社長はお熱いのがお好き -2-


「以上で大まかな説明は終わりましたが、何かご質問は?」
銀のフレームに添えられた白い指先の繊細さに目を奪われつつ、サンジは改めて、与えられた情報を反芻した。

社長室内にはデスクと応接セットのほか、奥に給湯室があり簡単な調理ができるようになっている。
冷蔵庫も大きめのもので、使い勝手は良さそうだ。
社長のスケジュール管理や事務処理はカリファ女史、受付と随行はアルビダ女史が担当で、社長室での接待はサンジが任される。
スケジュールに関しては分刻みで共通データとしてファイルに保存してあるから、パソコンを開けばいつでも確認できる。
サンジの当面の仕事は、とにかく社長室内をエリアとしていつ如何なる時でも来客の応対ができるよう準備しておき、なおかつ社長がリラックスできる空間の保持を最優先させるということらしい。

―――つまり、社長のお守りか
そこまではわかったが、サンジにとって問題はそれではなかった。

「質問は、ありませんか?」
「あります」
サンジは生徒のように片手を上げた。
「ちょっと聞きにくい事柄ではありますが、最初に一応確認しておきたいので。勿論先入観を持つのは良くないとは思いますが、カリファさんから見て社長はどんな方ですか?」
回りくどい聞き方をしてもすべてを看破されそうだから、思い切って直球で行く。
「そうですね。社長は、見たままの方です」
思案して間を置くポーズも見せず、カリファは即答した。
「見たまま・・・と申しますと・・・」
「精悍な顔つき、鋭い眼差し、鍛えられた肉体と実力に裏付けられた自信。堂々として風格があり、言動にブレがないので言葉に説得力があります。外見と雰囲気から醸し出される魅力はカリスマ性を呼ぶのでしょう。女性のみならず同性からも慕われる、まさにリーダーとなるべき資質をお持ちの方です」
表情を変えない事務的な話し方だが、手放しの褒めようだ。
ここまであからさまに賛美されると、同じ男としてさすがに面白くないものがある。
「なるほど。ほぼ完璧に近い、まさに理想の男性であり社長なんですね。カリファさんやアルビダさんのような、美しい方が支えるに相応しい」
「そのような言い方はセクハラです。一度なら許しますが、以後は厳禁です」
ぴしゃりと言われて、サンジはうろたえた。
「え?何かお気に障りましたか」
「女性に対して『美しい』と形容することが最大の賛辞だと勘違いしておられるようですが、『美しいだけ』とも取られる発言です。見当違いな方向で無闇に誉めそやすのも却って失礼にあたるもの。私たちが『美しい』のは当たり前のことですから。貴方は企画広報部に在籍中からそのような傾向があったようですので、これを機会に改めるのがよろしいかと思います」
サンジの本能とも言うべき女性賛辞を真っ向から非難されて、一瞬目の前が真っ暗になった。
アイデンティティをすべて否定されたかのような衝撃だ。
ショックのあまり、ソファに深く腰を沈めうな垂れながら、サンジは呻くように声を絞った。
「失礼があったらお許しください。・・・けれど、俺にとってほぼ条件反射的な言動なんです。誰よりも心の叫びに正直なんです。女性の美しさには、過敏に反応してしまうんです」
「わかりました。それでは少しだけ大目に見ましょう」
今日、初めて掛けられた優しい言葉にサンジはじわっと涙ぐみそうになった。
・・・が、聞きたいことはそういうことではない。

「あ、それで質問なんですが」
またしても「はい」と挙手し、サンジは恐る恐る発言した。
「社長が立派なことはわかりましたが、お二人のような美しい・・・失礼。ええと、女性を側に置いてらっしゃる場合、その・・・男としてですね・・・あの・・・」
しどろもどろな物言いにも、カリファは辛抱強く耳を傾けてくれている。
「その・・・そう、軽はずみな行動をとられたりとか、そういうことはない・・・ですか?」
「ございません」
湾曲すぎるサンジの言い回しも正しく理解し、即答してきた。
「ない、ですか。その、親しさのあまりちょっと触れるとか、通りすがりに撫でるとか・・・」
レンズの奥で、カリファの目がすうと眇められる。
凄絶な美しさと底知れぬ恐ろしさを秘めた光に、サンジは本能で怯えを感じ口を噤んだ。
「もしも社長がこの私の・・・そうですね、髪の一筋にでも不用意に触れたならば―――」
そこで一旦切り、口元に初めて微笑らしきものを浮かべる。
「すぐさまセクハラで訴えます」

ぞぞぞぞぞぞぞぞ
サンジが実際訴えられたわけでもないのに背筋を駆け上る悪寒を抑えきれず、ソファに沈んだままぶるりと震えた。
カリファならば間違いなく、相手が社長であろうとも容赦しないだろう。
恐らくは、この会社に籍を置く女性たちはみな、それ相当の気概がある。
―――ならば・・・

「まだ何か?」
思案気に黙り込んだサンジに、カリファは元の無表情に戻って問いかけた。
サンジは緩く首を振ると、小さな声で礼を述べる。
「充分です、ありがとうございました。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします」
立ち上がり深々と頭を下げると、カリファは静かなヒールの音を響かせて社長室から出て行った。





しばらくうな垂れたままでため息を一つつくと、サンジはどさりとだらしなくソファに腰を下ろした。
誰もいない社長室で、ちょっとばかり脱力する。

女性に対してセクハラ行為をしないのなら、十中八九間違いない。
社長は、ホモだ。
いや、正しくはゲイと言うべきなのか?
ともかく、女性には興味のないイケメンマッチョなのだろう。
あんなにいい顔と身体をしていながら女性がダメだなんて・・・なんて哀れな奴なんだろうか。

サンジは殆ど無意識に、胸ポケットから煙草を取り出すと火を点けて深く吸った。
色々ありすぎて混乱していた頭の中が、少しだけクリアになった気がする。

ゲイだかオカマだか知らないが、興味のない女性に囲まれて、相当ストレスだったのかも知れない。
ここで自分に白羽の矢が立ったのは、非常に不本意であり無礼かつ腹立たしいことではあるが、仕事とあらば仕方がない。
サンジは自他共に認める女好きだ。
それは入社して3ヶ月と言えども、恐らくは会社全体に知れ渡るほどに有名な噂になっているはずなのに、敢えて自分を選ぶとはなかなかのチャレンジャーと褒めてやってもいいだろう。

「そうは問屋が卸すかっての」
一息に煙草を吸ってから、はっと気付く。
社長室内は禁煙かどうか尋ねるのを忘れていた。
短くなった煙草を指で挟んだまま周囲を見渡せば、応接セットの机の下にちゃんと灰皿が置かれていた。
―――助かった
自由に煙草を吸えそうな雰囲気だけは、素直に有難いと思える。



キッチンが備え付けられているとは言え、基本的に出来合いのものを温めて出す程度の品揃えしかない。
コンロはあるが鍋やフライパンはなく、サンジには少々不満だ。
とりあえず頂き物の菓子を皿に並べ、紅茶を淹れて三時のおやつにカリファに出した。

「ありがとう。いい香りね」
にこりともしないが柔らかい声音で礼を言い、カリファは優雅に紅茶を手に取った。
「そろそろ、社長がお帰りになる時刻ね」
「と言うことはアルビダさんもお帰りですね。準備は万端です」
表情をだらしなくにやけさせるサンジに、カリファは冷たい視線を投げた。
「貴方の仕事は、社長のお世話よ」
「一生懸命頑張りますから、カリファさん達のお世話もさせてください」
サンジの哀願を無視し、カリファは無言で追い払うように片手だけを振って見せた。





「お疲れさまでした」
「ただいま」
予定の時刻きっかりに、社長室の扉が開く。
カリファとの甘い蜜時に浸る余韻もないと、内心で残念がりながら(あくまでサンジだけの思い込み)
姿勢を正して頭を下げた。

「お疲れさまでした。コーヒーでよろしいですか」
「ああ、熱いのを頼む」
ロロノア社長はネクタイを緩めながら大股で部屋を突っ切ると、上着を無造作に椅子の背もたれに放って
ソファに寝転がった。
ふと鼻先を汗の臭いが掠め、花園のような華やかな香りに包まれていた部屋に一陣の風と共に野生の匂いが流れ込んだような錯覚を覚える。
外は汗ばむような陽気だ。
暑いだろうに、それでも熱いコーヒーが好きなのだろうか。

承知しましたと給湯室に行っては見たものの、置いてある器具はどれもおよそ本格的とは言えない。
普通のコーヒーメーカーに市販の粉で、インスタントも常備してある程度だ。
「別にインスタントでも構わないよ。チンしてくれれば」
ソファの影から社長の声がした。
サンジは「はあ?」と素の声音で聞き返す。
「淹れた後、温め直せば熱くなるだろ」
社長の言葉に、信じられないと目を剥いた。

サンジの家は祖父がレストランを経営しているせいか、紅茶にしてもコーヒーにしても淹れ方がかなり本格的だ。
必ず豆から焙煎して飲む前に挽くのが当たり前で、ハンドピックは幼いサンジのいい仕事にもなっていた。
それが、いつ挽いたのかわからないような湿気た粉で抽出して、しかもレンジで無闇に熱くしてから飲むだなんて。
「もしかして、熱けりゃいいんですか?味とか風味とか・・・」
「ああ、熱けりゃ構わんよ」
サンジのぞんざいな物言いにも頓着せず、社長はソファの向こうから大きな手をひらひら振った。
サンジの頭の方が勝手に熱くなる。
「冗談じゃないですよ。こんなの美味いコーヒーとは言いません。今日は仕方ないですが、明日からは俺が淹れたコーヒーを飲んでください」
つい激しながらも、結局言われた手順どおりコーヒーメーカーで淹れたものをレンジでチンしているサンジだ。

「紅茶でもコーヒーでも、適温ってものがあるんです。むやみやたらに熱いだけなんて、
舌だけじゃなく胃にも負担が掛かりますよ。オススメできません」
まるで小言のようにペラペラと捲くし立てながら、湯気の立つブラックに頂き物のクッキーを添えてテーブルに置く。
「そうか」
社長は素直に頷くと、腹筋だけで身体を起こしてカップに手を伸ばした。
「これで充分、美味いと思うがね」
揃えてあるカップはどれも薄くて軽い。
カップに厚みがない方が、より熱く感じられていいだなどとほざいている。
「お褒めに預かり光栄ですが、俺としては不本意です」
少々猫舌気味のサンジは、何食わぬ顔で熱々のコーヒーを啜っている社長を眺めて顔を顰めた。
定位置が定まっていないので、仕方なく社長の傍らに突っ立っている。
「明日からは君のやり方で淹れたコーヒーを味わいたいね。必要なものはこちらで用意しよう。
カリファ君に言ってもらえばいい。彼女は私のポケットマネーも預かってくれている」
「わかりました」
なんとなく、自分の存在が「秘書」と言うより執事っぽくないかと思い始めたサンジは、唐突に背後から
加わったおぞましくも身に覚えのある感触に文字通り飛び上がった。

「な、何するんですか!」
高さ30cm幅1mほど飛び退って、サンジは回転レシーブのように素早く体勢を立て直す。
社長は右手をそのままに固まって、面白いもので見たような顔をしている。
「実に反応がいいな」
「冗談はやめてください!セ、セクハラで訴えますよ!」
社長はカップに残ったコーヒーを一気に飲み干すと、サンジの言葉など聞いていないかのように平然と
お代わりを要求した。
「ほ、本気ですからね。脅しじゃないですよ」
初日から上司相手に喧嘩腰とは社会人としてどうかとも思うが、先輩であるカリファやアルビダが毅然と
した態度を貫いているなら見習うべきだ。
一定の距離を取って恐る恐る伸ばされたサンジの腕を、社長は機敏な動きで捕らえ引き寄せた。
「ぎゃっ」
罠に掛かった動物のように毛を逆立てて身体を丸めたサンジの腰を、またしても社長の手が弄りだす。
「このっ、クソっ・・・」
片手でがっちりと抱えられて、もう片方の手で撫でられ放題な状態だ。
身体が接近と言うより密着しすぎていて、得意の足蹴りも繰り出せない。
「変態!野郎のケツ触って何が楽しいんだっ」
「心外だな。試しに触ってみたらなかなかいい感触だったから確かめてるんじゃないか。小ぶりで締まっていて、けれど弾力がある」
社長の手は、痛いほどに力強く揉むかと思えば、不意に緩まって掌全体で撫で擦るような動きを繰り返す。
いまだかつて、他人どころか自分でもここまで尻を触ったことのないサンジだが、なんとも言えない妙な気分だ。
「いやいやいやいや、おかしい!おかしいっすよっ、カリファさん達の方が触って楽しいに決まってる
 じゃないですか!!」
先ほどまで眺めていた、あの豊満な曲線を思い浮かべてサンジは現実逃避しそうになった。
「それはセクハラ発言だな」
「お前に言われたかないわっ」
こうなったら頭突きしかないと頭を思い切り引いたら、社長の顔が引き寄せられるように追って来て、なお更ビビる。
「大体セクハラと言うものは、個人的な感情に左右されるものだ」
唇が触れそうな距離で囁かれ、サンジは首を竦めたまま小さく身震いした。
「同じことをされても嫌と感じるか好意と感じるかで、結果はまるで違う」
社長の声が耳を擽る。
「だから、セクハラだっつってんですよ」
首を捻じ曲げて上半身だけでも逃れようと背を撓らせたが、社長の手は相変わらずモミモミの力を緩めようとはしない。
「大体こういう・・・ふわっ」
尻の少し下辺り、足の付け根の境を揉まれた時、サンジは妙な声を上げてしまった。
なんだなんだこれ。
ビビっと何か、痺れたみたいな妙な感覚がする。
「この辺りが、弱いのか」
「ち、ちちちち違いますっ、ってか・・・やめて―――」
揉まれる度にピリピリ痺れて身体が跳ねる。
調子付いた社長の手は、更に奥まった方向に進もうとする気配が見えて、サンジは本気で慌てた。
「ほんとにもう―――」
睨み付けるつもりで顔を向けたら、思った以上に至近距離で社長と目が合った。
鳶色の瞳は真っ直ぐに自分を見つめていて、そこにはからかいや嘲笑の色はなかった。
サンジはたじろいで逃げ遅れ、その隙に社長は更に間合いを詰める。
「嫌だと思わなければ、いいんだろう?」
唇に、吐息がかかった。
微かに香るコロンに混じって独特の体臭が鼻を掠める。
男臭いと断じるにはあまりに魅惑的なその匂いに、サンジは一気に全身の血が滾るような錯覚を覚えた。
「―――あ・・・」
自らの声が社長の唇に掠め取られそうな瞬間、凛としたノック音が響いた。

「社長、お時間です」
またしても文字通りサンジは総毛立って飛び上がり、社長は圧し掛かったまま「ちっ」と短く舌打ちする。
「赤髪商事の会長と会談の予定ですね」
幸いにもドアの向こうから、カリファの声がする。
「わかった。今行く」

社長は億劫そうに身体を起こすと、申し訳程度にネクタイを締めなおして上着を手に取った。
「今日はこれで終了だ。定時になったら退社しなさい」
何事もなかったかのように爽やかに言い残して、社長は扉を開けてさっさと出て行ってしまった。
残されたサンジはまだソファに身を投げ出したままで、肩で息をしている。
部屋の外で話しているのだろう、幸いにもカリファは入ってこない。
サンジは気を取り直して身体を起こし、ぎょっとした。
いつの間にかネクタイは緩められ、シャツのボタンが外されて襟元が露わになっている。

一体いつの間に?!
社長、恐るべし。

震える指でボタンを掛けなおしてネクタイを締めた。
乱れた髪を撫でつけ、上気しているだろう頬を押さえる。
落ち着け落ち着け、声は聞こえてないだろうな―――

どんな顔をして社長室から出ていいのかわからない。
すっかり萎縮して逡巡している間に、軽くノックの音がしてカリファが入ってきた。
先ほどの紅茶のカップが乗ったトレイを手にしている。
「ご馳走様でした。アルビダも美味しかったと喜んでいたわよ」
「はい、よかったです」
もはや、何を言うにもしどろもどろだ。
カリファはカツカツとヒールの音を響かせて近付き、顔を伏せたまま両手を差し出すサンジを覗き込む
ように首を傾げた。
「どうしたの?少し顔が赤いみたい」
「・・・緊張、したんです。色々、初めてづくしで・・・」
社長室で過ごす一日が、と言いたかったのに、端的に聞くとますます怪しい言動だ。
「そう。そうね」
カリファは納得したように頷いて、サンジの肩に軽く触れた。
「大丈夫、すぐ慣れるわよ。私もサンジさんが来て下さってとても嬉しいわ」
顔を上げれば、開け放した扉の向こうで、アルビダが花のような笑顔を投げかけてくれている。

「仲良く、やっていきましょうね」
カリファにそう囁かれ、サンジは泣き笑いのような表情を浮かべてひたすら頷くしかできなかった。




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