Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 2


心優しいトナカイ医者は、寝床も準備してくれた。
「今夜一晩と言わず、落ち着くまでゆっくり泊まって行ったらいいよ」
入院施設にもなるのだろう、案外と奥行きのある家の突き当りには清潔な客間があった。
人が眠れるベッドもきちんと備え付けてある。
「ここに住むようになって、人間が泊まるのは初めてだ」
どことなくはしゃいだ風で、チョッパーはいそいそとバスケットの中に干し草を詰めた。
上にタオルを乗せ、さらにハンカチを被せる。
小さなポプリのサッシュをハンカチで巻いたものが、枕代わりに端っこにチョコンと置かれた。
「コックはこっちに寝るといいぞ」
バスケットの中にそうっと下ろされ、サンジはその場でポンと跳ねてみた。
「ふっかふかだ・・・て、てて」
「大人しくしてないとダメだよ」
サンジから見ればゴツい蹄が、優しくハンカチを掛け直してくれる。
「寝心地はどう?」
「すっげえ柔らかくて気持ちいい。すぐにでも眠れそうだ」
「よかった」
チョッパーは両手で口元を押さえエッエと笑うと、手持ち無沙汰に突っ立っているゾロを振り返る。
「ゾロはそっちのベッド使うといいよ」
「いいのか、病人用じゃねえのか」
「今は病人がいないから構わない」
マットはちょっと硬いけど、それなりに寝心地はいいから。
そう言って、今度は食事の支度だ〜とキッチンへと駆けて行く。
その背中を追い掛けるようにサンジが叫んだ。
「待てよ、飯の支度なら俺も手伝う」
「え、怪我人なのに・・・」
「なんともねえって、俺コックなんだぜ」
腕を振って見せると、その仕種を止めるために慌てて舞い戻ってきた。
「大人しくしてないとダメだって」
「大丈夫だ、食うもんはそいいつに任せろ」
ゾロの声に、チョッパーより早くサンジの方が振り仰いだ。
「小せえけど、めちゃくちゃ美味い飯作んだそいつ」
ポカンと口を開け、次いで真っ赤な顔をしてすぐに俯いてしまった。
「そうか、じゃあお願いしようかな」
あっさりと受け入れつつも、チョッパー的にはこんな小さいサンジがなにをどうするのかわかってはいない。
「俺が使えそうな材料出してくれればいいから。量的にはちょびっとだけどな」
そう言って、サンジは誇らしげにニカリと笑った。



「すごいー」
感歎の声が上がったのはそれから一時間後だ。
呪文と共に目の前に現れた豪勢な料理の数々に、チョッパーはすっかり目を回してしまった。
「すごいすごい!こんなに綺麗なお肉もお魚も、ケーキまである!」
元は小さな食材であったものが巨大化し、見目麗しい豪華料理となって食卓を彩っていた。
食材はたっぷりあったからサンジも存分に腕を揮い、三段ケーキまで焼いてしまった。
なんせ瑞々しい木の実がたっぷりあったから。
「甘いもの、好きか?」
「好きだ、すっごい好きだー」
いい匂い〜とはしゃぎまわるチョッパーに苦笑しつつ、サンジはエプロンを外した。
「さ、じゃあテーブルに着いてみんなで食べよう」
「わかった〜」
もはや医者の威厳はカケラもないチョッパーが、大きな椅子をウンショウンショと持って来てよじ登り、ちょこんと座る。
「ゾロも、早く食べようよ」
「ああ」
「おかわりいっぱいあるからな、うんと食べろよ」
俄かに子どもが二人に増えたような・・・と口を付いて出かけた言葉を危うく飲み込み、大人しく手を合わせる。
「酒はねえのか?」
「ないよ」
いっそ気持ちいいほどきっぱりと言われ、それでも諦めきれずに視線を泳がせた。
「消毒用のアルコールとか」
「ゾロ!」
「ゾロー」
二人に同時に窘められ、仕方なく肩を竦めた。
まるで一家団欒のようで、なんとも尻がこそばゆい感じがする。

「今度猿酒貰っておいてあげるから、今夜は我慢しろ」
「猿酒?」
興味を引かれたサンジが、目を輝かせる。
「うん、うちはこの森の動物達も診察するんだ。お礼にって食べものを分けてくれる」
食料をほとんどそれで賄っていると言いながら一口頬張り、ん〜美味い〜〜っと頬袋を膨らませ唸った。
「美味しい!こんな美味しいお料理初めて食べた!」
「だろ、クソ美味えだろ」
自分もミニサイズの料理を食べつつ、なーとゾロを振り仰ぐ。
「だろ?」
ゾロも同じように追随して、また首の後ろ辺りが痒くなった。
こんなアットーホームな雰囲気には慣れない。

「そっかー名医な上に親切な医者だから、森の動物達も安心だな」
「そ、そそそんなことねえぞコノヤロー」
ニコニコしながら身をくねらせ、美味しい美味しいを連発している。
「動物達もってことは、人間も来るんだろ?」
ゾロの言葉に、チョッパーの表情がふいっと硬くなった。
「うん、うちは動物も人間も誰でも大歓迎なんだけどなー」
言いながら、頻繁に動いていたフォークが止まる。
「でも、こんな森の奥深くまでなかなか・・・人間は来ないしなー」
「俺達は適当に歩いててここに辿り着いたんだけど、村からは遠いのか?」
サンジの問い掛けに、うーんと首を捻って考える。
「別に、そう遠くはないけど人間はあまり近付かない」
「なんでだ?綺麗で木の実もいっぱい成ってる森じゃね?」
「だって、俺変なトナカイだもの」
言って、チョッパーは困ったようにヘラリと笑った。

「お前、なにか変なとこあったっけ?」
サンジはきょとんとして尋ね返した。
ゾロでさえ「見慣れない狸」と思ったチョッパーだが、こうして打ち解けて話している内にすっかり馴染んでしまった。
チョッパーがトナカイらしくないのも手が蹄なのも大きな角が生えていることも、今では最初からそれが当たり前のように見える。
「俺、鼻が青いだろ?」
サンジは遠慮なく視線を移す。
確かに、チョッパーの顔の真ん中にちょこんと付く鼻は青色だった。
言われて見れば、青い鼻のトナカイ・・・どころか動物は珍しいかもしれない。
「生まれつき鼻が青くてさ、だから俺・・・」
口元は笑んでいるのに、伏せた瞳が泣きそうだった。
言いたくないなら言わなくていいぞと口を開きかけ、ゾロの大きな手がサンジの顔の前を不意に遮る。
「俺、捨てられて」
「誰にだ?」
いつもなら黙って聞いているだけのゾロが声を出す。
そのことに驚いて、サンジは目を瞠った。
「親、トナカイの」
「生みの親に捨てられたのか」
「うん」
そんなのあんまりだ、と胸を痛め、サンジは口を開いたり閉じたりした。
慰めの言葉はどれも空々しく思えて、結局何も言えない。
「それでどうしたんだ」
ゾロは容赦ない。
ズバズバと聞き辛いことにまで突っ込んでくる。

「群れから爪弾きにされて、お腹空いて一人でウロウロしてたらドクトリーヌって魔女に拾われたんだ」
医術に長けていた魔女は、その時重篤な患者を抱えていた。
「猫の手の代わりにトナカイの手でもいいって言って、俺に魔法をかけた」
チョッパーは今のような人型になり、人間の言葉もわかるようになったという。
「とは言え、俺は元はトナカイだから動物の言葉もわかるんだ」
「すげえ、それって万能じゃね?」
サンジの素直な感嘆の声に、んなことねえよバカヤローと口汚く照れてみせる。
「ドクトリーヌはそりゃあおっかない魔女だけど、俺に色々教えてくれた。患者が治って自分がまた旅に出る時も、俺に元に戻るかって聞いてくれたんだ」
―――あたしの呪文一つで、お前は元通りのトナカイに戻れるんだよ。
そう言われても、チョッパーはもう嬉しくはなかった。
「俺、このままがいいって言ったんだ。それよりも、もっともっと医療のことを教えてほしい。人を、動物を助ける知恵を授けて欲しいって」
ドクトリーヌは魔女だったけれど、彼女が使うのは魔法ではなかった。
薬草の知識と化学反応の治療で、多くの患者を魔法なしに救っていく。
「時には、手を尽くしても助けられなかった命もあった。それでも、俺はこのまま医者になりたいって思ったんだ」
毅然と顔を上げたチョッパーからは、さきほどまでの打ち萎れて寂しげな色は消えていた。
つぶらな瞳がキラキラと輝いている。
「魔法が使えなくても、魔女じゃなくても、知識と技術があれば医者にはなれる。病や怪我を、治すことができる」
サンジは力強く頷き返し、ぐすっと鼻を啜った。
「そっか、それでここに病院を・・・」
「ドクトリーヌは氷の城に帰ったけれど、俺はここに残ってこの森で暮らしていきたい。そう思ってここも作ったんだ。お陰で、動物達のお客さんは結構来てくれるんだよ」
でも―――と、再び表情が翳った。
「人間は、めったなことではここにも森にも立ち入らないんだ。人の言葉を話す変わった獣がいるって、噂になって」
「そんなこと!」
サンジは勢い込んで言った。
「きっと知らないだけなんだよ。ちゃんとチョッパーを見れば、こんなに可愛くて無害な、けど優秀な医者だってわかるのに。知らないだけだ、知ろうとしないだけだ」
チョッパーは「可愛い」の部分でコノヤローと怒り、「優秀な」の部分でバカヤローと照れた。
「人間は、見慣れないものには警戒心を抱く。動物と違って匂いや雰囲気で無害かどうか知ることができないから」
ゾロの声に、二人して振り向いた。
滅多に話さないくせに、一旦口を開くと言葉が重い。
「せっかく言葉があるのにそれも届かない場所まで逃げられちゃあ、どうしようもない。追いかけてこっちから売り込もうってしたら、それこそ逆に反撃されるだろう。無駄に足掻かないことだ」
「そんなの!」
憤るサンジの前で、チョッパーはうんと殊勝に頷いた。
「俺も、わかってもらおうと無理するのは止める」
「チョッパー」
「いいんだ」
寂しげに、それでもにかりと笑った。
「俺にはこの病院がある、森の動物たちもいる。それに人間じゃないけど友達もいるし、寂しくなんかない」
「けど・・・」
悔しいなあ、とサンジは思った。
チョッパーはこんなにも優しくて親切で優秀な医者なのに。
臆病で傲慢な人間たちは、少し姿形が変わっているというだけで恐れて近寄らないなんて。
自分が人間であることに気付いて、自己嫌悪にも陥った。
もし、自分がずっと城で暮らす王子でしかなかったら、ここにチョッパーという医者がいることも知らなかっただろう。
もし知ったとしても、何の予備知識もなしにチョッパーを見て彼は優秀な医者だ、優しいトナカイだとわかっただろうか。
こいつはなんだ、何者だと警戒もしなかっただろうか。
そう考えると、一気に自信がなくなった。

「まあ、そう簡単に諦めることもねえさ」
ゾロは今度は気楽に言った。
「無理に追いかけなくても、こんな風に来るもの拒まずでどんと構えてりゃいいんだよ。人と関わるとその内必ず縁が生じる。俺たちがこうしてここに辿り着いたように」
「縁?」
「人と人とを繋ぐ糸だ。俺とこいつとお前とで、もう糸は結ばれた。一度結ばれた糸は二度と消えない。そこからいくつもの糸が広がっていくだろう」
「糸―――」
「それは、お前が最初に出会った魔女とやらが結んだ糸から、手繰り寄せられたものだ」
ゾロの言葉はどこか浮世離れしているのに、なぜかしっくりと胸に落ちる。
「俺、二人がここに来てくれて嬉しいぞ」
「俺も、ここに来れて怪我の手当てしてもらえて、凄く嬉しい」
チョッパーとサンジは手を取り合うようにして、お互いに照れながらも頷き合っている。

「ご飯を食べ終えたら、とっておきの場所に二人を案内するよ」
「とっておきの場所?」
行儀よくナプキンで口元を拭きながら、サンジは首を傾げた。
「治療にも使われる、天然の温泉なんだ」
「そりゃあいい」
珍しく弾んだ声を出すゾロの前で、サンジは「?」とさらに首を傾けた。
「温泉・・・って、なんだ?」




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