知音 -1-


「アフタヌーンティーの由来は、イギリスで紅茶を飲む習慣が定着した19世紀にさかのぼり、第7代ベッド・フォード公爵夫人が1840年に発案したと言われています」
サンジは、女性ばかりの受講者を前に淀みなく説明した。
「この時代の貴族社会では、昼食はパンやフルーツで軽く済ませ、社交を兼ねた晩餐は観劇などの後にとりました。夕食の時間が遅かったため、その空腹を凌ぐべく公爵夫人は午後3時から5時頃にサンドイッチや焼き菓子を食べてお茶を飲むようになりました。最初は一人だけの楽しみだったんですが、やがて邸宅を訪れる婦人達を洒落た食器やクロスを使ってもてなしたところ評判になり、貴婦人達の午後の社交として定着したと言われています」
ほほお〜と、女性ながら低いさんざめきがあちこちで起こる。
さながら、自分達も貴婦人になったような気分を味わっているのだろう。
「ヴィクトリア朝時代のマナーでは、『紅茶は正しく煎れるべきである。食べものは多種類を準備し、豪華なものであるべきである。テーブルセッティングは身分相応に準備して、優雅であるべきである』という3原則があったそうですが、それは逸話の中だけにして、今日は気軽に楽しみましょう」
サンジは砕けた調子でそう言うと、各テーブルの前に置かれたケーキスタンドを指し示した。
「食べる順番を考慮して、上からサンドイッチ、スコーン、ケーキと置かれたこともあったようですが、今は一番上にケーキ、一番下にサンドイッチを乗せてあるのが一般的かと思います。スコーンが焼きたてて温かい場合は、ケーキとスコーンの位置が変わることもあります」
ほおほおと、聴衆はしきりに頷いている。
中にはメモを取っている女性もいて、いやそこまで覚えてなくていいですよと及び腰になりそうになった。
「ですが、食べる順番もこれと言って決まっているわけではありません。一応サンドイッチ、スコーン、ケーキと言う順番がスタンダードですが、スコーンから食べてサンドイッチで中休み、最後にケーキというのもあります。ただ、一番最初にケーキを食べると甘さに味覚が慣れてしまって、スコーンやサンドイッチの味わいが半減してしまうことはあるかもしれません」
でも、一番上に魅惑的なケーキがあると誘惑に負けそうですよね?
悪戯っぽくそう言うと、女性達はそうよねえと口々に返事してくれる。
なんともリアクションがよくて、話しやすい受講者達だ。



レテルニテ秋のイベント「アフタヌーンティ講座」は告知して3日で予約が満杯になった。
当日もキャンセルすることなく全員参加してくれ、そのすべてが女性とあって一段と華やいだ空気になっている。
その中にあってただ一人、テーブルの真ん中に鎮座させられたゾロはさしずめ黒一点か。
早朝からずっと農作業をしていて、おやつタイム&休憩のための講座参加だから、座ったまま腕を組んで時折船を漕いでいる。
無防備な居眠り姿もまた、女性達の人気の的だ。
大きな笑い声でゾロを起こさないよう、密やかに交わされる会話と忍び笑いが逆に優雅な雰囲気を醸し出していた。
「それでは、実際にお茶を煎れて飲み比べてみましょうか」
店内が芳しい紅茶の匂いで満たされる頃、ゾロはようやく目を覚ました。


* * *


「アフタヌーンティ講座、大成功だったんですってね」
翌週の休み明け、和々にケーキを持っていくと、たしぎがきらきらとした目でにじり寄ってきた。
「よくお茶に来てくださるおば様方が、ここのところ寄ると触るとアフタヌーンティの話で、ここにはスコーンが置いてないのかとか、たまには三段トレイで食べてみたいとか」
「ありゃ、盛り上がっちゃったのかな」
そりゃ悪かったねと、サンジは冷蔵ケースにケーキを仕舞い終えて頭を掻いた。
「食べることも勿論だけど、みんなでお茶する雰囲気がよかったみたいだね」
「そうなのよ、思い出しては浸ってるみたい」
「こういう田舎じゃあ、まったく縁のない世界だからね。サンちゃんが来て開いてくれなきゃあ、あふたぬーんなんて言葉も知らなかったさあ」
お松ちゃんが夢見る乙女みたいになにもない中空を見つめ、ため息と共に呟く。
講座を思い出しているのだろう。
「なんだか自分が上等な人になった気分だったよぉ」
「貴婦人よ、淑女よ」
「お松ちゃん達は充分マダムだよ」
「いやいや、嬉しいねえ」
実際、お年を召したマダム達が乙女のように頬を染めて両手でカップを抱いたりしている姿は微笑ましかった。
それだけで開いてよかったなと思えたものだ。

「でもメニューに取り入れるとコストが釣り合わないわよね」
「レテだけでも相当大変なんじゃない?サンジさんの労働力が度外視されてる気がするんだけど」
「いんや、大丈夫だよ」
実際、サンジが楽しいからあれこれと続けているだけで、儲けの部分ではトントンどころか時にやばい。
シモツキで暮らしている分には食べることには困らないからこんな暢気な経営ができるのだと、わかってはいる。
何もかも、自分達が若く健康だと言うこと大前提で、それらが覆された時、一気に窮地に陥るのは容易に想像できた。
「若さに胡座を掻いてないで、きちんと考えた方がいいよう」
おすゑちゃんの言葉に、サンジは素直に頷いた。

「・・・」
テーブルを拭いていたたしぎが、ふと手を止めて背を反らした。
まもなく臨月を迎える腹は、はちきれんばかりに膨らんで前に突き出している。
足元が見えないとボヤくのも頷けるほどに。
「大丈夫?たしぎちゃん」
目敏く見付けて気遣えば、たしぎは眼鏡の奥の瞳を眇めて笑った。
「大丈夫です。最近ちょっと、よく張って」
「無理しちゃダメだよ」
たしぎは、ここ半年で劇的に変わっていた。
以前は手足の振りが大きく動作も荒くバタバタとした印象だったが、いつの頃からか仕種がゆっくりになっている。
歩みも遅く、相槌までゆったりとしたものに変わっていて。
元々おっとりとしているカヤと同じような雰囲気で、少しふっくらとしたせいか顔立ちまで柔らかい。
そんなたしぎの表情を、サンジはいつも「美しいな」と憧憬をこめて眺めていた。
悪意のない器物損壊は相変わらず減らないのだけれど。

「あんまり大事にしてるより、安産のためにも少し運動した方がいいんだよお」
「毎日歩いてるよねえ、えらいねえ」
「ええ、朝は気持ちがいいですね」
話していると、店のドアが開いた。
顔を覗かせたのは、チョッパーとカヤだ。
「おはようございます、いいですか」
「おはよう」
「おはようさん、どうぞぉ」
二人とも白衣で、開店前にも関わらず仕事帰りのようだ。
「すみません、先生に朝ごはんになるようなもの、作っていただけないかと」
「あらま、今ごろ朝ごはん?」
「お腹すいたでしょう」
お松ちゃんとおすゑちゃんが甲斐甲斐しく椅子を引き、水やお絞りを運ぶ。
Drチョッパーもこの店では人気者だ。
「Dr、徹夜明け?」
チョッパーは大きな身体に不似合いなほど可愛らしい瞳を瞬かせた。
目が赤くなっている。
「うん、急患とか色々立て込んでね」
そう言えば、とおすゑちゃんがお盆を軽く叩く。
「作佐のシゲさん、家に戻ったってねえ。一度顔見に行きたいと思ってるんだけどぉ」
「―――あ」
カヤが小さく呟き、了解を得るようにチョッパーを見た。
「シゲさん今朝、亡くなられたんですよ」
「あんれまあ」
「あぁらぁ」
お松ちゃんもおすゑちゃんも知り合いなのか、目と口をあんぐりと開けて大きく頷いた。
「それはぁ大往生だねえ」
「家で往けるのが一番いいさあ」
「曾孫さんが、ずっと枕元で遊んでおられました」
思い出したのか、カヤがぐすりと鼻を鳴らす。
「あれ、なんでカヤちゃんが?」
「なに言っとんね、カヤちゃん今お隣に住んでるがぁねえ」
なるほど、作佐のシゲさんというのは、カヤちゃんのご近所さんだったらしい。
「退院後にも、ちょくちょくお伺いさせていただいてましたので」
言って、そっと目尻を拭った。
「それで、先生は今帰ってきなさったんね」
「お疲れ様でした」

たしぎがコーヒーを煎れている間に、サンジは手早く即席のモーニングセットを作った。
有り合わせだけれど、徹夜明けで疲れたチョッパーに美味しく食べてもらいたい。
「じゃあ、先生はずっと付きっ切りで?」
「いや、シゲさんは家の人に呼んで貰った時はもう・・・でも昨夜は入院患者さんで目の離せない人がいたし、夜中に救急で運ばれてきた人もいたし」
「それでトドメに、朝から検死ですね」
物腰が柔らかくなっても物言いはズバリとしたままのたしぎに、チョッパーは苦笑しながら頷く。
「でも、いいお別れだったよ。今日は天気もいいし」
「そうさねえ」
「いい日和だねえ」
どこか羨ましそうなおばちゃん二人を脇に従え、チョッパーはいただきますと手を合わせた。

そんな様子を、サンジは少し離れた席で複雑な想いで眺めている。
つまり、ぶっちゃけチョッパーはいま、看取りの帰りなのだ。
サンジは知らないけれど、そのシゲさんという方は(おばあちゃんか?おじいちゃんか?)自宅で死亡したと言うことで。
チョッパーはもとより、カヤもその場に立ち会ったということで。
「―――・・・」

ここ、シモツキに越してきてから一番変化したと思える環境は、死が身近になったことだろうか。
初めて知り合いが亡くなった、リヨさんの時は相当ショックだったけれど、その後もサンジが見知った人がちょくちょくと亡くなっている。
いずれもいつ他界してもおかしくない高齢だったから仕方がないと言えばそうだが、バラティエで暮らしていた頃は知人が亡くなるということがまずなかった。
もし亡くなったとしても急な病気や事故で、だっただろう。
けれどシモツキでは事故でもないのに、昨日まで散歩していた人が今日亡くなったと言う事象も珍しくはない。
起こしに行ったら息をしていなかったとか、食事の最中に突然お椀を取り落としてそれっきりとか。
あまりに呆気ないけどある意味潔い、様々な往生の形を頻繁に耳にする。
慣れるのか、感覚が麻痺するのか。
いつの頃からか、サンジは一々ショックを受けないようになってきていた。
それより寧ろ、“死”と言うものがさほど恐ろしくない、身近なものとして感じられるようになってきた気がする。

人はいずれ、いつか死ぬ。
そうして、先に逝ってしまった人達を見るにつけ、それもそう悪くはないものなのかもしれないと思える。
―――慣れって、すげえ。
どこか他人事みたいに感嘆しながら、すっと視線を移した。
今朝、人を看取った医者の向かいには、お腹の大きなたしぎがいる。
あのお腹の中には、確かに小さな命が息づいていて。
生と死の動きはそれぞれに巡りゆく、けれどかけがえのない両輪みたいなものなのだなと感慨深く想いを馳せた。



「おはようっす」
俄かに賑やかな声がして、スモーカー達がドヤドヤと店の中に入ってくる。
「おはよう」
「おう」
最後にゾロも顔を覗かせて、サンジは軽く顎だけ突き出した。
こんな風に外で顔を合わせることには、中々慣れない。
なんと言うか、なぜかどうにも照れくさくてどんな顔をしていいのかわからないのだ。
「雨降ってきた、コーヒーくれ」
「俺も」
「僕は紅茶で」
「コーヒー」
はいはいと顔も見ずに声だけで判断して、たしぎはカップを用意した。
手伝うべく、サンジもカウンターの中に入る。

「なにそれ、モーニング?」
ヘルメッポが目ざとく見つけ、チョッパーの手元を覗き込んだ。
「うん、サンジが作ってくれたんだ」
「即席だけどな」
「うまそー、俺にも同じ奴」
「あ、ぼくも」
「ダメだ、もうねえよ。朝飯、食って来なかったのか?」
「や、食ってきた」
「尚更ダメだ」
呆れたと肩を竦め、習慣で胸ポケットから煙草を取り出しかけては、慌ててしまう。
傍にたしぎがいるというのに、習慣と言うものは恐ろしい。

「でも、確かにモーニングもいいですよねえ」
「でも、モーニングするなら開店時間がちょっと遅くねえか?」
「10時開店でしょ、普通のモーニングなら終わってる時間だ」
「シモツキは朝が早いしねえ」
「こら、みんなでチョッパーを覗き込むな。食事はゆっくりさせてやれ」
注意すべく身を乗り出したら、隣でガチャンと食器の鳴る音がした。
またたしぎがなにか、と振り返ってはっとする。
カウンターに手を置いて、たしぎがその場で蹲っていた。

「たしぎちゃん、どうしたの?」
「―――!」
スモーカーが巨体に似合わぬ機敏さで、カウンターの中に入った。
たしぎは俯いたまま、口元を歪めている。
「お腹が・・・」
「え、ちょっ」
「たしぎ」
「Dr!」
「医者―!」
なぜかチョッパーがそう叫んで立ち上がり、外に飛び出しかけて慌てて戻った。
「ええと、誰か車出して」
「俺が運転する」
「揺らさないようにそっと乗せてあげて、カヤちゃんっ」
「わかりました」
カヤは携帯を取り出すと、率先するように扉を開けた。
スモーカーが車に乗り込み、ゾロとヘルメッポに抱えられたたしぎとチョッパーが後部座席に乗る。
「後は大丈夫、任せて」
「頼むぞ」
助手席にカヤが乗り込み、ゾロとヘルメッポを置いて車は静かに発進した。



「大丈夫かなあ」
「いきなりだったな」
店の中に戻って来た二人を、コビーが心配そうに迎える。
「大丈夫かねえ」
「取り敢えず、これはこのまま仕舞っておこうかね」
チョッパーの食べかけのモーニングにラップを貼って、お松ちゃんとおすゑちゃんはテーブルの上を片付けた。
一連の騒動の中で淀みなく動くのはこの二人だけだ。
蒼白な顔で立ち竦むサンジの肩を、ゾロが軽く叩いた。
はっとして我に返る。
「大丈夫か?」
「え、あ、もちろん」
大丈夫かじゃねえ、大丈夫じゃねえのはたしぎちゃんじゃねえか。
そう言い返したかったけれど、喉がカラカラで声も出なかった。
情けない。
情けないけれど、どうしようもできない。
咄嗟に動けないし判断もできないなんて、自分が歯痒い。

「とにかく、あんたらがそんな風にぼうっと突っ立ってたってなんにもならないんだから、大人しく座って飲んでなさい」
お松ちゃんに一喝され、棒立ちだった男達は静かに席に着いた。
「大丈夫かなあ」
「大丈夫だろ、チョッパーがついてんだ」
「カヤちゃんも旦那さんもいるんだから、たしぎちゃんも心強いよぉ」
コビーの紅茶と一緒にサンジの分も煎れて貰って、みんなで一息吐いた。

外に目をやれば、雨は本降りになってきている。
無事病院に着いただろうか。
救急車を呼ばなくてよかっただろうか。
けれど現役の医者がついてるんだから、大丈夫だろうし。
けど、チョッパーは内科医で産科医じゃないだろうし・・・
いつまでも虚ろな目でぐるぐると考えているサンジに、ゾロがこそっと声を潜める。
「家、帰るか?」
「冗談じゃねえ」
サンジは目を剥いた。
こんな気持ちで家に帰っても、心配が増すだけだ。
「雨も止まないし、俺達もここで待機させてもらっていいですかね」
「ああ、そうしとくれよ。あたし達だって心配だから、みんなで一緒に連絡待ってよう」
はあ、と全員が示し合わせたように息を吐いてそれぞれに飲み物を口に運んだ。



開店時間の10時を過ぎて、チラホラとお客さんが見え始める。
サンジは率先してカウンターに入り、精力的に働いた。
なにかしていないと気が紛れないのだ。
炊事で湯を使っても、冷え切った指先がまったく温まらないのが自分でも不思議で仕方がない。

「もう病院着いたかな」
「行きつけの産婦人科ってどこでしたっけ」
ヘルメッポがコーヒーのお代わりを頼んだ頃、不意に店の電話が鳴った。
ビクッと肩を震わせ固まったサンジの脇をすり抜け、お松ちゃんが受話器を取る。
「はい、にこにこ・・・あ、スモーカーさん?」
はっとして、全員が動きを止めた。
「うん、くれは医院の、へえまあ」
お松ちゃんは暢気にははあと頷いた。
「切迫流産ね」
「―――!」


刹那、コビーは瞬間移動というものを初めて目にした。
さっきまで自分の向かいに座っていたゾロが、瞬きの間にカウンター内に飛び込んでいる。
そうして、布巾を手に握ったまま真後ろに倒れるサンジの姿が、スローモーションのように映った。



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