Stay gold -6-



出航してしばらくは海上生活が続くとのナミの見立てで、早くから釣り大会が催された。
男達は甲板にずらりと並んで釣り糸を垂れ、その成果を競い合う。
デッキチェアに優雅に寝そべるナミとロビンに、いつも通り甲斐甲斐しく飲み物を運ぶのがサンジの後ろ姿をウソップは無意識に目で追った。
はっと気付いて慌てて首を振り、目の前に広がる大海原へと意識を集中させる。
それでいて、自然と耳を欹てサンジの気配を探ってしまう。
いつもの通り、ナミとロビンを褒めそやし大げさな身振り手振りで賛美する調子っ外れな声が聞こえるだけだ。

何ひとつ変わってなどいないはずなのに、なんとなくサンジの雰囲気が変わった。
そう感じてしまうのは、あるいはウソップ自身のサンジを見る目が変わってしまったからだろうか。
何度忘れようと思っても、思い出すなと念じても、ふとした折にあの時の音が、声が、空気が甦ってしまう。
サンジは決して弱音を吐かなかったし、悲鳴も鳴き声も呻き声も上げなかったはずだ。
どうしても消せなかった声は確かにあったけれど、ウソップだったらとても耐えられなかっただろう恥辱と苦痛に耐え、最低限の矜持を保った。
ずっと目を閉じているしかできなかったウソップにとって、そんなサンジは誇らしく眩しい存在とすら言えるのに、それでもいま、ウソップの目に映るサンジは痛々しい。

いつもと変わらぬ明るい表情で、不遜な態度で振舞っているはずなのに、よくよく注意してみていればほとんど食事を摂っていないことに気付く。
暑くとも長袖のシャツを着込んでいるからパッと見にはわからないが、手首だって随分と細くなった。
男部屋で眠っていても、眠れないのか頻繁に寝返りを打っているのにも気付いてしまう。
食欲が失せ、睡眠も満足に取れないのでは遅かれ早かれ体調を崩してしまうだろう。
危なっかしくて見ていられないのに迂闊に忠告もできなくて、一人で悶々と考えると胃がキリキリ痛んでくる。
結果、チョッパーにまで「具合が悪いのか?」と聞かれる始末だ。

「サンジー、俺もおやつー!」
「わあってる、待ってろクソゴム」
ちっと舌打ちして踵を返したサンジの足元に、水を張ったバケツが置いてあった。
躓く代わりに反射的に蹴り飛ばしてしまって、丁度向かいで釣り糸を垂れていたゾロの後頭部を掠って海へと落ちてしまった。
「なにしやがる、このクソ眉毛!」
血相変えて怒鳴るゾロに、サンジも負けじと声を張り上げた。
「うっせえな、そのマリモヘッドにヒットすりゃあスッカラカンでさぞかしいい音響いただろうに」
「なんだとお?」
「やるかコラ」
ガラ悪く顔を歪めて額を突き合わせるのに、ゾロはそのままふいと顔を逸らして背を向けた。
「けっ、やってられるか」
「あんだぁ?マリモちゃん、怖気付いたんでちゅかー?」
「てめえみてえなナヨっちい野郎、まともに相手してられっか」
ゾロの言葉にカチンと来たのか、サンジは荒々しく蹴りを放った。
が、ゾロに片手で止められる。
「ほら見ろ、てんで威力がねえ」
「―――っ!」
「口惜しかったら、もっとまともに飯を食え」

―――気付いてたんだ。
ウソップは半ば呆然としながら、二人のやり取りを見ていた。
興味のないふりをして、ゾロは案外とサンジのことをよく見ている。
けれど仲間の前で図星を刺されたサンジにしてみれば、たまったものではないだろう。
「ざけんな、つまんねえこと言ってんじゃねえよ」
サンジはゾロの手を振りほどいてバック転した。
そのまま再び攻撃しようと床に手を着いたところで、見張り台からのフランキーの声が降ってくる。

「アウッ!前方に海賊船接近だぞ」
「え?」
「ほんと?」
ナミは素早く双眼鏡を覗き、ウソップもスコープを手に取る。
なるほど、確かにかなり近い場所にジョリーロジャーが見えるが、甲板から同じようにこちらを眺めている船員達に武装した様子はなかった。
「・・・戦意、なさそうね」
「いやいや油断してはならない病が」
「一応身構えとけ、総員配置」
クルーが慌しく持ち場に付く中、ルフィはフィギュアヘッドの上に胡坐を掻いてのんびりと前を見ていた。

お互い速度を落とさず、それでも警戒しながら擦れ違う。
サニー号よりやや大きな船体で、粗野な男ばかりが船から身を乗り出さんばかりにして手を振ってきた。
口笛を吹き、口々に意味不明な掛け声を発して船べりを叩いている。
「なあにあれ」
意味はわからずとも不快な気分になって、ナミは両腕を組んだまま睨み返した。
「どうやら私たちの船を揶揄しているようね、あのサインは“淫売が乗ってる船”って意味よ」
「なんですってえ?」
ナミは素早くクリマタクトを組み立てると、前を向いたまま構えた。
擦れ違い遠ざかる船と充分距離を取った上で、サンダーボルトテンポを放つ。
天が割れるような雷鳴と共に、海賊船にまともに雷が落とされ衝撃と悲鳴が響き渡った。

「おいおいおいおい」
「あら、単なる自然現象よ」
しれっと言い放ち、それでも全速力でその場から走り去る。
「無茶苦茶するなあ」
「あたし達を侮辱するようなサイン送ってくる無礼者よ、船ごと沈んじゃえばよかったんだわ」
怒り心頭のナミの背後で、サンジは「毅然としたナミさんも素敵だーっ」とクネクネ踊りをしている。
「ああいう輩は、今度は俺が蹴り飛ばしてやるからねえ」
「ほんっと不愉快、さっさと中に入ってお茶しましょう」
「はいはいただいまー」
「俺もおやつー」
いつものように賑やかに騒ぎながら、そのまま午後のティータイムへと突入した。
その和やかさに紛れて、その時は誰も異変に気付かなかった。



「左舷、9時の方向から敵襲!」
ロビンの凛と響く声が眠りを妨げたのは、それから数日後の真夜中のことだ。
反射的に飛び起きたクルー達が我先にと甲板に出てくる。
「照明を落として接近する気だわ」
「ざけんな、返り討ちにしてやる!」
普段の煩悶をぶつけるかのように、サンジは嬉々として船べりに足を掛けた。
が、ふと思い出してくるりと反転する。
「念の為、ロビンちゃんはそのまま見張りでナミさんも中に入ってて」
先日の通りすがりの海賊船のように、あからさまに女性を嘲笑する輩に出くわさないとも限らない。
愛しい女性たちには、少しでも不快な想いをさせたくないとの気配りだ。
「了解」
あっさりと応じるナミに続いて、ウソップもキビキビとした動作で敬礼した。
「それでは俺も船内警備に当たることにする!」
「お前はこっちだろ」
サンジに尻を軽く蹴られ、ウソップは叫びながら敵船に向かって火薬星を放つ。
それを合図に戦いが始まった。


「行け行けえ、迎え討てーっ!」
どこにこれだけの人員が入っていたのかと、不思議に思うほど多くの海賊達がわらわらと船室から飛び出してくる。
ルフィは存分に腕を振り上げて、マストごとへし折る勢いで豪快に暴れた。
その隙を掻い潜るようにしてサニー号に乗り移ろうとする小者を、サンジはせっせと蹴り飛ばしていく。
「ちっ、後から後から切りがねえ」
面倒臭そうにポケットに片手を突っ込んで煙草を吹かすと、武器を構えて取り囲んだ男達が歓声を上げた。
「おいおい可愛い子ちゃんがそっちから出向いてくれたぜ」
「こりゃあ歓迎してやらねえとなあ」
サンジは眉間に皺を寄せ、まさかとサニー号を振り返る。
が、どこにもナミやロビンの姿はない。
自分達が出るまでもないと、ちゃんと船内に留まっているのだろう。
「どこに可愛い子ちゃんがいるんだ、頭湧いてんのかクソが」
「トボけてんじゃねえよう」
大鉈を振るい襲い掛かる男を蹴散らし、サンジは身軽な動作で甲板を跳ねた。
「ヒャハハーっ、捕まえんの俺だぜ」
「いや俺だ」
「てめえら、先越すんじゃねえよ」
異常にはしゃぐ男達に、サンジはさすがに気味悪くなって距離を取った。
蹴り飛ばすにしても、直接足ででも触れたくない野郎どもだ。
「手配書とは似ても似つかねえ別嬪ぶりじゃねえか、あいつらの言ってたことは本当だったな」
「火炎星!」
サンジの肩を掠めるようにして、ウソップの火炎星が打ち込まれた。
不意の攻撃に避ける暇もなく命中し、あたり一面火の海となる。
「ウソップ?!」
「サンジ、ぼやっとしてんな」
炎に照らし出されたウソップの表情は、今まで観たこともないほどに険しい。
目の端に涙まで溜めて、意味不明な雄叫びを上げながら他の海賊達にも行き着く間もなく攻撃を繰り出していく。
「てめえら、生きて帰れると思うなよぉっ」
「・・・おいおいおい」
思いがけない仲間の気勢に飲まれ、サンジは逆に冷静になって戦いの場を眺めた。
ゾロが縦横無尽に斬り刻んだため、巨大な船体はもはや瓦礫のようだ。
次々と仲間達が撤退するのに出遅れたたらを踏んでいると、ルフィの腕が伸びて引き寄せられた。
そのまま巨大化したルフィの足がとどめの一撃を加え、海賊船は波飛沫を上げながらゆっくりと遠ざかっていく。

「なによう、お宝も盗らずに流しちゃったの?」
もう安全と判断して、ラウンジから出てきたナミが開口一番に不平を言った。
「しょうがないだろナミ、あのまま乗り込んでたら一緒に沈むよ」
「おうよ、なんか知らんがウソップがあちこち破壊しまくってたからなあ」
「私、ウソップさんの迫力にちょっぴり肝が冷えました。肝・・・あたしの肝ってどこなんでしょ」
「知るか」
いつものように軽口を叩き合う仲間の影で、ウソップは肩で息をしながらまだ顔を強張らせていた。
「どうしたウソップー、なんか気になんのか?」
ルフィの暢気な声音に、いいやと首を振ってからふと表情を緩める。
「別に、ちょっと気が立っただけだ」
「そうだよな、寝入りばなだったし」
「あーもっかい寝直そうぜえ」
ゾロゾロと賑やかに船室に入っていくのを、サンジは船べりに持たれて煙草を吹かしながら見送った。
最後に行きかけたゾロが、足を止めて振り返る。

「寝惚けてんじゃねえぞ」
「ああ?俺のことかよ」
ムカッと来てフィルターを噛んだまま眉を顰めたが、ゾロはそれ以上言い合うつもりはないらしく踵を返してさっさと中に入ってしまった。
「・・・なんなんだよ、まったく」
どうにも尻の座りが悪いような感じを受けながら、それがなぜなのかはわからないままサンジは吸いかけの煙草を海に投げ捨てた。





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