地上の天使 -2-


「さて、それじゃ簡単に検診するよ」
ナミに水を向けられて、サンジは昼食後渋々医務室に出向いた。
チョッパーと向かい合い、畏まって問診を受けるのは苦手だが仕方がない。

「体温も心音も喉の様子も異常なし。若干目が赤いね。ナミが指摘するとおり、ちょっと瞼も腫れぼったいかな」
我ながら白々しいと思いながら、チョッパーは真顔で話しかけた。
サンジが寝不足気味な以上に、他のクルー達の方が睡眠時間を削られているのだから。
勿論チョッパー自身も、ともすれば沸いてくる欠伸を必死に噛み殺している。

「何か、眠れないこととかない?心配なこととか。それとも、寝ていても嫌な夢を見て起きるとか」
やや性急過ぎるかと思いつつ、ストレートに聞いてみる。
サンジは視線を斜め上辺りに漂わせ、口元を指で擦る仕種を見せた。
煙草を吸って誤魔化したいのだろうが、医務室ではそうはいかない。
「ん〜別に。ぐっすり眠れてるって思うけど」
ぐっすり寝てんのは、ゾロの胸の中に入ってからだろうが!
思わず突っ込みたいのをぐっと我慢した。
お陰で背中の毛が無闇にちりちりと立ってしまったが。

「でも、その目はちょっと寝不足気味って感じかな。自分ではよく眠れてるつもりでも、脳が活発に動いてたりするんだよ。そうすると目覚めた時よく寝た〜ってすっきりした気分とかがなかったりしてね。熟睡したって、満足感ある?」
「あるぜ、目が覚めるとなんかすっきりしたって感じ」
そりゃそうだろ、ゾロの腕の中で爆睡してんだから!
また突っ込みたくなって、辛うじて耐える。

「夢判断じゃないけど、繰り返し見る夢とかあるかな?」
遠回しに話してても埒が明かないので、チョッパーは単刀直入に聞いてみた。
「例えば、ゾロの夢とか」
「ああ?」
途端、サンジの顔が胡乱気に顰められる。
「なんでそこで、クソ緑が出てくんだよ」
「え、あ、いや〜・・・嫌な夢とかだと、そういうのもありかと」
我ながら怪しいだろうと思いつつ、チョッパーは冷や汗を隠してなんとか取り繕う。
「ゾロ、ゾロねえ・・・まあ、確かにないっちゃない、こともねえ・・・けど」
「どんな夢なんだ?」
すかさず突っ込んで聞く。
不自然かもしれないが、チョッパーもいい加減イライラ来てるのだ。
「ん〜〜〜〜」
サンジはへの字に曲げた口元を指で覆って、また視線を泳がせた。
思い出しているというより、どこまで言うべきか考えているように見える。
「怖い夢って、ほんとに怖い夢かも知れないよね。ホラー映画みたいにさ、ゾンビが出たり」
「ん、ん〜〜〜まあな、それっぽいかも」
言葉を濁しながら、一応頷いて見せた。
「でも、本物のゾンビは俺ら体験済みだよね、スリラーバーグで」
「ああ、あんなの別にどうってことなかったよな。つか、おかしな連中ばかりでよ」
そうなのだ。
一応海賊としてグランドラインを渡り、百戦錬磨なサンジがゾロのゾンビ化ぐらいで怯えるわけがない。
「サンジなら、気持ち悪いゾンビの顔見て魘されるなんてこと、ないよね」
「あったりまえだろうが」
サンジはカラカラと笑い飛ばした。
「生き腐れてようが崩れてようが、そんなんで俺がビビるかっての。実際目の前でいきなり腐れ落ちた野郎見てるってのに」
そうそう、そこだよ。
ポンと膝を打ちたくなるのを堪え、チョッパーはやや身を乗り出した。
「それじゃあ、ゾロの崩れていった顔が怖くて魘される訳じゃないんだ?」
サンジの視線が、あらぬところで焦点を結び、ぴたりと止まった。
心なしか瞳孔が開いている風にも見える。

「・・・サンジ?」
目の前でヒラヒラと蹄を振ってみる。
サンジはぎこちない動きで首を巡らして、チョッパーの斜め後ろ辺りに視線を流してからははんと笑った。
「なーに言ってやがんだ。つか、魘されるって、魘されるって・・・誰が?」
お前だよ、とはさすがに言えない。
「例えば、怖いシーンがトラウマになって魘されるとかは、一般的な事例だから」
取り澄ましてそういえば、サンジはまたふーんと口元に手を当てて考え込んでいる。

実際、サンジの口からしか話を聞いていないけれど、ゾロが墓場から復活してすぐ目の前で崩れ去った現象は事実らしい。
そのことがサンジの心に陰を落としているのもわかる。
だがそれは、その光景が気持ち悪かったとか怖かったとか、そう言った嫌悪から来るものではないのは明白だ。
ならば何故、魘されるのか。
何がサンジにとってショックだったのか。
その理由をサンジ自身が理解してくれない限り、みんなの寝不足は解消されないだろう。

「哀しくなったり不安に思ったり、そんな気持ちになることはないかな?」
チョッパーは別の方向に水を向けてみた。
サンジが素直に弱音を吐かない性格だと言うのはわかりきったことだが、それでもなんとか解決の糸口を見つけてやりたい。
実際、サンジ以外の人間はみんなとっくにわかってしまっていることだけれど。
「別に、俺がそんなこと思うわけねえじゃん」
やや憤然としながらサンジはポケットから煙草を取り出し、チョッパーの視線に気付いてすぐに仕舞いこんだ。
「そもそも、目が赤いとか瞼が腫れてるとかいうけど別に俺寝不足じゃねえぜ。夜はぐっすり眠れてるし」
ああ、そりゃそうだろう。
むしろ寝不足なのはこっちだよ。
けど、瞼が腫れてるのは毎晩サンジが涙を流しているからだ。
そこんとこ、結構重要。

「睡眠中は抑鬱された感情が夢の中に現れるってこともあるみたいだし。まあ、サンジもゆっくり考えてみてよ。自分で自覚してなくても、何がしかのストレスとか不安とかが心の奥底に眠っているかもしれないからね」
そんな不安を取り除く方法は、きっとあるから。
そう言ってチョッパーは、軽い安定剤を処方した。




丁度その頃―――
パラソルで午後の陽射しを避けながら、ゾロはフランキー・ブルックと共に昼酒を呷っていた。
「お天道様の高い内から、なんともぜい沢なひと時ですねえ」
「どっから沸いて出たんだ、この酒は」
ゾロが色濃い瓶を太陽に翳すと、底に溜まった澱が揺らめく。
「私の秘蔵酒ですヨホホホ〜。前に乗っていた船の倉庫から持ってきたものですから、相当な年代モノです」
「昼間に呑むには、勿体ねえな」
勝手にコーラで割っているフランキーに瓶を渡し、ゾロは下からねめつけるようにブルックを見上げた。
「あんたも、長い間独りで過ごしていたそうだな」
ぽっかりと空いた眼窩が、神妙な色を見せて頷く。
「はい、私は高々50年ですが、誰とも言葉を交わせず触れ合うこともできず、ただ幽霊船の中で独り歌い踊って暮らしておりました。・・・虚しーっ!」
思い出したのかそれとも酔っ払っているのか、いきなり咽び泣き始めたブルックの肩をフランキーがポンと叩く。
「そういやあ、同じ境遇だよなあんたら。人ならざる姿になって200年か。長かったろう」
「・・・その4分の3くらいは寝てたんだが」
ブルックは袖のフリルで涙を拭うと、照れ臭そうに微笑んだ・・・ように、見えた。
「すみません、年寄りは涙腺が弱くなって・・・って、私涙腺ないんですけどー」
言いながらぐいとグラスを呷る。
「霧の中で麦藁海賊団の皆さんにお会いした時の感激は、今でも鮮烈に覚えております。このような姿の私を見てもまったく恐れず慄きもせず、平然と言葉を交わしてくれたルフィさんが、私には天使のように見えました」
ブルックは両手を胸の前で合わせて、遠くを見るような目付きになった(目はないんですけど)
その言葉にゾロはふと、杯を傾ける手を止めて顔を上げる。
「ゾロさんも、同じではないですか?長い年月、たった独りで過ごした時間をすべて飛び越えるかのような、鮮烈な出会い。この日この時この瞬間を迎えるために、今まで孤独を耐え抜いて来たのではないかとさえ思える、運命の一瞬を」
ゾロは目を細め、ブルックを見詰めたまま杯に口をつけた。
しばし睨み合うかのような沈黙が流れ、その様子をフランキーが少し離れた場所から眺めている。

「・・・天使、か」
吐息と共にふと漏れた呟きが、淀んだ空気の中にすとんと落ちた。
「―――はい?」
一拍置いて、ブルックが耳の孔に手を添え首を傾げる。
「そうだよな、まさにそうだ」
ゾロは空になった杯を掌で弄びながら、しみじみと一人呟いている。

「あいつにとっちゃ、俺はたまたま立ち寄った場所に、たまたま彷徨ってた幽霊以外の何者でもねえだろう。俺にとっちゃ長い年月の中で唯一話を聞いてくれ、あの状況から助けてくれた恩人なんだが」
「恩ある方、ですね。わかります」
ブルックは神妙に頷くと、ゾロの杯に酒を注ぎ足す。
「貴方がサンジさんに特別な想いを抱いていらっしゃるのは、私達にもよく理解できます。しかも貴方は、彼と再会する為にその後20年近くを待っておられた。勿論、幼少時の記憶は曖昧でしょうが、それでもきちんと覚え忘れず、彼との再会を見事果たされた。その情熱には感服さえ致します」
褒めているのか貶しているのかよくわからないが、多分前者だろう。

「我々全員がその経緯を知っているからこそ、今後何事があろうとも口を挟むことは致しません。それこそ野暮天というもの。馬に蹴られて死んでしまいましょう。とはいえ私もう死んでるんですけどホホホ〜」
一人照れて身を捩るブルックを前にして、ゾロは眉間に皺を寄せたままだ。
「ぶっちゃけ、眉毛の兄ちゃんと懇ろになっても俺らは構わねえって言ってんだ。だからお前もそう難しい顔して考えてねえで、スパーンとやっちまえスパーンと」
「ああ、フランキーさんなんて大胆な!」
ゾロはぐっと杯を呷ると、並々と手酌で注いだ。
胡座をかいた膝に肘を乗せ、ふんと一つ鼻息をつく。

「別に俺あ、今更あれをどうこうしようとか思っちゃいねえよ。確かにあいつが生きて側にいて、美味い飯を食わせてくれてりゃそれだけで満足だ」
そう言って、酷く穏やかな表情で目を細めた。
対して、フランキーとブルックはその場違いな和みオーラに、ぞぞぞと背筋を震わせる。
「え、なんだよその枯れた発言は。あの兄ちゃんがあんあん泣きながらお前に縋りついてんじゃねえか、ちょいと押し倒して身包み剥いだらイチコロだろうよ」
「そうですとも、多少強引な方が物事はうまくいくというものです」
ゾロは目を細めたまま、ふっと微笑む。
「俺に縋ってぴいぴい泣いてんのが可愛いんじゃねえか。あれ以上啼かしたら可哀想ってもんだろ。こちとら生れ落ちて200年、あれに出会って20年。ずっと待って待ち続けてようやく今があるんだから、これ以上は何も望まねえよ」
ブルックは目を(眼窩を)見開き、口をぽかんと開けた。
「なんとまあ・・・確かに累計で220歳の大年寄り的発言ですが、その肉体は20歳のものでしょう」
言ってから、こくんと唾を飲み込み言い難そうに続ける。
「憎からず想っている人に抱き付かれて、平常で入られるような身体ですか?」
「これも修行の内だ」
コーラの瓶を逆さに振って、フランキーがけっと横を向いた。
「そりゃ単なる痩せ我慢ってもんだろ、今更なんの障害もねえんだ。四の五の言ってねえでとっととモノにしちまいな」
ゾロは生真面目に首を振る。
「驚かせたくも、無理強いもしたくねえ。あいつが求めて来ねえ限り、俺から動くつもりはねえよ」
「そんなこと、天地が引っくり返ってもあり得ませんよ!」
ブルックが裏返った声を上げて、両手で頬を(ないんですけど)押さえた。
「サンジさんの方は、まだ自覚すらありませんのに」
「理屈はいいから、とっととやっちまえっつってんだ!」
双方共にいい感じに酔っ払いだったので、どんどん声が大きくなっていく。
そこへ、診察を終えたサンジが何事かと顔を見せた。
「何騒いでんだ?つか、何昼間から酒飲んでんだー?」
いきなりのサンジ乱入で、その場はすぐにお開きとなった。





やいのやいのと騒いでいる甲板に背を向けて、デッキチェアに寝そべっていたナミが身体を起こした。
冷えたオレンジジュースに口をつけ、ふっと息を吐く。
「つまり、照れ屋で素直じゃないサンジ君は天然無自覚で―――」
「精神年齢が高齢なゾロにとっては、そんなサンジ君は可愛くて仕方がない存在なんでしょうね」
ロビンが面白そうに微笑みを浮かべながら、後を継いだ。
お互い惹かれ合いつつも、その一線が越えられないジェネレーションギャップ。
しかもゾロはその壁をぶち破る気もないと来た。
「・・・お互いそれで幸せなんだから、やっぱり放っといたらいいんじゃないの?」
「それじゃ、他の人たちの睡眠不足が解消できないわ」

事態が把握できたところで、解決策は何も見出せなかった。





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