Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 16


いつもは闇に包まれている夜の森が、赤々と燃えるように明るかった。
武装した兵士達が松明を手に闊歩する姿を、森の住人達は陰に潜みながら怯えた目で見守っている。
いつもは荒々しく賑わうケンタウロスの村は、兵士に囲まれても暗く静かなままだった。
「誰だ、あんたらは」
一人残っていたそげキングが、村の入り口に仁王立ちして出迎えた。
「ケンタウロスだ」
「初めて見た」
ざわざわと囁き交わす兵士の背後から、一人の男が進み出る。

黒いコートを羽織り眼鏡を掛け、一見して都会的な優男に見える。
神経質そうな眼差しでそげキングを一瞥すると、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「この森にケンタウロスが棲むと人伝に聞いてはいましたが、まさか本当に実在するとは。驚きですね」
「人んちにノコノコやってきて、何言ってやがる」
小馬鹿にしたような態度にむっとして、そげキングは腕を組み直した。
「夜にこの森に入るたあたいした度胸だと思ったが、兵士をゾロゾロ引き連れて来るんなら納得だ。けど、生憎だがここには俺以外誰もいないぜ」
「そのようですね」
先に村の中に入っていた兵士が中から出て、首を振った。
「人っ子一人・・・いや、ケンタウロス一頭もいませんぜ」
おどけた物言いに、兵士達がゲラゲラと笑う。
「怖じ気付いて逃げたか」
「たまたま移動の時期だっただけだ、これから夏までこの森にケンタウロスは戻らねえよ」
「それじゃあ、君はなぜここにいるのかね」
眼鏡男に問われ、そげキングは首を竦めて見せた。
「留守番だ」
「森の番人という訳か」
男は掌で眼鏡を掛け直すと、夜の帳に覆われた森をぐるりと眺め回した。
草の陰に木の裏に枝の間に、息を詰めて見守る生き物達の視線を感じる。
それらを一蹴するように、余裕の笑みを浮かべた。
「それで、カヤはそのケダモノ達に連れて行かれたのかな?」
当然、カヤの名が出ることは予測していたがそげキングはぴくりと耳を震わせてしまった。
落ち着けと心の中で己を叱咤し、闇雲に振れそうになる尻尾を下げる。
「なんのことだ?」
「今さらしらばっくれなくてもいいよ。君がカヤを背に乗せて森に攫って行ったのは屋敷の者が見ているんだ。彼女の名誉のために騒ぎ立ててはいないけれどね」
そげキングはぎりっと奥歯を噛み締めた。
「よくも抜け抜けと!元はと言えばお前がカヤに毒花を贈りつけていたのが悪いんじゃないか、クラハドール!」
名指しで呼ばれても、クラハドールは眉一つ動かさない。
「心外だね、そんな言い掛かりを付けられるとは。一体どこに証拠があると言うのかな」
「・・・証拠は!」
「私が贈っていた花が毒花だと言う証拠は?誰か医者が診たのかい?それとも警察に届けて調べてもらったのかい?」
「―――」
診断したのはチョッパーで、あくまで推定でしかない。
けれど―――
「あの花から遠ざけたら、カヤの目は治ったぞ」
「ほう」
クラハドールは大袈裟に目を見開いて、驚いて見せた。
「なんと喜ばしい、我が婚約者の目が見えるようになったのか」
「白々しいことを言うな!すべてお前の仕業じゃないか」
「見えているのなら当然、彼女の意思でこの森に留まっていると、そういうことになるのかな」
再び、クラハドールはくいっと掌で眼鏡を上げた。

「乱暴で好色なケンタウロスの傍に自ら進んで滞在しているとは。我が婚約者ながら、なんというふしだらな・・・」
「なんだとおっ」
冷静であろうと努めていたそげキングは、辛抱できずに組んでいた腕を解いて拳を握り締めた。
「カヤを侮辱するのは、許さないぞ」
「貶めたのはどちらかね」
クラハドールは、あくまで冷たい微笑を湛えたまま続ける。
「清楚で無垢な屋敷の娘を、力づくで連れ去り留まらせたのは野蛮なケンタウロス族だろう。そこで情にほだされ戻らないと駄々を捏ねるなら、まるで蛮族に取り込まれ手懐けられた哀れな淫売だ」
「き、さまあぁ」
そげキングは背中の矢立てから咄嗟に矢を引き抜き、弓を構えた。
「やれやれ、これだから獣は困る。言葉で敵わないと知るとすぐに暴力か」
クラハドールの前に、兵士達がざっと進み出た。
「やはり、この森は一掃するのが望ましいな。古臭い種族など人間の傍に棲み付くことは害悪でしかない」
「勝手なことを言うな。それに、これには一族は関わってない。俺一人がやったことだ」
「ほお」
クラハドールは片手を挙げて、今にも攻撃しそうな兵士達を抑えた。
「君がカヤに横恋慕して愚行を働いたと、そういうことか」
「・・・色々違うがもうそういうことでいい。だからこの森も、ケンタウロスの一族も関係ねえ」
クラハドールは顎に手を当てて、わざとらしく頷いて見せた。
「それならば、ケンタウロス族と共にカヤも移動したという訳ではないのだな。それなら話は早い、こちらとしては、カヤを返して貰うだけでいいのだ。そうすればこれ以上ことを荒立てず穏便に済ませよう」
「それはできねえ。カヤをお前になんか渡せない」
「そうか、残念だ」
クラハドールは悩ましげに眉を寄せ、考える素振りをした。
「それでは仕方あるまい。ここで君には死んでもらい、森を焼き払いカヤを探し出して村へと連れ戻すことにしよう。だが、ケンタウロスに攫われ穢された哀れな娘だ。村人達は同情と哀れみを持ってこれからも彼女に優しく接してくれるだろうが、果たして彼女はそれで幸福だろうか」
「貴様・・・」
「ただし、君がここでカヤを渡してくれると言うなら話は別だ」
くいっと掌で眼鏡を直し、誘うようにその手をひらめかせる。
「君の首一つを土産にして村に戻る。カヤはずっと森で眠らされていたと言うことにして、勿論、彼女には誰も指一本触れていない。清らかな乙女のままだ。それでも村では様々な憶測や噂が飛び交うだろうから、私はそのまま彼女を街へと連れ帰り盛大に結婚式を挙げよう」
「ふざけるな!」
「どちらが、彼女にとって幸せかな?」
クラハドールの言葉に、矢を番えようとしたそげキングの動きが止まる。
「どちらにしろ、君は今夜ここで死ぬ。その後、残されたカヤの事を考えてみるといい。ケンタウロスに攫われた娘としてこの先一生世間の目から逃れてひっそりと生きるか、少しでも元の通りの生活が送れるように便宜を図るか。もし君が、本当に彼女のことを想っていてくれるなら・・・という話だが」
そげキングは、目まぐるしく考えた。
今夜ここで、自分の命が終わってしまうことは惜しくはない。
けれど、このままカヤを守れないことが辛い。
自分が死んだら、クラハドールは好きなように話を作って執事や村人達に吹聴するだろう。
カヤの名誉が汚され身を貶められるのは、我慢ならない。
かと言って、このままむざむざとクラハドールに渡してカヤの身が危うくなるのも避けたい。
無抵抗の娘に毒花を贈って、目が見えなくなるよう仕向けた奴なのだ。
この先も、なにが目的でどんな手段を使うのかわからないからとてもじゃないがカヤの身を委ねられなかった。
けれど他に選択肢はない。

「俺は―――」
「そげキングさん!」
静かな夜の森に、カヤの声が木霊した。



     *  *  *



「カヤ!」
ランプの明かりを掲げ、駆けてきたカヤはそげキングの手前で足を止め、息を整えた。
その瞳はまっすぐにそげキングを見つめている。
視線の迷いの無さに、そげキングもまた覚悟を決めて見つめ返した。
「カヤ、大丈夫かい?」
クラハドールが歩み寄るのに、カヤはランプで遮るように手を翳し後ずさった。
後ろから駆けてきたチョッパーが、小さな身体でカヤの前に進み出る。
「お前がクラハドールか!カヤの目を悪くした張本人だな」
「ほう、喋るタヌキとは珍しい」
「タヌキじゃない、トナカイだ!」
噛み付くチョッパーには構わず、クラハドールは掌で眼鏡を直す。
「目が、見えるようになったのかい。それはよかった」
「白々しい!」
怒鳴るチョッパーの肩にそっと手を置き、カヤは青褪めた顔のままクラハドールに視線を移す。
「はい、はっきりと見えます。貴方の姿も、そげキングさんの姿も」
「カヤ・・・」
そげキングの後ろ足がぶるりと震えた。
けれど、その場に踏み止まってゆっくりとカヤに歩み寄る。
「驚いた、だろう?」
「いいえ」
クラハドールに向ける冷たい目とは打って変わって、優しい瞳が笑んでみせる。
「私、ずっと前から知っていましたよ。そげキングさん」
「え・・・」
「だって、そげキングさんがいらっしゃる時はいつも、蹄の音がしていました」
柔らかな草の上を選んで足音を消して歩んでいたつもりだったけれど、視覚が不自由になったカヤの、研ぎ澄まされた聴覚は誤魔化し遂せなかったらしい。
「カヤ・・・」
感激に胸を詰まらせているそげキングの背後で、クラハドールはくくくと耳障りな笑い声を立てた。
「なんとまあ、呆れたものだ。では、相手がケンタウロスと知って親しくしていたと、そう言う訳かい?」
「そうです」
毅然と答えるカヤに、そげキングの方が勇気を得た。
カヤの前に立つチョッパーをも庇うように、クラハドールの間に割って入る。
「カヤの目はもう、見えるようになった。俺の存在も、彼女に何一つ傷を付けたりなんかしない。だからお前はもうこのまま立ち去れ」
「それはどうかな?」
クラハドールは不適に笑うと、背後を振り返り部下に指示を出した。
兵士の一人が、その場で照明弾を上げる。
夜空高くに飛び、中空でパアンと弾けた音と光が、一瞬まるで真昼のように森を照らした。
「なんの合図だ」
「カヤを見つけた合図だよ。すぐに村人達が来る」
一瞬たじろいだそげキングとチョッパーに、クラハドールは紳士的とも言える態度で掌を返した。
「さあ、森へ帰るなら今のうちだ。今なら見逃してあげよう、カヤを置いて暗い森へと戻るがいい」
「誰がだ」
「お前が帰れ、カヤは渡さないぞ」
そげキングはクラハドールをぎっと睨み付けながら、背後に回した手でカヤの手を取った。
ぎゅっと握れば、カヤの手も震えながら握り返してくれる。
「私は帰りません。貴方のいる場所へなど、帰りません」
カヤも、細い声ながらはっきりと言い切った。
クラハドールはやれやれと、大げさな素振りで顔を振る。
「仕方が無い。すっかりケンタウロスに骨抜きにされてしまったのだね。深窓の令嬢は無垢で世間知らずだ。好色なケンタウロスには、赤子の手を捻るようなものだったか」
「カヤを侮辱するな!」
言い合っている内に、丘の下から多くの松明が連れ立って集まってきた。

闇夜を分け入るように駆け寄ってきた村人達は、そげキングの背後にいるカヤを見つけ叫んだ。
「カヤお嬢さん!ご無事でっ」
「この馬野郎、お嬢さんを離せ!」
猟師が銃を構えるのに、カヤはそげキングの肩に縋って叫んだ。
「違うんです!この人達は私を助けてくれました」
「この人達?ああカヤ、なんということだ。すっかり森の魔物に憑り付かれてしまった・・・」
クラハドールは大袈裟に嘆いてみせると、村人達を振り返り声高に訴える。
「やはり、私が言った通りだったでしょう。野蛮なケンタウロスを追い出すだけでは事足りない、この森は焼き払うべきです」
「はっ?!」
「ええっ?!」
そげキングもカヤも、チョッパーも目を見開いて叫んだ。
「な、ななななに言ってやがる?」
「なにを仰るの、クラハドールさん!」
「この森を焼くって?!」
俄かに森全体がざわめいた。
今まで息を凝らして成り行きを見守っていた、森に棲むモノ達がその気配を怒気と共に顕わにする。

暗闇にいくつもの目が光り、姿なき影が梢の間を飛び交った。
俄かに険悪な空気に包まれた森の中で、クラハドールだけが落ち着いた目で周囲を見渡している。
「闇に棲まう有象無象も、この森があるから存在するのですよ。なに、近くには山もちゃんとある、この森一つくらいすべて焼き尽くして、平地にしてしまうのが一番早い。さほど広くはないでしょう」
「そんなことさせるか!」
そげキングがカヤを背後に庇いながら、弓を構えた。
「おお恐ろしい、やはり野蛮な種族だ」
クラハドールは兵士達の間に身を潜ませるようにして下がり、村人達を携えるように立った。
「この兵士達に任せておけば、森の化け物達なぞ恐れるに足りません。それより我々は、この森を失くした後の話をしようではありませんか」
クラハドールが立ち居地を変えることで、自然と村人対森の住人の構図が出来上がってしまった。


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