正しい魔獣の育て方 -2-



よく眠る小さなゾロを、フランキー特製のベッドに寝かせ船は無事出港した。
村人達がみな岬に立ち、大きく手を振って見送ってくれる。
島の中心に聳え立つ巨木も、まるでわが子の旅立ちを見守るように、いつまでもいつまでも大樹の枝葉を風に揺らしていた。

「さて、このゾロをどうするって?」
未だ眠り続ける仔ゾロを指先でツンツン突ついて、ナミは悪戯っぽく笑った。
「ゾロかーゾロだよな〜」
ウソップは信じられないと言った顔付きで、繁々と見入る。
「間違いないよ、ゾロの匂いがする」
チョッパーも医学的見地から興味津々だ。
「確かにゾロさんですが、なんともあどないですヨホホ〜。寝顔も可愛らしくてワタシもう頬が緩みっぱなしです。あ、ワタシ頬っぺないんですけど」
ブルックは意気揚々とした出港の直後であるのに、さっきから眠たくなるような子守唄を奏でている。
「すぐにでっかくなるんなら、このベッドもじきに用済みだ。だがスーパーな俺様の手に掛かれば・・・見てみよこのベッドの2段階、いや3段階の変形技!」
おおーすげーっと年少組から賛辞の声を受け、フランキーは得意げにベッドに仕掛けられた細工を披露している。
「その調子でゾロも変身するとすげえなあ」
ルフィが無駄に目をキラキラさせながら、ベッドの周りをぐるぐると回った。
さっきからゾロを弄りたくてウズウズしているようだ。
けれど自然に目を覚ますまでは無理に起こしてはダメだと、長からきつく言い含められているため触れようとはしない。

ラウンジから飲み物を運んできたサンジが、ベッドのそばに近寄らないよう遠回りしながら女性陣に飲み物を配った。
ちらりとチビゾロの寝顔を見やり、はあとこれ見よがしにため息を吐く。
「なんだってこんな厄介なことになったかねえ。よりによってチビゾロだとよ」
「ふふふそうね」
ナミがからかうより先に、ロビンが長から貰ってきたメモを取り出して笑った。
「とっても厄介よ。育て方があるの」
「なになにそれ」
興味を引かれて覗き込む仲間に取り囲まれ、ロビンはゆっくりと声に出して読んだ。
「ひとつ、自然に目覚めるまで起こしてはならぬ。ひとつ、大切に慈しみ育てねばならぬ。ひとつ、寝る前にきちんと歯を磨いてやらねばならぬ。ひとつ、求められれば添い寝してやらねばならぬ。ひとつ、15の年になるまで酒を飲ませてはならぬ」
「・・・な、んだよそれ」
サンジは唖然として目を開いた。
「丸っきり赤ん坊扱いじゃねえか?だって、記憶は残ってるのどうのって言ってなかったっけ」
「ええそうよ、あくまで傷付いた身体を癒すために退行させ幼児化したものだから、記憶も性格も中身はそのままなの。成長するにつれて元に戻るのだけれど、その過程で新たに付いた傷や変化などが、後にどのような症状を引き起こすかはわからないんですって。なにせ今のゾロは柔らかく傷付きやすい幼児の身体だから」
「どういうことだ?」
意味を図りかねて、ウソップが口を挟む。
「例えば、ゾロが可愛いからと甘いものばかり与えて虫歯にでもなってしまったら・・・というのもあるんじゃないかしら。ゾロは元々虫歯なんてないでしょう?」
「ああ」
「そういうことか」
記憶も性格もそのままなら、酒も飲むだろうし戦いにも参加したがるだろう。
だが、ゾロの身体は子どもなのだ。
骨も内臓もまだしっかりと出来上がっていない。
その状態で無理をすれば、元通りの身体には戻れない。
「だから、ちゃんとお世話しろと?」
サンジは心底嫌そうに顔を歪め、口端に咥えたタバコを揺らした。
すかさずロビンが釘を差す。
「タバコも、ゾロの前では禁止よ。子どもに副流煙はよくないわ」
「うう・・・ロビンちゃんがそう言うなら」
大人しく吸殻を灰皿に押しつぶせば、ずっと眠っていたゾロがぴくりと首を動かした。
「あ」
「お」
起きるのか?と固唾を飲んでみなが見守る中、目を閉じたままのゾロの眉間の皺がぎゅっと深くなる。
続いて、パチパチと瞬きをした。
サンジはベッドの柵に手を掛けて覗き込み、黙って目を覚ますのを待つ。
開口一番、からかってやろうと思って。

瞼が開き、丸い琥珀色の瞳がくるりと巡ってサンジを見た。
自然に起きたな、と確認して顎を突き出して見せる。
「お目覚めはどうだ、ちび剣士」
「ああ?」
ゾロは幼児らしからぬ表情で、眉を顰めながら唸るように声を出す。
が、その声が実に高く可愛らしい。
「そう、言い忘れたのだけれど」
ロビンはぴらりとメモを掲げた。
「目覚めて最初に見た人が、お世話係になるそうよ」
「―――は?」
「は・・・」
仲間達が一瞬動きを止め、次にぷぷーっと噴き出した。
「やるなあロビン」
「じゃあサンジ君、お世話係よろしくね」
ポンポンと背や肩を叩かれ、サンジは「は?」とか「あ?」とか間抜けな声を出しながら目を白黒とさせている。
「冗談だろ、ロビンちゃん」
言いかけて、手の甲に温かいものが触れた。
見れば、サンジのシャツの袖をゾロの小さな手がしっかと握っている。
「はらへった」
物言いはどこまでも横柄なのに、その声はなんとも可愛らしかった。




「腹減ったって、大体なにを食うんだよ」
チョッパーの指導の下、まずは消化のいいものからとサンジはゾロの食事作りに悪戦苦闘していた。
いつもなら「腹減った」と一緒に合唱するルフィが、今は仔ゾロを構うのに夢中なのは幸いか。
起きたのならもうこっちのものとばかりに、ウソップと共に小さなゾロにちょっかいをかけたがるがナミに阻まれた。
「無茶しちゃダメだって言ったでしょ、ゾロはまだ骨もちゃんとしてないの」
「小さな子ども相手だと思いなさい、乱暴はだめ」
ナミとロビンが表立って庇うのも、なんとも気に入らない。
小さくなろうがゾロのくせに、レディの手を煩わせるとは何事か。
「うし、こんなもんでいいだろ」
「薄味でね、あんまり熱いと火傷しちゃうよ」
「なんともねえって」
とか言いながらも、サンジはその辺りはしっかりと注意済みだった。
いくらゾロとは言え、やはり幼子に変わりはない。
チョッパーに案じられずとも、それなりの気遣いぐらいできる。
「飯だぞー」
「おほほほ〜い」
ルフィが歓声を上げながらラウンジの中に飛び込んできた。
片手にしっかりと仔ゾロを抱えてはいるが、あまりの反動の激しさにか目を回してぐったりしている。
「粗雑に扱うなと言ったでしょうが!」
ガンとナミの拳骨を受け、ルフィはゾロを両手で掲げたまま顔だけ床に沈めた。
サンジの眼前に掲げられたゾロは、むすっとした顔で見上げてくる。
そのふてぶてしい面構えがなんかこう胸にキュンと来て、サンジはいやいやいやと火の点いていない煙草を噛みながら首を振った。
受け取るように両手を伸ばし、ぷくぷくした脇の下に差込んで抱き上げる。
「ざまあねえな大剣豪、一人で飯も食いに来られねえか」
「ざけんなコック、でかいつらすんじゃねえ」
確かに、ゾロから見たらサンジの顔はでかいだろう。
顔だけじゃなくなにもかもがでかく見えるはずだ。
舌っ足らずな口調で憎まれ口を叩かれても、いつものようにむっとは来ない。
寧ろ半笑い状態になって、サンジはへーへーと返事した。
「ちびっこ剣士様にゃあでかいツラだろうて、文句言ってねえでこっち座れ」
口調は乱暴ながらも、静かに椅子の上に下ろす。
が、テーブルが高すぎて料理がゾロの目線くらいの位置になってしまった。
「これ使え」
いつの間に作ったのか、フランキーが子ども用の椅子を取り出した。
仔ゾロはギロッと目を剥き、なにか言いたそうだったが、ぐっと堪えるように奥歯を噛み締めて黙っている。
そんな仕種が、実に子どもらしくない。
「おーよかったな仔ゾロ、いい椅子作ってもらえまちたねー」
すっかり上機嫌のサンジがその椅子にちょこんと座らせ、背中の開いた部分にクッションを置いてやる。
小さなゾロは上体がフラフラしていて、背の高い椅子では安定感がなくて危なっかしい。
本人もしっかりと手すりを掴んではいるが、いかんせん手足の動かし方がぎこちなかった。
「ちゃんと座ったか、賢いなーえらいえらい」
頭を撫でてやると、いつもはツンツンごわごわの髪が細く柔らかくつるりとしていた。
思わず「うお」とか思ってしまって、不必要にさわさわと撫でる。
仔ゾロの眉間の皺はますます深くなったが、じっと耐えるように無言を貫く。
さてみんなの分をと行きかけて、またしてもサンジは引き止められた。
今度はエプロンの裾を掴まれていた。

「めし」
「くえよ」
事も無げに言い返して、はっとした。
仔ゾロの短い腕では、テーブルに置いてある箸にも届かない。
「あー悪いな」
箸を掴んで渡してやったが、もみじのようなちいちゃな手はそれを握ることができても指で挟みこむことができなかった。
何度やっても形にならなくて、そのうち流石のゾロも癇癪を起こしたかぱっと指を開いてしまう。
ゾロ愛用の箸がテーブルから下へと転がり落ちる寸前に、サンジははしっと受け止めた。
「こらこらおいたはだめでちゅよー」
口をへの字に曲げて、精一杯睨みつけるゾロの瞳が潤んでいた。
おおおおもれーと心弾むサンジの後頭部がばしっと叩かれる。
「ダメでしょサンジ君」
「おとなげないわ」
「えーだってナミさん、こいつおもしろ・・・」
振り返って、クルーの冷たい眼差しに気付いた。
ナミやロビンは元より、ウソップやチョッパーも非難がましい目つきだ。
「ひどいよサンジ、ゾロはまだうまく手足が動かないんだぞ」
「面倒かけてるってわかってっから、文句も言わずに黙って頑張ってんじゃねえか。それなのにからかうような真似して」
「コンチクショウ、なんて健気なんだ」
「おいたわしいですヨホホ|」
「腹減ったー」
口々に諌められ、サンジはバツが悪そうに首を竦めた。
「んなの知るかってんだ」
言いながらも、やや小ぶりのスプーンを用意する。
「これで食えばいいだろ」
「サンジ君・・・」
「なんだいナミすわ〜ん」
ハート目にしてくるりと振り向けば、ナミはにっこりと笑顔になった。
「食べさせてあげてね、お世話係」
「―――は・・・?」
「さーて、取り皿はこれでいいんだよな」
「ドレッシング、冷蔵庫から出すよ」
「ちゃちゃっと盛り付けちまおうぜ」
「ルフィはちゃんと座る」
サンジを残して、残りの面々は一斉に食事の支度に取り掛かった。

慣れたもので、あっという間に夕食がセッティングされる。
「サンジくんは、しばらくゾロ専用お世話係でいいから」
「食事の下ごしらえだけ頼むわ」
「あとはゾロに専念してくれ」
「・・・は、あああああ?」
冗談じゃないと立ち上がりかけて、きゅっと引っ張られる。
ゾロがまた、サンジのシャツの裾を掴んだのだ。
甲にえくぼがついた、ぷくっとした丸みのある手が、節が白くなるほどに握り締められている。
―――ああ、我慢してんだな。
記憶は残っていると言っていた。
多分、それなりの知能もちゃんとあるんだろう。
なのに身体だけが言うことを利かない。
どれほど足掻いても目線は低いままで、手も足も短くてバランスが取れなくて。
嫌と言うほど体感したから、文句を言わないのだ。
そう悟ると、胸の奥辺りがきゅんきゅんきゅ〜んと締め付けられて、サンジは大人しくゾロの隣に腰掛けた。
「ちゃんと冷ましてあるから、口開けろ」
幼児語は使わずに、ややぶっきら棒にそう言ってスプーンを差し出す。
ゾロはそんなサンジの手に掌を当てて、素直に口を開けた。
添えられた掌から、幼児特有の熱いくらいの体温がじわじわと染み入るように伝わってくる。
少しでも自分で食べると言う行為を再現したいのか、生意気にもサンジの手を取るようにしてぱくりと食いついた。
―――おおお。
またしても、サンジの胸がきゅ〜んと締まってしまった。





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