Stay gold -15-



船は間もなく不気味な島に着いた。
次から次へと起こる不可解な現象に翻弄されながら、サンジは攫われた花嫁たるナミの奪還に全力を注いだ。
一旦災難に巻き込まれれば、息つく暇もない。
影を切り取られたりおかしなゾンビにされたり、キューティちゃんが放つネガティブホロウにやられたり巨大ゾンビに襲われたりと目まぐるしい冒険だった。
それでも、仲間全員満身創痍でなんとかでかラッキョを倒したと思っていたのに、突然現われたもう一人の七武海によって事態は急転した。

どうしたって敵わない。
歴然とした力の差に、絶望するのは何度目だろうか。
それでも、今までだって何度となくこんな危機は乗り越えてきた。
それでいてなお、今回はダメかも知れない。
そんな予感が胸に湧いて、サンジは一度は吹き飛ばされ倒れながらも、なんとか肘を着いて身体を起こした。
山のように巨大な男と、その前に立つゾロが何か話している。
あろうことか座り込んで、まるで懇願しているようだ。
ゾロが敵の前で頭を下げるなんて、こんなことがあるはずがない。

「このおれの命一つで!勘弁して貰い手エ!」
ゾロは確かにそう言った。
ルフィは、海賊王になる男だ。
その代わりと言っちゃあなんだが、ゆくゆくは大剣豪になる俺の首を取れと、ゾロは言った。
ゾロが、ルフィの命乞いをした。

あまりの衝撃に声も出ず、サンジは瓦礫の中で呆然としゃがみこんでいた。
目の前の光景が俄かには信じられなかった。
あのゾロが、ルフィの身代わりに首を差し出そうとしている。
己の強さを信じ、力だけを頼りに生きてきたような男が、いま、他人のために死のうとしている。
船長一人護れないでなにが大剣豪だ。
そんなことを嘯いて、それこそ本末転倒だろうが。
生きてこそ護れるんだ。
てめえが死んで、どうするよ。

頭で考えるより、身体が先に動いた。
待て待てクソヤローと、随分と間の抜けた声掛けでよろけながら間に割り入った。
今度は自分がゾロの前に立ち塞がって、バーソロミュー・くまと対峙する。
「この一味で最も厄介な存在になるのは・・・この、“黒足のサンジ”だ。さァ取れ・・・」

ゾロ、お前が死ぬ必要はない。
ルフィだってもちろん、こんなところで死なせて堪るか。
俺が死に花、咲かせてやらあ。
「悪イがコックならまた探してくれ」
そう言い残せば、悔いはないと思った。
しゃんと立つ背中を見せたくて、背筋を伸ばして。
背後から脇腹に入った痛みに、一瞬で気が遠くなる。
それでも、なにをされたかはわかった。
辛うじて振り向き、ゾロの肩に手を掛けても力が入らない。
「て、めエ・・・」
それでも何とか取り縋るように腕を掴み、支えきれずそのままずるずると崩れ落ちた。
意識を失う間際、ゾロの顔が見えた。
倒れ行くサンジに目もくれず、ゾロは真っ直ぐ前だけを、くまだけを見ている。
その顔になんの動揺も苦悩も迷いもなくて。
ただ、挑むような目付きだけが光っていて。
サンジの姿なんて、目にも入っていなかった。

ゾロはただ、くまと対峙していただけだ。
そこに割り込んだ俺は単なるでしゃばりで。
ああ俺はまた、余計なことをしちまったのか。
男と男の、てめえの命を賭けた話し合いに水を差しちまったのか。
それでも、俺は動かずにいられなかったんだ。
余計なことをと、迷惑がられても嫌われても呆れられても、どうしたってじっとしていられない。
てめえを死なせたくない。
こんなところで死んでいい男じゃない。
てめえは、ここで終わるような男じゃねえだろ。

ああ――――
やっぱり俺は、てめえのこととなると冷静じゃいられなくなるんだ。






人のざわめきで目を覚ました。
先に気が付いたらしいルフィが、おどけた仕種で飛び跳ねている。
「嘘みてえに身体が軽いんだ、どこも痛くねえぞ」
「みんな無事か」
「生きてるな」
「よかったよかった」
そんな、能天気な仲間達の中でサンジは一人焦燥しながらその場を離れた。

みんな無事な訳がねえ。
ゾロは、ゾロはどこに行った。
くまは、どこに行ったんだ。

瓦礫の中に、立つマリモ頭を見つけた。
おい大丈夫かと駆け寄って、声をかけても振り向きもしない。
服から身体から血塗れで、仁王立ちしながらもその身体は小刻みに震えていた。
正面に回りこんで肩を掴んでも、まるで憑かれたみたいにゾロは虚空を見つめたきりだ。
「なにも・・・なかった!」
異変を聞き付けて駆けつけたチョッパーの姿を見て、ゾロはそのまま昏倒した。



光差す明るい広間で、急遽広げられた宴会は賑やかなものだった。
山ほどの食料を片っ端から調理して、山ほど料理を作ってもまだ足らない。
フル回転で働いて働いて、少し休憩で一服している間に新しい仲間ができてしまった。
こともあろうに骨だが、なかなか気骨のある男で悪くはない。
瀕死の重傷で寝ているゾロの側には、仲間が誰かしらずっと張り付いていた。
ゾロを中心にして、宴会の輪が広がっている。
ルフィは眠るゾロに酒を飲まそうとして殴られていたが、こんなに騒がしい中でも昏々と眠り続けるゾロの口元が柔らかく笑んでいるのには気付いていた。
意識を失くしながらも、安らいでいるんだろう。

自分が倒れてから以降のことは、一部始終を見ていた奴らに話を聞いた。
結局ゾロの首も取らず、なぜくまが引き下がったのかはわからなかったが、みんな無事ならなによりだ。
ことさら美談だと取り上げることも、詫びることも礼を言うこともないだろう。
もう、忘れてしまえばいいことだ。

「お二人の行動に心打たれました」
同じく一部始終を見ていた骨が、ゾロとサンジを一括りにして「お二人」なんて呼ぶから、サンジは嫌そうに顔を歪める。
「俺は、マヌケを晒しただけだ」
「いいえ、あなたにも同じ覚悟があった」
同じ・・・同じだろうか。
いや違う。
少なくともゾロは、ルフィの夢のために。
ひいてはルフィの仲間達のために、自分ひとりの身体を張った。
けれど俺はどうだ。
俺は多分、ルフィのことなんてこれっぽっちも考えちゃいなかった。
ルフィも、ルフィの夢も、仲間達のこともなに一つ。
ただ、目の前にいるゾロの命が失われると思ったから。
それだけで飛び出していた。
俺の目に映っていたのはゾロだけだ。
それが、ゾロと自分との決定的な違いだ。
他者のために行動しているように見えて、結局一番自分勝手なのは俺だ。
ゾロを失いたくない、てめえのためだけに動いたんだ。

改めて思い知らされ、ほとほと自分に嫌気が差した。
宴会の場を離れ、一人で後片付けをしながらいつの間にか日が暮れて中空に浮かぶ月を見上げる。
太陽の光を浴びるのが嬉しくて、日が差す方向ばかり追いかけて移動を繰り返していた元ゾンビ達も、騒ぎ疲れて眠ったらしい。
いつの間にか島には夜の帳が降りていたが、最初に訪れた時のような禍々しさは失われ、静かで清かな闇が辺りを包み込んでいる。
静かに流れていた音楽もやがて止み、虫が集く音がかすかに聞こえるほどの静寂の中で。
背後で小枝を踏む音がして、誰か来たのかと振り返ったら、闇夜に浮かぶ包帯姿が目に入った。

「お前・・・!」
石造りの壁に凭れるようにして、血の気の失せた蒼白い顔でゾロがこちらを見つめている。
なにしてんだと、驚きより怒りが先に沸いてサンジは駆け寄った。
「動くなバカ、てめえ死に掛けたんだぞ!」
支えるように腕を伸ばしたら、ゾロは驚くほど素直に身体を預けてきた。
両手で抱えて引き摺って、芝生の上に下ろす。
ゾロがサンジの腕を持ったままだったから、サンジも釣られて腰を下ろした。
「・・・何やってんだ」
片膝を着いて向かい合う形になるから、座り直そうとしてできなかった。
ゾロが、掴んだ肘を離してくれない。
「なんだよ」
月明かりの下、ゾロの目はまっすぐにサンジの顔を見ていた。
あの時も、あの時も。
サンジには目もくれず敵の顔だけ睨み付けていたのに。
今は、穴が空くほどまじまじとサンジの顔を見つめてきた。

「生きてる、な」
「・・・は?」
それは、こっちの台詞じゃないか。
死に掛けたのはてめえだろうが。
「当たり前だろうが、お陀仏しかけたのはてめえだぞ」
そう言ってやれば、ゾロはふっと笑った。
眠っている時もそうだったが、妙に表情が柔和になっている。
死に掛けて、お花畑でも見ちゃったんだろうか。
臨死体験して、文字通り生まれ変わっちゃったりしたんだろうか。

俄かに心配になったサンジの腕を、ゾロは微笑んだまま両手で掴んで引き寄せた。
ぽすんと、ゾロの胸の中に正面から収まる。
けれど相手は瀕死の重傷なので。
傷に触るといけないと、石畳に手を着いて凭れてしまわないように踏ん張って、中途半端な体勢のままゾロの腕の中に収まった。
いや、なんか間違ってるんじゃないか。

「初めて、てめえ以外のもんの命を考えた」
「―――・・・」
「死なせたくねえと思った」
それはあれだ、ルフィのことだな。
「ルフィなら、無事だぜ」
囁くようにそう言えば、ゾロは血に汚れた眉を心持ち上げてから、心外そうに下唇を突き出した。
「なに言ってる、てめえのことだ」
「は?」
「てめえが、俺を庇ったりしやがるから」
いや、ちょっと待て。
「てめえは、ルフィの代わりに首差し出したんだろうが」
「おうよ」
「なら俺も同じだ」
「違う」
なんで?
なぜそうキッパリと、言い切れる。
唖然として見つめ返すサンジの頬に、ゾロの手が触れた。
ツンと鼻をつく消毒液の匂いと、鉄臭い血の匂い。
ところどころ瘡蓋ができた皮膚は硬くて熱かった。
「ルフィの命乞いをした時は、正直命を捨てる気だった。俺の首一つで助けられるならと本気で思った。だが・・・」
てめえが―――
「のこのこ出てきやがって、俺を庇ったりしやがって。バカじゃねえのかと」
「お前が言うな」
憤然として言い返すサンジの、頬をむにっと強く抓る。
「死ねねえと、思ったんだ」
「・・・」
「こんなバカ遺して、死ねねえと思った」
死ぬ気で身体を張って、けれど身体を張られたら途端、死んでられなくなった。
「俺ァ正直、誰かのために命投げ出す覚悟なんざ持ち合わせてなかった。てめえの命はてめえだけのもんだ。人の代わりに首差し出すのは無駄死にだ。そう思っていたはずなのに、ルフィを助けるためにはその手段しかねえと思いついて・・・」
それでいて、身代わりにとサンジが飛び出してきた時、気持ちは一変した。
「死ねねえと思った。てめえみてえなバカ遺して死んで堪るか。なにが何でも生きてやると、首斬られたって死なねえと本気で思った」
「バカかてめえっ」
言ってることが支離滅裂だ。
それなのに、サンジを真っ直ぐ射抜くように見つめる瞳に迷いはない。
「俺はてめえを遺して死ねねえ。石に齧り付いてでも、無様でも滑稽でも、どうしてでも生き残る」
「ゾロ・・・」
「てめえみてえな阿呆を、置いていけるか!」
ふざけんな。
なに勝手なこと言ってんだ。
一人で覚悟して一人で翻意して、一人で思い込んで突っ走って、なにしてんだ。
「てめえが生き残ったのは、その覚悟をくまが見たからじゃねえか」
「そうだ、そしててめえがいたからだ」
「俺は・・・なにも」
「くまの野郎は、そんな野暮じゃねえとよ」
意味がよくわからない。
わからないけれど、さっきから正面切って抱き締められてゾロに熱く囁かれている現状だけは認識できる。
なんだかまるで、抱擁されているようだ。
「俺ァ今まで、自分の命より大事なもんはねえと思ってた」
「―――・・・」
「けど見つけた、わかっちまった。誰かのためになにかをしたいと、頭じゃなく勝手に身体が動くってことを」
「ゾロ・・・」
「気付いたら、もう」
「ゾロ、熱が・・・」
酷く熱い。
ゾロの手も、身体も呼吸も全てが熱い。
荒い息と共に一瞬唇が重なり、そのまま圧し掛かる重みに耐えかねてサンジは仰向きながら後ろ手を着いた。
ぐらりと視界が傾いで、サンジの肩越しにゾロの身体が崩れ落ちる。
「―――ゾロ?」
切羽詰った表情で、まるで口説くみたい言いたいことを言い放った後、ゾロは気を失うように寝てしまっていた。




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