正しい魔獣の育て方 -3-



小さな子どもの身体と言うのは、よほど思い通りに動かないものか。
ゾロはサンジの手を取って自分で食べようと努力するも、時折目測を誤って口の中にスプーンを入れ損ねたりしている。
結果、口の周りにご飯粒やら汁やらがくっ付いて、食卓は惨憺たる有様になった。
それでも食欲が勝るのか、気にせずに頬袋を膨らませてモグモグと食べ続ける。
サンジはつい見ていられなくなって、片手をゾロのいいようにさせながら、もう片方の手に布巾を持った。
「汚してんぞ、ホラ」
顎の下にくっ付いた米粒を指で掬い、濡れた頬を布巾で拭う。
ゾロは鬱陶しそうに顔を顰めたが、ついでに鼻の頭に付いた汁も拭いてやった。
「落ち着いて食え、柔らかくしてあるけどよく噛めよ」
そんな様子をナミ達が笑いを堪えながら見守っている気配がひしひしと伝わってきたが、サンジは取り敢えず無視することに決めた。
子ども相手にテレたってしょうがないからだ。

お碗一杯分のリゾットを空にすると、ゾロはげふーと息を吐いた。
行儀よく手を合わせ、ご馳走様と唱える。
量は少ないがゆっくりと食事をしていたからか、仲間達が食事を終えたタイミングとほぼ同じだった。
「うし、それじゃあ一緒に風呂入ろうぜ」
ウソップが言うと、ルフィとチョッパーもはいはいはい!と手を挙げた。
「もう少し後になさい、食べてすぐに入ると胃に負担が掛かるわ」
意外なことに、ロビンがとても細やかだ。
積極的にに世話を焼くといった行動はしないが、要所要所でアドバイスをしてくれる。
「じゃあ、ラウンジで魚見て休もうぜ」
「ヨホホ〜では一曲お聞かせしましょうか」
「そうしようそうしよう」
年少組に担がれるようにして、仔ゾロは運ばれていく。
「風呂ぐらい、俺が入れるぞ」
一応お世話係の認識をしたサンジが呼びかけると、隣に座ったナミがストップをかけた。
「サンジ君はまだだめよ、手の怪我も治りきってないから自分が入ることにだけ気を付けて」
「食事の後片付けもまだ禁止。今日は私が洗うわ」
「そんな〜もう大丈夫だよロビンちゃん」
「俺様がスーパー食器洗い機製造のヒントを得るために手伝うから、お前はとっとと飯を食っちまえ」
ゾロに食事をさせることに夢中になっていて、サンジ自身はまだだった。
「じゃあ、取り敢えず食うか」

お言葉に甘え、もそもそと食事を摂り食後の一服をしている間に、年少組は風呂に入ったようだ。
ほどなくして、頭から湯気を立ててホコホコしている仔ゾロを抱いて出てくる。
「ちゃんと耳の中、拭ったか?」
煙草を灰皿に揉み消し、サンジは仔ゾロを受け取って膝の上に座らせ、タオルを指に巻いて耳の中をくるりと拭いてやった。
もう片方を自分でしようとするのか、ゾロは小さな指を立てて耳に当てている。
けれどどうも、うまくタオルが指に当てられなくて空振りばかりだ。
もう片方の耳も拭ってやってタオルで頭を包み込み、髪をわしゃわしゃと軽く擦った。
ゾロは憮然としていたが、止めろとも離せとも言わない。
高い自分の声が、よほど嫌らしい。
そうしている間に、目がとろんと半眼になってきた。
そろそろおねむの時間か。

「また寝るのか?輪を掛けて寝腐れてんな」
「子どもだからねー」
ふわあと欠伸する、その口の中を見てサンジははっと思い出した。
「おい、風呂場で歯を磨いたか?」
「あ?ああ、まだだ」
「ジェットハリケーンごっこするのに忙しかったもんなー」
なにやってんだよ。
「しょうがねえな、ちょっと待ってろ」
洗面所に向かうと、風呂場からナミの文句の声が聞こえてきた。
「もうちょっとなによこれー!なんでこんなにお湯が少ないのっ」
つい笑いを零して、ゾロの歯ブラシに歯磨き粉を付けて戻ってくる。
椅子の上でウトウトしかけていたゾロが、サンジに気付いてばっと手を挙げた。
小さな掌に歯ブラシを握らせると、ゾロなりに磨くつもりで口の中に突っ込んでいる。
それでも、どうしても感覚が掴めないのか歯ブラシが口の外に出たり頬を押したりして見ていて危なっかしかった。
挙句に喉の奥を突いたらしく、涙目で噎せている。
「ちょっと貸してみろ」
見かねて、サンジはゾロの手から歯ブラシを引っ手繰ると、顎に手を掛けて上向かせた。
「あーん」
「・・・・・・」
睨み付けたって、迫力なんかねんだよ。
観念したのか、素直にぱかんと開いたゾロの口の中を歯ブラシでなぞってやった。
上の歯下の歯、前歯奥歯、表と裏と歯と歯の間―――
「ほい、あーん」
あーんと言うと、つい自分まで口を開けてしまうのはなぜだろう。
二人して大口を空けたまま、歯磨きは恙無く終了した。
洗面所まで抱いていって、丁寧に漱がせる。
最後にもう一度口の中を覗き込んで、しっかりと確認した。
「よし、綺麗に磨けた」
口を開けたままふわ〜っと欠伸をするゾロを担ぎ、男部屋へと向かう。
途中、廊下で擦れ違ったロビンとブルックにお休みを言い、どんどん力が抜けて行くゾロを抱き直して男部屋の扉を開けた。

片隅に置かれたゾロ専用ベッドの中に降ろそうとすると、寝ぼけているくせにしっかりとサンジのシャツを掴んで離さない。
サンジが手を離すと、そのままぶらりとぶら下がった。
「ナマケモノか」
一人寝が嫌なのかとからかおうとして、不意に思い出す。
――――求められれば添い寝してやらねばならない。
「・・・マジかよ」
もしかして、いま求められているんでしょうか。
いやいやまさかと思いつつ、自分の首元に顔を突っ込んでくふくふしているゾロを見やる。
小さな拳をきゅっと握って、離すまいとしがみ付いている様がなんともいとけなくいじらしい。
「・・・まあ、初日だからな」
なんせ子どもだから。
サンジはゾロを抱きなおすと、そのまま自分ごとソファに寝転がった。
胸の上にゾロを乗せるようにして横たわると、ゾロはしばらくモゾモゾ動いて自分が寝やすい体勢を整えたようだ。
顔を上げ、サンジの肩から腕そして袖へと辿るようにシャツを引っ張る。
「おまえ―――」
「あ?」
「ゆび、どうかちたのか?」
サンジの指の先は十本とも包帯でグルグル巻きにされている。
指摘され、忌々しげに舌打ちをしつつサンジは低く何でもねえよと呟いた。
ガキはもう寝ろと、頭の後ろに手を添えて自分の胸に押し付けるように伏せさせる。
胸と腹の上にどっかりと乗ったゾロは、重くはないが重みのある温かさを持っていた。
鼻の先にある髪からは、ちゃんと洗ってもらったのかシャンプーの匂いもする。
ふうと息を吹きかけてやれば、柔らかな毛はぽわぽわと揺れた。
ゾロが眠りに落ちていくのがわかるほどに、自分の上にある温かい物体の重みが深まっていく。

サンジの平らな胸に丸い頬がぴたりとくっ付いて、ぽよんと垂れていた。
上唇だけが少し尖って、呼吸に合わせてむにょむにょしている。
意固地そうなまっすぐな眉毛はそのままなのに、頬の柔らかなラインに相殺されてやっぱりあどけない幼児の寝顔だ。
―――トクン
サンジの心臓が静かに鳴る。
べったりと引っ付いたゾロの耳に、じかに響いてしまうんじゃないかと危ぶまれるほどに、とくとくと自分の鼓動が鳴っているのがわかる。
小さなゾロの温もりがあまりにも心地よくて、いつしかサンジも眠りに就いていた。





ぺちぺちと頬を叩かれ、ゆっくりと目を覚ます。
目の前には見慣れた緑があるのに、なんとも感覚が変だ。
あれ、なんで?と寝ぼけた頭で思い起こし、ようやく気が付いた。
サンジの胸の上に手を置いて、小さなゾロが覗き込んでいる。
「あ・・・どした?」
「しょんべん」
「ああ」
起き上がると、ソファから毛布が落ちた。
どうやら仔ゾロを抱いたまま、ソファで眠ってしまったらしい。
毛布が掛けてあったと言うことは、みんなに寝姿を見られてしまったということか。
もしかして仔ゾロを抱き締めて寝ているところを目撃されちゃったのか。
今更ながら気恥ずかしくて、誤魔化すみたいに乱暴にゾロを摘み上げた。
「一人で便所行けねえのか?」
「どあが、あかねえ」
ああそうか、と即座に納得する。
まだ丸一日も経っていなくて、ゾロは依然として幼児のままだ。
ドアノブにも届かないし、飛びついて届いても引いて開けることはできないだろう。
そもそも、子どもが一人で甲板に出ては危ない。
「よく起こしたな、えらいえらい」
頭を撫でたらゾロはギリッと睨み付けてきた。
子ども扱いされるのは気に喰わないらしい。
その表情がサンジには面白くて、すぐに機嫌が上昇する。
「甲板からすっか」
「おう」
外に出れば、天気がいいらしく空は白み始めていた。
風は冷たいが、そう強くない。
今日も天気がいいだろう。
手すりに足を乗せてやると、ゾロはそのまま立ちションした。
「いいか、絶対一人ですんなよ。俺か、誰か呼んで持っててもらってしろよ」
「・・・おう」
姿は子どもでも中身は大人だ。
言われている理屈もわかるし、駄々を捏ねて反発するほど幼くもない。
不承不承と言った風に素直に頷く様が実に殊勝で、サンジは初めてゾロを気の毒に思った。



小さなゾロの一日は、目まぐるしく過ぎていった。
なにせ、合間合間に睡眠が入る。
小まめに眠っては起きて食べて遊んで寝て、また起きて食べて遊んで寝た。
普段の生活と大して変わらないんじゃないかと思われつつ、ゾロ的にはどんどんストレスが溜まっているらしい。
第一、鍛錬ができない。
ルフィやウソップ達が全力で遊んではくれるが、所詮子ども相手で手加減しまくりだ。
フランキーが特製ミニ竹刀を作ってはくれたが、大人の時のようなパワーで打ち込むことはロビンに止められた。
「まだ骨も筋肉も未発達なのよ。いつもの調子で動いてはダメ、意識して抑えなさい」
何度か繰り返し注意していく内に、すっかり命令口調になっている。
「鍛錬なんかもってのほかよ。錘禁止、指立て伏せなんかしちゃダメ!」
ナミまで、ロビンに影響されたのか口うるさくなってきた。
ストレス解消にはサンジに喧嘩を吹っ掛けて暴れるのが一番なのだが、当然のようにサンジは喧嘩に乗ってこなかった。
寧ろ軽くあしらわれ最後は抱き上げられて、膝抱っこで誤魔化されるのだ。
これをされるとゾロはすぐに眠くなってしまって、喧嘩も鍛錬もなくなってしまう。
それに、サンジの足の怪我はまだ治りきっていない。
歩く時もほんの少し片足を引き摺っているから、背後からとび蹴りして先制攻撃を仕掛けるなど、いくら仔ゾロでもできなかった。



「ちっ、おもちろくねー」
ゾロは小さい身体でガラ悪く舌打ちしながら、椅子に逆さに腰掛けて足をぶらぶらさせていた。
サンジはせっせとおやつを作っている。
外では釣り大会をしていて、目を離すと危ないからとゾロはキッチンに置いていかれた。
サンジが立ち働く姿を見ているのは好きだから退屈ではないが、いつまでも子ども扱いされるのはいい加減疲れる。
非常につまらない。
わーっと歓声が上がり、続いてドカンと衝撃が走った。
どうやら並外れた大物を誰かが釣り上げたらしい。
「サンジーっ!」
ルフィの呼び声に、サンジは長包丁を持って外に出た。
「おおう、でかいなあ」
そのまま外で捌くつもりだろう。
見に行きたいが、出て行けばまた「なんで出て来た」と怒られそうだから止めておく。
主がいなくなったキッチンを手持ち無沙汰に眺め、ふとシンクに出しっ放しの瓶に気が付いた。
先ほど鍋に入れようとして、急に呼ばれてそのまま置いておかれたワインだ。
ゾロはにやっと笑うと、身軽に椅子から飛び降りた。
そのまま椅子を引き摺ってシンクに近付き、再び椅子によじ登る。
「ひさしぶり」
緩い栓を抜いて、ゾロは瓶に直接口を付けた。



「うし、こんなもんでいいだろ」
大魚を手早く捌いたサンジは、後始末をフランキー達に任せ急いでラウンジへと戻った。
ゾロを一人にしておくのは、なんとなく心配で落ち着かない。
それに、ワインを手の届くところに出しっぱなしにしてしまったのも気がかりだ。
「おーいゾロ、悪さしてねえだろうなあ」
言いながら扉を開けて、サンジはその場で悲鳴を上げてしまった。





next