Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 3


ノース生まれで箱入り育ちのサンジは“温泉”なるものを知らなかった。
説明するより実際に見た方が早いだろうと、さっさと夕食を片付けて裏庭へと向かう。
「わあ・・・」
木立に囲まれた小さな泉からは、真っ白な湯気がもうもうと立ち昇っていた。
「なにこれ、すげえ」
「一定の温度で湯が湧き上がってるんだ。天然の風呂だよ」
ぐるりを石垣で囲まれ、庭石伝いに入れるようになっていてなかなかの風情だ。
「こりゃあ、いい露天風呂だな」
「だろ?」
「風呂・・・」
振り仰ぐ前に、サンジは近場の石の上に下ろされた。
見上げれば、ゾロもチョッパーもいそいそと服を脱いでいる。
「え?ここで脱いで入るのか?」
「おうよ、温泉ってのは入るもんだ」
「ちょっと寒いけど、お湯があったかいから気持ちいいよ」
帽子とズボンを脱いですっぽんぽんになったチョッパーは、ふかふかの毛皮に包まれているからさほど変わりない。
その隣に並び立つゾロは、実に堂々として逞しい体躯をしていた。
思いのほか肌が綺麗で、サンジに向けられた背中には傷一つない。
隆々とした滑らかな筋肉が、月の光を弾き返している。
「コックも脱いだら?」
軽く言われて、びくっと身を竦ませた。
不審げな動きに、チョッパーの方が首を傾げる。
「こいつ恥ずかしがるんだよ」
「なんでだ?風呂に入るのに裸にならないのか?」
そうじゃなくて、他人と一緒に風呂に入ったことがないからだ。
「獣は元々、裸が基本だぞ」
「そりゃそうだろうけど」
俺は獣じゃない、王子だ―――と言い掛けて止める。
ここでは、自分がプリンスであるという立場はなんのプラスにもならない。

「この温泉は傷にもよく効くんだ。だから、野生の獣が浸かりに来るのさ」
「ここも魔女が作ったのか?」
「いいや逆。いい温泉が湧いてるのを見つけたから、ドクトリーヌはここに病院を作ったんだ」
話しながら、二人はさっさと掛け湯をして温泉の中に入っている。
「おお・・・気持ちいい」
「だろー・・・ふぁ〜あったまる〜〜」
二人の間抜けとも言える声に、サンジはぴくりと耳を欹てた。
「コックも来い、気持ちいいぞ」
「いいお湯だよ〜傷が早く治るよ〜」
もわもわと湯煙に包まれて、二人の姿はあまり見えなかった。
これなら、自分が脱いでも同じようによく見えないかもしれない。
「服もボロボロだったじゃないか。脱いで洗濯しようよ」
チョッパーの声に促されて、サンジはもそもそと服を脱いだ。
綺麗に畳んで石の上に置き、そうっと飛び降りようとした。
すかさず、ゾロの掌が差し出される。
「怪我してんだから、無茶すんな」
湯気の間からゾロの顔が覗いて、サンジは手足を縮込ませながらもソロソロと掌に乗った。
ゾロのもう片方の手で掛け湯をされて、そのまま広い浴槽に掌ごと沈められる。
「ふわわわ・・・」
決して熱くはないが、肌に纏わりつくような熱を帯びた湯だ。
それがサンジの小さな身体をゆったりと包み込んだ。
「ふぁ〜気持ちいい〜」
思わず、と漏れた声に二人揃ってくくくと笑う。
湯煙に顔をなでられ、サンジはうっとりと目を細めた。
「なにこれ、気持ちいい」
「だろー」
「温泉の露天風呂ってのは、最高だな」
すーっと夜風が吹いて、湯気が水面を凪いだ。
対面するゾロの姿が現れる。
「え・・・」
サンジもチョッパーも同時に目を瞠った。

ゾロの肩口には、斜めに走るあまりにも大きな傷があった。
肉が盛り上がり引き攣れて、ぼこぼことした縫い目も見える。
「ゾロ、その傷はなんだ?」
チョッパーが医者らしく目敏く見咎める。
ゾロは「ああ」と今気付いた風に俯いて、サンジをチョッパーに手渡した。
チョッパーは手桶に湯を汲んで風呂に浮かべ、その中にサンジを入れてやった。
「手桶風呂だ」
「ありがと」
身を隠すのも忘れるほど、サンジはじっとゾロの身体を見つめていた。
あまりに酷い傷に、目が離せない。

「こりゃあ、2年ほど前に戦った時についた傷だ」
ゾロがゆっくりと、湯の中から半身を出す。
肩から脇腹にまでざっくりと、大きな傷が刻み付けられていた。
「これは、刀傷だな。袈裟懸けに?」
「ああ」
サンジは息をするのも忘れて見入っていた。
大きな大きなゾロの身体の、半分も切り裂くようなあまりに大きな傷跡に激しいショックを受けている。
「よく、生きていたなあ」
自分の思いが、そのまま声に出たかと思った。
言ったのはチョッパーだ。
蹄をゾロの傷跡に触れ、そこかしこを摩っている。
「うん、傷口は塞いでいる・・・って言うか、これほど大きな傷なのに内蔵が損傷してない」
「おう、すげえだろ」
ゾロは自慢げに言った。
「正面からバッサリ行ったのによ、致命傷は負わせねえんだ。たいした腕だぜ」
なんでそんなに誇らしげなんだ。
手傷を負わされたのは自分の方なのに。
「相手は、よっぽどの使い手だったんだな」
「鷹の目のミホークってえ大剣豪だ。そいつと手合わせ願ってこのざまさ」
サンジは手桶風呂に揺られながら、波の動きでゾロの傍までやってきた。
腕を伸ばして引き寄せて、自分の胸元にとんと手桶を抱えてくれる。
「殺される・・・とこ、だったんじゃね?」
サンジの呟きに、ふっと笑みを零す。
「いんや、生きてる」
「だってこんなの、死んじまう・・・」
チョッパーがそっと手桶を覗き込んだ。
「普通なら、出血だけで死んじゃっててもおかしくない傷だな。でもゾロは生きてピンピンしてる。すごいな」
なっと微笑まれ、サンジは手桶の中の湯に顔を沈めてしまった。

「武者修行のために旅に出て、名のある剣士と手合わせできたんだ。感謝こそすれ恨むこたあねえ」
殺されかけたというのに、ゾロはさっぱりとした顔で再び湯の中に身を沈めた。
「次に会う時は、もう負けねえさ」
「まだ戦う気かよ」
呆れて顔を上げたサンジの目は、怒りで吊り上っていた。
「そんな大傷こさえて運よく生き残ったのに、まだ戦うってどういうことだよ。遺恨や敵討ちか?」
「いいや、なんも」
暢気に答える顔が面憎い。
動揺した自分の方が悔しくて、サンジは手桶の端を掴んでぐっと歯を噛み締めた。

「ゾロは、剣士なんだな」
チョッパーがほうっとため息と共に呟いた。
「強い相手と戦って、より強くなることを望む剣士だ」
刀を三本持っていたから、なんとなくわかったよと笑う。
「剣士?」
サンジとて、剣士を知らない訳ではない。
城にも多くのお抱え剣士がいたし、頼もしいボディガードとして国王一家を警護してもくれていた。
ただ、サンジが生まれて以降平和な時代が続いていて、近隣諸国との争いも戦いも起こっていない。
故にサンジは、剣士が真の意味で活躍している場を見たことがない。
ただ暇さえあれば剣を交え、無闇に争いを好む血気盛んな荒くれ者のイメージしかなかった。
好き好んで戦いに身を投じる姿勢がサンジには理解できないし、そんな血に飢えた獣みたいな所業も正直嫌悪している。
そんな剣士と、ゾロが一緒だって?
この二つが、サンジの中では俄かには結びつかない。

確かに、ゾロは剣を多く携えていて、酒だってよく飲むし傍若無人だしいざとなったら強いらしいけど、このゾロが剣士だって?
見上げるサンジの瞳に不穏な色が浮かぶのに、ゾロは知らん顔でざばりと湯から上がった。
「あんまり浸かってっとのぼせるぞ」
「ゾロが早いよ、もっとゆっくり入ってないと」
まだ風呂から上がる気はないらしく、岩に腰掛けて足を組んでいる。
湯気の間からちらりと覗いた足首にも、ぐるりと輪を描いたようにザクザクの縫い目があった。
「あ、ここも怪我してるな。自分で縫ったのか?」
「ああ」
ここも、ここもとチョッパーは本格的に点検を始めてしまった。
月明かりで暗いのに、必死になって目を凝らしているようだ。
「一度ちゃんと診せてくれよ」
「なんともねえ、古傷だらけだ」
袈裟懸けの傷が目立ちすぎて見逃していたが、確かにゾロの身体にはそこここに細かな傷がいっぱい刻み付けられている。
多くの敵と戦ったのか、或いは不注意で事故に遭ったのか。
そのどれもだろう。
「これは3年前にバロックワークスにいた時だ」
「あの、内戦があった?」
「たまたま行きがかり上、な」
サンジの国、オールブルーは長く平和が続いているが、余所の国では内乱や戦争が絶えまない。
一人で旅を続けていたゾロは、多くの戦も潜り抜けてきたのだろうか。
「傭兵とかにもなったのか?」
チョッパーは、どこか憧れを秘めた目でゾロを見つめていた。
「ああ、話がつきゃあな。ただし、戦況に一定の蹴りがついたら手を引く。ひととこに関わって深入りするつもりはねえ」
胡坐を掻いて背を丸め小さなチョッパーに屈むように答えるゾロは、サンジが頭で思い描いていたような剣士には見えなかった。
今までだってそうだ。
無口でぼうっとした迷子気質こそ見られるものの、獰猛で野蛮な素振りはカケラも感じられなかった。
シュライヤには、強いとは言われていたけれど。
チョッパーの眼差しにシュライヤの時と同じ色を見て、サンジはなんだか胸がモヤモヤしてしまった。
子どもは、強い大人の男ってモンに憧れるもんだ。
わかっているけど、面白くない。

草の上に素っ裸でごろりと転がったゾロを置いて、チョッパーが再び湯の中に入ってくる。
手桶がくるりと円を描き、それに揺られて背を向けたサンジを追い掛けるように泳いできた。
「コック、心配ないよ」
「・・・別に、心配なんかしてねえ」
さらりと言い返せればいいのに、無意識に唇が尖ってしまった。
拗ねていることを、チョッパーにまで見透かされてしまう。
「もしかして、二人は出会って間もないのか?」
手桶の湯を代えてくれるチョッパーに掴まって、サンジはうんと頷いた。
「ほんの一週間前くらいかな、出会ったの」
「じゃあ、剣士だって知らなかったんだ」
ほんの数時間前に出会ったチョッパーはすぐに気付いたのに、自分は全然わからなかった。
そう思うと、余計に腹の底辺りがモヤモヤとする。
「確かに、ああやって裸になると傷が多くて歴戦の剣士だってわかるけど、普通にしてたらあんまりわかんないよね」
慰め口調で言われて、素直になれず横を向いた。
「ゾロって威嚇しないじゃないか。言葉で脅したり気勢を張ったりとまではしなくても、例えば睨みつけたりとか、低い声出したりとか。そういう、自分を誇示するようなことしないだろ?」
だからわかんないよと、サンジにではなく独り言のように呟く。
「むしろなんかぼうっとして、必要なことも喋らないみたいな、そんな感じ」
「うん」
それはわかる。
「わざと、かな」
「ん、警戒心を抱かせないように?」
どうだろうなと首を傾げ、違うんじゃない?と言った。
「あれ、多分ゾロの“素”だよ」
「・・・俺もそう思う」
出会ってすぐにわかったのは、ゾロの天然方向音痴だ。
きっと、元はああいうボケ体質なのだろう。
「それにさ、本当に強いんだと思う」
チョッパーはサンジにだけ聞こえるように声を低めた。
「弱い犬ほどよく吠えるってね、よく言うだろう。本当に強い剣士はきっと、あんな風に飄々としてるんじゃないかな」
「強いって誇示しなくても?」
「そう、だって強いんだから」
そうかもな、と納得するもやっぱりなんか悔しい。
「チョッパーって、さすが医者ってとこかな。よくものを見てる」
「え、そんなことないぞぉ」
湯を掻きながらクネクネしだした。
「ゾロだって、チョッパーの話を聞いてる時は珍しくよく喋ったし」
短い間ではあるが、ゾロと付き合っていて彼がここまで他人の話に介入したのは珍しいんじゃないかと思った。
話しにくい内容だろうに、先へ先へと誘うように相槌を打って。
「俺、自分のこと人間にここまで話したの初めてだ」
チョッパーは湯に濡れた毛を梳いて、てへへと照れたように笑う。
「動物の友達もたくさんいるけど、あいつらには親のこととか話せないもんな」

動物と人間。
一見すると動物の方が損得抜きで親子の絆が濃いように思うけれど、本当のところは実にドライだ。
育児放棄や子殺しは自然の摂理だし、人間みたいに常識や情だけで結びつくこともない。
チョッパーはトナカイだから、動物相手に己の身の上を語っても同情されることはないだろう。
話した相手がゾロやサンジといった人間だったから、深い哀惜を感じ取れる。
「話して、よかったか?」
「うん、すっとした。聞いてくれてありがとう」
そんなチョッパーの立場を思いやって、ゾロは敢えて踏み込んだ会話をしたのだろうか。
そこまで考えて、まさかなと首を振った。






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