Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 18


途端、そげキングの視界がぐにゃりと歪み、カヤから手を離してその場で蹲った。
「そげキングさん!」
大丈夫と答えようとしても、うまく声が出ない。
しゃがみ込み2、3度咳き込んでからようやく片手を挙げた。
「大丈夫だ、カヤ・・・ちょっと立ち眩みが―――」
目を開くと、見慣れぬ人間の裸の足がすぐそこにあった。
地面に付いた膝が、チクチクとして痛い。
馬の足を折っても、こんな感触などなかったのに―――

「ウソップ!」
突如、上から覆い被さってきた男にぎゅうと抱き締められた。
思わず尻餅を着いて、大きな身体を抱き留める。
こんな体勢も、尻が地面に着く感触だって初めてのことだ。
なにより、むさ苦しいおっさんにぎゅうぎゅう抱き締められても、跳ね返す気が起こらないのが不思議で。
「間違いねえな、俺の息子だウソップ」
「えええ?!」
ちょっと待てと、肩に両手を置いて身体を離す。
「息子って・・・」
「ああ、その長え鼻。バンキーナにそっくりだ」
「やっぱり」
サンジが、ゾロの腹巻の中から安堵の息を吐いた。
「俺だって一目でわかったぜ。鼻はともかく髪とか顔立ちとか、そげキングそっくりじゃねえか」
「そげキングじゃない、ウソップだな」
ゾロが言うと、チョッパーはきょときょとと顔を見比べてその場で跳ねた。
「一体、どういうことだよ」
「…そうか、お前はウソップと言うのか」
隠れていたドワーフ達も出てきて、父親に抱き締められたままのそげキング・・・いや、ウソップを囲んだ。
ウソップは助けを求めるようにカヤに目をやると、カヤはなぜか少し離れてメリーに寄り添い両手で顔を覆っていた。
「カヤ、俺・・・」
「いや、あのう」
メリーがカヤを背後に押しやって、申し訳なさそうに目をショボつかせる。
「お嬢様へのお話は、服を着てからにしていただけますでしょうか」
「―――は?」
呆然として視線を下げ、ようやく自分が素っ裸だったことを思い出した。


       * * * 


瀕死のクラハドールはチョッパーの応急処置を受け、そのまま村人達が呼んだ国軍の手によって連行されていった。
例え極悪人であっても、医者としては区別なく命ある限り助けたい。
そんなチョッパーの信念にカヤも同意し、他の兵士達の治療も手分けして行った。
頭目が倒されたことで気力が折れたのか、カヤ達の献身的な手当てに心動かされたのか、兵士達は大人しく国軍に移送され、村人達は改めて自分達の無事を喜んだ。
「まさか、あのクラハドールさんがお尋ね者だったなんて」
「百計のクロとは、恐ろしい」
真摯な態度と知的な見てくれにすっかりと騙されてしまったと、村人達は今更ながらに震え上がり早々に家に戻った。
ドワーフや妖精達は森に留まり、ゾロやウソップ親子はカヤの屋敷に招かれた。



「改めて、ありがとうございました」
執事とカヤに頭を下げられ、いやいやいやとサンジとウソップ、それにチョッパーが慌てて手を振る。
「よかったよ、カヤちゃんの目も見えるようになって、そげ…いや、ウソップも元に戻って」
「ああビックリだ。当人の俺がビックリだよ」
執事に用意された服を着たウソップは、どこからどう見ても人間だった。
絹のシャツが似合ってないなと思える程度に普通だ。
「驚きました、まさかウソップさんが人だったなんて」
「妖精の取り換えっ子だって、俺も初めて知ったよ」
チョッパーはサンジが煎れてくれたミルクティーを一口含んで、ほうと温かな息を吐く。
「よかったなあウソップ、お父さんにも会えて本当によかった」
その言葉に、皆の視線が一斉に一人の男に注がれる。

ウソップの父親ヤソップは、イーストの小さな村が戦禍に見舞われた時、身重の妻と共に村を脱出した。
取りあえず安全なこの村に妻を残し、故郷を守るために村へと戻って侵攻してきた敵国の捕虜になった。
5年後、その国に攻め入った海賊に誘われ脱獄し、海に出てグランドラインで航海を続けていた。
ようやくこの村に立ち寄ることができたのは、17年も経ってからだ。

「バンキーナを、一人で死なせちまったなあ」
ウソップを見つめる瞳が、絶え間なく潤む。
「いい年したおっさんがベソベソ泣くな。あんた海賊だろ」
ウソップにどやされ、ヤソップの表情がだらしなくニヤけた。
「ああ、息子だ。俺の息子なんだな」
「もう、親馬鹿全開だな」
「17年分の想いがいっぱい詰まってるんだろう」
サンジとチョッパーが揃ってもらい泣きに目をウルウルさせている。
カヤも目元をぬぐって、そっとお茶のお代わりを煎れた。


          *  *  *


サンジが即席で作ったケーキを囲んで、カヤとウソップ親子、執事やチョッパーも同じ食卓に着く。
クラハドールの息が掛かった使用人は屋敷に2人いたことが判明し、彼らも国軍に拘束された。
村が落ち着くまでまだしばらく時間は掛かりそうだが、これで平和は守られたと言える。

「それにしても、クラハドールの目的はなんだったんだ」
フォークを持った手で頬杖を着いて、先ほどからウソップはひっきりなしに足を組み替えては座り直していた。
椅子に座ると言う行為も足を組み替える動作も、面白くて仕方がないらしい。
「やっぱりカヤの財産かな」
「屋敷や財産ごとカヤちゃんを手に入れようなんて、ふてえやろうだ」
憤然と怒るサンジの後ろで、ゾロは黙々とケーキを食べている。
「いや、最終目的は山だったらしい」
「山?」
そげキングが人間に戻れるとの話を聞いた執事は、もしやと思って以前から村をウロついていた、見慣れぬ男を探し出した。
元は海賊だが今は足を洗い、昔のよしみで政府の機関ともツテがあるヤソップの協力を得て集めた情報では、どうやらクラハドールの真の目的は森の奥に眠る鉱山だったらしい。
「カヤちゃんの婚約者だとか村を支配するだとか、それらもあいつにとっちゃ見せかけだったのさ。王侯貴族の別荘地にするとか言って森を焼き払い、ケンタウロスや妖精達を追い出して鉱山を掘削するつもりだった」
「そんなすごい鉱脈があるのか」
「ああ。俺が海に出てた頃、鉱山で一山当てた村に行ったこともあるが、ああいうのは採掘し尽しちまえば他に移るしかねえ。掘るだけ掘って荒らされて捨てられた村の末路も目にしてる」
「ひでえ・・・」
そんなことであの美しい森や村が蝕まれるところだったのかと、改めてその恐ろしさに身震いする。
「甘い言葉で騙されるような領主じゃなかったから、強硬手段に出たんだろう。クロの読みが浅かったのは、奴が思ってた以上に領主様が聡明で思慮深かったことだ」
「そうだよな、さすがおっさんよくわかってる」
まるで自分を褒められたかのように胸を張るサンジに、なんでお前が威張るんだよとウソップが突っ込んだ。

「でも、クラハドールさんはこの後どうなるんでしょう」
聡明だが心優しいカヤは、自分を陥れようとした極悪人であるクロの行く末をも案じて、その美しい眉を顰めた。
「“百計のクロ”としての罪状は山ほどあるだろ、なんにしても公正な審判が下されるだろうさ」
「でも、何回も脱獄を繰り返してるんだろ?またあの恐ろしい能力で外にでも出てきたりしたら・・・」
チョッパーは思い出して身震いした。
同じ獣とは言え、あの禍々しさには本能で総毛立つものがある。
「それなら大丈夫だ、斬っといた」
屋敷に来て初めてゾロが口を開いたので、皆はっとして顔を上げた。

「え、なんだって?」
「山猫は斬った、もうあの力は使えねえ」
「え?え?」
「そんなこともできるのか」
「なにそれスゲー」
ウソップとチョッパーが目を輝かせる。
「憑き物を落としただけだ。あいつ自身の知恵やら狡猾さやらは残ってるだろうから、油断ならねえ相手だろうがな」
「けど、強力な武器を奪ったようなもんじゃねえか。なんかすげえなあゾロ」
「剣士って、そんなこともできるんだな」
ヤソップも、興味深そうにゾロを見やる。
「あんた、剣士か」
「ああ」
「見たところ刀を三本も持っているようだし、その内一振りは妖刀だ。相当な使い手のように見受けられるが」
「まだ修行の身だ、こないだも勝負に負けたところだ」
サンジは、ゾロの胸についた大傷を頭に思い浮かべ、つい呟いた。
「確か鷹の目って・・・」
「鷹の目?ミホークか」
思いがけず、ヤソップが食いつく。
「うちのお頭の連れだぜ。会えば一線交えるが、酒を酌み交わす相手でもある」
「あいつには鷹が憑いてるだろ。あれは落とせなかった」
「あんな奴倒せたら、それこそあんたが世界一の剣士ってことになる。そりゃあすげえや、寧ろ負けて生きてるってとこがすげえ」
「正直、死に掛けた」
ゾロは、紅茶の代わりに用意された酒を飲みながら屈託なく笑った。
そんなん笑い事じゃないだろうと、サンジの方が苛々とする。
先ほどのヤソップも、会えば戦うのに一緒に酒を飲むとか訳のわからないことを言っていた。
顔見知りなら友達になればいいのに、なんだってお互い傷付け合うような乱暴なことをしたがるのだろう。
「・・・海賊とか剣士とか、よくわかんねえや」
チョッパーも同じ気持ちだったらしく、二人で顔を見合わせて首を竦めて見せた。



         *  *  *



翌朝、ウソップはゾロ達と共にバンキーナの墓を訪れた。
ウソップにとっては思いがけない、本当の母親の墓だ。
ヤソップに見せてもらった写真には、なるほどよくウソップによく似た長い鼻の、けれどとても朗らかで美しい女性が写っている。
「お母様、でらっしゃるのね」
白い花を両手一杯に抱えたカヤが、その墓の前に跪き長い間祈ってくれた。

「この墓には、定期的に花が供えられていたって村の人が言ってたぜ」
サンジの言葉に、ウソップは勿論メリーも首を傾げる。
「もしかしたら、ウソップさんのもう一人のお母様じゃないかしら」
カヤの言葉に、全員がはっとした。
「その方は、ウソップさんのことをご存知でらしたんでしょう。子どもが入れ替わったと言うことは、このお墓にはその方のケンタウロスのお子さんも眠ってるんですよ。だから・・・」
「そうか、そう言うことか」
ウソップは改めて墓の前にしゃがみ、白い石が置かれただけの粗末な墓を見つめる。
「森で眠る母さんも、ここに眠るもう一人の俺も。そしてバンキーナ母さんも、みんなみんな俺の大切な家族だ」
「そうだな」
ヤソップが、そんなウソップの肩をそっと抱いて、同じように祈りを捧げた。
「ありがとうバンキーナ。そして、ウソップをここまで強く、大きく育ててくれてありがとう」
改めて、森にあるケンタウロスの墓にも一緒に行こうと約束する。

「あんたはこれから、どうすんだい?」
ゾロの腹巻の中から問い掛けるサンジに、ヤソップは目を細めた。
「海賊稼業からも足を洗ったし、気楽な無職だ。もし許されるなら、ここで畑を耕して生きて行きたい」
「ぜひ、そうしてください。私からもお願いします」
ね、とウソップと顔を見合わせ、カヤが誘う。
「ウソップはこれから屋敷で暮らすんだろう、メリーさんの厳しい指導の下」
チョッパーがエッエと含み笑いをした。
人間に戻れたとは言え、人の暮らしに不慣れなウソップは、これから屋敷に住み込みで執事の指導を受ける。
ゆくゆくは領主としての教育もなされるのだろう。
窮屈な話だが、カヤのためを思えば耐えられないことはない。

「私はチョッパーさんのところに弟子入りしますわ。週に何日か、通いでお手伝いに参ります」
「タマネギやニンジン達とも連絡が付いた。夏が終わればいつものように森に帰って来るって」
ウソップが人間とケンタウロスとの架け橋になることで、ケンタウロスがまた村人とも交流を持てるようになればとも思ったが、ケンタウロスの方から断られた。
人間と獣とはやはり根本が違う。
ウソップがケイロンとして生きられなかったように、お互い理解はし合えても共存することは難しい。
だから村と森とで棲み分ける、今のままでいようと話し合った。

偏屈なドワーフはあれから姿を現していないが、サンジがウソップに預けたブルーミルのタルトは受け取って貰えたらしい。
これまで通り、村人達が気安く森に立ち入ることもないだろうし、彼らにはまた平穏な暮らしが戻ってくるだろう。
すべてが丸く収まって、ゾロとサンジは安心して再び旅に出ることに決めた。


 
     *  *  *



「もっとゆっくりしていけたらいいのに」
「また、旅が終わったら遊びに来るよ」
名残惜しげに見送るチョッパーに手を振り、サンジはトトトとゾロの腕を伝ってカヤの目の前に立った。
「カヤちゃんも、どうぞお幸せに」
差し出された手の甲に恭しくキスを落とし、傍らに立つウソップを振り返る。
「カヤちゃんを泣かしたら、俺が地の果てからでも戻って来て蹴り飛ばすからな」
「おう、任せとけ」
ウソップは長い鼻をツンと上向かせ、胸を叩く。
「お前らも、気を付けて旅を続けろよ」
「手紙書くからな」

ゾロの腹巻の中には、手先の器用なドワーフが作ってくれた新しいキッチンツールがごっそりと入っていた。
またこれで、たくさん料理を作って旅していけるだろう。
「それじゃあ、みんな元気で」
「気をつけて、いってらっしゃい」
「またなー」
「またな!」
二人の姿が見えなくなるまで、いつまでもいつまでも手を振ってくれた。



「あー行っちゃったなあ」
「寂しくなるな」
「でも、これから忙しいですよ。森の診療所をもう少し広くしないと」
「ヤソップさんが薬草栽培、手伝ってくれるんだよな」
「ウソップ様には、お勉強の時間を設けさせていただきます」
「勘弁してくれよメリー」
途中、メリーとヤソップとは別れて3人で診療所へと向かう。

晴れ渡る空の下、意気揚々と旅立っていた二人の面影を追うように、ウソップはもう一度振り返った。
「結局、サンジは自分の名前をゾロに告げずじまいだったな」
「名前は、とても大切なものですのに」
ウソップだって、父親が現われなければ自分の名前を知らないままだった。
名前を呼ばれなければ、こうして人間に戻ることも、元は人間であったことも知らずに生きて行っただろう。
「名前も素性も詳しく知らないで、一緒に旅をするってあるんだなあ」
「しかもあんなに仲睦まじく。ゾロさんはあまりお話しにならない方でしたけど、その分をサンジさんがちゃんと補ってらした」
「ゾロはゾロで、サンジのことものすごく大事にしてたよな。無口で無表情でも、見ててよくわかった」
「そりゃあそうだろ」
チョッパーは訳知り顔で頷いた。
「俺にとってサンジが初めての人間の友達だったみたいに、ゾロにとってもきっとサンジは特別だ」
「え?」
「どういうことですの?」
聞き返す二人を思わせぶりに見やってから、チョッパーは診療所の扉を開けた。

「ドワーフは気付いてたみたいだけど、実はね、ゾロはね―――・・・」
賑やかに話しながら、パタンと扉を閉める。
穏やかな午後の森には、小鳥たちの賑やかな囀りだけが響いていた。






「あーいい村だったなあ、カヤちゃんは綺麗だったし。ウソップもチョッパーもいい奴だし、ウソップはちゃんと人間に戻れたし父親にも会えたし、悪い奴はやっつけられたし新しいキッチンツールごっそりもらえたし・・・」
な、と腹巻の中から同意を求めれば、ゾロは声に出さずともふっと笑顔を浮かべて頷き返した。
「ああ、でもなあそれにしてもな」
少し気がかりそうな表情で、ゾロの顔をチラチラと見上げる。
「クラハドールは山猫憑きだって、言ったろ?」
「ああ」
「んで、お前に大傷付けたミホークってのは、鷹が憑いてる」
「ああ」
コホンと、サンジは小さく咳払いした。

「もしかして、お前もなんか、憑いてるのか?」
恐る恐ると言った風に尋ねるサンジに、ゾロはあっさり首を振った。
「いいや」
「お前には、全然?」
「ああ」
「なんか憑けた方が、強くなるんじゃねえのか」
「そうだな、でも俺には必要ない」
「・・・そうか」
なんとなくほっとして、腹巻の中で何度か頷く。
「お前は、お前のままで強くなるんだな」
「ああ」
うし、と一人で小さく呟いた。
「なら、俺がお前の身体を作ってやるよ。もっともっと強くなれるよう」
「頼んだぜ」
ゾロは愛しげにサンジを見つめた後、前を向いて歩き出した。
「そっちじゃねえ、戻ってどうする!」
お決まりの軌道修正を加えながら、ゾロとサンジは海を目指して再び歩き始めた。



End


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