たまゆら 1


傍らには、いつも夢がある。

それは海賊王になること
世界一の大剣豪になること
世界中の海図を書きとめること
偉大なる海の冒険者になること
一人前の海の男として、医術を極めること
忘れられた歴史を紐解き、真実を知ること
そして――――

傍らには、いつも夢があった。


ねっとりと纏わりつくような濃い霧が辺りを包んでいた。
この海域に入ってから、空の青すら垣間見えない。
「見張り台に上ってもイミねーじゃん。」
ルフィが口を尖らせて望遠鏡を覗く。
見張りも兼ねて、手の空いている者は全員甲板に出て釣りをしている。
濃霧で思うように進めないのも問題だが、それより重大なのは食糧不足にあった。
底なしの胃袋を持つ船長と育ち盛りのクルー達。
只でさえ危機的状況に陥りやすいメンバーに加えて、この霧で立ち往生という悪条件が重なった。
暫くは釣りで食材を賄うしかない。
「おし、かかった!」
ウソップの釣りざおが大きくしなる。
「こいつァ、大物だぞ!」
チョッパーも加勢するが、二人して引きずり込まれそうになった。
「うあうあうあ、ゾロ〜〜」
少し離れた船縁でゾロが腰を上げるより先に、見張り台から手が伸びる。
「ゴムゴムのパ〜ンチ!」
激しい水しぶきを上げて海面を殴りつけると、一呼吸置いてから巨大な魚の影が浮かび上がってきた。
音を立てて浮いた、巨大魚。
「うあ、でけえ!!!」
歓喜の声が上がる。
「うしし、腹一杯食えるぞ。」
そのままかぶりつこうと伸ばしたルフィの首を軽く捻じ曲げて、ゾロが魚を担ぎ上げた。
「先に持ってくぞ。」
「ああ、頼む。」
「よし、俺も負けないぞー」
チョッパーとウソップの釣り合戦が始まるのを背に聞きながら、ゾロはキッチンに向かった。
吊り上げた魚を一刻も早くサンジに見せたかった。

食糧がやばいと知れた頃から、サンジは殆ど食事を口にしていない。
他人を飢えさせることを極端に恐れるコックは、先ず自分から食糧を絶ってしまう。
戦場のように賑やかな食卓だから目立たないが、ゾロはいつの頃からか気付いてしまった。
「おい、魚だ。」
振り向いた白い顔に、一気に赤みが差す。
「うお!すっげー、やったなおい!」
手放しの喜びようだ。
ゾロは自分で釣った訳でもないのに、胸を張っている。
「先ず、どーすっかな。刺身だろ、カルパッチョだろ、ムニエルと兜焼き・・・できるか?」
嬉々として腕まくりをする背中に、釘を刺すように言ってしまった。
「これだけの大物だ。今度はちゃんとてめえも喰え。」
ゾロの言葉に反応して、サンジは横顔だけ振り向いた。
「・・・喰ってるよ。」
「喰ってねえ。」
「喰ってるって。」
気まずい空気が流れる。
「俺はてめえらと違って燃費がいいんだ。」
だんっと、力任せに鰭を断つ。
「俺は、てめえのそういうとこが気にくわねえ。」
ゾロの声が低い。
「そりゃ、悪かったな。」
後ろを向いたままサンジは軽く流した。
何者をも拒絶するような、冷たい背中だ。
ゾロは舌打ちしてキッチンを出て行った。

―――なんで、あいつはああなんだ。
人が心配してやってるのに。
自分が人の心配をするなどかなり珍しいことだと自覚している。
それでも気にかけずにいられない何かが、サンジにはあるのだ。
柄でもねえ。
甲板から歓声が聞こえた。
また大物が釣れたのだろう。
ゾロは声に向かって歩いていく。

一人になったキッチンで、サンジは手元に集中できなくていた。
―――よりによって、ゾロに心配されるたあ、俺も堕ちたもんだ。
あんな言い方した俺も悪かったが、気にくわねえたあなんだよ。
むかつく・・・ってーかなんか傷ついたぞ。
何で傷つくんだよ、俺。

一人ごちていると、カチッと堅い物が刃先に当たった。
内臓に手を突っ込んで取り出すと、変わった形をした石みたいなものが血にまみれている。
表面がつるりとしていて、人工的に手の施されたものだ。
水で洗い流すと、雫のような形をした黒い珠だった。
小さな模様が刻まれて、鈍い光沢を放っている。
―――なんだこりゃ。
宝石っぽくはないが、何かいわれのありそうなものだ。
後でロビンちゃんにでも見せてみよう。
綺麗に拭いて、引出しの中に仕舞う。


その日の夕食は一際賑やかだった。
色んなバリエーションで調理された魚がずらりと並び、遠慮なく平らげられていく。
少し遅れてサンジが食卓に着くと、向かいに座ったゾロは箸も持たないで睨みつけている。
その視線の意図することがわかって、見せつけるように大口を開けて一口喰った。
咀嚼して飲み込むのを確認して、ゾロがにやりと笑う。
それから初めて、自分の皿に手をつけた。
なんか、くすぐってえなあ。畜生。
大人に囲まれて育ってきた自分にとって、初めての同年代の仲間。
とりわけゾロは自分とタメで、年長者の役割を分担した形になっている。
だからと言うわけではないが、自分の調子がゾロに見透かされていることが多い気がする。
なんか、むかつくんだけどよ。
ココロのどこかで、嬉しい自分がいるような気がするのは、なんでなんだろう。
こういうのを、仲間ってんだろうな。

食が進み、和やかな食卓で会話は自然、夢の話となる。
それぞれが語りなれた言葉を口にする。
ここでは誰も、自分の夢を笑わない。
叶わない夢だとも思わない。
その夢は目標であり、人生のプランだ。
傍から見たら馬鹿げたことと一笑に付されるであろう話でも、真実となる力が、ここにはある。

「夢を語れるのは素晴らしいことよ。」
珍しく、ロビンが目元をピンク染めている。
「口にした言葉は現実になる力があるの。こうして夢を語れる人たちが側にいるのは、凄いことね。」
深い色を湛えた瞳がクルーに向けられる。
その美しい横顔にしばし見蕩れて、サンジはいつもの軽口さえ叩けなかった。
俺も、酔ったかな。
視線を外すと、未来の大剣豪がナミと二人で杯を呷っている。
―――酒も、心もとないんだけど。
まあ、いいか。
しばし夢を見よう。
偉大なる仲間達と、この船に巡り会えた幸福に感謝して、軽くグラスを上げた。


その島は、霧の中から唐突に現れた。

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