Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 17


「森が・・・なくなる?」
そげキングへの敵意を顕わにしていた村人は、思わぬ提案に呆けたように立ち尽くしていた。
「そう。勿論、獣害の駆除や整地の費用は私がすべて請け負いますよ。なあに、たいした面積じゃありませんから。すべて更地にしてコテージを作り、王侯貴族達の別荘地などに活用するのがいいでしょう。山も湖もあり、抜群の景観になりますよ」
画期的なクラハドールの提案に、村人達は一瞬夢見るような顔付きをしたが、すぐに首を振った。
「そりゃあ、反対だ。森をなくすなんて」
「森は、俺達にとっても大切なものだ」
思わぬ反撃に、クラハドールの柳眉がぴくりと動く。

「俺は猟師だ、森がなきゃ生活が成り立たたね」
「王族や貴族がやってくれば、それだけで村は潤う。狩りなどしなくとも生活は成り立ちます」
「確かに、俺らはケンタウロスを村から追い出したし、森に棲む妖かし達はおっかなくて近づけねえ。けど、それと森をなくすのとは違う」
「いくら鬱蒼として陰気臭い森でも、俺達の恵みの元だ。森がなきゃ、この村もダメんになる」
訥々と、けれど切実に語られる森への想いの深さに、そげキング達は感動を覚えて立ち尽くした。
「ケンタウロスなんざ乱暴もので性悪で、胸糞悪いけどよお。それでも、別にいなくなって欲しいとかは、思ってねえ」
さきほど猟銃を構えた猟師が、悪戯を告白するみたいにバツの悪そうな顔で頭を掻いた。
「狩りに出てケンタウロスと出くわして、獲物譲ってもらったことも何度もあるしさあ」
「ああ、オラも。女房が熱出した時に、薬草を分けてもらった」
「道に迷ったうちの坊が、口の悪いドワーフに導かれて家に戻ってきたこと、あったっけか」
「森に棲んでるもんが、みんなみんな悪いモノじゃねえべさ」
1人が「実は」と語り出せば、堰を切ったように口々に森との関わりが明かされた。
少なからず誰しもが、森とそこに棲まうモノ達の恩恵を受けている。
口で言うほどに、嫌ってなどいなかったらしい。

クラハドールは苛立ちを隠し切れず、額に青筋を浮かべちっと舌打ちした。
「大切な領主のお嬢さんを攫われていて、まだそんな甘いことを言ってるのですか。この先、このケダモノ共がどんな災厄を呼び起こすか、わからないのですか!」
そこで、そげキングの後ろに庇われていたカヤがすっと前に進み出た。
「領主として申します。この森に害をなすことは私が許しません」
カヤの毅然とした態度に、そげキングのみならず村人達もほうっと息をつく。
次いで、皆の視線がクラハドールへと注がれた。
「お嬢さんがそう仰るなら、俺らもそれに従うだ」
「うちの領主様はお嬢さんだけんな」
そうだそうだと、クラハドールに敵対するように場所を移動する。
一気に形勢が逆転して、そげキングとチョッパーは興奮に毛を逆立てていた。

「カヤのことは、俺らもちゃんと村の人達と話をする。だからあんたは帰ってくれ」
「…そうは行かないのですよ」
クラハドールが、くっと掌で眼鏡を押し上げた。
篝火の光でできた陰に、にょきりとなにか長い筋が映る。
「領主だろうが森の恵みだろうが、そんなもの私には関係ない。四の五の言わずにおとなしく明け渡しておればいいものを―――」
ありえないほど伸びた5本の爪が、まるでクラハドール自身に角が生えたかのような禍々しい影を形作った。
ぎょっとして後ずさる村人達に囲まれ、そげキングはカヤの肩を抱いた。
「なんだ、お前!?」
「遺書だの領主だのと、まだるっこしい。最初からこうしておけばよかったものを」
いつの間にか口は耳元まで裂け、鋭い牙がはみ出していた。
両手の爪が背丈の倍ほども伸びて怪しく赤く煌めいている。

「なんだ、なんだお前」
「小賢しい小娘め、お前の息の根から止めてやる!」
鋭い一閃を、そげキングはカヤを抱えて飛び退き避けた。
だが避けきれず、三本の爪痕が斜めに胸に刻まれ鮮血がしぶいた。
「そげキングさん!」
はっとして胸を抑えた腕からも、だらだらと血が流れ落ちた。
銃を構えていたはずの村人達もわあっと駆け寄る。
「俺は大丈夫だ、カヤは逃げろ」
「お嬢さん、目は大丈夫なのか?」
「私は大丈夫です、みなさん逃げて」
一気にパニックに陥った村人達を、クラハドールが連れてきた兵士たちが取り囲んだ。
「どこに逃げるというのです。もう村は我々の手に落ちていますよ」
「なんですって?」
遠目に見える集落は、不気味に静まり返っていた。
「山狩りに男衆が出かけた後、こちらで占拠しました。なに、女子どもや年寄りだけだ。おとなしくしていれば危害は加えません」
「この、卑怯者!」
チョッパーが叫ぶのに、クラハドールはくくくと喉の奥で笑う。
「そこの獣どもはともかく、家族のことが心配でしょう。なに、今ここで私の側に付くなら悪いようにはしませんよ」
村人達が、戸惑いながら顔を見合わせる。
「お嬢さんは、どうする気だ」
「目も見えずモノも言わぬ、おとなしい娘ならば傍に置くのも一興かと思いましたが、ここまで跳ねっ返りだとはね」
すっと虫でも払うような仕草で片手を振った。
それだけで研ぎ澄まされた爪が、カヤを背後に庇うそげキングを襲う。
逃げ切れずぎゅっと目を瞑ったそげキングの前で、耳に付くような金属音が響いた。

「いい加減にしろよ、てめえ」
唸るように叫ぶサンジを腹巻に仕舞い、抜いた刀でクラハドールの爪を受け止めたゾロがそこに立ちはだかっていた。


       *  *  *


「誰だお前は!」
クラハドールが、いつもの慇懃な物言いとは違う乱暴さで短く怒鳴った。
それに答えず、返すゾロが爪を弾く。
大きく跳び退りながら、まるで猫のようなしなやかさでクラハドールは樹の枝に飛び移った。
鋭い爪を夕陽にきらめかせ、ギラギラと輝く瞳で睨み付ける。
「なんだ、ありゃあ」
腹巻の中から伸び上がったサンジの頭を、ゾロの掌がゆっくりと押し留める。
「ありゃあ、獣憑きだ」
「獣憑き?」
「獣の力を得ることで、強くなれる修行があんだよ。さしずめあれは、山猫ってとこか」
ゾロの言葉に応えるように、クラハドールの顔が不自然なほどに歪む。
薄暗い森の中で耳まで裂けた口がにたりと笑う姿に、カヤは怖気を感じてそげキングの背中に縋った。
「化け物だ・・・」
村人達も恐れを感じて我先にと後退り始める。
「カヤ、下がってろ。チョッパー、頼む」
「わかった、カヤ!こっちへ」
いつの間にか現れたドワーフや森の精霊達が、カヤと村人達を連れて森の中へと誘った。
その隙に、そげキングはクラハドールが連れてきた兵達に向かって弓を射る。
「食らえ、火炎星!」
一つの標的しか狙えないはずの矢が、中空で分裂してまばゆい光を放ちながら分散して弾けた。
「わあっ」
火薬が連続して破裂し、兵達は闇雲に刀を振り回し、銃を撃つ。
その流れ弾を、ゾロが飛び出して全て斬撃で打ち払った。

「小癪な」
クラハドールが樹上から飛び上がり、くるりと回転しながらゾロに襲い掛かった。
それを咥えた刀で受け止め、素早く両手に剣を構える。
目にも留まらぬ太刀筋と鋭い爪の応酬に、サンジは瞬きもできず見入っていた。
ゾロの柔らかな腹巻の中で、ただ手を握り締めて見守っているしかできない身がもどかしい。
「くそ、そこだゾロ!やれ、クソ、右だ右!」
大きさのせいで視界は狭いサンジだが、辛うじてゾロの動きには付いていけた。
そうして、ゾロと手合わせしているクラハドールの懐から、銃身が覗いていることにも気付く。

「ゾロ、腹だ!」
その銃先が自分に向いていることに気付く前に、轟音をたてて弾が発射された。
サンジの視界を、ゾロの太い腕が覆う。
予想した衝撃は訪れず、代わりに血と硝煙の匂いが辺りに立ち込めた。
「ゾ、ゾロっ!」
いてもたってもいられず自分を覆うゾロの腕を伝って外に出れば、目の前でクラハドールが蹲っていた。
地面にはどす黒い血溜まりができている。
腹を斬られたのか、苦しげに顔を歪めながらきっとゾロを見上げた。

「・・・この野蛮人が、このままではすみませんよ」
深手を負いながらも、まだ諦めてはいないらしい。
クラハドールの視線を追うように顔を上げれば、ゾロはすでに刀を納め警戒を解いていた。
あれだけ多くいた、武装した兵士達もみな一様に地に伏している。
その中で、そげキングは全身傷だらけになりながらも雄々しく立っていた。
すげえ、とサンジは思わず腹巻の中から伸び上がる。

クラハドールは口惜しげに身体を起こし、拍子でどろりと流れ落ちる血に力が抜けたようになって、手を着いた。
喘ぎながらも、憎々しげにそげキングを見やる。
「・・・村は、すでに私が、支配しているのですからっ」
「生憎だな」
サンジは腹巻の中から、哀れみをこめた目でクラハドールを見下ろした。
「村にいた兵士達は、どっかの強えおっさんが退治してたぞ」
「は?」
「だから俺ら、そっちは任せてこっちに来たんだ」
その言葉を裏付けるように、村から男が二人掛けてくるのが見えた。
屋敷の執事と、もう1人は見慣れない姿だ。

「メリー!」
「お嬢様、ご無事で」
執事はぜえぜえと息を切らしながらも、カヤの元に駆け寄り無事を確かめるように目を瞬かせた。
「よかった、ご無事で本当によかった」
「村は大丈夫?」
「ええ」
そう返事して、一緒に来た連れの男を振り返る。

ボロボロのマントを羽織った、壮年の男だ。
くたびれた身なりが長い放浪を思わせたが、男の目付きは精悍でただならぬ雰囲気を纏っている。
けれど縮れた黒髪と丸いどんぐり眼に分厚い唇が、誰かの面差しを思わせた。
「―――あ」
カヤが口元に手を当てて立ち尽くすのに、そげキングは気遣うように寄り添った。
「カヤ、大丈夫か」
そんなそげキングの横顔を真っ直ぐに見て、男は子どものようにくしゃりと顔を歪めた。

「ウソップ、ウソップだな」


next