ?」
そげキングはいい感じに酒に酔い、赤ら顔で覗き込んだ。
「しばらくここに泊まってるといいよ、せめて身体の傷が癒えるまで」
チョッパーにそう言われて、サンジは涙が出るほど嬉しかった。
こんなに楽しくて気のいい仲間に、こうして出会えるなんて思わなかったから。
「また、そげキングもこうして遊びに来てくれるのか?」
「ああ、俺はしょっちゅうここの温泉に浸かりに来るんだ」
今度は猿酒を持ってくるよと、ゾロに約束している。
「だから今夜はお開きにしよう。月が出ている間に山に帰らないと」
「そうだな、チョッパーも明日早いだろ」
「朝から診察かも」
「じゃあおやすみ」
「おやすみ」
名残惜しいが、今宵限りと言う訳ではない。

そげキングを見送った後、サンジはほわほわした気分でハンカチのシーツの中に潜り込み、頭だけぴょこんと出した。
ゾロの指が優しく髪を撫でて、枕を当て直してくれる。
そのままバスケットを下げて、客間へと戻った。
「いい酒だったな」
「そうだな」
バスケットを枕元に置き、ゾロはさっさとベッドに横たわった。
ものの数秒で、寝息が聞こえる。
こんな風に、見張りの必要もない安全な場所ではゾロもぐっすり眠れるようだ。
サンジはほろ酔い加減で頭がぼうっとしているのに、何故か全然眠れなかった。
妙に目が冴えて、窓越しに樹々の間から覗く月の光をじっと眺める。


初めての温泉は気持ちがよかった。
動物たちも一緒に入ってきて、ねずみと同じ湯に浸かるなんてきっとそう経験できることじゃないだろう。
チョッパーはトナカイだけれど優秀な医者で、可愛いのに頼もしくてなんでも任せられる安心感がある。
そげキングは優しくて人がよくて、とても慎ましく少し悲しそうだ。
どちらも初対面とは思えないほど近しく思えた。
一目で好きになれた。
大切な、親友と呼びたい人達だ。

―――ゾロと、一緒かな。
考えてみれば少し違う。
ゾロも大切でかけがえのない人だけれど、親友とは違う気がする。
なんだろう、なにが違うんだろう。

「・・・従者、だからかな?」
ぱたりと寝返りを打てば、枕代わりのサシェからふわんと花の香りが漂った。
柔らかなベッド、清潔なシーツ、花の香りに包まれて眠る夜は王宮の暮らしに似ている。
それなのに、ちっとも眠くならない。
そっと首を傾げ、もそもそと身体を起こした。
バスケットから身を乗り出せば、すぐ傍にゾロの寝顔がある。
すっと通った鼻梁、滑らかな肌、すべてを直線でなぞったような鋭利な顔立ち。
起きている時は無骨な印象があるけれど、こうして黙って目を閉じているとどこか作り物めいて見える。
「・・・いい男、だな」
ぽつりと呟き、俺には負けるけどなと付け足した。

カーテンから漏れる月の光に照らし出され、静謐な雰囲気を纏いながら眠るゾロが不意に片手を上げた。
無意識だろうか、腹の辺りを擦り腹巻の中に手を差し込んでごそごそと動かした後、脇腹をボリボリ掻いてまたパタンとシーツに腕を投げ出した。
「・・・」
なんというかちょっと、台無し。
けれど、サンジはゾロが掻き混ぜて浮いた腹巻の隙間をじっと見つめた。
柔らかくて清潔でいい匂いがする快適なベッドより、あっちの方が多分眠れる。
癪に触るなーとボヤきながら、うつぶせになって目を閉じた。
ゾロの、穏やかな寝息が聞こえる。
その音に包まれるように目を閉じて、いつしか眠りに就いていた。






next