Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 13


長い冬がようやく明ける頃、ケンタウロスの女が赤子を産み落とした。
じゃが、死産じゃった。
秋に死んだ、愛した男の忘れ形見であったから、女は悲しみのあまり自分まで死にそうになっておった。
丁度その頃、人間の村は雪解けが遅れまだ寒さに閉ざされたままで、村外れの家では病に倒れた母親が今まさに息を引き取ろうとしていた。
その腕の中には、生まれたばかりの赤子が何も知らずに眠っている。
父親は旅に出たまま行方知れず、このまま母親が死ねば誰も訪れることのない家の中で、この赤子もまたひっそりと死ぬだろう。
わしは両方の親子を見、人間の母親が死ぬと同時に“取り替え”を行った。
嘆き悲しむケンタウロスの母の手の中に、ケンタウロスの姿をした人間の赤子を。
息を引き取った人間の母親の傍らには、人間の姿をしたケンタウロスの赤子の死体を。
そうして、一方は歓喜に包まれ、もう片方は死の静寂に包まれた。

ケンタウロスの母は、無論わしの仕業とわかっていてそれでも新しく来た赤子を溺愛した。
「ケイロン」と名付け、失くしたわが子と同じように可愛がり慈しみ、大切に育てた。
その母もケイロンがまだ子どもの頃に病気で死んでしまったが、死ぬ間際にまで息子を気に掛け多くの友人達にその行く末を頼んでいた。
そのお陰で、母親を亡くしてからもケイロンは多くの愛情に包まれ、伸び伸びと大らかに育っていった。

     * * *

ドワーフの昔語りを聞き、サンジはうんと大きく頷いた。
その話は、そげキングが自ら語っていたのと同じものだ。
確かに母親からの多くの愛を受け、亡くなってからはケンタウロスの仲間達の手で大切に育てられたと言っていた。
だから、例えそげキングが本当は人間だとしても、彼の中でケンタウロス族への愛着は消えたりしないだろうとも思う。
「人間に、戻れないのか?」
そげキングが望むなら、このままケンタウロスとして生きていくのに、なんの支障もないだろう。
仲間達もいる。
家族同然で慈しんでくれた人達がいる。
そげキング自体、自分をケンタウロスだと信じて生きてきたなら、今さら実は人間でしたと言われても戸惑うばかりかもしれない。
けれど―――
「カヤちゃんは、人間なんだ」
サンジの切ない呟きに、ドワーフもまた沈痛な面持ちで頷き返した。

「取り替え子をした場合、多くは幼い内に双方の正体がばれて元に戻る。お互いの親が健在であれば特にな。人間にしては特殊な力を持った子、特異な容貌を持った子、親の勘でなにかが違うと感じ取れる子。じゃが、ケイロンに関してはもはや産みの親はおらぬ。育ての母には子はおらぬ。このままがいいと、わし自身思ってしまった」
「元に、戻す方法はないのか?」
サンジはゾロの手の中から飛び降りて、ドワーフの目の前に歩み寄った。
小さな小さなサンジは、立ち上がっても小さなドワーフの膝の辺りまでしか届かない。
けれど必死で伸びをして、答えを乞う。
「なんとかして、そげキングを人間に戻してやることはできないのか」
「できるはずだ」
ゾロの声が頭上から降った。
「術を掛けたものが解けぬ術はない。できるはずだ、鍵さえあれば」
「そう、鍵さえのう」
そう言って、緩く首を振る。
「わしが掛けた鍵は“名前”じゃった。ケンタウロスの母に名付けられた“ケイロン”と言う名。それにあの子は馴染めず、母が死してのちは自分で“そげキング”と名乗った。じゃが本当は、あの子には人間としての真名がある。その名で呼んでやれば、術は解ける」
「名前を、呼ぶだけで?」
そんな簡単なことでと、サンジは目を丸くした。
「それだけで、そげキングは元に戻るのか」
「ああ、その名を呼んだ時点で術が解け、身体は人間に戻るだろう」
「それなら―――」
その名前を教えてくれれば。
「わしは、知らんのだ」
「へ?」
今度こそ、目をぱちくりとして固まってしまった。

「じいさんは、そげキングの本当の名前を知らないのか」
「ああ、知らぬ。ケンタウロスの母も無論知らんかったろう」
「そげキング自身は・・・」
「覚えておるはずがあるまい、赤子だったのだから」
「亡くなった、人間のお母さんは・・・」
「春になって、親子で死んでいるところを見つけられそのまま墓に葬られた。墓石に母の名前は刻まれているが、子どもの名前はない」
「そんな・・・」
それでは、なんと呼ばれていたのか誰も知らないのか。

「もしかしたら、最初から名付けられてなかったってことはないのか」
ゾロの言葉に、ドワーフは首を振った。
「それはない。もし人間として名付けられていなかったとしたら、ケンタウロスの母が“ケイロン”と名付けた時点でそれが真名となり、術が解けたはずじゃ。だがそうはならなかった」
「確かに、そげキングには人間としての名前があった、ってことだな」
サンジは顎に手を当てて、う〜んと唸る。
「でもそれだったら、やっぱり村で聞き込んだ方がいいんじゃないかな。昔のことでも覚えている年寄りがいるかもしれないし」
「そうじゃな、その手はある」
だったらなんで早くそうしなかったのかと、言い掛けて止める。

そもそも、そげキングは自分が人間であったことを知らない。
なにもかも知っているドワーフは、そげキングがケンタウロスのままで生きていく方がいいと思っていた。
それに、もし村人に昔のことを聞き出せばいいと気付いところで、村の人間に話し掛けたりなんかできない。
ドワーフもまた、異形のものなのだ。

「よしわかった」
サンジが明るい声を出した。
「今夜、様子見ついでにそれとなく昔の話も聞いてくるよ、ゾロが」
「俺かよ」
突っ込みつつ、ゾロは苦笑するのみだ。
大方サンジがこういう動きをするだろうと、察していたのだろう。
「心配ない、俺も付いていくから」
「結果的にまたややこしい話になりそうな予感がする」
「んなことねえって、俺に任せとけって」
腹がしゃべる男伝説、再びか。
無意識に腹巻を撫でているゾロを放っておいて、サンジはドワーフにニイッと笑い掛けた。
「色々教えてくれてありがとう。全部片付いたら、お礼にこの実を使ったタルトを届けるよ」
「おお、そうか」
急にドワーフの表情がぱあっと明るくなった。
が、すぐに眉間に皺を寄せ、むむむと赤い顔をしてしかめっ面になる。
どうやら、かなり無理して仏頂面を装っているらしい。
「じゃあなじいさん、またな」
「ふん」
そっぽを向いて、でも立ち去らないドワーフの背中に大きく手を振って、サンジはゾロに連れられて診療所へと戻っていった。



     *  *  *  



ゾロと二人、山盛りの収穫物を手にして帰れば病院の戸口にそげキングが立っていた。
中には入らず、そっと様子を伺っているらしい。
それを察して、サンジも小声で声を掛けた。
「そげキング」
「あ、おかえり」
はっとして振り返り、今の声がカヤに聞こえなかったかと首を伸ばして窓から覗いている。
サンジも同じように覗けば、カヤはチョッパーと肩を並べて夕食の支度の真っ最中だ。
「中に、入らないのか」
「ああ、今日は止めておくよ」
もう、カヤは人影が認識できるほどに視力が回復してきているのだ。
そげキングのシルエットは、どうみても人間のそれではない。
そのことを気にしているのだろう。
いつまでも隠し果せることでもないのに、そげキングの気持ちもわかってサンジは遣る瀬無い気分になった。
いっそ、さきほどドワーフから聞いた話を伝えてしまいたくなる。
そげキングは、本当は人間なんだよ。
カヤちゃんと同じ人間なんだ、一緒に生きて行けるんだよ。
でも言えない。
元は人間とは言え、ちゃんと戻れる確証はない。
そうでなければ、ぬか喜びさせるだけ酷だろう。

「さっき、森でドワーフのじいさんに会ったんだ」
代わりに森であったことを伝えると、そげキングは目を輝かせた。
「え、そうなのか。すげえ偏屈なじいさんだろ」
「ああ、なんか天邪鬼だったけど根はいいじいさんだな。シュシュの実っての教えてもらった」
「へえ珍しい。ケンタウロスでもチョッパーでも滅多に口を利かないのに、ましてや人間になんて」
さすがコックだと褒められ、サンジは首を振った。
「でも、そげキングとは親しいじゃないか」
「それは俺が一方的に慕ってるだけだよ。母さんの友人で小さい頃から顔見知りだったし、俺もなんとなく好きだったし」
「ああ、俺もああいうじいさん好きだよ」
「そっか、わかってくれて嬉しいぜコック」
ところで、とサンジは話題を変えた。
「じいさんに聞いたんだけど、ケンタウロス族は早めに移動するんだって?」
ああ、とそげキングは殊更明るい表情で頷いた。
「毎年夏が来るまでに移動するんだけど、今年は少し早めるように言ったんだ」
「昨日たまねぎ達が来てたのも、その挨拶だったのか」
「まあな、あいつらにも色々心配掛けちまったけど、俺は大丈夫だし。まあ、一番の目的はカヤを見ることだったろうけど」
言って、ガシガシと頭を掻く。
「油断ならねえ奴らだからな、早く旅立ってくれねえとこっちも心配だ」
「はは、まさか」
冗談にならないところが、ケンタウロス族の怖いところだ。

「そのことも踏まえて、今夜ゾロと村に行ってみようと思う」
「・・・お屋敷の動向を見に行ってくれんのか?」
「俺たちになにができるかはわかんないけど、相手の出方を窺っておくにこしたことはないだろ。これは俺達にしかできないだろうし」
「すまねえ、恩に着るよ」
そげキングは礼をすると、そのまま森へと身体の向きを変えた。
「夕飯、食ってかないのか?」
「ああ。今夜は仲間達を見送る」
「そうだな、それじゃまた明日」
「ああ、また」
軽く手を上げ、そげキングはぽっくりぽっくり蹄を鳴らしながら宵闇に暮れる森へと消えていった。


その後ろ姿を眺め、サンジはぽつりと呟いた。
「そげキング、明日から一人なんだな」
「・・・」
仲間達は旅立ち、カヤの目が回復に向かういま、病院で一緒に食事をとることもなくなるのだろう。
そうして、カヤの前から姿を消すつもりだろうか。
それでも決して傍を離れず、カヤを守り通すつもりだろうか。

そげキングの気持ちを思うと胸が苦しくなって、サンジはゾロの腹巻を両手でぎゅっと握った。
そんなサンジを腹巻の上から抱くように掌を当てて、ゾロは扉を開ける。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「お帰り、遅かったね」
戻ってきたゾロを真っ直ぐに見つめ、笑うカヤの笑顔が眩しくて、サンジは腹巻の中でそっと目を伏せた。


    * * *


「村に?」
「ああ、ちょっと様子だけ見に行ってみようかなと思って」
サンジの提案にチョッパーは不安そうな表情を見せたが、すぐに力強く頷いた。
「そうしてもらえるとありがたいよ、カヤだってやっぱり心配だろう」
「はい、ゾロさん達が危険なことに巻き込まれるのは怖いのですが、私もとても気になっていたのです」
そう言って、失礼と断り食事の途中に立ち上がった。
「大丈夫?」
「大丈夫です、もうこの部屋の中の構造は頭に入っていますし、かなり見えてきているんです」
言葉通り、カヤの歩みはよどみなく寝室へと向かいすぐにとって返してきた。
「手紙を書いたんです」
「ああ」
執事宛への宛名書きされた封筒を、ゾロが受け取った。
「無理に会いに行っていただくことはありませんが、もし手渡しできる機会があれば」
「わかった、預かっておく」
「そうだね、手紙でちゃんと伝えられるといいね」
カヤからの預かりものも腹巻の中にちゃんと入れ、早めに食事を済ませるとゾロとサンジは村に向かって出かけていった。


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