Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 15


遠目にも煌々と明かりが点いている屋敷に、ゾロは臆することなくまっすぐに向かった。
サンジは腹巻の中から上半身だけ出して、不安げにその顔を見上げる。
「けど、大丈夫かな」
「なにがだ」
「だって、カヤちゃん連れ出したのお前じゃねえか。執事にも使用人達にも顔、覚えられてるだろうし」
浚った本人がのこのこと現れて、預かった手紙を渡そうと言うのだ。
むしろ飛んで火にいる誘拐犯と言うところか。

「別にカヤが連れ去られたって話には、なってねえだろ」
「それは、表向きは・・・だろ」
「なら俺も、表向きは捕まらねえんじゃねえか」
「んな訳ねえだろう」
腕に覚えがあるせいか、もしくは何事も深く考えない性質のせいか。
ゾロは何に関わっていても、どこか他人事のように飄々として見える。
トラブルに巻き込まれたらとか、不利な状況になったらとか、そう言う心配には至らないらしい。

―――根無し草の、剣士だからかな。
サンジだったら、自分自身はもとより関わった人に迷惑が及ぶのは嫌だし、もしなにか面倒なことに巻き込まれて国の家族に心配を掛けることになっても嫌だ。
そう言う色んなしがらみとか周囲に与えてしまう影響とかを考えてしまうと、そうおいそれと軽はずみな行動はできなくなる。
けれどゾロは、その何物にも捉われていないように見えた。
強いて言うならば、サンジの存在だけがその行動に規制を掛けているような・・・
「・・・んなこと、ねえか」
「なんか言ったか?」
ボソボソとサンジに声を掛けているうちに、屋敷の正門前にまで来た。

ちょうど車を誘導していたらしい使用人がゾロに気付き、はっとして慌てて屋敷の中に舞い戻った。
「あれ、見付かったかも」
「用事があって来てんだから、そんなもんだろ」
再び舞い戻った使用人の手には猟銃が握られていたが、それを制するように執事が姿を現した。
気色ばむ使用人に何事か囁き、執事一人が門から出る。
「何をしに、いらっしゃいましたか」
「手紙を預かって来た」
誰からとは言わなかったが、執事は察したようだ。
「どうぞ、こちらへ」

誘われ、足早に潜ったのは裏門だった。
屋敷には入らず、庭師の小屋へと通される。
「このような場所で、失礼いたします」
「姿を見られたくはないのだろう。大丈夫だ」
ゾロは窓辺に背を着けるようにして、カーテンの端を身体で押さえた。
「さっきの使用人以外、誰も俺達の姿は見ていない」
何故わかると言いたいところだが、ゾロ自身が気配を消していたのと視線を感じることもなかったからだろうとサンジは判断した。
「俺達、ですか?」
執事は別のことに引っ掛かったようだ。
ゾロは無言で、己の腹巻の上部分を引き下げた。

「・・・あ」
「―――・・・」
執事が、その羊によく似たユーモラスな顔を目一杯驚愕させて突っ立っている。
目が合ってしまったサンジは、仕方なくへらりと笑った。
「初めまして、俺はコック」
「はあ、初めまして」
「この間は腹巻の中から失礼。そしてこっちがゾロ、二人で旅をしているんだ」
「それが、お嬢様とどういう・・・」
小さい人間が喋ると言う異常事態にも、平静なまま素早く慣れたらしい。
さすがカヤの執事と言ったところか。

「俺達は森の医者、チョッパーんとこに泊まってたんだ。その縁でそげキングとも知り合った。んでそげキングから・・・あ、これはあのケンタ・・・」
「そこは、仰らなくて結構です」
途端、厳しい顔付きになる。
多くは語らずとも、執事がケンタウロスであるそげキングを毛嫌いしていることは伝わってきた。
「ともかく、今はカヤちゃんはチョッパーの病院にいる。元気で、目も随分とよくなった」
「そうですか」
「驚かないんだな」
ゾロにそう聞かれ、執事は目をショボつかせて頷く。
「お嬢様の目の原因が花束にあるのではと、私も薄々勘付いておりました」
「それなら、なんで花なんか部屋に飾ったんだよ」
憤るサンジの頭を、ゾロの指がそっと撫でる。
「内通者がいるのだろう」
え?と振り仰いだサンジの向こうで、執事は再び頷いた。

「使用人に数人、クラハドールの息が掛かったものがおります。それ故に、私もおいそれとは動けませんでした」
「でも、だからってこのまま見過ごしていい訳ねえだろうが」
サンジはつい、詰るような口調で叫んだ。
事実、それでカヤの目は悪くなったのだ。
「私も、あの花の効力は一過性であることを調べて知っておりました。お嬢様のお目が不自由になっても、それでクラハドールが大人しくしていてくれるならと・・・」
「クラハドールってのは何者だ」
ゾロの問いには、黙って首を振るのみだ。
「そんな、相手の顔色窺ってばかりじゃラチが明かねえだろうが。事実、カヤちゃんの目はもう随分よくなったんだ。その、クラハドールって奴がなんか文句あるってんなら攫ったこっちに文句言えばいいだろ」
「お嬢様が攫われたなど、知られる訳にはまいりません」
「ケンタウロスじゃねえ、そげキングだ」
サンジは強く、言い放った。
「陽気で優しく、真面目で器用なそげキングって男だ。ケンタウロスだからとか、そんなんじゃねえ」
「・・・わかっております!」
サンジに触発されたのか、執事もらしくなく語気を強めて言い返した。
「あの青年が、優しく穏やかな性格であることは見ているだけで私もよくわかっております。しかし、しかし彼はケンタウロスだ。昔この村で騒ぎを起こし、忌み嫌われ遠ざけられた者の眷属です。いかにお嬢様が分け隔てなく優しい方とは言え、到底許されることではありません」
「そげキングはケンタウロスじゃない!」
思わず言い返し、サンジははっと手で口を押さえた。
執事が、目を見開いてその小さな顔を凝視している。
「ケンタウロスでは・・・ない?」
しまったと言った顔でゾロを振り仰げば、ゾロはいつものように平然と答えた。
「あれは取替えっ子だ。元は村で生まれた人間だ」
「なんと!」
驚きに口を開きっぱなしの執事に、サンジはたどたどしく説明した。



     *  *  *



サンジの説明を聞いて、執事は考える仕種をした。
それも一瞬のことで、すぐに毅然と顔を上げる。
「わかりました。希望はある、と言うことですね」
「あくまで可能性の話だけだ。名前がわかんなきゃ、そげキングが戻れるって保証はねえし」
「人間に戻れたとしても、今までケンタウロスとして生きてきた経緯がある。お互い、そう簡単に馴染めるもんでもねえだろ」
ゾロの言葉に、サンジはへにょんと眉を下げた。
もしそげキングが人間に戻れたなら、それで万事丸く収まると思っていたのに、いきなり現実を突きつけられた気分だ。

「それでも、打開策にはなります」
執事はそう言うと、さっと身を引いて小屋の扉に手を掛けた。
「クラハドールは今夜にはこちらに着くと言っておりましたが、まだ到着しておりません。もしかしたらまっすぐ森に向かったのかも」
「森に?一人でか?」
ケンタウロスを森に追いやったのなら、村人でも森に馴染みはないはずだ。
そんなところにいくら胡散臭い男と言えども、一人でのこのこと出かけるだろうか。
「クラハドールの正体は、盗賊です」
「へ?」
思わぬ展開に、ゾロもサンジも絶句する。
「表向きは青年実業家ですが、“百計のクロ”と呼ばれる大盗賊の頭です。私が、独自で調べました」
サンジはつい、気色ばんで叫んだ。
「そんな奴だと知っているなら、なんでむざむざ・・・」
「そんな奴だからこそ、ですよ」
サンジの声に被せるように、執事も語気を荒げる。
「周到な計画を立て何年も掛けて遂行させる、執念深い悪党です。彼に魅入られたら誰しも助からないと言われている。私は、最悪お嬢様の財産をすべて没収されてでも、命だけは助けられたらと・・・」
そう言って、苦渋に満ちた表情で俯いた。
執事も、主に忠実であるが故に悩みぬいた末の決断だったのだろう。
「それなら、村人か警察に言えば・・・」
「クラハドールは、すでにその地位を磐石なものにしています。街では慈善家で通り、村での信頼も厚い。とても、私一人が進言してどうこうできる立場ではない」
だからこそ、“百計のクロ”なのだ。
サンジはぎりっと唇を噛み締め、小さな拳を握った。

「けれど、カヤちゃんに害をなそうとしてるのは事実だろう。だったら俺たちは、それを止めるだけだ」
そう叫んで、ゾロを振り仰ぐ。
「ゾロ、戻ろう森へ。カヤちゃんが心配だ」
「わかった」
行きかけた足を止め、カヤから預かった手紙を渡す。
「これはカヤからあんたへの手紙だ」
「・・・ありがとう、ございます」
「それじゃ」
踵を返してさっさと立ち去るゾロの、腹巻の中に納まったサンジの姿はもう見えない。
それでも力強い声の響きがいつまでも耳に残って、執事は元気付けられた気分になった。

今まで、カヤの身を案じながらも執事と言う立場に縛られ思うようには動けなかった。
屋敷で働く使用人の中にクラハドールの手のものがいることには気付いても、それが誰か、どれほどいるのかもわからず。
長年の付き合いだった村人にさえ疑惑の目を向けるほど、追い詰められていた。
けれど、そげキングとあの二人は違う。
きっと損得抜きに、カヤの力となってくれるだろう。
根拠はないがそう確信して、肩の力が抜けた。

早く持ち場に戻らなければ怪しまれると思いつつも、カヤからの手紙が気になってそっと封を開ける。
腹巻の中に入れられていたせいか封筒は少しよれていたが、分厚さで中身は保たれていた。

森での近況が綴られた便箋と共に、未開封の封筒がもう1通入っている。
便箋に書かれた文字を見て、メリーははって瞠目した。
封筒は、カヤの遺書だ。
もしも自分に何かあった場合の、屋敷や財産の処分方法、使用人達の身の振り方などが記してあると、便箋には書かれている。
迷いのない筆跡と淀みのない文章。
森の中の小さな病院で、一人でこれを書いていたのかと思うと、こみ上げてくるものが押さえきれず執事は思わず口に手を当てて嗚咽を噛み殺した。

「カヤ・・・お嬢様―――」
なんとしても、この命に代えても。
お嬢様をお守りしなければ。


next