my fair teddy
-3-

サンジの覚醒は早い。
ぱちっと瞼が先に開いて、視界がクリアになると同時に脳が動き出す。
今朝もそんな感じだった。
先ず最初に目に飛び込んだのが、薄汚れたシャツの白。
それが呼吸に合わせて隆起している。
ぴったりと寄せた頬から伝わる熱に他人の存在を知らされて、思わず飛び跳ねた。

「んが?!」
「起きたか」
腕を突っ撥ねて身体を起こせば、正面に半眼のゾロがいた。
何故だか向き合う形になっている。
つか、よく見れば自分はゾロの膝の上に乗っていた。
さらに言うなら、起きる前はなんだかゾロの上に重なっていたような気がする。
・・・もしかして抱き合ってた?
そう疑う根拠は、ゾロの胸元が自分の涎で濡れていたからだ。

「んがが?!」
人語を話せず、サンジはもう一度驚愕のあまり叫んだ。
一体何が、どうなっているのか?
動転して固まったまま目をぱちくりさせているサンジに、ゾロは先手を打った。
「言っとくが、てめえが昨夜酔っ払ってここまで上がってきて、勝手に人の上で寝てたんだぜ」
そう言って、頭の後ろで両手を組んだままの肘を左右に振って見せた。
「ほらこの通り、俺はてめえに触れてねえ。ただしてめえは一晩中、俺に抱きついて寝てたけどよ」
さあどうだと言わんばかりの態度だ。
なんとも憎々しいが、さりとて何か反論できる訳でもない。
ゾロの言葉に嘘や誇張がないことは、状況証拠が物語っている。
たっぷり睡眠を取って、尚且つ非常に爽やかな目覚めをしたサンジにとって、混乱していてもそれくらいの判断はついた。
なので―――

「おはよう」
仕方なく、事態を巻き戻してみた。
今度はゾロが、鳩が豆鉄砲でも食ったみたいな間抜けな顔を見せて、目をぱちくりさせた。




ゾロにしたら理解不能だが、あまりの現状に動転したサンジはどうやら開き直ったらしい。
朝食の支度にも充分間に合う早朝だったせいか、すぐには見張り台から降りず、とにかく朝の一服をと煙草を取り出して美味そうに吸っている。
―――まだ、俺の上なんだが・・・
いい加減、膝が痺れてきて感覚が薄れているのだが、痛いから降りろというのはなんだか癪でゾロはやせ我慢した。
「だからよー酔った勢いってのは、認めるぜ。悪かった。迷惑掛けたな」
ちっとも悪そうな態度でなく、すぱーと鼻から煙を出しながらそんなことを言う。
「でもまあ、そう言う訳で酔っ払いのしたことだから、勘弁してくれ。そして忘れろ。俺も一晩中ムサイてめえを抱き締めて寝てやったくらいのことはすっきり綺麗に忘れてやる」
「どの面さげてんなこと言えんだコラ。誰がてめえに抱き締めて寝てくださいとお願いしたかボケ」
「うわ、サムっ!そんなごつい顔でキモい台詞を言うんじゃねえよタコ。キショいじゃねえか、ほら鳥肌―っ」
朝っぱらからぎゃーぎゃーうるさいサンジに顔を顰めて、ゾロはむっつりと腕を組んで目を閉じた。
「お前が目え覚めたんなら、俺はもう寝ていいだろ。見張りは仕舞いだ」
「・・・おう」
なにやら神妙な顔付きになって、サンジはようやく気付いたのかゾロの膝の上からそろそろと降りた。
「お疲れさんでした。口止め代わりに熱いコーヒーくらい持って来てやる」
「熱くなくていい。つか、むしろ冷酒にしろ」
「却下」
素気無く断って、サンジは踊るように身を翻し見張り台から姿を消した。

重石のなくなった膝を擦りながら、ゾロははてと首を傾げる。
気のせいか、寝起きのサンジはそう機嫌が悪そうでなかった気がする。
男に抱き付いて一晩寝ていたと言う事実の方が衝撃が大きすぎて、普段でも抜けてるネジが2.3本一気に飛んでしまったのだろうか。
―――わかんねえ奴
まあいいやと身体をずらして、ゾロは本格的に寝る体制に入った。




「ふふんふふ〜ん♪」
ゾロが気付いたとおり、サンジの機嫌は悪くなかった。
むしろ、よかった。
すこぶるよかった。
鼻歌交じりで俄かに米を炊き、握り飯を作るほどに機嫌がよかった。
なぜか。
よく眠れたからだ。

あのクマの感触から離れられず、これからは安眠どころか普通の睡眠すら物足りなくなるのかと軽い焦燥感に見舞われていた昨今、チョッパーを口説いて巨大化させるまでもなくもっと手軽な抱き枕が存在したことに気付いたのだ。
しかもそれは固くてムサイだけかと思いきや、案外ちゃんと弾力があって心地よかった。
暑苦しいのはこれからの季節に不向きだが、冬島海域に入るあたりじゃ実に有益なアイテムになるだろう。
―――なんせ、奴は勘がいいからな
ただのぬいぐるみやチョッパーだったら、抱き付いて深く眠り込んだ時誰かに目撃される怖れがある。
だがゾロならば、他人の目に触れる前に先に気付くだろう。
―――あいつだって、野郎に抱きつかれてる図なんて他人に見られたくねえだろ
サンジとて、自分がいかに奇怪な行動をしているかは充分自覚していた。
その上で、敢えてゾロを巻き込むつもりだ。
自分がゾロの立場なら、絶対嫌だろうと思う。
仲間とはいえ、ムサイ野郎に抱き付かれて眠るのだ。
そんな現場、もしも他人に見られたら舌噛んで死にたいくらいに無様且つ屈辱的だろう。
自分ならそう思う。
だからきっとゾロもそう。
故に、ゾロは絶対その姿を他人に見られないようにするはず。
そうして俺は、労せずして安眠を手に入れるのだ。
―――俺って策士〜
サンジは一人ニヤつきながら、早朝のキッチンでせっせと飯を握っている。
ひと時の安眠を与えてくれたゾロへの礼と、これからもよろしくとの念をこめて。









それからと言うもの、週に1度くらいのペースで、サンジは勝手にゾロの懐に潜り込むようになった。
大体ゾロが不寝番の夜を狙って、夜食と酒瓶の1本を携えて上機嫌でやってくるから、ゾロも表立って拒否したことは一度もない。
勝手に腹に抱き付かせて置けばぐうぐう寝てるし、その間一人で酒を飲みながら海を眺めて過ごせばいいだけのことだ。
今まで酒瓶1本確保するために何度となく険悪なバトルを繰り返したと言うのに、この状態になってからは強請らずとも鴨がネギをしょって・・・もといアヒルが食い物と酒瓶持ってやってくるのだから、ゾロとしたら不満はない。
腹に纏わりつかれるのは、ウザいと言えばウザかろうが、常に腹巻を愛用している身としてはそれほど不快感はなかった。
勿論、これが毎晩だったらうんざりするだろうが、ペースとしては週に一度。
しかも自分が不寝番の時だから眠気防止にも一石二鳥。
自分の腹にぴったりと頬をつけて、アホ顔でぐうぐう寝入っているぐる眉の横顔は見ていても飽きない。
いい暇つぶしにもなる。

―――だが、こいつは何考えてやがんだろうな
一度、なんで人に抱き付いてそんだけよく眠れるんだと聞いたら、お前が抱き枕だからと即答された。
つまり、自分は枕扱いらしい。
枕とは言え、ちゃんとお供え物を持参して来る辺り一応気は遣ってくれているようだし、それほど粗雑に扱われているとは思わない。
なんせサンジはちょっと必死な感じを残すほどに、一生懸命引っ付いて来る。
こう、ぎゅっと言うかひしっというか。
普通の枕とかぬいぐるみじゃダメなのかと問えば、ある程度の大きさと質量がいると言っていた。
こう、両手を伸ばして一杯一杯くらいの感覚がいいのだそうだ。
それなら巨大化したチョッパーが丁度いいじゃねえかといったら、ちょっと眉を下げてから口をへの字に曲げて憤然と怒り出した。
この海の一流コック、グランドライン一ジェントルな俺様がなんでわざわざチョッパーを巨大化させてまで夜のお供に誘わなきゃなんねえんだ。
てめえは偶発的な事故とはいえ、成行き上最適な抱き枕サイズと判明したんだから、男なら四の五の言わずに黙ってどーんと構えてろ。
何ゆえ説教モードにまで入ったか定かではないが、結局サンジの勢いに押された形で、ゾロは追求の口を閉ざした。
まあ正直、重いほどの体重でもないし、ウザいほどの存在でもない
多少暑苦しかろうが、これも鍛錬だと思えば許容範囲だ。
オプションとして美味い夜食と酒がついてくるなら、ゾロとしては異存はない。


今夜も一人酒を煽りながら、ゾロは満点の星空から自分の胸元へと視線を落とした。
金色の旋毛が渦巻いて、呼吸と共に小さな上下を繰り返している。
長い前髪の間から覗く肌は、月の光に照らされて蒼白くさえ見える。
酒の勢いを借りずとも素面で抱きついてくるのだから、これが普通の寝顔だろう。

額はじっとりと汗ばんで、絹のような金糸が張り付いている。
―――寝汗まで掻いて、野郎に引っ付いて寝て、なんで熟睡できるんだ。
裏を解せば、でかい対象物に抱きついていなければ熟睡できないということだ。
サンジは、ゾロのことをあくまで“抱き枕”だと言った。
自分が抱きつくためだけの対象。
故に、抱き返されたり触れられたり、撫でられたりされるのは嫌なのだろうか。

ゾロの空いた手が、ためらうように宙を彷徨う。
試してみてもいい。
このままそっと触れるだけなら、ここまで爆睡しているなら眼を覚ますことはないだろう。
汗で張り付いた髪を梳いてやるくらい、この状況なら許される。
つるんと滑らかな頬を撫でて、半開きの口元から漏れる吐息のぬくみを感じることだって、恐らくは。

だがゾロは、拳を握って再び頭の後ろに納めた。
触れることでこの状態が壊れるのを畏れたわけではない。
ただ、自分の中で何かの箍が外れそうな、漠然とした予感があった。
いまはまだその時期ではないと、勘のようなものがそう言っている。



来週には次の島に着く。
その時に試してみるかと、ゾロは一人ほくそ笑んで再び酒瓶に口をつけた。








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