社長はお熱いのがお好き -4-


真っ暗な硝子窓の向こうに細かな光がいくつも飛び交っていく風景を、サンジはぼんやり眺めていた。
通勤時間帯を少し過ぎた電車内は、ややくたびれた人たちで満たされている。
ドア側の手摺に凭れかかる様にして、サンジはこつんと窓に額を押し付けた。

―――やってしまった。男と・・・
易々と流されてしまった感は否めない。
確かに、学生時代から強引なタイプには弱かった。
力でゴリ押ししてくる輩には無条件で反発したが、真摯なお願いや頼られることに関してはガードが甘かった気がする。
だがしかし・・・これはやはり・・・

サンジは硝子につけた額をゴツゴツと軽く打ちつけた。
―――やっちゃ不味いだろう・・・しかも上司と

なにもかも初めての経験だったが、総じて評するなら・・・悪くなかった。
と言うか、正直に言えばかなりよかった。
その事実がさらにサンジを打ちのめす。
男にいいように扱われてカマ掘られるなんて、冷静に考えたら憤死ものだが、非常に気持ち良かったことは否定できない。
マジで社長、上手過ぎる。

最初から、キスした時点で嫌悪感が湧かなかったことが第一の敗因だ。
しかも、あんなにも一方的かつ何もかも暴くかのような乱暴な口付けで、一気に腰が抜けてしまうなんて。
後はもう、あれよあれよと言う間に押し倒され裸に剥かれて突っ込まれていた。
それはもう、鮮やかとしか言いようのない見事な手際の良さだった。

―――絶対慣れてる!
男相手は初めてだなんて抜かしていたけれど、どちらにしても相当の手練。
言葉と匂いでその気にさせて、強引な愛撫に押し流されている内にいつの間にかすべてを明け渡してしまっている。
最初は指で探られる違和感にも震えていたはずなのに、その内あちこちぐしゃぐしゃのドロドロになって、あまつさえ、
中で指を開かれるほどまでに弛緩して、結果的に社長のあの在り得ないサイズのモノをぶち込まれてしまった。
あれは凄かった。
見ただけで卒倒しそうになった。
アレが本当に中に入ったかと思うと、自分の身体がどうかなっちゃったんじゃないかと本気で心配になる。
あんなの入るはずがないのに。
物理的に在り得ない・・・つうか、あんなの入って出たら、穴開いたままになるんじゃないのか。
気が付けば、サンジは窓に向かってブツブツと何事か呟く危ない人になりつつあった。

元に戻らなかったらどうしよう・・・つうか、大丈夫だよな、今のオレはちゃんとしてるよな。
まだなんか挟まってるような感じはあるけど、一応ちゃんと閉じてるし、痛みはないし・・・
けど、あんなもんで中を突かれて抉られて・・・絶対内臓の位置とかズレてる気がする。
腹が苦しかったしなんか出そうになったし・・・それより何より、あの脳天突き抜けるような強烈な感覚はなんだったんだ。
なんかもう、オレ何事か喚いちゃった気がするぞ。
つうか、ホントにフロアに人がいなかったんだろうな。
もし警備のおっさんとか回ってきてたらどうしよう。
あれ?監視カメラってどこについてたっけか?
サンジはほとんど窓にへばりつくようにして、先ほどから蒼くなったり赤くなったりを繰り返している。

明日どんな顔して会社に行けばいいんだろう。
カリファさんの顔だってまともに見られない気がするのに、社長となんて・・・とても顔を合わせられない。
絶対うろたえるっつうか、恥ずかしくてまともに見られない。
あの部屋に入っただけで色んなことを思い出しそうで、なんつうかもう、絶対絶対絶対・・・
握り締めた拳を窓に押し当てて、何度目かの切ない溜息をついた。

ダメだ、さっきから色んなこと思い出して、うっかりたっちまいそうだ。
あんだけ出したのに・・・いやいやいや思い出すなオレ。
匂いとか、残ってないかな。
つうか、オレ自身が匂ってないだろうか。
社長の匂いに包まれて・・・あちこち舐められて、色んなもの出しちゃって・・・ちゃんと拭いたけどシャワー浴びたほどじゃないし、
明日になっても社長室に匂いがこもってたらどうしよう。
サンジは一人でぶるぶると首を振った。

忘れろ、一時の過ちだ、気の迷いだ。
社長の気まぐれに付き合っただけで、別に愛人契約結んだわけじゃないし妊娠するわけでもないし、脅されたり
弄ばれたり――――
そこまで考えて、サンジははっとして顔を上げた。
脅迫とか・・・あるかな?

一瞬過ぎった考えを慌てて振り払う。
男相手にそんなことしたってなんのメリットもない。
それこそ気のせい・・・つうかある意味思い上がりだ。
ちょっと気になってすぐに手を出しただけのこと。
一度やったら気が済んだだろうし、もう二度と仕掛けてこないかもしれない。
社長ってなんかモテそうで、きっと引く手数多だもんよ。

今度は不意に、涙ぐみそうになった。
こんな硬くて色気のない身体なんて、つまんないってわかったかもしんない。
グルメって、たまには毛色の違うもんを摘まみたくなるよな。
よくわかってるから、俺だってこれきりだって思うし・・・
いやいやいやいや、これきりしにしてくんなきゃ、俺が困るじゃねえか。
うん、困る困る。
これきりで、もうなし。
もう二度と・・・

黒い硝子窓に映る光が、じわっと潤んでボケた。
慌てて顔を伏せ、また額を押し当てる。
硝子の冷たさが心地良く、酔っ払いのように力を抜いて電車の動きに身を任せた。

大丈夫、どっちにしたって今はまだ俺は大丈夫。
痛くもないし辛くもない。
仕事辞めるほどじゃないし、社長のことを嫌いになったわけじゃない。
綺麗なカリファさにゃアルビダさんを目にしたら、元の俺にきっと戻れる。
何も変わっちゃいないんだ。
何一つ、変わったことなんてない―――


身体全体を包むような気だるさと仄かな熱に促されるように、熱い吐息を一つついて、サンジは緩々と顔を上げた。
目の前の暗い硝子に、情けない表情をした見慣れぬ男が映っている。






翌朝、サンジは始発電車で出社した。
昨夜はよく眠れなかったし、どうにもこうにも気になって寝てなんていられない。
カバンの中には、家から持ち出した消臭剤を忍ばせてある。
とにかく、カリファ達が出社する前にすべての痕跡を消して起きたかった。
―――が


施錠されていない社長室の扉を開いて、サンジは絶句した。
むっとする男臭さ。
いつもはきちんと整頓された応接セットの机の上には、カップラーメンの残骸。
床には脱ぎ捨てられたスーツやシャツ。
ソファの上に、パンツ一丁でだらしなく手足を投げ出し太平楽に眠る社長。

「し、しししし社長〜〜〜〜っ」
サンジは素っ頓狂な声を上げて赤面した。
脱ぎ捨てられた服の間に、点々と使用済みのティッシュとかが落ちていたからだ。
もはや痕跡云々などと言う次元ではない。

「社長起きてください!間もなく就業時間です!」
サンジは必死でアクションを起こした。
必死すぎてつい、無防備な社長の腹目掛けて踵落としまで決めてしまったけれど、我に返っているゆとりなんてない。
留めを刺されたトドみたいに跳ね起きた社長が腹を抱えて唸っている間に、サンジは床に散らばった衣類を拾い上げて
片っ端からハンガーに懸けていった。
ティッシュもまとめてゴミ箱に放り投げ、窓辺に駆け寄ってブラインドを開ける。
窓は嵌め殺しなので止む無く換気扇をかけ、人がいないのをいいことに秘書室まで全部開け放して空気を入れ換え、
消臭剤を振り撒いた。

「んあ?おはよう・・・」
苦悶に顔を歪めながらも、半分寝惚けた表情で社長がのそりと身体を起こす。
その顔にまで噴射しかけて、危ういところで思い止まった。
「・・・おはようございます、社長」
明日、出社した時どんな顔で会おうかだなんて、切ない心配は杞憂に終わった。
実際問題それどころではなくて、サンジは引き攣った笑顔で脅すように社長に消臭剤を突きつける。
「なんて格好で寝てんですか、さっさと起きて顔洗って服着てください!」
上から怒鳴りつけるサンジの声に目をぱちくりさせながらも、社長はのそりと立ち上がった。
「ああ〜?もうそんな時間か?」
脇腹辺りをボリボリと掻きながら盛大に欠伸しつつ給湯室に向かう後ろ姿は、いくら引き締まったボディを
しているとは言え、冬眠明けの熊のようだ。
サンジはまだ社長の温もりが残るソファを念入りに水拭きし、シュシュッと消臭剤を吹きかけると上から叩いて
形を整え、テーブルの上を手早く片づける。
衣類はまとめて袋に放り込み、クローゼットを開けて新しいシャツとスーツを出した。
スーツのストックが随分置いてあるとは思っていたが、このためかと今更ながら納得する。
買い置きしてある下着と靴下の封を開け、手拭きタオルで顔を拭きながら出てきた社長に投げ付けるように渡して、
入れ替わりに給湯室へと入る。
「ちょっと近所のパン屋にパン買いに行ってきますから、それまでにちゃんとした格好しといてくださいよ」
そう言い置いて、慌しく外へと飛び出した。


焼きたてのクロワッサンと、コンビニでサラダを買って戻ってみれば、社長はちゃんと髭まで剃ってなんとか
見られる形になっていた。
「・・・よかった・・・」
下着姿に靴下だけ履いて、新聞でも広げてたらどうしようかなんて心配までしてたのだ。
「お、朝飯か。ありがたいな」
「当たり前です。朝食は一日の基本ですから、しっかり食べてください」
コーヒーを淹れインスタントのスープを温めて、皿にパンとサラダを盛る。
野菜ジュースも添えて出すと、社長は嬉しそうにテーブルの前で手を合わせた。
「いただきます」

大人しく食事に専念している間に秘書室へ続く扉を閉めて、机や給湯室、クローゼットの周りなどを細かく点検する。
昨夜の痕跡どころか、社長が泊り込んだ形跡もないくらい片付いて、サンジは心底ほっとした。
「うし、大丈夫ですね」
「気にかけて、朝早くから来てくれたのか?」
社長の言葉に振り返り、サンジははたと考えてしまった。
気にかけて・・・と言えばその通りだが、自分が気にしたのは社長ではなく部屋のことだ。
それはつまり、昨夜の情事の跡を―――
そこまで思い出して、俄かにカッと頬が熱くなる。
「いや、何も気にしてません。何も、まったく、全然」
社長は大きな口でクロワッサンをひと噛みすると、モグモグと咀嚼しながら人の悪い笑みを浮かべた。
「そうか、俺はずっと気にしてたんだがな」
言うや否や、傍らに立つサンジの腰を抱きかかえて素早くひと揉み。
「んあっ」
思わず妙な声が出てしまって、誤魔化すつもりで社長の頭を手にしたトレイではたく。
「止めてください!朝っぱらから・・・」
「その元気なら大丈夫そうだな」
「大丈夫じゃないっすよ!」
「大丈夫じゃないのか?痛いのか?」
「いや、痛いつうか・・・なんかその・・・」
真面目に受けて口篭ったサンジは、次の瞬間自分の状態を自覚した。
こともあろうに、社長の膝の上に跨っている。
慌てて降りようと脚を広げるのに、社長は両手でがっちりと腰を掴んで離さない。
「そんなに暴れたら腰に響くだろうに。切れてはいなかったと思うんだが・・・」
「き、切れたりなんかしてません!ただちょっと腫れて・・・」
「ああ、擦りすぎたか」
「こ、擦っ・・・」
口を開けたまま真っ赤になって絶句するサンジの尻を、労わるように撫でた。
「無理をさせたな。関節が柔らかいから面白いくらい開脚して・・・つい調子に乗りすぎた」
社長の言葉に、昨夜のアクロバティックな体勢を思い出して顔から火が出そうになる。
「ひいいいっ、コロス、やっぱり殺す―――」
両手で顔を覆い羞恥に悶えるサンジを抱き締め、社長は耳朶を甘噛みしながらそっと囁いた。
「―――よかったぜ」

不意に意識が遠退いた気がして、卒倒同然に力が抜けた。
倒れこむサンジをしっかりと抱き締めて、社長が頬擦りするように唇を押し付けて来る。
半開きの口元でそれを受け止め掛けた時、遠くから響く靴音に耳だけが反応した。


ほぼ条件反射で社長の顎に膝蹴りを当て、敏捷な動きでソファから飛び退る。
手にしたトレイを落とすことなく小脇に抱え、社長室のドア付近に立って出迎えるまでコンマ2秒。

「おはようございます。あら、サンジさんお早いのね」
花の香りを漂わせて、アルビダが姿を現す。
「おはようございます、今日もなんてお美しい」
アルビダには賛辞の言葉も拒絶されないから、つい気楽に賞賛の言葉が飛び出てしまった。
クネクネしているサンジの後ろで、社長は顎を押さえてソファに突っ伏しているが、そんなことは知ったことではない。
「あら社長、朝食の途中に失礼しました」
「アルビダさんもコーヒー、如何ですか?」
「ありがとう、いただくわ」
ヒールを鳴らしてきびすを返すアルビダの後ろ姿にハートを飛ばしつつ、サンジはいそいそと給湯室に向かう。

背後で社長の「覚えてろよ」なんてドスの聞いた呟きが聞こえた気がしたが、今回は聞き流すことにしよう。


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