知音 -3-


ナミの出版記念パーティとロロノア家米寿祝いのため、週末は臨時休業となった。
日曜日にはハロウィン・パーティがあるから、一泊だけの慌しいプチ旅行だ。
たしぎが入院となったためスモーカーに風太の世話を頼むことはできず、結局お隣さんにお願いした。

「じゃあ、ちょっと出掛けて来るからな」
サンジは犬小屋の前に座って風太の前足を両手で抱え、顔を近付けてゆっくりと話し込んでいる。
「必ず帰ってくるから、今夜一晩だけお留守番頼むな。寂しいだろうけど、ごめんな風太」
眉を寄せて悲しげに話すサンジに、ただならぬ気配を感じたのか風太まで不安げな表情を返す。
「賢くしてろよ、お隣さんに迷惑掛けちゃなんねえぞ」
「・・・クウ」
「必ず帰ってくるからな、たった一晩の辛抱だからな」
「そろそろ行くぞ」
いつまでたっても腰を上げないサンジに、ゾロは繁みの上から声を掛けた。
一緒に行くウソップとカヤは、車の中で待ちくたびれているだろう。
「さっさと出ねえと日が暮れる」
「うっせえな、わかったよ」
口では悪態を吐きつつも、サンジの視線はなかなか風太から離れない。
「風太・・・必ず帰って来るからな」
「お前がそう深刻そうな顔で言うから、風太がやたらと不安がるんだろうが」
ゾロは繁みの間から入ってきて大股で近寄ると、乱暴に風太の頭を撫でた。
「行って来る」
「ワン」
途端、任せろとばかりに頼もしく吼えた風太に手を上げ、さっさとサンジを中庭から引っ張り出した。



「遅いぞー」
「悪い、ごめんなカヤちゃん」
「いいえ、風太君のこと心配でしょう」
だるそうにハンドルに凭れ掛かるウソップの向こうで、助手席のカヤはにこやかに出迎えてくれた。
「そいじゃ、真っ直ぐ会場に向かうか」
「ナビ、わかるか?」
「店名では無理だけど、住所で最寄りの駐車場に設定した」
ナビゲーションを、開始します。との機械音と共に、車はゆるやかに発進した。

「やー快適だなあ、ウソップの車は」
「ゾロの軽トラと比べられてもなあ」
「エアコンは効いてるし、ロックも自動だし」
「そこ?快適のポイントはそこから?」
週末の天気予報は軒並み快晴で、ドライブ日和だ。
しかも可愛い女の子連れとあって、サンジのテンションは否応なしに上がっていく。
「飲み物持ってきたよ。あ、カヤちゃんガムか飴いらない?」
「ありがとうございます。キャンディいただきます」
「俺ガムー」
「コーヒー」
後部座席でせっせと世話を焼きながら、サンジは上機嫌だ。
「精進がいいんだな、何かってえと天気が良い」
「俺が晴れ男だからだろ」
「いや俺だって」
「あー君達は知らないだろうが、お天道様を背負って歩く男ってのは俺のことだ」
「本当に、気持ちいいですね。たしぎさん達も来られたらよかったんですが」
「仕方ねえよなあ。でもたいしたことなくてほんとによかったよ」
ウソップの座席に腕を掛けて、サンジもウンウンと頷く。
「和々で倒れたって、ビックリしただろサンジも」
「あ、うん、って、・・・うん」
倒れた、がたしぎに掛かるのか自分に掛かるのかわからなくて、曖昧な返事をした。
「このまま出産まで入院ってえと、ちょっと大変だろうけど安心は安心だな」
「来月里帰りする予定だったらしいんですが、このままこちらで出産ということになったようです」
「たしぎちゃんちの親御さん達もビックリしたんじゃないか」
「予定日までにお母さんがこちらに来られるそうですよ」
「その方がいいな」
「実家で産むっつっても、結構、都会の方は産科がないとか言うんじゃね?」
ウソップの言葉に、カヤはそうなんですと両手を合わせる。
「婦人科はあっても産科が少ないですから、結果的にこちらでゆっくり出産できるのはいいかもしれませんね。妊娠時からずっと同じ先生に診ていただけますし」
「くれは医院って、なんかすっげえバアさんが院長だった気がするけど」
「大ベテランでらっしゃいますよ。ご高齢ですがお年を感じさせないバイタリティ溢れる方です」
チョッパー先生のお師匠さんですの、とカヤは目を輝かせた。
「不妊治療にも力を入れてらっしゃいますから、いざという時とても安心ですわ」
「・・・カヤ」
苦笑するウソップの後ろで、サンジもゾロもなんと相槌を打っていいか分からず曖昧な笑みを浮かべた。
「そんなに焦んなくても、カヤちゃん達はまだ・・・ねえ?」
「ええ、今のところ自然に任せていますけど、シモツキでは出産祝い金は勿論、不妊治療にも一定の助成金を支給してくださいますからありがたいですね」
「え、そうなの?」
「子どもは中学校まで医療費無料ですし子育てしやすい環境と言えます。なにより、そんな風に制度を整えてくださって、子どもを持つということを積極的に後押ししてくれる姿勢が見えるのが心強いです」
職場の先輩達も最低3人は子どもがいるとのことで、経験者に囲まれているため時にお節介はあるも、妙な気兼ねや遠慮はないらしい。
その代わり、結婚したら子どもができるのが当たり前と思われているため、時に余計なお節介や無神経な言葉を掛けられたりもする。
やはりどこでもなにがしか、一長一短だ。
「出産後も働くのは当たり前になってますし」
「そういや待機児童とか、いないもんな」
「人口が少ないからだろ、典型的な過疎の村だし」
時折背後のゾロを振り返り、笑うカヤの横顔を眺めながらサンジはしみじみと感動していた。
中学の時の想い出ではどちらかといえば控え目で儚い印象だった美少女が、今ではすっかり働く女性の輝きを放っている。
仕事柄もあるが、地域に密着した田舎の診療所であるが故にプライベートと仕事との境目も時に危うくなるような職場環境だ。
相当ハードだろうに、カヤは疲れも見せず寧ろ生き生きと働いている。
ウソップが自由業で、主に自宅で就労しているのがいいのかもしれない。
言うなれば、逆転主夫か。
「疲れて帰ってもウソップが出迎えてくれるから、癒されるでしょ」
「あ、わかります?ウソップさん、お料理もとっても上手なんですよ」
「俺ほどじゃないけどな」
「自分で言うか!」
ウソップをからかいながらも二人のノロケ話に耳を傾けるサンジの屈託のない様子に、ゾロはほっと安堵していた。

チョッパーに、サンジが倒れるようなことは過去にもあったのかと問われ、正直に答えた。
大方の理由が分かっているということと、恐らくは心因性のものだと説明した。
チョッパーもそれ以上立ち入ったことは聞いてこなかったが、今後もこのようなことが起こる可能性があるとするなら少し考えた方がいいと忠告を受けた。
「今回はたまたま、みんながいる場所で意識を失ったからよかったけれど、場所や時間によっては取り返しのつかないことになる場合もある。倒れた拍子に頭を打つこともあるし、運転中だったら事故に繋がる。発作みたいに薬の服用で抑えられるものでもないのなら、きちんと専門医に掛かっておいた方がいい」
それはもっともだと、ゾロも思った。
いつかちゃんと、サンジに話してみようとも改めて思った。
けれどそれは今すぐに、ではない。
こうしてサンジが楽しげに笑っているのなら、このままでもいいんじゃないかと思ってしまうのは、逃げだろうか。
一瞬でも、サンジが悩み傷付く姿を見たくはないと願ってしまうのは、エゴだろうか。
どうしても一人で悶々と考えてしまって、ゾロはまだ切り出せないでいる。





ウソップとゾロが交替で運転して、夕方には都内に着いた。
先にバラティエに寄って荷物だけ降ろす。
「うっす、元気か?」
「今晩お世話になります」
勝手口から顔を出した二人に、屈強なスタッフ達が怒号のような歓迎の声を上げた。
「おう、相変わらず仲いいなお二人さん」
「チビなす、日に焼けたんじゃねえか」
「チビナス言うな」
「騒がしいと思ったらてめえらか」
奥からのっそりとゼフが顔を出し、一睨みで野次馬スタッフを蹴散らした。
「んなとこ突っ立ってねえで、とっとと入れ」
「いや、表にウソップ達待たせてんだ。荷物だけ置いてパーティ会場に行くし」
「今晩お世話になります」
休憩室の隅にバッグを置いてきっちり頭を下げるゾロの後ろから、車から降りたカヤが深々とお辞儀する。
「おじ様、ご無沙汰しております」
「おお、うちのが世話になるな」
途端、ぱっと見はわからないが明らかに眼差しが柔らかくなったゼフを、サンジは珍しいものでも見るように眺めた。
「・・・ジジイでも、んな面するんだ」
「うるせえぞチビなす、人を待たせるもんじゃねえ」
「そいじゃあ」
運転席の窓を開けて手を振るウソップに軽く片手を挙げ返し、ゾロとサンジはゼフに見送られてバラティエを後にした。

「ゆっくり茶でも飲んでって貰えるとよかったんだがな」
「いいよ。パーティは立食形式だろ、腹空かせて行かねえと勿体ねえ」
「会費がどんだけ踏んだくられるか」
「お前ら、ナミさんに失礼だぞ」
戦々恐々としつつ笑い声が絶えないまま、それから半時間ほど車を走らせ駐車場に滑り込んだ。





会場となった「スパイダーズカフェ」は表通りから一区画奥まった路地にあった。
間口は狭いが、中は案外と広々としている。
「いらっしゃい、はるばるシモツキ村からようこそ」
主役たるナミが戸口で歓迎するように手を広げ、懐から取り出したご祝儀と会費を素早く受け取っていく。
「おめでとうナミさん、お招きありがとう。今日は一段と綺麗だね」
「ありがとう、ゆっくりしていってね」
「素敵なところですね」
カヤは物珍しそうに、赤い照明に彩られた怪しげな店内を見回した。
まだ夕方だというのに、店に一歩足を踏み入れるとまるで真夜中のようなミステリアスな雰囲気になる。
「大人のバーって感じ」
「こちらのママとは知り合いなのよ、今日も安くで貸切にしてくれたの」
もう一人の主役たるルフィは、なぜか奥のテーブルに陣取って山盛りの料理に手を伸ばしていた。
「あれもホストじゃなかったっけ?」
呆れて親指で指し示すサンジに、ナミは大げさに顔を顰めて見せる。
「お腹空いてると役に立たないから、一応先に食べさせておかないと」
「・・・無駄じゃないかな」
「ん・・・ふほっ、はんじっ!」
気付いたか、頬袋を膨らませたままルフィはビヨンと跳ねるようにこちらに向かって突進してきた。
そのまま押し倒す勢いで抱き付こうとして、横から滑り込んだゾロに受け止められる。
「ふぼっ、ほろー!」
「食いながら叫ぶな!」
両手足を巻きつけて猿のようにぶら下がるルフィを引き摺りながら、元いたテーブルへと連れて行く。
それに倣うように、入り口で固まっていたウソップ達も店の中に入っていった。

「立食形式だけど、壁際に椅子もあるからよかったら休んでね」
「すげえ人数だな、何人くらい招待したんだ」
「あ、こちらが今度出版された本ですね」
目的が“出版”記念パーティだったことをすっかり失念し、さっさと料理に向かい掛けていたゾロを引き戻して、サンジはカヤが手に取ったハードカバーの単行本を覗き込んだ。
【世界は案外広かった −破天荒満腹旅 東欧篇−】
「いきなり東欧?」
「なんで?」
「世界地図に向かってダーツ投げたの」
あっけらかんと答えるナミに、ウソップとサンジは突っ込みに忙しい。
「行き当たりばったりにも、ほどがあるな」
「篇ってことは、また次作もあるってことだよね」
「さあ?」
「「ええ?」」
「あ、いらっしゃいー。じゃあ、ゆっくりしてってね」
次々と客が入ってきて、ナミは忙しげに手を振って入り口へと舞い戻る。


「すごいなあ、ほんとにちゃんとした本なんだ」
「オハラ社って、割と固い系の出版社だぞ。でもこういう本も出すんだなあ」
ウソップはパラパラと本を捲り、ほほおと感心した。
「写真が多くて読みやすいな」
「文章はナミさんが書かれたんですよね」
カヤと二人でじっと読み進める内に、本格的に読書の体勢に入った。
「驚いた、ナミってこういう文才があったんだ」
「素っ気無いくらい事務的な文章ですのに、ものすごくおかしいのは何故でしょう」
「そりゃああれだ、ルフィがあれこれやらかしてるからだ」
「これでこの文章だから、余計おかしいんだな」
プッ・・・クククと肩を揺らしながら、ウソップとカヤはすっかり読書に没頭してしまった。
辺りを見回すと、案外隅っこや壁に凭れて読みふけっている人が多い。
「面白い本みたいだな、読みたいけど・・・」
「お前、楽しみは後にとっとく方だろ。帰ってからゆっくり見ようぜ」
まずは腹ごしらえと、ゾロと共に料理が並べられたテーブルに向かった。



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