戯れの恋じゃないから 8

サンジはうっかりビビりそうな自分を内心で叱咤して、口端を上げた。
「けど助かったぜ、ありがとさん。」
「なぜここにいる。」
ゾロの声が、地を這うように低い。
物凄く、怒っている。
「こういうとこっててめえ、言ったな。わかってて来たんだな。」
道に迷って・・・とは言えないほど街から離れている。
下手な言い訳もできず、サンジは開き直った。
「ついうっかりっつうか、興味出ちまったんだ。もう来ねえよ。懲りたって。こいつら俺のこと男娼
 なんかと間違えやがって・・・」

ぱん!と顔半分に衝撃を受けた。
一瞬間を置いて、ゾロに平手で叩かれたのだと気付く。
「なにす・・・」
「馬鹿にするな。」
怒っているのに、ゾロの声音は淡々として静かだ。
だが見下ろす瞳の冷たさに、サンジは息を呑んだ。
「誰もが好き好んでここにいる訳じゃねえ。生きるために、或いは誰かを生かすためにこっちに身を
 投じてる奴だっているんだ。てめえみたいなのに遊び半分にウロウロされちゃあ、商売の邪魔だし
 迷惑だ。そこまでちゃんと考えろ。」
さっとサンジの顔に赤みが差した。
「事情があってこいつらみてえなダニに飼い殺されてる奴らもいるんだ。それに、さっきだっててめえは
 メチャクチャ危なかったんだぞ。こいつらはこの道のプロだ。舐めてかかると痛い目に遭うだけじゃ
 すまねえ。ヤク浸けにされて輪姦されて売られるのがオチだ。」
「俺はっ・・・そんな・・・」
「こんなことは二度とするな。興味本位で来ていい場所じゃねえ。失せろ。」

気が付けば、ゾロの後ろには夕暮れの闇に紛れて何人かの人たちが集まって、物陰からそっと伺うように
こっちを見ている。
どの視線もみんな自分を非難しているようで、サンジは居たたまれずに後退った。
「一緒に来い。送るから。」
「いや、いい。」
足を踏み出すゾロを手で制して、サンジはその場を駆け出した。









暗い路地を闇雲に走って、明るい大通りを目指す。
恥ずかしい。
自分がひどく、恥ずかしい。
走って逃げるなんてみっともないけどそれ以上に自分が恥ずかしい。
ゾロの、言うとおりだ。
興味本位で入り込んで、トラブルに巻き込まれて、挙句に助けられて悔しくて。

陽気な酔っ払いと擦れ違う。
柔らかな女性の囁き声。
子供の泣き声。
静かに笑いあう人と人。
さっきまでの空間とは明らかに違う普通の街。

サンジはほっと息をついて壁に凭れた。
息が上がって額にも汗をかいているのに、何故か指先は冷たくて細かく震えている。
面白がって来たわけじゃないけど、確かに心のどこかで馬鹿にしてたかもしれない。
ゾロを相手にする男娼なんかと蔑んでいたかもしれない。
一体俺は、自分を何様だと思っていたんだろう。
サンジは額に手を当てて、深くため息をついた。
最低だ、俺。
「てめえみたいな奴が」とゾロは言った。
駄目なんだ。
俺なんかじゃ。
人の邪魔をして、迷惑かけて
多分、誰かを傷つけて――――
「最低だ。」
深い自己嫌悪よりなお痛いのは、ゾロから浴びせられた言葉の一つひとつ。
そのことに傷ついている自分が余計に、悔しくて情けない。






サンジは適当に宿に入ってベッドに潜り込んだ。
夕食はまだだったけど、うろうろする気分にもなれなかったし、うっかり酒でも飲むと泣き上戸に
なってしまいそうだったから。
泣くって、なんで泣くんだよ。
大の男がみっともない。
ちょっと落ち込んでいるだけだ。
自分でも今日の行動はやばかったなって思うし、ゾロの言うことがもっともだったから余計に腹が立つし。
だからちょっと落ち込んでいるだけで、へこんでる訳じゃないんだから。

早々に不貞寝しようと思ったのに、一向に眠れそうにない。
目を閉じれば頭の中でぐるぐる回るのは怒ったゾロの顔ばかりだ。
怒ってた。
あれはマジで怒ってた。
多分、自分のことじゃなくて、「仲間」のために怒ったんだ。
ホモ仲間?
また心のどこかで、何かがむっとした。
慌てて頭を振ってその感情を振り払う。
ダメだダメだ。
偏見を持っちゃだめだ。
ホモだって人間なんだし、恋愛はそもそも自由なんだから差別しちゃいけない。
けど、野郎同士で恋愛もクソもないだろう。
一夜限りの関係ばかりなんだから。
けどだからこそ結束が固かったりするんだろうか。
その輪の中に入りたいなんて決して思わないけれど、ゾロがそこにいるのなら近付きたいと思った。
だから、あんなところにほいほい出掛けたりしたんだろう。
そのことは、認めざるを得ない。
船の中だけじゃなくて、陸の上でもゾロに会いたかったんだ。
なんでだ?
問わなくてもとっくに答えは出ていた。
いつからなのかはわからないけど、もう誤魔化しようもないくらい、自分にはわかってた。


――――俺は、ゾロが好きだ。

好みだって言われたからか?
ナミさんたちに指摘されたからか?
気がつけば俺のことを見ていたからか?
それとも自分がゾロの範疇内だとわかったからか。
自問したって答は出ない。
ただわかっていることは、多分もう、ゾロには嫌われたってことただそれだけだ。
それがどうにも哀しくてサンジはちょっぴり泣いた。








翌朝の天気は、気持ちに比例するように曇天だった。
早朝からぶらついても今ひとつ爽やかな気分になれない。
サンジはぼちぼちと市の立ち始めた広場をぶらついて、噴水の脇に腰掛けて一服した。
上陸はいつも楽しいものだったのに・・・
ここんとこバタついて慌しくて、ロクなことがない。
可愛い女の子でも眺めていられれば気も晴れるんだろうけど、こうも朝が早いと元気な市場のオバちゃんか、
超高齢のレディのお散歩姿くらしか拝めないなあ。
今でもこんなにレディが好きなんだから、自分はホモじゃないと思う。
ただ、ゾロだけが例外なのだ。
そうじゃなきゃ、なにを好き好んで野郎の顔見たり声聞いたり、腕の感触を思い出したりしただけで、
どきどきしなきゃならないんだ。
俺は断じてホモではない!
馬鹿にすんなだと?
上等じゃねえか、この非生産的、退廃行為の塊どもめ。
俺のは純粋な恋心なんだ。
一緒にするんじゃねえっての。



やや逆ギレしてぶつぶつ独り言を呟いていたら、真横から馴染んだ気配が近付いて来た気がして、
びくんと振り向いた。
やっぱり、こっちに向かってまっすぐ歩いてくるのはゾロだ。

なんで?
口を真一文字に引き結んでずんずん近づくゾロは、別に怒っている気配はない。
サンジはとりあえずタバコを噛んで、素知らぬふりでベンチにふんぞり返った。

「随分早いな、クソマリモ。早朝光合成にはちと朝日が足りねえだろう。」
恋心を自覚してなお、サンジは憎まれ口を叩いた。
どうせ嫌われてるならとことん言ってやる。
俺はホモになる気はないんだから。

「雨の匂いが、するな。」
ゾロはサンジの前まで来て立ち止まると、ぽつんと言った。
「雨の匂い?」
「ああ、ナミの受け売りだが。」
そう言って、口元だけでふと笑う。
不覚にもどきんと来てしまった。
普段仏頂面ばかりだから、たまにこうして柔らかな表情をされると途端にクる。
ゾロは内心どぎまぎしているサンジの隣にそのまま腰掛けた。
サンジは慌てて腰を浮かしかけて、そのままさりげなく横にずれる。
不自然な空間を間に残して新しいタバコを取り出した。

…いい機会かもしれねえ。
謝っちまえ、夕べのこと。
自分自身を叱咤するのに、なかなか声が出ない。

「夕べは、言い過ぎた。」
先にゾロが口を開いた。
びっくりした。
まさかゾロが、自分に謝るなんて。

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