すけすけ  -1-



 小さい頃、サンジは絵本の好きな子どもだった。

 寝る前の僅かな時間に一つだけ小さな蝋燭を貰って、それが燃え尽きるまで読み続けた。揺らめく灯火の中に浮かび上がる文字に、毎晩わくわくしていたのを今でも思い出す。そこに描かれていることを種にして、想像力豊かなサンジは様々な情景の枝葉を伸ばすことが出来た。

 一番好きだったのは、オールブルーについて描かれた絵本だった。オービット号ですり切れるほど読んだ絵本は、クック海賊団の襲撃と嵐の到来によって失われたから、バラティエで迎えた初めてのクリスマスに、アヒルの縫いぐるみと共に同じ絵本が置かれていたときには本当に吃驚して、言葉を無くして見つめてしまった。その絵本は今でも荷物の中に入れて航海を続けている。

 この本は別格として次に好きな絵本をあげるとしたら、それは《悪魔の実辞典》だろう。嘘か真か知れないが、信じられないほど破天荒な実のことが面白おかしく書かれていて、そんな実の能力を身につけた者はどんな風に暮らすのだろうかと想像していた。

 ただ、《悪魔の実》は食べるとカナヅチになってしまうから、一番の夢であるオールブルーに行っても、素晴らしい海の世界を堪能出来なくなってしまうので、基本的に食べてみたいとは思わなかった。けれど思春期に差し掛かる頃、《それでも良いから、万が一この実が目の前にあったら食べたいなァ…》と思う実が一つできた。

 その名は《スケスケの実》。
 名前が指し示すとおり身体が透きとおるという実を口にしたら、どうやって女湯…いや、世界の為に役立てようかと思っていた。

 だが、その夢は断ち切られた。
 スリラー・バークの猛獣男がスケスケの能力を持っていたことで、あのような力を持つ《悪魔の実》は存在しなくなったことが確定してしまったからだ。

 ところがどうしたことだろう?にっこりと微笑みながらニコ・ロビンが差し出してきたのは、幾らかこぶりながら《スケスケの実》に酷似した果実であった。



*  *  * 



「ええと…ロビンちゃん。これは一体どういう…?」
「食べると身体が透けてしまうんですって。《悪魔の実》の亜種だそうよ。ただ、亜種だけに効果の方は短時間しかもたなくて、約3時間で元に戻ってしまう上に身につけているものは消えないから、誰にも見つからないようにするためには服を脱いでしまわないといけないんですって」
「へェ…」

 SS号のラウンジでは、深夜になるとこうしてサンジと二人きりになることがあった。日中にはナミとロビンを賞賛して喧しいくらいにクルクルと回転するサンジも、夜も更けたこの時間帯になるとしっとりとした風情をもつようになる。普段の陽気極まりないサンジも可愛いが、夜だけ見せる落ち着いた空気感もロビンは気に入っていた。

 麦わら海賊団に入ってから、ロビンが最初に心を開いたのがサンジだったせいか、今でも独特の距離感をもって傍に寄り添うことがある。だから、彼の心の機微に一番詳しいのはロビンなのかも知れない。

『サンジはこのところ、見ていて可哀想なくらい落ち込んでいるわ』

 やはりスリラー・バークでのことが引っかかったままでいるのだろう。

 ゾロが身体を張ってバーソロミュー・くまに立ち向かった折、その間にサンジが介入していったが、柄元で殴打されて気を失っている間にルフィの受けた疲労とダメージは全てゾロが引き受けてしまった。何も出来なかったという無力感と共に、真剣勝負に割り込んだことが悔いとなっているのだろう。

 スリラー・バークを出航してから数週間が経過して、一見するとゾロは今まで通り回復したかに見えるが、サンジには本調子でないことがありありと分かるのだろう。今までのように喧嘩になりそうになっても自分から引いて、決して鍔迫り合いにまで雪崩れ込まない。
 そもそも、声を掛ける機会自体が減ったようにも思える。

 避けるような態度が気にくわないのか、ゾロの方でもサンジが近くにくるとピリリとした警戒を示すようになった。普段から刻まれている眉間の皺がより深くなって、唇も真一文字に結ばれてしまう。食事時にしたって、今までは《旨い》とまでは言わずとも、好物が出ると決まって口元が緩んでいたというのに、随分と無表情に食べるようになった。給仕をするときにサンジが目を逸らすのが嫌なのだろう。

 サンジはサンジで、そんな間柄でいることが堪らなく辛そうだ。
 ずっと気に掛けていたロビンは、立ち寄った島で珍しいこの実を手に入れる為に結構な金額を奮発した。スリラー・バークで手に入れたお宝にナミが満足していたせいか、おねだりしたら結構素敵なアクセサリーを分けて貰ったのだけど、それを売り飛ばしてまで買ったのだ。しっかり主人を締め上げて詳しい話を聞いたから、紛い物と言うことはないだろう。

「このところ少し疲れてるみたいだから、これでも食べてみんなを吃驚させるような悪戯でもして、気張らしをしてはどうかしら?ただし、後で笑っていられる程度の…ね」
「悪戯かァ…。面白そうだね」

 ずっと憧れていたという実が類似品とはいえ目の前にあるせいか、サンジの瞳にも興味の光が浮かぶ。ただ具体的な悪戯を思い浮かべると、ちょっと複雑そうな顔をしていた。

「3時間で戻っちゃうのと、服を脱がなきゃいけないのがネックかな。途中で戻っちゃったら恥ずかしいな」
「ふふ…。悪戯のつもりが、セルフ羞恥プレイになってしまうかもね」
「ろ…ロビンちゃん…」

 楽しそうにくすくすと笑うと、想像したのか口元を覆って俯いてしまう。

「まあ、食べるも食べないもあなた次第。ただしこの実は亜種だから賞味期限も短いの。腐らないうちに遊んでしまってね」
「うん。ありがとう、ロビンちゃん」

 さあ、サンジはどんな風に実の力を使うだろう? 
 ロビンはわくわくと期待に心を弾ませていた。一部始終を覗き見する気満々だ。



*  *  * 



「スケスケの実の亜種…ねェ」
「早く食べてみて?」
「う…うん……」

 手にした実は掌にすっぽりと収まる程度のもので、図鑑で見たとおりの形状だが、やはり小さくて軽い。昔のサンジなら、取りあえず試して女湯に直行したことだろう。なにしろこの船には素晴らしい女性が二人も乗っているのだから、見に行かない方が失礼というものだ。

 けれどサンジは迷っている。今まさにナミが入浴中だと知っているのに、そちらを目指す気にはなれなかった。
 ロビンが実のことを知っているから行きにくいのかなとも思うが、それだけではないことも知っている。

 既に皮が色を変え始めているこの実は、確かに生鮮食品なのだろう。迷っている間に朽ちたり、効果を失ってしまうかも知れない。折角ロビンが気を利かせてくれたのだから、いっそ罪のない悪戯でも仕掛けてみようか?

「…じゃあ、食べるね?」

 まだ迷っているせいで《ふぅ》っと吐き出した息はどこか重い。あんなにも欲していた実だというのに、うきうきとスキップしながら風呂場に向かう気にはなれなかった。ぱくりと二口くらいで食べてしまうと酷く苦かったが、すぐさま身体が透け始める。本当効いているのだ。そしてロビンの言うとおり、服までは透きとおらないらしい。何もない空間に服だけが浮いていた。

「完全に透きとおっているわよ。服も脱いでみて?」
「うーん…なんか、恥ずかしいよォ〜」
「大丈夫よ。全然見えてないから」
「そう?」

 レディの前で脱衣ショーを演じる羽目になろうとは思わなかった。シャツを脱ぐところまでは順調だったものの、ベルトを外してストレートパンツを下げようとしたところで動きが止まってしまう。幾ら裸体は見えないとは言っても、下着を見られるのは恥ずかしい。

「ロビンちゃ〜ん、ちょっとあっち向いててくれる?」
「ふふ。サンジったら可愛いわ」
「からかわないでよ〜」

 本気で恥ずかしくなって声が上擦ってしまうが、ロビンが余所を向いている間に服を脱げば、なるほど全く見えなくなってしまう。

「もう良いよー」
「あら、本当にすっかり消えてしまっているわね」

 そうは言われても、何となく前屈みになって股間を隠してしまう。ロビンは全く表情を変えないから確かに見えなくなっているのだろうが、何とも言えない恥ずかしさがあった。

 そーっと近寄ってロビンの頬に軽いキスをすると、《ふふっ》と少女のような笑みを浮かべている。脇の下をこちょこちょしてもくすぐったそうに身を捩ってとても色っぽいのに、どうしてだかエッチな気分にはならなかった。

「ちょっと行ってくるね?」
「ええ、愉しんできてね」

 ひらひらと手を振るロビンに背を向けてラウンジの扉を開くと、どぅっと肌寒い風が吹き込んでくる。夏の気候帯とはいえ流石に夜の海風は冷たくて、ぶるっと震えてしまった。

「早くどこかの部屋に入った方が良いわよ。風邪を引いてしまうわ」
「はーい」

 ぺたぺたと素足で木製の廊下を歩いていくと、頭上から微かに灯りが零れているのが分かる。見張り台兼鍛錬場となっているそこには、今日はゾロが詰めている。先ほど差し入れをしたが、顔も見せずにコトリとトレイを置いていったので、暖かい間に食べて貰えたかどうかも分からない。

 あの日から…バーソロミュー・くまとゾロの間に立ち、命を捨てる覚悟を否定された時から、サンジは上手く息をすることも出来ない。《何もなかった》とゾロは言い、確かに彼はその通りにしているというのに、サンジだけが取り残されたように日常に戻れないでいる。

『あいつ、どうしてるかな?』

 気になってしょうがないのに、気になりすぎてここのところゾロの近くに行けなかった。だが、今は誰の目にも触れずに傍に寄ることが出来る。

 ゴクリと息を呑むと、足は見張り台に向かって動いていた。長いはしごを登ってそっと丸扉を上げれば、細身なのが幸いしてそろりと忍び込むことが出来た。ゾロは巨大な鉄串団子を足に乗せ、逆立ちして親指立て伏せをするという人外な鍛錬をしていた。ニッカポッカだけを身につけ、上体は剥き身で汗だくになっている。

『あ…』

 背中は相変わらず綺麗なものだが、胸元や腹には無惨な傷跡が深く刻まれている。包帯を巻いていると動きが鈍ると言って、塞がってもいないのに剥いでしまっていつもチョッパーに怒られている。
 サンジも三食・おやつ・差し入れと身体の再生を促すような食事内容にしているが、それでも追いつかないのだろう。

『くそ…。顔色だって悪ィじゃねーか』

 泣きたいような心地になって傍に寄っていくと、微かな灯火に照らされた顔が歪み、ズシンと鉄板製の床に鉄串団子が降ろされる。

「ふーー……」

 大きく息を吐いてソファに腰を降ろしたゾロは無造作に汗を拭って、脇に置かれた特製スポーツドリンクを飲む。その横にあった皿は綺麗に空っぽになっていた。

『あ、ちゃんと食べたんだな?』

 ほっとして眺めた皿は舐めたみたいに綺麗になっていて、そういう物を見たときだけ安心出来る自分に苦笑する。普段はどんなに大きな態度を取っていても、結構自分はチキンハートなのだろう。こんな些細なことに一喜一憂してしまう。

 ドリンクを全て飲みきると、また《ふぅ》と息をついてソファにもたれ掛かる。そのまま眠ったりしたら、汗を適当に拭いただけだから身体が冷えてしまわないだろうか?風邪を引くようなコトはないだろうが、どうしたって身体の再生力は障害されそうだ。

 眠ってしまったらコッソリ拭こうと思って構えていたのだが、ゾロは眠りはしなかった。

「…っ!?」

 危うく声を上げるところだった。瞼は閉じたままだが、ゾロはおもむろにニッカポッカの前立てを緩めると中から半ば勃ちになった雄蕊を取り出し、豪快な動作で扱き始めた。

『うぉ…っ!?股間にアナコンダでも飼ってやがるのかよあいつっ!』

 アラバスタで常設サイズのそれを見たときにも度肝を抜かれたものだが、怒張したソレは更に凶悪な大きさに成長しており、太い血管が張りつめた様子はそこだけ別の動物のように見える。噛みつかれたら腕を一本持って行かれそうだ。

『あわわわ…っ!』

 これは拙い。洒落にならない。
 ロロノア・ゾロのオナニー・ショーを砂被りの席で見ているなんて、どんな変態プレイだ。いま透明化が解けたりしたら、絶望的に嫌悪されてしまうに違いない。

『逃げよう…っ!』

 幸い、瞼を閉じて熱中しているからコッソリ動けば気付かれないだろう。多少音がしたとしても、風のせいだと思ってくれるかもしれない。

 だが逃げだそうと尻を向けた瞬間、信じられない言葉がゾロの口から飛び出した。

「コック…っ…」
「…っ!?」

 なんで?
 それはサンジのことを呼んでいるのか?
 はたまた腹が減ったのか?
 自分のチンコのことをそう呼んでいるのか?

 カチンと固まったまま、サンジはその場から動けなくなってしまう。
 その間にもゾロは激しく自分の雄蕊を追い上げ、くぐもるような低音を発して絶頂を迎えた。

「コック…あぁ、くそ…コック……っ!畜生…抱きてェ……っ!」

 ビュル…っ!と勢い良く白濁が拍出されると共に、一気に選択肢が減った。
 取りあえず呼んでいるのは《コック》という人間で、やりたいことは《抱く》ことだ。ゾロは今まで立ち寄った島で料理人を呼ぶときには、一応サンジと区別するために和洋問わず《板前》と呼んでいたので、やはり対象はサンジと見て良いだろう。
 《抱く》のも、まさか雄蕊を扱きながら縫いぐるみのように抱っこしたいなんてコトはないだろうから、やはりセックスという意味なのだろう。

『えー?えー?何で?てめェ…普段そんな気配匂わせたことなんかねーじゃんっ!』

 最初はひたすら気が合わなくて、何かと言えば斬り合い蹴り合いの喧嘩をして…でも、何時の頃からかどこかで通じ合っているのは感じていた。追いこまれたときほど互いに対する掛け値なしの信頼を固めていったから、戦闘時などはゾロが背中に居さえすれば安心して闘えた。

 それがスリラー・バークで失われてしまったのだと思っていた。身を挺して仲間を庇うというゾロの侠気をサンジが穢してしまったから、もう彼の背を護る権利は無くなったのだと。

『でも…違うのか?抱きたいくらい、俺のこと…好きか?』

 嫌いだから踏み躙りたいとか、そういうコトでは無いはずだ。そうであればこんなにも切なげな、愛おしげな顔をしてマスターベーションなんかしない。

『ゾロ…』

 ほろり、ころりと頬を涙が伝っていく。
 床に滴り落ちるとそこだけ色が変わってしまうが、ゾロは瞼を閉じているから気付くまい。《はっはっ》と荒い息をしていたゾロは再び雄蕊を扱き、一方の手で鈴口を弄り始めた。

 気が付けばサンジも自分の花茎に手を伸ばして、半ば勃ちとなったそれを扱き始めていた。先走りが多いのを少し気にしていたのだが、今日は服を汚す心配もないし、室内にはゾロの男臭い精液の匂いが充満しているから、脚を全開にしてぬるつく花茎を大胆に追い立てていく。

『ん…ひぅ……っ…』

 両手で思いっ切り弄りたいが、流石に口元を覆っていないと甘い声が漏れだしてしまう。仰向けになってあられもなく内腿を開いて、天井に向かってきゅっきゅっと扱きながら、サンジはあえやかな息を掌の中に閉じこめた。
 すぐ近くにゾロの荒い息を感じるから、こうしていると彼に抱かれているみたいだ。

 透明化が解けたら、何と言って呼びかけてみようか?でも…心配なのは普段のゾロにそんな気配が微塵もなかったことだ。ひょっとして、サンジを性の対象にすることを恥じているのだろうか?容姿的にズリネタとしては有能でも、口を開けば悪態ばかりつくサンジの人間性は嫌なのだろうか?
一体どういうつもりでサンジのことを抱きたいのだろう?

「…っ!」

 ビクンっと背筋を反らして白濁を吐き出せば、放物線を描いたそれがびしゃびしゃと鉄製の床を濡らす。《はふ…》と声にならない吐息を漏らしてくたりと脱力していたら、何故か急に辺りが暗くなった気がした。灯火が消えたのかと思って瞼を上げると、そこには…目をまん丸にしたゾロのアップがあった。



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