Stay gold -12-



夕方に降り出した雨はいつの間にか止んでいた。
雲が晴れて空には星が瞬いている。
変わりやすい天気だと改めて思いながら、サンジは膝を抱えて遠くを眺めた。
気温はさほど低くない。
これなら表で雨に打たれたまま寝くたれていても、風邪なんか引かないだろう。
というか、あいつは一度くらい風邪を引いた方がいい。
そうしたらもしかしたら、少しはバカもダメも改善するかもしれない。

見張台が軽く振動して、人が昇ってくるのに気付く。
振り返る間もなく、軽やかに顔を出したのはエースだった。
両手にトレイとポットを掲げている。
「よ、お疲れ」
「おう」
サンジは驚きながら腰をずらし、スペースを空けた。
当然のようにサンジの横に胡坐を掻いて、トレイを目の前に差し出す。
「小腹空いてないか?あと眠気覚ましにコーヒー」
「・・・ありがとう」
毎夜見張りに差し入れをしながら、サンジ自身差し入れを受け取るのは初めてだった。
戸惑いつつも、エースが煎れてくれた温かいコーヒーの香りにほっと表情を和らげる。
「見張りもいいもんだな」
「だろ?みんないつもサンちゃんにしてもらってることだよ」
そう言われると、嬉しいような面映いような妙な心地で、つい仏頂面になってしまった。
「別に、俺が好きでしてることだから」
「そう。だから俺も好きでしたんだ」
不機嫌そうに振る舞うサンジをおかしげに見ながら、エースはにんまりと笑う。
「俺がスペシャルサービスするのは、サンちゃんだけだぜ」
「・・・いただきます」
エースには応えず、けれど髪の間から覗く耳を真っ赤に染めて、サンジは怒ったような乱暴な手付きで海鮮パスタをフォークで巻き取った。

少しずつ食が戻ってきているとは言え、今夜の夕食も鳥の餌ほどしか食べていない。
食事時の喧騒と給仕の仕事に紛れがちだが、エースの目は誤魔化せなかった。
「そうそうたっぷり食えよ、いい子だな」
「うっせえ、ガキ扱いすんな」
ツンと背を向けてパスタを掻き込むのに、エースは肩を揺すってクククと笑う。
「・・・美味い」
「そう?よかった」
辛味を聞かせて食欲をそそるのも、サンジが無理しない程度の量で抑えていてくれるのも。
随所にエースの気配りが窺えて感服した。
大食漢だから、常人の食事量なんかわからないと思ったのに。

ふと、フォークを操る手を止めて中空に視線を彷徨わせる。
「寝ぼすけもさすがに起きて、飯を食ったよ」
サンジの心中を見透かしたように、エースはぼそりと呟いた。
「冷蔵庫からつまみは出したし、鍋のスープは温めてって言ったけどそのまま食ってた」
「あいつ、冷えた味噌汁なんて・・・」
サンジはちっと舌打ちしてから、エースに向き直る。
「ありがと」
「いんや、礼には及ばないよ。俺はサンちゃんのために台所に立ってただけだからさ」
それにしても、とあからさまに顔を顰めて見せる。
「本当に一人じゃ何もできないタイプだね。まあ、何もしなくても生きていけるタイプでもあるけど」
「だからなんにもしないで生きてきたんだろうよ」
そう吐き捨てるように言ってから、思い出してふっと笑う。
「まあ、ルフィと同じじゃね」
「可愛い弟と比べたくはないけど、否定できないな」
心外そうにしながら、ルフィを思い出したのか表情が柔らかくなる。
「確かに、ルフィとゾロはよく似ているね」
「違うとこもたくさんあるけど、根っこが同じだ」
綺麗に食べ終えて、サンジはご馳走様でしたと手を合わせた。
ゾロが始めた習慣だが、いつの間にかクルーみんなに染み付いた礼儀だ。

「それを言うなら、エースとゾロは正反対だぜ」
「俺が?そう?」
言ってから、エースはうむと一人頷いた。
「ゾロと似てると言われるよりショックはない」
「ひでえ」
サンジはケラケラ笑って、温かいコーヒーを注ぎ足した。
「ルフィとエースって似てるよな、さすが兄弟って思うことが何度もある」
「それ、もしかして食欲だけじゃねえ?」
「いやそう・・・でもない、かもしれない」
「どっちだよ」
肩を寄せるように首を傾け、コーヒーを一口飲む。
「やっぱ似てるよルフィとエースは。んで、ルフィとゾロは似てる。だからゾロとエースが似てるかってえと、全然違う」
「三段論法ならずか」
人間、そんな単純なもんじゃないよねえとエースは真顔になった。
「ルフィは可愛い弟だけど、ゾロは可愛くない」
「そりゃそうだろ」
ぷっと吹き出し、サンジは視線を伏せたまま微笑んだ。
「俺とゾロも、全然違う」
「ああ」
「だから、俺とエースって似てるかなあと思ったんだけど」
「そりゃ違うだろ」
あっさりと否定され、サンジは「え」と顔を上げた。
エースも穏やかに微笑んだままだ。
「俺とサンちゃんは、全然違うよ」
言い切られ、少し胸が痛んだ。
やっぱり、エースと違うんだろうか。
少し似てるかも・・・と思ったのは、自分だけの思い込みか。

「え、ちょっとサンちゃん」
落胆したのは一瞬だったのに、エースは焦ったようにサンジの顔を覗き込んだ。
「そんな、傷付かないでよ」
「え?」
別に、傷付いたつもりはないのに。
って言うか、なんでわかった。
「サンちゃん顔に出すぎ、なにそれめっちゃわかりやすい」
エースは小さく笑って両手でサンジの肩を抱き、ぽんぽんと背中を叩いた。
まるで子どもをあやすような仕種だが、サンジは憮然としているしかできない。
「別に、俺はなんにも」
「わかったよ、大体サンちゃんが俺なんかに似てる訳ないじゃないか」
「・・・俺なんか?」
エースがなぜそんな言い方をするのか。
そんなに強くて優しくて、賢くて愛される性質なのに。

「エース、自己評価低すぎない?」
「・・・まさか、サンちゃんにそれを言われるとは」
エースはこの世の終わりみたいな悲愴な顔付きで、溜め息を吐いた。
「自己評価が低すぎるのはサンちゃんの方だろ。強くて優しくて温かい」
「その言葉そっくり返すぜ」
エースとお互いを評し合うと、また堂々巡りになりそうだ。
けれどエースは困ったような顔をして首を振った。
「全然わかってないね、俺が優しいってのは見せ掛けだよ」
「見せ掛け?」
「そう、俺は自分が一番可愛いんだもの。だから、誰かに優しくするのは巡りめぐって自分が愛されるためさ」
あけすけな言い回しに、サンジはきょとんとした。
「誰にでも優しいのは、誰にも嫌われたくないからだ。当たり障りがない程度で浅く広く穏やかに人付き合いをしてれば、無駄に争うこともないしね。結構俺って打算的なのよ」
「そういう、もんか?」
「だから、サンちゃんとは根本的に違うんだって。サンちゃんは相手に見返りを求めないだろう?」
そこまで、考えたことなどなかった。
「多分、ソリが合わない喧嘩仲間でもさ、さほど面識がない相手でも、もしかしたら殺されかけた相手でもさ。腹が減っていたらサンちゃんは無条件で食わせてやるだろう?別に恩を売るつもりではなく」
そう言われてしまえば、心当たりがないこともない。
「それは、条件反射っつうか強迫観念っつうか・・・」
「そこに代償を求めたりしないだろ。俺は違うね、人付き合いはいつも計算尽くさ。だから、俺が優しいからってイコールお人よしって訳じゃねえぜ」
胸を張って言われて、サンジはふむと考え込んでしまった。
当人からそう言われてしまうと、別にそれが悪いこととも思えない。
「や、誰にだって多かれ少なかれあるんじゃね?エースが優しいことに変わりねえしさ。優しくしてもらえたら、嬉しいしさ」
そう応えれば、エースはふにゃりと相好を崩した。
「可愛いこと言ってくれるなあサンちゃんは」
言いながら、愛しげに髪を撫でる。
「そういう部分でさ、俺とサンちゃんは違うって言ってるんだ。けれど、サンちゃんの中では大差ないのかもしれないね」
「んー・・・じゃあ俺に優しくすんのも、なんか見返り期待してる?」
「そりゃあもう」
エースは大げさに片眉を上げて見せた。
「下心満載」
「なんだよ、してやられたのかよ俺」
サンジは綺麗に撫で付けられた頭を、ガリガリと掻いた。
「俺は、んな小難しいことわかんねえけどさ。エースらしいと思うし、そのままでいいんじゃねえかなあ」
その言葉にエースは軽く目を瞠り、一瞬泣きそうに顔を歪めてから、またゆっくりとサンジの髪を梳き始めた。





夜中のラウンジで一人夕食を摂り、酒を傾ける。
見張台へ昇ったエースが降りてくる気配はなく、さりとて眠くもならず、ゾロはゆっくりとしたペースでチビチビと飲んでいた。
別に誰かを待つつもりはない。
ただ、味わって酒を飲みたいだけだ。
そう自分に言い訳しつつも、あまり食は進まなかった。
料理の美味いまずいを評する能力はないはずなのに、今夜の飯はあまり美味くない・・・気がする。

いつもなら、一番遅くまで起きているコックの背中が座るゾロの目の前にあるのだ。
見張りの日だとしても、ゾロの晩酌のために降りてきてくれることは多々あった。
時には、ゾロも一緒に見張台で酒を酌み交わすこともあった。
コックはさほど飲まないけれど、他愛無いことを一方的に話して悪態を吐いたり人を小馬鹿にしたりして、それでも笑顔で側にいた。
喧嘩相手ではあるが、仲が悪い訳ではなかった。
けれど今は、二人で話す機会さえ失われている。
あの島での出来事を、言い損ねた礼と詫びを、伝えきれないまま今に至っている。

エースのせいだと思いたくはないが、エースが船に乗り込んできたことでサンジに接触する機会は随分と減った気がする。
少なくとも、エースはあからさまにゾロを牽制してきた。
それをするだけの権利は自分にあると、言わんばかりに。
ムカつきはするが、それも一理あると認めざるを得ない。
ただ、エースが言うこともサンジの行動もゾロの理解の範疇を超える。

―――好きな相手のために何かしてやりたいと思うのは、当然のことだ。
そんなものだろうか。
誰かに対して特別“好き”という感情を持ったことのないゾロには、正直ピンと来ない。
サンジが、ナミやロビンに対して必要以上に気を配ったり傅いたりするのを見ても、馬鹿馬鹿しいとしか感じなかった。
みっともないとさえ思った。
自分が一番大切で、大切だからこそ自分だけが好きにできる。
そう思っているゾロは、刀を手に入れるために腕を賭けることも、敵と戦うために足を切り落とすことも厭わない。
自分のためだからだ。
自分の身体だからだ。
自分以外の誰かのために身を投げ出すなど、想像もできない。
よしんば、コックの行為がゾロへのなんらかの感情から産み出た行動だとしても、迷惑に思いこそすれ嬉しくもなんともない。
寧ろ腹立たしいばかりだ。

「くだらねえ」
つい口に出して言ってから、ゾロは胸の中のモヤモヤを吹き消すように酒を煽った。




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