Stay gold -3-



街へと下る坂道を、二人は一言も言葉を発することなく黙って降りていく。
落ちた沈黙の重さに比例して、浜辺から届く波音はやけに大きく感じ取れた。

途中、小石に蹴躓いてサンジがよろめいた。
それを支えようと手を伸ばし、ウソップははっとして手を引っ込める。
サンジは助けを借りず自分で体勢を整え、また前だけを向いて歩き始めた。
引っ込めた手で拳を握り、ウソップはいきなり駆け出すとサンジの前に回りこんでその場で膝を着いた。
「サンジっ、すまねえ!」
足元で土下座され、サンジは思わず足を止める。
「俺あ、俺あなんもできなかった!なにもっ・・・」
「謝んな」
「・・・けど、よお」
「謝んな」
静かだが激した声音に、ウソップは弾かれたように顔を上げる。
口調に反して、サンジの表情は能面のように平坦だ。
「別に、てめえが謝ることじゃねえ」
「・・・・・」
「俺が、自分で決めてやったことだ」
思い出したようにポケットを弄り、煙草を取り出した。
火を点けようとして初めて、その手が震えていることに気付く。
それを誤魔化すために、サンジは風を避けるように身体を傾けた。

「刀は取り戻せたんだ、結果オーライじゃねえか」
「けど、サンジがっ!」
「俺が、なんだ?」
静かに問い返され、ウソップはぐっと言葉に詰まった。
「・・・お前が」
「俺はなんでもねえ」
「サンジ!」
「あんなの屁でもねえや。よく言うだろ、犬に噛まれたようなもんだって」
訥々と語りながらも、サンジの顔に表情が戻らない。
そのことが恐ろしくて、ウソップは口を噤んだ。
「俺は忘れる。だからてめえも忘れろ」

それは違う、とウソップは言いたかった。
平気なはずはない。
お前は充分傷付いて、俺だって傷付いた。
そう言いたかったが、一言だって声は出なかった。
サンジの顔色は紙のように白く、風に嬲られる髪は白濁の液が掛かって縺れていた。
シャツもスーツも皺くちゃで、事情を知らずとも正視できない危うさが滲み出ている。
それでいて、感情を表さない瞳がまるで人形のように虚ろだった。
そんな風なサンジに、ウソップは掛ける言葉もなかった。
「・・・お前がそう言うなら、俺も忘れる」
搾り出すようにそう言えば、サンジは初めて唇を笑みのような形に変えた。

「じゃあよ、お前それ持って船帰れよ」
「え?」
「もう日も暮れてる、あいつはちゃんと船番で戻ってるだろう。早いとこ持ち主の元に返せ」
「けど、お前は?」
「俺あ、こんなナリで戻れねえだろう。どっか宿探して休むからよ、お前一人で戻ってくれよ」
「そんな訳、行くか!」
こんな危うげなサンジを一人で街に残すなど、到底できない。
「いいから、俺が心配なんだ。てめえは早いとこそれ持って船帰ってくれ」
サンジは面倒臭そうに手を振って、煙草を吸った。
横を向き、煙を吐き出す。
「そんで、てめえ一人で取り返したことにしてくれ。鍛冶屋が襲われてるとこ見たとか、森の繁みん中に隠してあったとか。てめえならなんとでも誤魔化せるだろう」
「・・・けど」
「いいから、何度も言わせるなよ」
サンジは、一度もウソップの顔を見ない。
これ以上一緒に痛くないのだということを理解して、ウソップは渋々頷いた。

「わかった、これを持ってこのまま船に戻る」
「悪いな、頼んだぞ」
「ログが貯まるのは、3日後だ。俺は―――」
「お前はゾロの後に船番だろうが。そのまま大人しく船にいろよ」
横を向いたままのサンジに、ウソップは大きく頷き返してから踵を返す。
「じゃあな」
「ああ」
両手に和道一文字をしっかりと抱いて、ウソップは振り返ることなく港に向かって駆け出していった。





水平線を朱に染めていた夕日が、いつの間にか沈んでいた。
空はいつしか濃紫の帳に包まれ、瞬く星が時間の経過を告げている。
サンジはウソップが立ち去った後もその場に立ち尽くし、ゆっくりと煙草を2本吸った。
3本目を取り出そうとして手を止め、ふっと軽く息を吐く。
「さあて、どこか宿でも探すかな」
声に出して呟いて、再び足を踏み出した。
しばらく立ち尽くしていたせいか、足は不自然に強張って真っ直ぐ歩くことができない。
股関節が軋み、後孔は鈍い痛みを伴ってズキズキと疼いた。
今まで経験したこともない感覚に、どうしても意識が集中してしまう。
散々中で放たれた精が、下着の中を濡らすのが感じられた。
思い出せば吐き気が込み上げ、サンジは無理をして思考を留め何も考えないように努力する。
一歩、また一歩と機械的に足を運びながら、街への道を辿った。

薄闇に紛れて、路地裏を選んで歩いた。
あまりこの風体で街中を彷徨いたくはない。
街外れの手近な宿に入ってみたが、部屋は空いていなかった。
「多少値は張ってもいいから、どこかねえか?」
「申し訳ありません、今は観光シーズンで多分どこもいっぱいで・・・」
宿の主人は不躾な視線でサンジを眺め回しながら、口調だけは慇懃に詫びた。
一刻も早くこの身体を洗い流してしまいたいが、部屋がないことには話にならない。
いっそ海で泳いで野宿をするかと考えた時、不意に背後から声を掛けられた。

「あれーもしかして?」
それが自分に掛けられた声だとは気付かず、サンジは虚ろな視線のままカウンターの木目を眺めている。
「ね」
肩を叩かれ、反射的に飛び退った。
カウンターに背中を打ちつけ、青い顔で呻く。
「あ、大丈夫?びっくりさせた?」
目の前に立っていたのは、半裸にテンガロンハットを被った黒髪の男。
「え?あんた・・・」
「ああやっぱり」
「ルフィの、お兄さん?」
男は愛嬌のあるそばかす面で、にっかりと笑った。




「泊まるとこないんなら、俺の部屋おいでよ」
ルフィの兄、エースは気軽にそう言って部屋に上げてくれた。
誰かと一緒にいたい気分ではなかったが、背に腹は変えられない。
部屋に通されて、サンジは顔を背けたまま短く礼を言った。
「シャワーだけ借りたら、野宿でもいいんで・・・」
「なに水臭いこと言ってんの、ベッドもダブルサイズだから二人で寝ても窮屈じゃないよ」
エースの軽口に、サンジは背けた顔色を更に青くして聞き流す。
「先に、シャワー・・・」
「ああ、綺麗にしておいで」
エースの言葉の一つ一つに過敏に反応しながら、サンジは敢えて素知らぬふりでそのまま真っ直ぐシャワー室に入った。
皺くちゃの服を脱ぎ、シャツを乱暴に脱衣籠に投げ込んで顔を上げる。
洗面所の鏡の中に、まるで幽霊のような生気のない顔が映った。
自分でも見ても尋常ではない顔色で、なにも言わずともなにかありましたと言わんばかりだ。
サンジは自分の頬を撫でて、顔を顰めた。
けれど、鏡の中の顔はぎこちなく不自然なままだ。
「・・・くそっ」
新たに太股を伝って流れ落ちる感触に身震いして、それらを振り払うようにシャワー室に入る。
頭から勢いよく湯を浴びて、すべてを洗い流し始めた。



「風呂上りって、顔じゃないよ」
ソファに寝そべってワインを傾けていたエースが、振り返りもせずにそう言った。
カーテンを開け放たれた窓は暗く、部屋の様子がくっきりと映りこんでいる。
脱いだシャツを着ようとして衣類がないことに気付いたサンジは、タオルを身体に巻きつけて風呂場から出て来た。
「俺の、服知らない?」
「さすがに、もう一度あれ着るのはやだろ?」
エースはそう言って立ち上がり、ベッドの敷布を捲る。
「俺も替えのシャツなんて上等なもん持ってねえしさ、とりあえずそのままこん中潜っちまえ」
サンジは、眉間に皺を寄せた。
「・・・なに、言ってんだ」
「俺ならいいって、このソファで寝るし」
ほらほら〜と、猫でも呼ぶように指先で招く。
「警戒しなくてもいいよ」
「そんなんじゃ、ねえ」
サンジは俯いて、自分の裸足を見つめた。
「あんたの部屋に転がりこんでるのに、その上ベッドまで取る訳にいかねえだろ」
「俺がいいって、言ってんの」
のんびりした口調とは裏腹に、エースは素早い動きでサンジの脇に回りこんだ。
身構える間もなく持ち上げられ、乱暴にベッドの上に投げ出される。
「・・・なにっ」
「もう寝ろって」
毛布ごとがばりと覆い被さり、体重で押さえ込んだ。
蹴り飛ばそうとしたが、毛布で足を覆われて身動きも取れない。
「やめっ・・・」
「はいはい」
サンジの上に跨ったまま、乾いたタオルを被せゴシゴシと頭を擦る。
真っ赤になって、乱れた髪の間から睨み付けるサンジに笑いかけ、エースは優しい手付きで髪を拭った。
「なんもしねえって、とにかく寝ろ。おやすみ」
毛布を整え、サンジの首筋まできちんと押さえて隙間をなくしてから下りた。
布団ごと跳ね除けて起き上がることはできたが、なぜか毛布の重みが身体全体に行き渡っていて、起き上がる気力が削がれる。
「そうそう、賢く寝てね」
エースは部屋の灯りを落とすと、再びソファに転がってテンガロンハットを自分の顔に被せた。
ソファの背に隠れて、サンジからエースの姿は見えない。
ただ端っこから、にょきりと二本の足が覗いているのみだ。
それもピクリとも動かなくて、サンジは途方に暮れたまま大人しくベッドに横たわっていた。
寝返りを打つことすら、憚られる気がする。
こうしていてもまんじりともできないと思うのに、身体は疲れ果てて指一本動かすのも億劫だった。

エースは恐らく、サンジの身の上に起こったことを理解しているのだろう。
同情しているだろうか、呆れているだろうか。
海賊でありながら、みっともないと思っているだろうか。
心から哀れんで、一夜でも安らげる場所を与えてやろうと思ってくれたのだろうか。
クソくらえ、と心のどこかで思いながら、それでもサンジは安堵していた。

エースが何も聞いてこないことも、明るい表情のままで接してくれたことも、それでいて強引に身体を休めさせてくれたことも。
意地を張り通す気力もなくて、そんな自分がただ情けなくて。
到底眠ることなどできないと思っていたのに、サンジはいつしか意識を失っていた。




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