Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 10



「ともかく、お引き取りを」
「何事ですか?」
裏口で押し問答しているのが聞こえたのか、屋敷の中から若い使用人達が顔を出した。
いずれも、背後に銃や棒を携えている。
「いや、なんでもないのだよ。道に迷ったお客様だ」
穏便に追い払おうと思っているのか、執事は落ち着き払った態度で振り返った。
と、不意にゾロが動いた。

執事に軽く手刀を当てる。
声もなくその場に崩れ落ちた身体に、使用人達がぎょっとして飛び出してきた。
銃を構える前にその手を払い、腹に拳を打ち込んだ。
続けて棒を構えた使用人も足払いし、当て身を食らわせる。
叫び声一つ残さず、物音すら立てずに大の男が3人地面に倒れ付した。
「ちょっ、ゾロ」
サンジは慌てて腹巻の中から出てきたが、後の祭りだ。
「どうすんだよこれ」
「しょうがねえだろ、こっちのが話が早い」
言うや否や、閉じられた窓の雨戸に手を掛ける。
べキッとかバキッとか、嫌な音を立てて雨戸が外れた。
「壊すなーっ」
サンジの叫び声に、ガラス窓の向こうの人影が動いた。
怯えたように両手を胸の前で組んで、カヤが定まらぬ視線のまま目を見開いている。
「どなたですか?」
「カヤちゃん、怪しいもんじゃないんだ」
もう充分怪しい。
ゾロが肘で硝子を割り、手を突っ込んで鍵を開けた。
もはや強盗だ。
窓が割れると、甘い匂いが外に流れ出してきた。
これが元凶かと、思わず息を止めてしまう。

「俺はコック、こっちはゾロ。そげキングの友達だ」
サンジは、破れかぶれで声を掛けた。
視覚が不自由なカヤにとって、何の情報も得られないまま乱暴な物音ばかりが立てば、さぞかし怖かろう。
「そげ、キングさんの?」
見返す表情は強張って硬い。
「そう、あの鼻の長い、陽気で人のいいそげキング」
「なら、そげキングさんを連れてきてください」
きっぱりと言い切ったカヤに、サンジははっと胸を突かれた。
胸の前で組まれた指は、細かく震えている。
いきなり得体の知れない人間が乱入してきて怖くてたまらないだろうに、気丈に振舞っているのだ。
そげキングの名を出せばホイホイ付いてくるような、そんな浅はかさもない。
頭のいい、しっかりした子だ。

「そうだね、わかった。そげキングを呼んでくるよ」
そう約束したサンジに、ゾロが「おい」と声を掛ける。
「いいのか」
「ああ、悪いけどひとっ走り行って、そげキング呼んで来てくれないか」
俺はその辺に下ろしておいてくれたらいいから。
そう言うと、カヤがふっと顔の角度を変えた。
サンジの声がする方に、視線を向ける。
「いま、どちらにいらっしゃいますの?」
「俺は窓の桟にいるよ。あ、硝子の破片が散らばってるから、こっちにはこないで」
「窓の、桟に?」
「腰掛けてる。あの、俺、ちっこいからさ」
カヤがおずおずと足を踏み出した。
「今、お一人ですのね」
「ああ、あいつそげキング呼びに行ったから」
気配が消えたのがわかったのだろうか。
そう思って、はっと気付いた。
「しまった、あいつに呼びに行かせたらどうなるか・・・」
「どうなるんですの?」
「迷うんだよ、とんでもねえ方向音痴なんだ」
あちゃーと頭を抱える。
「戻って来られねえかも」

カヤの表情が和らいだ。
そうっとたおやかな手が伸ばされる。
「そちらですか?」
「うん、あ、足はもう一歩くらいなら大丈夫だ。破片はそこまで飛んでないから」
「こう」
「うん」
カヤの指先が、サンジの目の前に差し出される。
それにそっと手を乗せた。

「―――あ」
かすかな感触を得たのだろう。
カヤが驚いたように、声を上げた。
「初めまして、カヤちゃん。俺の本当の名前はサンジ。オールブルー国の王子だよ」
サンジは膝を折って恭しく挨拶し、カヤの指に口付けた。

「ほんとに、お小さいのですね」
おずおずと差し出されたカヤの掌に、サンジはそっと乗った。
「レディの御手に乗るなんざ、紳士の風上にも置けねえが」
などと躊躇いつつも、カヤが触れやすいようにじっとして座る。
「そげキングさんが仰ってました、小さな王子様と逞しい従者さんが森のお医者さんの元にいらしたと」
「え、そげキング、俺が王子だって気付いてたのか?」
「なんとなく、そうではないかと」
にこっと笑い、サンジの髪を撫でる。
「そげキングさんは、勘の良い方ですわ」
「うん?でも本人は仲間内では勘が悪いって言ってたよ」
そこまで言って、サンジははっと口を塞いだ。
そげキングがケンタウロスであることは、知られていなかった。
カヤは気にした風でもなく、ゆっくりと首を傾げる。
「そうでしょうか、よく他の方のことを観察していて気の付く方だと思いますよ」
「ああまあ、それは俺もそう思う。知り合ってまだそんなに日は経ってないけど、すごく優しくて気遣いのできる男だなあって」
「そうですか」
まるで自分を褒められたように、カヤは嬉しそうに微笑んだ。
これは脈アリだと、サンジもなぜか自分のことのように嬉しくなってくる。

「あの、よかったらお茶でも」
カヤが掌にサンジを載せたまま振り向いたので、サンジはいやいやと声に出して制した。
「どうぞお構いなく、と言うかあんまりゆっくりしていられないし」
実際、ここまで暢気に会話を交わしてはいるが、表では執事と使用人2名が気絶したままだった。
間もなく目を覚ましてしまったら、さらに大事になる。
「畜生、それにしたってゾロはちゃんとそげキングを連れて来るんだろうなあ・・・と言うか、チョッパーんとこに帰り着いたんだろうなあ」
「ご心配ですね」
まるで他人事のようにおっとりと応じるカヤに、苦笑を漏らす。
「あ、ちなみにゾロには俺が王子であることも“サンジ”って名前があることも内緒だから」
「まあ、どうしてですか?」
「成り行きで、職業も名前も“コック”ってことにしちゃったんだよ」
「嘘はいけませんよ」
「嘘吐いたつもりはないんだけど」
カヤは少し眉を寄せて、生真面目な顔付きになった。
「ならば、ご自分で訂正された方がいいですね。わかりました、私も黙っています」
「・・・ありがと」
と礼を言うべきか否か。
迷っている間に、庭で気配がした。
はっとして振り返れば、窓の向こうで黒い服が動くのが見える。
「まずい、気が付いた」
「えっ」
カヤまで怯えた顔で振り返っている。
一体どちらが味方かわからない状態だ。
どうしようとオタつくサンジを抱いて、カヤは自分の胸に手を置いた。
「私からきちんと説明します」
「カヤちゃんが?」
いきなり当身で気絶させた闖入者を、どう説明すると―――

その時、森から蹄の音が響いてきた。
「カヤ!」
「そげキングさん」
サンジをそっと掌に包み込み、カヤが窓辺へと駆け寄る。
「ああ、カヤちゃんガラスの破片に気を付けて」
足元を注意しながら、サンジも顔を上げた。
「ゾロ!」
走ってきたそげキングの後ろに、ゾロの姿が見えた。
よかった、ちゃんと呼びに戻れたようだ。
「・・・お嬢様!」
背後から執事の呼ぶ声がする。
はっとして、それでもカヤは振り返らず窓辺に手を掛けた。

「カヤ、乗れっ」
「そげキングさん!」
「カヤお嬢様っ」
気が付いた使用人達が武器を携えて部屋の中に飛び込んでくる。
構わず、カヤはそげキングの声がする方に両手を差し出した。
その手を掴み、しっかりと抱きかかえてそげキングは自分の背中にカヤを乗せた。
「しっかり掴まってろ」
「はい!」
カヤはサンジを掴んだまま、そげキングの胴に腕を回し背中に顔を押し付けてしがみ付く。

「待て!カヤお嬢様を返せっ」
執事の呼び掛けにも止まることなく、そげキングはカヤを乗せて真っ直ぐに森を目指して駆け出した。
後を追っていたゾロが、そげキングと入れ替わるようにして屋敷に走り寄る。
追い掛ける使用人達を再び殴り倒し、さらに目撃した近所の村人達の悲鳴を浴びながら、屋敷の巨大なぶなの木を切り倒して道を塞いだ。

「カヤお嬢様ーっ!」
執事の悲痛な叫びを残し、カヤは森の中に消えた。





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