たまゆら 8

「ゴムゴムの・・・」

「猫パーンチ!」

バシバシバシバシバシバシ・・・

「んだあ!!」
ゾロは慌てて飛び起きた。
目の前で、にやけた顔のルフィが右手をあげて手首をクイクイさせている。
タチの悪い招き猫のようだ。
「てめえ・・・なんの真似だ。」
怒る気も削がれる。
「起こしてやったんだ。ガトリングの方がよかったか?」
冗談じゃねえ。
どうやらソファに腰掛けたまま眠っていたらしい。


部屋の中にサンジの姿はない。
「エロコックは?」
「買出しだって、早くに市場へ行ったぞ。ロビンが一緒だ。」
「そうか。」
見張れと言われて寝ているようじゃ見張り失格だ。
どうした訳か、ひどく眠い。
こんな有様じゃ不寝番も出来やしない。
目を擦って、肘の内側に目が止まった。
爪で引っかいたような赤い筋がいくつもついている。
「なんだ、俺あ、引っ掻いてねえぞ。」
覗き込むルフィを押しやって、ゾロは部屋を出た。

「お早いご起床で。」
皮肉たっぷりのナミの声。
「あんたのことだから高鼾で、サンジ君のことなんて見張っちゃいなかったんでしょう。」
「なにかあったのか?」
「あたしが知るわけ無いでしょ!」
だんっとテーブルを叩く。
「ともかく、今朝もひどい顔してたわ。」
ゾロがぎりぎりと歯噛みした。
「なんだってんだ、らしくもねえ。うじうじしやがって・・・」
苛々する。
まるで寝不足のようにこめかみが痛い。
「あんたに頼んだ私がバカだっただけよ。さ、もう行くわよ。買い出しが終了次第、出港するから。」
言い捨てて、慌しく荷物を抱えた。

GM号には続々と食糧が届けられた。
サンジはウソップとチョッパーと使って、てきぱきと積み込んでいる。
「サンジ君の様子どうだった?」
ささやくナミに、ロビンが眉をあげて見せた。
「テンションが高すぎたわ。」
ロビンによると、サンジは市場でそれはもう大はしゃぎで食材を買い揃え、のべつ幕なし喋り続けたらしい。
「あ、その袋こっちよこせ。おいクソ腹巻、ぼさっとしてねえでてめえも運べ!」
とても今朝、死人のような顔をして赤い目で起きてきた男とは思えない。

「それはそうと、霧はどうなの。」
「それなのよね。」
到着時から続く霧が全く晴れないのだ。
今日は特別に濃い気がする。
「この状態じゃとても今日の出港は無理だわ。今日どころかいつ出られるか目処も立たない。
 無理やり出るのは自殺行為だし。」
「他の船も困ってるようね。」
港にも多くの船が停泊している。

大方片付け終えて、サンジはお茶の用意をしだした。
「お疲れさま。ケーキは用意できませんでしたが、おいしい紅茶をどうぞ。」
「サンジ君こそ少し休んだら、朝から働きっぱなしよ。」
ソーサーを受け取って、座るように促す。
買ってきたクッキーを皿に移しながら、ウソップがふと顔を上げた。
「そう言えばゾロ、砥ぎに出した鬼徹、どうすんだ。」
「出航するついでに取りに寄ろうと考えてたんだが、無理みたいだな。」
ゾロは壁に凭れて座りこんでいる。
「鬼徹・・・」
ロビンが小さく呟く。
「妖刀―――鬼徹・・・」

「ロビンちゃん、」
気を取られて、サンジの声に気づくのが遅れた。
「え、あ何かしら。」
ロビンの前にソーサーを置いて、首を傾けている。
「あの、あれまだ持ってるかな。」
「あれ?」
「えーと、黒い・・・」
「・・・まかるがえしのたま?」
「そう、それ。」
ロビンがじっとサンジの顔を見つめる。

「あなたどうして、珠の名前を知っているの?」

サンジは少し固まって、それから首をめぐらした。
ナミが二人の会話を注視している。
「前に、言ってなかったけ?」
「言ってないわ。」
いつの間にか、クルー全員がサンジを見ている。
買ってきた食パンを丸齧りしているルフィも、ウソップも、チョッパーも、壁に凭れたゾロも。
ナミが静かに立ち上がり、近づいてきた。
「サンジ君、私たち仲間よね。」
サンジの手を取り、自分の胸にあてた。
「だから、隠し事はしないで全部話して。」
ああナミさん、なんて大胆な・・・。
ナミの柔らかさにどぎまぎしながら、手を引っ込めることが出来ない。
「もしかして、サンジ君―――」
意を決したように見上げる瞳。
「悪霊に、取り憑かれてるんじゃないの。」

――――へ?
しばしの沈黙。

「ち、違いますっナミさん、誤解です!」
慌ててぶんぶんと首を振る。
「俺じゃないです悪霊は―――」
言いかけて、壁に凭れたゾロが目の端に映った。
その口元がかすかに笑いを形作る。

こいつ―――

「ごめん!ナミさん。」
唐突にナミを突き飛ばし、キッチンから飛び出した。
「サンジ君!」
「待て!」
訳も分からぬまま手を伸ばすルフィの腕を蹴り飛ばして、サンジはGM号から飛び降りた。
そのすぐ後をゾロが追う。

もう一刻の猶予もない。
あの珠がロビンちゃんのもとにある限り、魂降りの術は使えない。
なら、あの婆さんを殺すまでだ。

「な、どうしたんだサンジは!」
慌てふためくウソップにロビンが声をかけた。
「長っ鼻君、お願いがあるの。」

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