Bon appetit!
-トナカイとケンタウロスのおはなし- 1


うとうとと何度か転寝を繰り返し、ようやく目が覚めて腹巻から頭を覗かせた時には、もはやどこを歩いているのかわからなくなっていた。
「あーもー・・・」
ガシガシと乱暴に髪を掻き混ぜ唸るも、後の祭りだ。
いつの間にか鬱蒼と生い茂る森の中に迷い込んでいて、方向すらわからない。
「ゾロ、この森入ったのいつからだ?」
「んー昨夜、いや夕焼けが赤かった頃かなあ」
すでに今日も日暮れだ。
丸一日森の中にいることになる。
「お前歩き詰めだろ、ちと休もうぜ」
「ああ」
ゾロは、サンジに言われて初めて気付いたとでも言うように足を止め、ほっと息を吐いた。

「腹減っただろ?待ってろ、今なんか作ってやる」
腹巻の中から飛び出しかけるのを、大きな掌で遮る。
「俺の分はいらん、自分のだけ作れ」
「えー何言ってんだよ」
不満そうに見上げて、サンジも気付いた。
ゾロの口端からなにか細長いものが伸びては縮みし、ピルピル丸まりながら動いている。
「・・・」
サンジが目を見開いたまま固まっているのを見て、ゾロはああと身体を屈めた。
「これはシロメイモリってんだ。尻尾に栄養が溜まってっから、これ一本で一日分の飯になる」
やろうか?と口から出して差し出したから、サンジは瞳孔が開いた状態でプルプルと首を振った。
「そ・・・こまで食っちゃった、のか?その、頭からバリバリと」
「違う、尻尾だけ拝借した」
本体はこれくらいでな、と色やら形状やら説明しだしたゾロの話なんか聞いちゃいないで、ただ機械的にウンウン相槌を打つしかできない。
早く身体を治して飯を作ってやらないとと、決意を新たにしたサンジだった。



結局サンジは、ゾロがポケットに取っておいてくれたビスケットを齧って飢えを凌いだ。
もっと栄養の摂れるものを食べないと怪我が治らないと心配するゾロを宥め、もう夜も更けるから休むように進言する。
サンジがそう言わないと、ゾロは不眠不休で歩き続けるかもしれない。
まるっきりの馬鹿と言う訳じゃなさそうだが、加減というものを知らないし、どうも一般常識に欠けている気がする。
それでいてやけにモノに詳しいし、随分と腕が立つようだ。
サバイバルにも長けているようだが、ただ単に無頓着で逞しいだけなのかもしれない。

「おい」
「あ?」
不意にゾロが立ち上がり、樹々を掻き分けて太い枝の幹に足を掛け数歩登った。
「灯りが見える」
「え?!」
サンジも腹巻の中から伸び上がり、薄闇に包まれ始めた森の向こうを見上げた。
「ほんとだ、なんかあるな」
「行ってみるぞ」
「おう」
意気揚々と木を降りて、ゾロは綺麗に反対方向へと歩を進めた。
サンジは慌ててその腹を蹴り、自分の身体に響いてうううと蹲る。
「だ、大丈夫か」
お互いケホケホと咳き込みながら、腹を抱えなんとか軌道修正した。



近付いてみれば、小さな山小屋だった。
入り口までは飛び石を設えて、花や木が植えられ綺麗に整備されている。
住んでいる人の丁寧な暮らしぶりが目に見えるようだ。
「もう夜も更けたし、お邪魔しちまうか」
「そうだな」
森の中の一軒家だが、中から賑やかな話し声などは聞こえてこない。
もしかしたら年寄りの一人暮らしなのかもと遠慮するサンジを余所に、ゾロはどんどんと乱暴に扉を叩いた。
「たのもー」
「だからなんだよそれ」
小声で話ながら返答を待つも、誰も出て来ない。
けれど、家の中には人の気配がした。
もしかしたら、日が暮れてからの訪問者に警戒しているのかもしれない。
「もしや、うら若きレディの一人暮らしでは?」
サンジははっと思い当たると、声を張り上げて叫んだ。
「怪しい者ではありません!ただ一夜の宿を…」
そこまで言って、ガハゴホとむせる。
「おい、傷に障るだろ」
ゾロが慌てて腹を抱えると、小さな声が聞き返した。
「傷?怪我してるのか?」

予想に反して、子どものような少し高い小さな声だった。
ゾロは聞き逃さないように腰を屈め、扉の隙間に耳を近付ける。
「ああ、多分骨を痛めてる。少しの間でいいから休ませてもらえないだろうか」
「わかった」
いとけない子どもが一人で留守番をしているなら、それに乗じて押し入るような真似は気が引けるが、背に腹は代えられない。
カチャリと錠を外す音がして、まず最初に目に入ったのは大きなピンク色の帽子だった。
続いてアンバランスなほどに大きな角。
見上げるつぶらな瞳に、見かけない青い鼻が引くついている。
ゾロと視線が合うと、あからさまにビクッとして慌てて戸口に隠れた。
が、足だけは踏ん張るようにその場に立って、顔だけ隠している。
脛をプルプルさせながらそーっと覗き込む珍妙な獣を前に、ゾロは首を傾げた。
「見かけねえ狸だな」
「狸じゃねえ、トナカイだー」
こんな立派な角を持つ狸はいないが、見てくれがどうも狸っぽい。
新手の聖獣かとゾロは繁々と眺め、そうだと腹巻に手を入れた。
「怪我してんのは俺じゃねえ、こいつだ」
そう言って取り出したのは、小さなサンジだ。
狸もどきは目を丸くしてその手に見入り、サンジもゾロの指に掴まったままポカンと口を開けて狸もどきを見上げた。
「こ・・・」
「こ?」
コクンと唾を飲み込み、蹄が付いた手をそっと差し出す。
「こんばんは」
「・・・こんばんは」
光る蹄にそっと手を乗せ、サンジは呆気に取られたままぺこりと頭を下げた。

「とにかく、入って」
ゾロに怯えて後退りしつつも、扉も一緒に引っ張って道を開けてくれる。
遠慮なく中に入れば、こじんまりとした部屋の中には大きなベッドと医療器具があった。
「ここは、病院か?」
驚いて問えば、ビクつきながらも頷き首を振る。
「病院って程じゃねえけど、俺医者だから」
「そうか、すげえな」
ゾロの素直な感嘆の声に、狸もどきは途端に相好を崩した。
「いや〜別にすごくなんかねえぞコノヤロー」
ニヤけてクネクネ身もだえしつつ、白くて清潔なベッドをポンポンと叩いた。
「ともかく、患者をここに寝かせてやってくれ。ちょっと診てみる」
「頼む」
聴診器を耳に当て、狸もどきは思い出したように顔を上げた。
「俺はトニートニーチョッパー、よろしくな」
「よろしくチョッパー俺は・・・」
そこまで言って、けほっと噎せる。
「そいつはコック、俺はロロノア・ゾロだ」
代わりにゾロが名乗ってしまい、サンジは自分の名を明かすチャンスを逃してしまった。

「じゃあコック、ちょっと触れるよ」
固い蹄でどうするのかと思ったが、案外と器用な手つきで触診していく。
痛いのか、サンジは時折顔を顰めたが、それで大体わかったらしい。
「折れてはいないね、大丈夫。でもヒビが入ってるようだからちょっと固定しておこうか」
「わかるのか?」
「俺は、気で診るから」
ただ触れただけではなく、中までわかるらしい。
もしかしたら、相当な名医なのかもしれない。
「すごいな」
「ホメてもなんも出ねえぞう」
やっぱりクネクネしながら、サンジの上だけ脱がせて丁寧に包帯を巻いた。
「ギプスじゃないから気休め程度だけど、後は時間が経てば痛みも消えるから」
「ありがとう」
上半身をグルグル巻きにされて、サンジはなんだか困ったような、それでいて少しはしゃいだ仕種を見せた。
実は怪我をするのも始めてなのだ。
なにせ箱入りで育てられたから病気一つしたことがなく、医者にも健康診断くらいしか世話になったことがない。
「この服、かなりボロボロだね」
脱がせたブラウスはあちこち焼け焦げて裾は擦り切れている。
チョッパーが気の毒そうに見やるから、サンジは再びそれに袖を通すのが躊躇われた。
「新しい服なら、あるぞ」
そう言ってゾロが懐から取り出したのは、金糸銀糸で彩られたひらひらの華美なブラウスだ。
「うー」
途端、赤面して唸るサンジとその服を交互に見比べ、チョッパーは目を輝かせた。
「いいじゃないか、凄く似合うと思うよ」
それはわかってる、似合うと思う。
がしかし―――
「辱めを受けたんだよなあ」
ゾロがニヤニヤしながら口を挟んだ。
途端、サンジがうがあっと叫んでその場で飛び蹴りをかます。
「うおっ」
「コラッ」
チョッパーが大きな声を上げて慌ててサンジを取り押さえた。
「しばらく暴れちゃダメだって、絶対安静!」
「ううう」
ぽふっと柔らかな毛皮で押さえつけられ、サンジは顔を真っ赤にしたまま悔しげにシーツを噛んでいる。
「あの、辱めって・・・」
オロオロと聞き返すチョッパーに、ゾロは鼻で笑い返した。
「人買いに捕まってな、服を作るついでにオスかメスか確かめられたんだと」
長じてからは家族にだって見せていないのに、衆目の中で下半身をぺろりと剥かれたのだ。
サンジは羞恥のあまり死んでしまうかと思った。
「くそう・・・人の、人の尻を勝手に見やがって!」
あんまり恥ずかしがって丸まるから、そうそうに服を着せ直された。
それでも見られた事実は消せない。
「ううう・・・」
「本気で嫌がってるじゃないか、そういうこと言っちゃダメだ」
あんなに怯えていたゾロに対しても毅然とした態度を示すチョッパーは、やはり医者の顔をしている。
「わかった、もう言わねえ」
チョッパーの帽子と、へたれたままのサンジの背中に手を当てて、ゾロは素直に詫びた。






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