Stay gold -16-



島で束の間の休息を取り、いよいよ出港となった。
食料とお宝をたんまり詰め込み、知り合った海賊達と別れを惜しむ。
ルンバー海賊団は立派な墓碑を建てられ、新たに仲間に加わった骨の表情は晴れ晴れとしている・・・らしい。
表情筋がなくても案外わかるものだ。

あれからゾロは丸二日眠り続け、何事もなかったように今朝、目覚めた。
いつもと変わらぬ、淡々として気負わない態度だ。
ゾロは戦闘時と平時とでは、纏うオーラがまるっきり違う。
普段は寝ているか鍛錬しているかのどちらかで、喧しい仲間達と一緒にいると存在を忘れるくらい気配が薄い。
まだ身体が本調子ではないのか、いつもよりさらに凡庸として風景に馴染んでいるのに、どうしてもサンジはゾロの姿を探してしまっていた。
その度、意識してるのは俺だけかよと悔しい気持ちになる。

瀕死の状態でサンジの元までやってきたゾロは、訳のわからないことをつらつらと並べ立てた挙句、気絶するように寝てしまった。
お陰で、一人取り残されたサンジはゾロを抱えた状況で途方に暮れていた。
―――しかもなんか、キスしたような気もする。
一体どういうつもりだとか、何考えてんだとか。
叩き起こして問い詰めたいような、もうこのまま何事もなかったと流してしまいたいような。
複雑な想いを抱いて悶々としている内に、出港の日を迎えてしまった。
今日からは新しい仲間と共に、再び航海が始まるのだ。



「この人の命!もう消えかけてるわよ!」
ローラの声に引き戻され、驚いた仲間達もルフィの元へと集まる。
エースから渡されたビブルカードは端が焦げて縮んでいた。
「ビブルカードは持ち主の“生命力”も啓示するのよ。気の毒だけど・・・」
エースが、命の危機に脅かされている?
俄かには信じられず呆然としたサンジの前で、ローラはビブルカードについて詳しく教えてくれた。
その意味を知ってなおルフィは笑って、予定通りに島を出発した。





青い空の下、サニー号は意気揚々と大海原を渡る。
新しい仲間を得て、エースがいなくなった寂しさを取り戻すかのように賑やかな船出だ。
そんな中にあって、ナミはまだ心の内にわだかまっていた懸念を口に出した。
「ルフィ、本当にいいの?」
それに、ルフィは相変わらず能天気な笑顔を返す。
「いいんだ気にすんな。万が一本当にピンチでもいちいち俺に心配されたくねエだろうし、エースは弱エとこ見せんの大っ嫌いだしな」
心配していないはずはないのに、屈託のない顔でさらりと言った。
「エースにはエースの冒険があるんだ」

ああ、そうだな。
その通りだ。
すぐにでも駆けつけたいと、一瞬でも思ってしまった自分をサンジは羞じた。
なにより、エースの弟たるルフィが泰然と構えているのに自分が慌ててはいけない。
エースを信じて、船長の判断に従うまでだ。

「その“ビブルカード”ってのは本人が弱ると縮むだけで、また元気になったら元の大きさに戻るそうだな」
自分に言い聞かせるように言えば、仲間達の気遣わしい視線が集まったのに気付く。
ゾロまでどこか意味ありげな目で見つめて来ている気がして、サンジはそれ以上口を開くことなくおやつを配ったあとは早々にキッチンへと引っ込んだ。



意識を取り戻したゾロと共に、改めてブルック歓迎の宴を開いた。
大いに飲んで食べて笑う仲間達は、ブルックの演奏で高らかに歌い騒ぎ賑やかさが嫌でも増した。
その喧騒に紛れながら、サンジは常に誰かの側にいた。
とことん飲むと、たまには宴の隅でゾロと杯を傾けあうことも今までにはあった。
今日のように全快祝いも兼ねているとなれば、大抵給仕も早めに終えて腰を落ち着けるのが常だ。
けれどサンジは、寧ろゾロを避けるように仲間の元を落ち着きなく渡り歩きやけにはしゃいでいる。
ゾロはゾロは、どこか不満気に口をへの字に曲げてそんなサンジの姿をあからさまに目で追っていた。

「そりゃまあ、サンジの気持ちもわかるけどなあ」
ぼそりと呟いたウソップに、頭上で踊っていたフランキーが「青春だぜ〜♪」とコブシを利かす。
「俺達だって、エースのことは心配だ」
「まあな」
「先ほどの、ビブルカードの持ち主で?」
おずおずと尋ねるブルックに、ウソップは手短に説明した。
「まあ、そう言う訳でサンジとエースはなさぬ仲な訳で・・・」
ブルックは、ぽっかり空いた眼窩できょとんとした表情を形作った。
「ヨホホ〜驚きました。私はてっきりゾロさんとサンジさんがそういう関係だと」
「なんだ、お前聡いな」
「オウッ、付き合い短くても良く見てるもんだ」
「つまり、お二人はいまただならぬ関係な訳ですね。所謂トライアングル」
「俺には、サンジが気の毒に見えるんだけどよ」
ふうと溜め息を吐くウソップの前で、ブルックは頭蓋骨を90度の角度にまで傾けた。
「それにしても、この船にはあのように麗しい女性が二人も乗ってらっしゃると言うのに、なんでまたそんなことに?」
「そんなん、俺が聞きてえ」
心底同意しながら、ウソップは杯を空けた。


サンジがことさらゾロを避けなくとも、賑やかな仲間に囲まれた船内でプライベート空間などほとんどなく、進展がないまま航海は続いた。
思いがけず人魚が飛び込んだり、おかしな男に妙な因縁を付けられたり懐かれたりしている内に、一行はシャボンティ諸島に着いた。

そこで大きな騒動に巻き込まれ、再び現れたバーソロミュー・くまの手により、麦わらの一味は散り散りバラバラとなった。








空が赤く染まっている。
海軍の、海賊の、人と人との争いの中に生まれた気焔がそうさせるのか、それとも失われゆくエースの命の炎の名残か。
大地を震わせる怒りと慟哭が、マリンフォードを包み込む。
その只中にあって、エースは不思議と静かな気持ちで己の最期の時を迎えた。

母の命と引き換えに、自分は生まれたと言う。
ゴール・D・ロジャーを父に持つ事実は隠し遂せず、エースの生涯に渡って重く付き纏った。
自ら名乗らずともどこからか息子であることを知られ、「鬼の子」と忌み嫌われた。
ロジャー本人ではないのに、その血を受け継ぐが故に憎まれ恐れられ、殺意を抱かれることも少なくなかった。
そのせいか、自然と人当りよく接する術を身に着けていた気がする。
広く浅く、無難な交友関係。
どこででも気に入られる愛想を備え、立ち回りもうまい、要領のよい性格。
それでいて、常に本音はひた隠してきた。
自分の出自がバレることを、極端に恐れもしていた。

見えない虚勢を張って、それでいて表面上は柔和に立居ふるまっていたのに、そんなエースの殻を破ったのは白ひげだ。
ロジャーの息子だと知ってなお、白ひげはそれがどうしたと笑い飛ばした。
子どもに何の罪もないと、仲間の前で断言してくれた。
その一言でエースは白ひげの傘下に置かれ、エースは生まれて初めて護られる安らぎを知った。
自分を護ることだけでなく、人を護ることを覚えた。
ようやく、自分だけの人生を歩めると思った。

それなのに、エースはいま「ロジャーの息子だから」という理由で処刑されようとしている。
そんなエースを救うために、多くの仲間が駆け付けてくれた。
こんな自分のために必死になって、時に命を捨てて戦ってくれた。
悔しくて悲しくて腹立たしいのに、心のどこかで湧き上がる喜びが隠せない。
こんなにも愛されていたのだど、自分勝手な嬉しさが胸の中に存在することに、エース自身吐き気がした。

どこまで身勝手な男だ。
こんな自分を、命がけで救おうとしてくれる仲間達の方がバカだ。
早く見捨てて、見殺しにしてくれればいいのに。
なのに、自分の名を呼ぶ仲間達の声が、ルフィの姿が、白ひげの力強さが、嬉しくてたまらない。
こんなにも、最低な人間なのに――――

「エース!!」
臓腑が焼けるように熱い。
いや、真実焼けているのだろう。
溶け崩れた内臓よりも空っぽな頭の中で、都合のよい思い出だけが走馬灯のように廻っている。

これもすべて、幻影なのかもしれない。
そばにルフィがいて、白ひげがマルコが、仲間達が自分を救おうと駆け付けてくれて。
誰もが滂沱の涙を流し、消えかけるエースの命を惜しんでくれている。
ああ、自分はこんなにも愛されていた。
ロジャーの息子でも、鬼の子でもない「ポートガス・D・エース」を、愛してくれていた。
やっと、ただの一人の男として、生きて死ぬことができる。

「愛してくれて、ありがとう」
ルフィへの、白ひげへの、すべての仲間達への感謝の言葉が口をついて出た。
こんなにも愛されていた。
ただそのことが、純粋に嬉しい。

人に愛されることのみを渇望して生きてきた人生は、ある意味最期まで父親の支配下だったということだろう。
けれどただ一人だけ、愛されるより愛したい人がいた。
例えその胸の奥底に他の人間がいたとしても、変わらずただ愛し続けたい人がいた。

―――サンジ…
誰にでも愛されたいから、人に嫌われることはしたくなかった。
疎まれるようなことも、執着することも。
ましてや、他人を縛るような真似はしたことがなかった。
ひと時の色恋でも、その場を離れればお互い自由だ。
束縛も約束も意味を成さないと、そう思っていたはずなのに。

『浮気するなよ』
この期に及んで、あの時の言葉を撤回したくないと強く思う。
サンジの心の中にだけ、単純な言葉でもっていつまでも楔を打ち込んでいたい。
最初で最後の、ただ一人の愛する人を持てたこと。
そのことだけが、死にゆく俺の胸を悦びで満たしていく。

死してなお、決して手放しはしないよ。
真摯な君の精神は、この先ずっとこの言葉に縛られ続けるだろう。
愛しているが故に残酷な仕打ちだとわかっていながら、敢えて言葉は残さない。
ただ、感謝の気持ちをルフィに、仲間に遺すだけで。

サンジ、君への言葉はあれが最後だ。
許されなくていい、俺は永遠に君の中で、罪悪感と共に生き続けていたい。
それが俺の、最初の我が儘で最後の甘えだ。

「エース!」
ルフィの声が、熱が、叫びが、どんどん遠くなっていく。


愛してくれてありがとう。
遺す言葉はただ、それだけ――――










ポートガス・D・エースは死んだと、新聞が告げていた。
帽子を取って悼むルフィと、その写真に隠されたメッセージ。
麦わらの一味としてそれらを読み取ったサンジは、彼にとって地獄のような島で一人、海を眺め座っていた。

隙を見せればすぐさま襲い掛かってくる島の住人達も、今日はその姿を見せない。
特に何を言った訳でもないのに、何かを感じ取ってくれているのだろうか。
見てくれは化け物並みだが、根本的に繊細で優しい気質の住人達は土足で他人の心に踏み込んできたりはしない。
その心根に甘えて、今日だけは一人で海を眺めていよう。

止まない潮騒に身を任せ、忌むべき過去も今なら懐かしく思い返せる。
あの時はエースがいた。
確かに、エースは生きていた。





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