Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 4


カサリと繁みが揺れる音がして、サンジが顔を上げると大きな黒い塊が視界に飛び込んだ。
「―――!」
思わず手桶の縁を掴んで身構える。
緊張するサンジとは裏腹に、それはのそのそと緩慢な動きで繁みから身体を現し、爪の尖った大きな前足でちょいと湯を掻いた。
「夜が更けると動物達も入りに来るんだ。大丈夫だよ」
チョッパーが囁きながら手桶ごと引き寄せる。
突然姿を現した熊は、後ろ足からそろそろと湯に浸かった。
猛獣でありながら、なんともユニークな後ろ姿だ。
大きな身体がざぶりと湯に浸かってしまうと水面が揺れて、波に押されてサンジも手桶ごとくるくる回る。
向い側の淵にはいつの間にやら猿が3匹ほど集まってきていて、こちらも慣れた仕種で湯に浸かった。
アライグマや狐なんかの姿もある。
小さなねずみが2匹、ちょろちょろと熊の身体とチョッパーの角を伝い、サンジが浸かっている手桶に入ってきた。
「わ」
「あ、場所空けたげて」
チョッパーに言われるまでもなく身を引いた空間に、ねずみがチョロリと収まる。
間近で他の動物と顔を合わせることなどなかったサンジは、驚きすぎてしまって声も出なかった。
「お、大入りになったな」
再び湯に浸かろうと起き上がったゾロが、大きな熊に臆することなくその傍らに足を突っ込んだ。
「邪魔するぜ」
どういたしましてとでも言うような素振りで首を振ると、熊はふわあとあくびをした。
―――なんというリラックス感。

耳の傍でチュッチュチュッチュと鳴き声を聞きながら、サンジは首まで浸かって顔を真っ赤にしていた。
迂闊に動けないような気がして、とてもじゃないが緊張が解けない。
ガチガチになっているのに気付いて、ゾロは手を伸ばして手桶からサンジを持ち上げた。
裸が見られるとか、もうそう言うのはどうでもよくなっていて縋るようにその指に掴まる。
「のぼせんぞ」
組んだ指の間に座らされ、湯気に顔を炙られながらサンジはほうと息を吐いた。
「動物と風呂に入るって初めてだろう」
「初めてどころか温泉だって初なんだって」
赤くなった顔を擦り、チョッパーに言い返す。
湯に中てられたのか頭がぼうっとして、ニヤニヤと笑えて来た。

「なんかもう、なんでもありだな」
「これが裸の付き合いってもんだ」
「そこに湧き水があるから、適度に水分補給した方がいいよ。しんどくならない程度に、ゆっくりじっくり浸かってるといい」
「んー」
妙にテンションが上がっているのに、身体はくたっとして力が出ない。
まるで酔っ払ったみたいなふわふわした感覚を楽しんでいた。
なんだか楽しい。
すごく楽しい。
ゾロが掌に水を汲んで、口元まで持って来てくれる。
清水の冷たさが喉に心地よかった。
「大丈夫か」
「なんてことねえよ」

パカッパカッ・・・
草を踏み分け近付く蹄の音がする。
新たなお客さんかと顔を向ければ、梢の間に人影が浮かんだ。
まだ若い、丸い目をした男だ。
黒い癖毛を後でまとめて、窺うように覗き込んでいる。
「おう、珍しい先客がいるな」
その顔を見て、ゾロとサンジは揃って目を丸くした。
長い、鼻がものすごく長い。
思わずあんぐりと口を開け、ん?と首を傾げる男に無遠慮に聞く。
「それ、鼻か?」
「初対面で開口一番それかよっ」
突っ込む口の上にあるから、やっぱり鼻だろう。
「すまん、つい珍しくて・・・」
正直な言い訳をするサンジの声に、男はんん?と首を傾げ前に進み出た。
「あんた喋ってんのに口が動かねえ?」
「や、こいつだ」
「え?」
「あ?」
「お」
サンジはゾロの指の間から立ち上がり、目と口を丸く開いた。
男も、ゾロの指の間に小さなサンジを見つけてポカンとしている。
「ちっさっ」
「・・・馬?」
繁みから出て来た男の下半身は、立派な牡馬だった。


「け、んたうろ・・・す?」
サンジはまじまじと男を見上げた。
下半身が馬であるから、普通の人間よりさらに頭一つ大きい。
そこに少年のような顔がちょこんと付いていて、大きいのにどこか愛嬌があった。
「そう、ケンタウロス族のそげキングって言うんだ。そげキング、こちらはコックとゾロ。旅の途中だって」
「よろしく」
そげキングは前足を折ってゾロの前にしゃがんだ。
手を伸ばし、小さなサンジに指を差し出す。
「よろしく」
指を軽く握り返すと、ずずっと身体が後ずさった。
ゾロが、そげキングが湯に入れるよう場所を空けたのだ。
サンジの次にゾロの方へと視線を視線をずらし、胸元で止まる。
「うわーすげえ傷!」
「ゾロは剣士なんだよ」
率直に声を上げるそげキングに、チョッパーが黙ったままのゾロに代わって説明する。
「へえ、すげえなあ」
湯を掻きながら、そげキングが肩を寄せてきた。
サンジが囲われた指の中から見上げると、ゾロは珍しく驚いたような顔でそげキングをまじまじと見返している。
なんでも知っているようなゾロでも、ケンタウロスは初めてらしい。
サンジだって、絵本の中でしかその姿を見たことはない。

「ここ、傷にもよく効くんだぜ。つっても、もうそれは治ってるか?」
「コックが怪我してるんだ。アバラにヒビ入ってる」
「そりゃあいけねえ」
少し会話を交わしただけでも、そげキングが気の好い男だと言うことはわかった。
「そげキングって、変わった名前だな」
その率直さに触発された形で、サンジもぽろっと素朴な疑問を口にしてしまった。
「ああ、俺が自分で付けたから」
「自分で?名前を?」
サンジ自身「コック」と偽名を名乗っているのに、すっかり棚上げだ。
「本当は『ケイロン』って名前なんだけど、名前負けするみたいって言うんだよな」
「ケイロン・・・いい名じゃないか」
「ケンタウロスの英雄の名だな」
ゾロがぽつりと呟いた。
あれ?やっぱり物知りなのか?

「それに、そげキングは弓の名手なんだ。そりゃあもう百発百中で的に当てるから、狩りも大得意なんだよ」
「へえ」
「それで、狙撃の王様『そげキング』な」
なるほど。
「チョッパーはよく知ってるな。親友なのか」
サンジが感心して言うと、そげキングは長い鼻の下を掻いた。
「まあな」
「へへ、よせやい」
別に照れることでもないだろうに、チョッパーは赤い顔をしてクネクネしている。
「俺の、この青い鼻のこととかもそげキングには聞いて貰ってたんだ。ほら、人間に近いし。人間として話したのはコックが初めてだよ」
なるほど、そうカウントしていたということか。
なんにせよ、動物以外に親しく“言葉”を交わせる相手はいないかと心配していたチョッパーに、こんな親友がいてよかった。
そんな風に安堵しているサンジは、それが自分にはゾロがいるからこそ生まれてくる余裕だと気付いてはいない。

「サンジ、顔が真っ赤だよ。少し長くつかり過ぎたし上がろうか」
そういうチョッパーは毛がぺったりと寝てしまって、貧弱な雑巾みたいになってしまっていた。
「でも―――」
サンジが名残惜しげにそげキングを見る。
「そげキングは湯上りにうちに寄ってってくれるだろ。ゆっくり話そう」
「おう。俺も珍しいお客さんから話を聞きたい、ぜひ聞かせてくれよ」
ゾロが無口なせいか、そげキングはもっぱら小さなサンジに話しかけてくる。
「わかった、なんか夜食でも用意しておくよ」
「やったあ」
そげキングより、チョッパーの方がはしゃいだ声を上げた。


   * * *


サンジがチョッパーから貰った木の実や干し肉で簡単に夜食を作っていると、湯上りのそげキングが顔を出した。
「お邪魔しまーす。あ、なんかいい匂いがする」
「いらっしゃい、コックの料理はすんごく美味しいんだよ」
見れば、テーブルの上に小さな調理器具を並べ、サンジがチョコマカと奮闘していた。
うへえとかあはああとか、感心した声を上げてそげキングがまじまじと見やる。
「これよく出来てるなあ、しかも全部ちゃんと使えて、実用的だ」
サンジの手並みはもとより、小さな細工物にも興味があるらしい。
「そげキングは手先が器用で、色んなものを手作りできるんだよ」
「弓の名手で、器用なのか」
「その上、嘘の名人」
「なんだそれ」
「嘘とはなんだ嘘とは、ホラと言え」
そげキングが笑いながら、肩から提げた皮袋の中から酒瓶を取り出す。
「苔桃酒のいいのができたんだ」
「わあ」
チョッパーがテーブルに手を着いてぴょんと跳ねる。
「これすっごく甘くて美味しいんだよ」
「甘いのか」
ゾロが顔を顰めると、サンジはコラっと肘を蹴った。
「甘くねえのが好みなら、ドワーフのじいさんに持ってこうと思ってた濁酒があっけど」
「ありがてえ」
「てめえは遠慮ってモンを知らねえのか!」
王家の育ちであっても慎ましく育てられたサンジは、礼儀には厳しい。

「ところでコック、料理の腕もたいしたもんだけどいい服着てるな」
そげキングに指摘され、サンジはうっと顔を赤らめた。
風呂上りに真新しい服をと、渋々ゾロが回収してきた見世物用の服に袖を通したのだ。
サンジの身体ぴったりに作られた白いブラウスには金の縫い取りがあって、襟も袖もぴらぴらフリルで仰々しい。
腰には光沢のある青のサッシュベルトが巻かれ、ズボンは紺色で白い靴下止めに金色の房飾りまで付いていた。
「よく似合ってるぞ」
「ほんとに、どこかの国の王子様みたいだ」
「アホの国の王子様だな」
「うるせえっ」
ガツンと音がするほどゾロの顎を蹴って、サンジは憤然としながら再びキッチンに向かった。






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