Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 11


風を切る音に身を竦めながら、カヤはしっかりとそげキングの胴に腕を回してしがみ付いていた。
草の青臭い匂いが鼻を掠める。
大きく高く、けれど軽やかに身体が跳ね、まるで空を駆けているようだ。
こんな大変な時なのに悲鳴と一緒に笑い声が立ち、カヤは怖いのだけれど恐れることなく、そげキングの行くままに身を任せていた。

いつの間にか喧騒が消え、樹の枝々が擦れる音と鳥達の鳴き声が高く低く木霊するのが聞こえた。
心地よい蹄の音と、人が草を踏みしだく音。
揺れが止まり、頬を撫でるそよ風が柔らかい。
「着いたよ」とそげキングの声がして、腰に回った腕はそげキングのものとは違う感触だった。
カヤの身体を軽々と持ち上げ、静かに地面に下ろす。
これは、もう一人いた「ゾロ」と言う人なのかもしれない。
「ありがとうございます」
礼を言うと、気配が入れ替わった。
「ここはチョッパーの診療所だ。一緒に中に入ろう」
カヤの腕をそっと取ったのは、そげキングの腕だろう。
安心して、その手を握り返した。

「いらっしゃい、はじめまして」
足元で声がして、トテトテと軽い足音が近付いてきた。
「チョッパーだ、森の名医だよ」
そげキングの声に促され、カヤはそのまま身を屈める。
「はじめまして、カヤです。お世話になります」
「よかった、無事抜け出せたんだね」
チョッパーの安堵の様子に思わず苦笑した。
“無事”とは言いがたい。
「まあ、無事と言うかなんと言うか・・・」
サンジの声が聞こえる。
「とにかく入って、中でゆっくり話そう」
そげキングの腕に手を掛け、チョッパーに引かれて前へと進む。
サンジはカヤを安心させるために、あれこれと話しかけてくれた。

不意に、むっとする蒸気と共にハーブの匂いが流れ込んできた。
「新陳代謝を活発にさせるハーブを焚いてるんだ、ちょっと濡れるかもしれないけど」
「大丈夫です、いい匂いですね」
「特徴のある匂いだから、苦手だったらどうしようと思ってたんだ」
「俺も、この匂いは割と好きだぞ」
「俺も平気」
椅子を勧められ、腰を下ろす。
「突然のことでビックリしただろう?」
「はい」
「でも、やっぱり急いだ方がいいと思ったんだ。それに、カヤにはしばらくここに留まっていてもらう」
「はい」
あんまり素直に頷いたから、サンジの方が驚いたようだ。
「大丈夫なのカヤちゃん、その、言わば俺達は無理やり拉致したようなものなんだけど」
「でも、私のためを思ってしてくださったんですよね」
「それはそうだけど」
「ただ、家の者達は心配すると思います。と言うか・・・」
「すでに大騒ぎになってる、よな」
「そうでしょうね」
うーんと声もなく唸る気配がした。
多分全員、腕を組んで首を傾げている。
「心配ないよっつったて心配だろうし」
「怪しくないっつったって、もう充分怪しいよな」
「そげキングがのこのこ説明しに行くわけにもいかないし」
「コックが言ってもびっくりされるだろうし」
「チョッパーも、イヤだよなあ」
「話を聞いてくれるかどうかさえ、怪しいよ」
う〜んと唸る面々の中で、ずっと静かだった気配が動いた。
「俺が話しに行こうか」
「「「いらない」」」
なぜか、3人同時にばっさりと拒否された。
「お前が動くとろくなことにならないと、ようくわかった」
「気持ちは嬉しいけど、遠慮しとくよ」
「そうだね、それが無難だね」
酷い言われようである。
カヤは気の毒だな、と思ったけれど自分が口を挟むべきことでもないと思い話を変える。
「私自身はこちらに置いていただくのはとてもありがたいのですが、それで皆さんにご迷惑が掛かってはいけないと思います。私が一旦戻って、執事と話をするというのはどうでしょうか」
「それじゃあ元も子もないよ。とにかく、カヤは一刻も早くあの家から連れ出す必要があったんだ」
「うん、どうあっても絶対にカヤをあの屋敷には戻さないぞ。その目が見えるようになるまで」
「えっ」
ここに来て初めて、カヤは驚いて目を見張った。
「私の、目が?」
「ああ」
テーブルに置いていた手の甲を、そげキングの掌がそっと包み込んだ。
「見えるようになるんだカヤ、その目は。もう一度昔のように」
「本当に?」
「本当だとも、Drチョッパーの診立ては確かなんだから」
「・・・よせやい」
カヤは口元に手を当てて、目を潤ませた。
「・・・嬉しい」
「カヤ・・・」
「私、私目が治ったらもっともっと勉強したいんです。色んな本を読んで色んなものを見て、私、できたらお医者様になりたくて」
「そうか」
チョッパーが弾んだ声を上げる。
「カヤの夢は医者になることなのか」
「こんな私でも、夢を見ることができるでしょうか」
「夢を見るだけじゃない、叶えることだってできるさきっと」
「うん、カヤなら絶対大丈夫だ」
そげキングはカヤの手を取り、両手でぎゅっと握った。
「必ずその目は見えるようになる。そうしたらいっぱい勉強して、ここの診療所で実地を学んだりしてさ、立派なお医者さんになれよ」
「はい」
カヤは目尻からぽろりと涙を零し、笑顔で頷いた。


     *  *  *


乗りかかった船ならば最後までと、取り敢えずカヤの目が見えるようになるまでチョッパーのところに滞在することになった。
元々ゾロもサンジも急ぐ旅ではない。
ゾロに至っては目的を見失った上での放浪状態だったから、サンジの随行は都合がいいようだ。
カヤにとっては勝手のわからない診療所での暮らしとなったが、小さな家だったから室内の構造はすぐに覚えてしまった。
簡単な台所仕事ならばゾロよりも役に立つし、サンジの手伝いもしてくれる。
なによりチョッパーのいい助手となっていた。
カヤ自身、現役の医師であるチョッパーから学べることが楽しいらしく生き生きと働いている。
そんなカヤをそげキングはいつも励まし、見守っていた。

森の奥深く、動物しか来ない小さな診療所で穏やかな日々が過ぎていった。
「・・・つか、平穏無事過ぎねえ?」
いつもの3時のティータイムを用意しながら、サンジが日ごろから感じていた懸念を口にする。
「あん時、必死な顔して追いかけてた筈の執事に、全然動きがねえじゃんか」
「だよね、俺もそれが気になってた」
骨折した兎の後ろ足に添え木を巻き終えたチョッパーが、椅子をくるりと回して振り向いた。
「すぐにでも山狩りが行われるかと思ったんだけど」
「ここも突き止められるんじゃねえかと、心配してたんだけどな」
兎を森の家族に渡したカヤが、戻ってきてそっと扉を閉める。
「もしこちらに捜索の動きが来たとしたら、私もなんとしてでもメリーに無事を伝えようとしたんですが・・・」
当人であるカヤにとっては、複雑な気分だろう。
心配してすぐにでも駆けつけてくれるかと思いきや、すっかり放置状態だ。
それはそれで都合はいいのだけれど、ちょっぴり寂しくもある。
「執事のメリーってのは、もしかして婚約者と共謀して家を乗っ取るつもりだったとか、そういうことはない?」
サンジの言葉に、カヤはすぐさま首を振る。
「メリーに限ってそのようなことはありません。彼は、先々代からの忠実な執事ですし、私のこともまるで娘のように可愛がってくれています」
「だからこそ、黙ってんのかもしれねえぜ」
ゾロの言葉に、自然と視線が集中した。
「カヤを連れて出る時、確かに真剣に追い掛けて叫びもしていたが、あれは俺らにと言うより一緒にいた使用人達に聞かせるために叫んでいた気がする」
「え?」
「へ?」
チョッパーもカヤもサンジも、ぽかんと口を開け目を丸くする。
「どういうこった?」
「もしかしたら、あのメリーとかいう執事はカヤを連れ戻す気がねえかもしれねえってことだ」
「それは、カヤがこっちにいた方が安全だとわかってるってこと?」
チョッパーの言葉に、ゾロは気難しい顔をしたまま頷いた。
「昨夜村に下りて酒飲んで来たんだが、お屋敷のお嬢さんは静養に出掛けてるってえ話になってた」
「そうなのか?」
「つか、いつの間に」
そう言えば、ゾロは夜更けにふらりと出掛けていたっけか。
サンジはここのところずっとカヤやチョッパー達と一緒に寝ていたから、気にしてなかった。
「なんでも、最近見かけない男が村をウロついているとかで自警団が活発にパトロールをしてるそうだ。そこんとこにもってカヤが怪しげな男達に浚われたとあっちゃ大騒ぎだろうが、そういう時だからこそと安全な場所に避難させたと執事は言っているらしい」
「見かけない男って、ゾロじゃねえの」
「いや、俺らがここに来る前の話だ」
目深にフードを被りボロボロのマントを纏った、カタギではなさそうな男が何度か目撃されている。

「安全な場所で静養してるって、あながち間違いじゃねえなあ」
確かにそうなのだが、執事はどう思ってそう言っているのだろう。
「もしかしたらメリーは、わかっていてくれるのかもしれません」
カヤは両手を胸に当てて、微笑みながら言った。
「そげキングさんのこともきちんとお話したことはなかったのですが、彼が遊びに来てくれた日は私もとても身体の調子がよくて、メリーも薄々勘付いていたんだと思います。それに、クラハドールさんがいらっしゃる時は極力私と顔を合わせないように配慮してくれて、先立って理由をつけては部屋から出なくて済むようにしてくれてもいました」
「メリーはほんとにカヤちゃんの味方なんだね」
「もちろんです」
力強く頷くカヤに、じゃあとサンジは小さな手を顎に当てて首を巡らせる。
「そのメリーが追い掛ける演技をしなきゃならないような、欺かなきゃならない人間がお屋敷にいたってことじゃね?」
「表立ってカヤを探しに来ないのも、それをメリーが上手く言いくるめてるってこと?」
「メリー以外にも使用人の若い男が3人くらいいいたよね」
「その中の誰かが、クラハドールのスパイってこともあんじゃね」
チョッパーとサンジでああだこうだと言い合っていると、森の中から繁みを掻き分ける足音がした。
そげキングが、背後に数頭の仲間を連れてやってきている。

「ちょっと見るだけだからな」
「わかってるって、ウワオ本当に可愛い」
「しんじらんねー、やるなあそげキング」
「さすが、我らがケイロンだ」
サンジは窓の桟に手を掛けて、外を覗いてわあと声を上げた。
「すっげえ、初めて見た」
ケンタウロスだ!と叫びかけて、危うく声を飲み込む。
この場には、カヤもいたのだ。

そげキングは、どうやら仲間のケンタウロス達を診療所まで連れて来たらしい。
カヤが目当てなのか、窓辺に座る彼女の横顔を眺めて数頭のケンタウロスたちが蹄を鳴らしはしゃいでいた。
「さあ、もういいだろ。カヤに気付かれる」
「そげキングさん?」
常より耳がよく察しもいいカヤが、立ち上がり窓を開けた。
「いらっしゃってるんでしょ、お友達もご一緒ですか?」
「ああ、カヤ」
「初めまして、ケイ・・・そげキングの友人のたまねぎです」
「にんじんです」
「ピーマンです」
冗談みたいな名前に、カヤは噴き出しもせず笑顔で初めましてと応えた。
「目が不自由なので、こちらで失礼します。カヤです」
「いやあ、噂に違わぬ美しいお嬢さんだ」
「Drチョッパーの元にいれば、きっとその目もすぐに治りますよ。安心して任せてるといい」
「そげキングは、友達の俺らから見てもすごく優しくて気のいい奴ですよ。仲良くしてやってください」
「ありがとうございます」
背の高いケンタウロス達に囲まれて微笑むカヤは、傍から見るととても奇異な光景だった。
けれど、そこに危うさはない。
まるで御伽噺の一コマのようだとうっとり見つめるサンジに、ケンタウロス達が気付いた。
「やあ、君が小さい王子様か」
「これは驚いた。本当に小さくて綺麗なプリンスだ」
「初めまして」
指先を差し出され、サンジは軽く手を添え会釈した。
「ご一緒にお茶をいかがですか?」
「そうしたいのは山々ですが、隣でそげキングが睨んでるのでそろそろ失礼します」
「会えて嬉しかったですよ、お嬢さん」
「またお会いしましょう」
声だけ聞いていれば、とてもケンタウロスとは思えないような紳士的な態度で、3頭は静かに診療所から離れた。
足音を消して立ち去ったのは、そげキングへの配慮だろう。

それでも、カヤは彼らが去っていった方向をじっと見送っている。
「カヤ、わかるのか?」
足音がしないのに方向を間違えないカヤに、そげキングは不安げに尋ねる。
「ええ、最近輪郭ぐらいならぼんやりと見えるようになってきたんです」
「それはよかった」
「きっともうすぐ、見えるようになるよ」
無邪気に喜ぶチョッパーとサンジの傍で、そげキングは複雑な表情で佇んでいた。





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