Stay gold -14-



エースが出発してしまってから、麦藁の一味は揃ってしばらく腑抜けのようになっていた。
以前にもこんなことあったなと思い返したウソップは、すぐに「ああ、ビビの時と同じだ」と納得した。
短期間乗り合わせただけなのに、一人増えてから減るとなんとも寂しいものだ。
なにより、エースは去り際に爆弾を残してくれたし。

―――浮気するなよ。
そんなことを言って、公衆の面前でサンジにキスをして行ったりしたから、そのあと船内は軽くパニックに陥った。
妙にハイテンションになったナミと素朴な疑問を持ったチョッパーに質問攻めにされ、サンジは可愛そうなほど真っ赤になって逃げ回っていたし。
ロビンとフランキーは意味ありげな微笑を浮かべてその様子を見守り、ゾロは額に青筋立ててムキになったように鍛錬に打ち込んでいたし。
態度が変わらなかったのはルフィだけだ。
勿論ウソップも、予想外の展開を目の当たりにして動転したクチだった。
サンジがエースを伴って船に帰って来た時は、「ああ、偶然行き会ったんだな」ぐらいにしか思わなかったし、エースが気さくにサンジに構うから仲間の雰囲気もよくなって、ゾロと自分とのぎくしゃくした感じも消えたと喜んでさえいたのだ。
それがまさか、エースとサンジが恋仲に発展していようとは。

「はー・・・参ったぜ」
「どうした、溜息ばっか吐いて」
頭上から声が降ってきたと仰ぎ見れば、半分ロボ化したフランキーが大工道具を担いで甲板を横切るところだった。
「ああ、どっか壊れたのか?」
「いんや点検だ。最近あんまり壊れねえからつまらねえ」
「や、これが普通だろ」
突っ込んでみたものも、ウソップもふむと肩を下げる。
エースが去ってから・・・いや、正確にはあの島を出てからゾロとサンジは大っぴらに喧嘩をしていない。
もっと遡れば、あの問題の島を出てからになるか。
以前は寄ると触ると喧嘩になって、あちこち壊してはフランキーの出番があったのに、今ではめっきり静かなものだ。
「なんせあの二人がじゃれ合わなくなったからな、覿面だ」
こともなげに言うフランキーに、ウソップは年上の男の頼もしさを見た。
「フランキーには、あの二人じゃれ合ってるように見えたのか?」
「オウ当たり前だろ、あれがじゃれ合いじゃなくてなんだってんだ」
あっさりと肯定され、ウソップはますます頭を抱える。
「んじゃあさ、今はどう思うよ。あの二人」
「オーウ、拗れてんなあ」
「やっぱりかー」
思わず手で顔を覆い、長い鼻の下を指で擦った。

「あのよう、俺はまあ、今まであの二人は犬猿の仲だと思ってた訳だ」
「そりゃそうだろうなあ」
「それで間違っちゃいねえか?」
「間違いじゃあねえだろ。事実、当人達だってそう思ってただろうが」
「それが、なんだってこうなった」
言外にエースのせいかと考えたら、フランキーはでかい肩を揺すって笑った。
「少なくとも火拳のあんちゃんが原因じゃねえぜ、元からあの二人はややこしかったんだ」
「そうなのか?」
「あんちゃんは単なる切っ掛けだ、だからお前さんがあれこれ考えたってどうしようもねえよ」
「俺は別に・・・」
男男の色恋沙汰に首を突っ込む趣味はない。
ただ、最初からすべての成り行きを知っているものとしては、看過できないものもある。
なによりゾロもサンジも、そして一時とは言え共に過ごしたエースも、それぞれがウソップにとって大切な仲間だから。
「別に応援する訳じゃあねえが、心配なのは心配だ」
「そうだな」
フランキーに肯定され、事態が好転した訳ではないが、ウソップの気持ちはなんとなく軽くなった。





明日の仕込みを終え後片付けも済ませたサンジは、ラウンジから顔を出して周囲の気配を確認した。
適度に風は吹き、波もある。
今日の不寝番たるチョッパーには夜食を差し入れたし、他の仲間はみな寝静まっているだろう。
そう安心して中に入り、ワインラックから1本引き抜いて自分のためだけに封を開けた。

エースが旅立ってから、眠り際にやけに波音が耳に付くようになった。
こんなあからさまに不調が表れるとは我ながら腹立たしいが、眠れないと苛々すればするほど尚目が冴えて眠れない。
いっそカパッと寝酒でも呷って、倒れこむように寝てしまった方がいい。
グラスになみなみと酒を満たし、薬でも飲むように一息に呷った。
さほど度数は高くないのに、喉に染みて落ちる液体は身体の中から熱を広げて焼け付くようだ。
味見程度につまんだ夕食では、空きっ腹と同じだろうか。
エースの存在は、自覚する以上に自分の中で大きかったと、遅まきながら気付いた。
気持ちの上でこんなにも頼っていたのかと、自分の身体に知らされたようで愕然とするが、いつまでもこのままじゃいけないと焦る気持ちの方が強い。

エースが去り際に爆弾を投下してくれたお陰で、特にナミの攻撃には辟易した。
なぜか生き生きとした表情で、エースとの馴れ初めやら成り行きやらを聞いてくるのだ。
知的好奇心で目を輝かせるナミは筆舌に尽くしがたいほど愛らしく魅力的だが、サンジとしては忸怩たる思いがある。
「ショック!サンジ君ったらまさかエースと・・・」
なんて展開になると期待したつもりはないが、それにしたってもう少しダメージがあってもいいんじゃないか。
なにそれ面白そうと、興味津々の顔で根掘り葉掘り聞かれては、完璧に自分はナミの恋愛対象から外れていたと思い知らされるばかりだ。
それどころか、新たな興味の対象にされていそうで、正直怖い。

「ナミひゃぁん・・・」
情けなく呟いて二杯目のグラスに口を付けると、予告もなくラウンジの扉が開いた。
思わず口に含んだワインを噴きそうになる。
それを危うく飲み込んで、気管で噎せてゲホゲホと咳き込むサンジの向かいの椅子を引き、ゾロはどかりと腰を下ろした。
いつものように腕を組んだ横柄な態度で、ゾロは一言「つまみ」と言った。
目尻に涙まで滲ませて咳いていたサンジは、袖で口元を拭いながら脱力した仕種で立ち上がる。
「あんだよ、折角気持ちよく一杯やってたってのに無粋な奴だな」
憎まれ口の一つも叩いて背を向けたが、内心はバクバクだった。
まさか、ゾロの方から接近してくるとは思ってもいなかったのだ。
確かに、一連の事件が起こるまではたまにゾロと差し向かいで飲むことはあったが、こんなに早く元のペースに戻れるとは思っていなかった。
寧ろ、エースがいなくなるのを見計らったようにやってきたと感じてしまうのは、穿ちすぎだろうか。
そんな風に意識しているのは自分だけで、ゾロはきっとなにも考えてなどいないだろうに。

そう思いつつも暴れる鼓動は収まりそうにないし、どうしても意識が背後に向いてしまう。
じっと見つめるゾロの視線を痛いほど感じて、平静を装うのに精一杯だ。
こうなるのが嫌だったのに。
ゾロの一挙手一投足にビクビクして、まるで顔色を窺うように萎縮してしまう自分に反吐が出そうだ。
以前のように悪態ついて、本気で喧嘩できる仲に戻りたいのに。
いつまでも、ゾロへの後ろめたさが消えない。

「酒は、どれでも好きなの選べ。そん代わり後で足らなくなったって知らないからな」
サンジは不機嫌そうにそう言うと、簡単に作ったつまみを皿に盛ってゾロの前に置いた。
飲みかけのワインもこのままやってしまおう。
そう思っていたのに、ゾロはすっと手を伸ばすと皿をサンジの方へと押しやった。
「つまみだ」
「・・・は?」
まあ、確かにつまみだ。
今サンジが作ったものなのだから。
「飲む時はなんかつまめと、言ってやがったのはてめえだろうが」
はっとして顔を上げると、正面に座るゾロと目が合った。
特に怒っても不機嫌でもいない、けれど勿論笑顔もなくてただ淡々とした表情。
それでいて、真っ直ぐにサンジの瞳を見つめている。
「このつまみはお前が食え。食ったら飲んでいい」
「・・・はっ」
思わず噴き出して、片手で口を押さえた。
口端がニヤニヤと歪んでしまう。
まさかゾロから、飲酒の許可が下りるとは思わなかった。

「飲んで、いいのか?」
「その代わり、ちゃんと食えよ」
自分で作ったつまみを自分が食うことになるとは思ってもいなかった。
けれど、一人で食べるのはやはり気が引ける。
サンジは取り皿を出してきて、ゾロ用の酒も一本空けた。
グラスに注いで差し出せば、無論断るゾロではない。
結局、一人分のつまみを二人で分け合って食べた。
そうしながら酒を飲み、また食べて腹の中に納める。
なんとなく、久しぶりにゆっくりと食事をした気分だ。
「・・・久しぶりだな」
頭の中をそのまま読まれた気がして、サンジは「うん」と素直に頷いた。
それから「え?」と顔を上げる。
「こうして二人で飲むのは、久しぶりだ」
正面に座るゾロの目線は、相変わらずまともにサンジの顔に向けられている。
ついぎこちなく視線を逸らし、曖昧に頷いた。
「そ・・・うかもな」
「エースが来てから、近付けやしねえ」
「・・・そ、う・・・か?」
再び心臓がバクバク鳴り出し、背中には冷や汗が流れた。
一体全体なんだってんだ。
ゾロの方から積極的に話し掛けて来るなんて今までなかったし、妙な緊張感しかない。
「恋人が去って寂しがってるかと思いきや、ナミの名前呼んでやがるし」
「―――・・・」
呼吸と一緒に心臓が止まるかと思った。
言われた内容も台詞もなにもかもが、サンジの想定を超えている。
突っ込むより先、唐突に笑いが込み上げてきた。
「こ、こ?恋人お?」
「ああ?違うのか」
「いや、違・・・わない、こともない、けど、恋人お?」
サンジは思わず笑い声を立てそうな口を押さえ、鼻を膨らませてテーブルに突っ伏した。
なにがおかしいって、ゾロの口から「恋人」なんて単語が飛び出してくるのがおかしくて堪らない。
まずそのことにびっくりだ。
「こ・・・恋人って・・・てめえが、恋人って・・・」
「違うのか」
苛々した口調で問い掛けて来るのがまたおかしくて、目に涙を浮かべながら首を振った。
「ちが・・・そうじゃなくて、てめえの口からそんな台詞が飛び出てくるなんてなあ・・・」
「恋人じゃねえのか」
「ごめん、悪い、会話の内容以前の問題で、俺はいまドツボっている」
腹を抱えてヒイヒイ笑うサンジは、自分でも異常にテンションが上がっているのを自覚していた。
どうやらかなり、酔いが回ってしまったらしい。

「エースが出て行ったと思ったら、もうナミに鞍替えかよ」
詰るような台詞だが、ゾロの口調はさほど強くもない。
恋人発言でまだ笑いの収まらないサンジは、しつこく食い下がるゾロがまるで拗ねているように見えた。
「違うって、ナミさんはナミさんじゃねえか。俺はナミさん一筋だぜ」
「この浮気者」
再び笑いの発作が沸き起こった。
「恋人」に引き続き、今度は「浮気者」だ。
まさかこんな俗っぽい単語が、ゾロの口から飛び出すとは思いもしなかった。
「止めてくれ、頼むから勘弁してくれ、腹が痛い」
「笑い事か」
「笑い事なんだよ、なんだっててめえそんな似合わないこと言いやがる」
テーブルに突っ伏してひいふう息を吐きながら、サンジは上気した顔でゾロを見上げた。
「どういう風の吹き回しだ。つか、なんか悪いもんでも食ったのか」
「てめえの飯しか食ってねえ」
「・・・もう止してくれよ、マジ勘弁」
喉の奥で笑いを堪えながら、サンジはふうと深く息を吐いた。
本当に久しぶりだ、ゾロの前でこうして笑うことも。
ゾロからこうして近付いて来てくれなければ、こんな時間は持てなかった。

ふと降りた沈黙に、サンジはテーブルの上に投げ出した手で拳を作った。
どうしていいかわからない。
けれど、この空間は嫌じゃない。
このままずっと続いて欲しいと思えるくらい、心地よい。
それでいて沈黙が重くて、身動きすら取れなかった。

ゾロは、不意に身体を捻って腰に差した刀を一本抜き取った。
腕を曲げてサンジの目の前に鞘をかざす。
サンジは黙ったまま、身体を起こして正面から白い鞘を見つめた。
「お前のお陰で、これは俺の手に帰った」
「―――・・・」
「礼を言うのがまだだった。ありがとう」
ビックリした。
ビックリしすぎて、声も出ない。
ましてや笑って茶化すことも、冗談でごまかすこともできやしない。
「そして、すまなかった」
続いたゾロの言葉に、息が詰まる。

ゾロの顔は見られなくて、心持ち視線を下げじっと白鞘を見つめた。
今ゾロは、確かにサンジに礼と詫びを言った。
それが信じられなくて、まるで夢の中にいるようだ。
嬉しいとか報われたとか、そんな喜びではない。
ただ、これがゾロなりのけじめなのだと、そのことだけは胸に届いた。

俺は別に、とか。
どういたしまして、とか。
そんな返事なんてとても言えやしない。
なんと言っていいかわからない。
なにを言っても、サンジの気持ちに反する気がする。
ありがとうとか、すまなかったとか。
そんなこと、言われたかった訳じゃない。

固まってしまったサンジを置いて、ゾロはちゃきりと刀を鳴らすと腰に差し直した。
それからゆっくりと立ち上がり、テーブルに手を着く。
「ごちそうさん」
「・・・お粗末でした」
それには返事を寄越して、サンジは座ったままゾロを見上げる。
今度はちゃんと目を合わせた。
どこか照れくさそうなゾロの表情を、初めて見た。

「おやすみ」
「おやすみ」
ぱちりと瞬きを一つして、笑顔で応えた。
これでもう、元通りなのだ。
ゾロはゾロの、サンジはサンジのけじめを付けた。
過去の記憶は消せないが、ゾロへの後ろめたさもぎこちなさも少しは解消される気がする。
ゾロから手を伸ばしてくれたから、サンジも応えることができた。

俺の方こそ、ありがとうな。
言葉にはできなかった台詞を胸に仕舞い、サンジはキッチンから出て行くゾロを見届けて着席したまま目を閉じた。
程よい酔いが身体を包み込んでいる。
今夜は、よく眠れそうだ。




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