Stay gold -1-



寄せては返す波の音を、耳障りだと思ったことなど一度もなかった。
物心付いてよりずっと常に傍らにあった、響いていて当たり前の波音が、今は耳を塞ぎたくなるほどに厭わしい。
けれど、あの時自分が取った行動を後悔することは、決してないだろう。



久しぶりの上陸で、仲間達はそれぞれに少しばかり浮かれていた。
街の規模は大きく海軍の常駐所もあったが、治安は保たれていてさほど物騒でもない。
派手な騒ぎを起こすチンケな海賊はすぐに取り締まられていたが、逆に観光客に紛れて大人しく滞在する海賊には、島民達はそれが例え賞金首であっても寛容だった。

手配書が貼られた居酒屋で存分に飲み食いし、店主とも気さくに言葉を交わしきっちりと代金を支払って店を出た麦藁の一味は、そこで一旦解散してそれぞれ目当ての場所へと散っていった。
サンジは、ウソップと一緒に市場をぐるりと回って見る予定だ。
色々と珍しい香辛料が取り揃えられていて、お互いに打ち合わせてまとめて購入した方が安く付くとの算段だった。

「島の治安がよくてほっとする海賊ってのも、うちくらいなもんだろうな」
「どうだかな。つまんねえってあちこち歩き回って、ありえねえ場所まで入り込んで帰ってこない迷子もいるかもしんねえぜ」
「ものすごく具体的だが、その迷子がそこにいるぞ」
ウソップに促されて視線を転じると、先ほど道を変えて別れたはずのゾロがなぜか前を歩いていた。
「細かいとこまでミラクルだな〜」
「今のうちに捕獲しておくか?明日の船番はゾロだろ、妙なところで迷われると厄介だし」
ウソップも、当人の耳に届かない範囲では結構言うようになった。
まあ、ゾロが聞いていたとしても本人は自分のことを言われていると、露ほども思わないだろう。
「いいよ別に、陸でまでマリモの姿、目に入れたくねえや」
サンジはうんざりした様子でそう言い切ったが、その実チラチラと目の端でゾロの姿を捉えていた。
もし本当に見失いそうな時は、しょうがねえなと舌打ちの一つでもして捕まえに行こう。
それが仲間達のためなのだ。
そう自分に言い訳して。



ゾロとサンジは、顔を付き合わせれば喧嘩する犬猿の仲ではあるが、感情的にはさほど嫌い合ってはいない――と、サンジは思っている。
ゾロは、サンジに対してはいつもつまらないことでからかうし、人を小馬鹿にしたような態度を取る。
なにより、他の仲間は名前で呼ぶのに自分だけはコックだの素敵眉毛だの、おかしな呼び方ばかりしてまともに名前を呼ばれたことはなかった。
いくらなんでもおかしいんじゃね?と、サンジのみならずクルー全員が「そう言われればそうよね」と首を傾げるほどに頑なだ。
なにかポリシーでもあるんだろうか。
むかつく野郎には、名前さえ呼びたくないと思ってるんだろうか。
それほど毛嫌いされているとの自覚もなくて、腑に落ちないままそれでもサンジは、ゾロが嫌いではなかった。
というか、逆に気になる。
別に、好きとか言うんじゃないけど気になる。
言動がいちいち癇に障るのもひっくるめて、目が離せない男ではある。

なんてことをグルグルと考えている内に、いつの間にかゾロは丘を登っていた。
「おーい、そっちに市場はないぞ」
思わず無意識に背中を追いかけようとしていたサンジに、ウソップが声を掛ける。
ああそうかと振り向いて、それでも気になってまた踵を返す。
「一応、あの迷子がどっち方面に行くかだけ確認しとく。ウソップは先にそっちの通り見ててくれ。後で追い付くから」
「わかった、お疲れさん」
―――なんのかんの言って、サンジは面倒見がいいよな。
そう思いながら、ウソップはぶらぶらと市場の散策を続けた。

サンジが後ろから付いてきていることに気付いているのかどうかわからないが、ゾロはなにやら早足で坂をさっさと登って行く。
途中立ち止まって、畑で作業しているおばさんになにやら尋ねていた。
おばさんが指で指し示した方向と若干違う道へ歩き出したら、おばさんは声を上げて修正していた。
その声に従い、素直に方向を直している。
「馬鹿か、そっちじゃねえだろう」
後を付けながら、サンジも小声で毒づいた。

あっちウロウロこっちウロウロと無駄に歩数を増やしながら、ゾロが辿り着いたのは山の中腹にある掘建て小屋だった。
煙突から棚引く煙を見て、鍛冶屋かと推測する。
「そういや長いこと、刀を研ぎに出してなかったもんな」
なるべくコマメに自分で手入れをして、極力研ぎには出さないのだと以前聞いたことがある。
それでもそろそろ時期なのだろう。
そう思い出してから、なんで俺がゾロの刀のことまで知ってなきゃなんないんだよとセルフ突っ込みした。

例えば、サンジが新しい包丁を買おうとか、エプロンを新調したとか。
そんな情報、ゾロはカケラも気に留めないだろう。
サンジだってそうでありたいのに、なんでかゾロが腹巻を破いただとか今日も風呂に入ってない、もう5日経つだとか。
いちいち気にして注意したくなるのは、不公平だと思う。
別に、ゾロに自分のことをちょっとは気に掛けろと言いたい訳ではない。
ただ、面白くないだけだ。

思考が逸れている間に、ゾロが小屋から出てきた。
腰に提げた刀の内、白いのがなかった。
―――和道一文字を出したのか。
親友の形見だと、聞いたことがある。
ゾロにとっても、多分格別に思い入れの深い刀だ。

ゾロは一旦足を止め、残された二振りの刀に手を当てた。
位置を直すよう弄って、再び前を向き歩き出す。
一振りなくなればそれなりに寂しいのかもしれないなと思いつつ、サンジも隠れていた繁みから出てそのまま道を分かれ、市場を目指した。
刀を預けたなら、また取りに来るだろう。
その時、ゾロを回収すればいいことだ。



ログが溜まるまでの間、極力騒ぎを起こさないようにとのナミからのお達しで、仲間達はそれなりに注意して島に滞在しているようだった。
サンジとウソップは、幸いなことに手配書で顔が割れていないため、自由に往来を行き来できている。
いつもの調子で街を散策しながら可愛い女の子に声を掛けていたら、表通りで擦れ違ったウソップが気がかりそうな顔付きで駆け戻ってきた。
「サンジ、ちょっと一緒に来てくれ」
「見てわからねえのか、俺はいま忙しいんだ」
振り向いてウソップに言い返している間に、女の子はじゃあねと手を振って行ってしまう。
「ああレディ〜君との出会いは俺にとってかけがえのないひと時だったよ〜」
素っ気無い後ろ姿に精一杯のハートを飛ばし、サンジは凶悪顔で振り向いた。
「一体なんなんだ、人のナンパの邪魔しやがって」
ウソップはびびくんと怯えつつ、両手を振って声を潜める。
「悪い。けど俺一人じゃ判断できねえ」
真剣な面持ちに、サンジも表情を引き締めた。

「なんだ?」
「さっき、擦れ違ったガラの悪い男達の中に一人、場違いな刀提げたやつがいたんだよ」
「刀?」
「まるで、ゾロが持ってるのとそっくりだったんだ。まさかと思うけど」
サンジははっとして顔を上げた。
「その刀、何色だ?」
「白だ」
まさかと、サンジはその場からすぐに走り出していた。

初日に立ち寄った鍛冶屋へと真っ直ぐに向かうと、山の中腹から立ち昇る黒煙に気付いた。
「なんだよあれ」
「急ぐぞ、ウソップ」
駆けつけてみれば、粗末な掘建て小屋は原形をとどめないほどに破壊され一部が燻り煙を上げていた。
道具は散乱し、金物物はすべて持ち去られたのか刀らしきものも見つけられない。
「こりゃひでえ」
サンジが瓦礫を蹴飛ばすと、中に蹲る人を見つけた。
「大丈夫か?」
ウソップは恐る恐る抱き起こし、様子を窺う。
「まだ息がある」
「街に運ぼう」
職人が一人で作業していたのだろう。
他に怪我人がいないのを確認して、二人は一旦山を降りた。



「こりゃ、俺が見たのは間違いなくゾロの刀ってことだな」
刀鍛冶を病院に運び、駐在所に通報してすぐに引き上げた。
今頃は海軍が捜査に入っているだろうから、自分たちも迂闊には動けない。
だがこのまま、ゾロの刀を持ち去られてはたまらない。
「ゾロは一体、どこほっつき歩いてやがんだ」
「夕方には間違いなく船に戻ると思うんだけどよ、それまで待ってられねえだろ」
仲間達を緊急招集したいところだが、迂闊に騒ぎを大きくしたくもない。
ウソップが憶えていた男達の特徴を頼りに、とりあえず二人で刀の行方を捜した。

西の入り江に見覚えのあるジョリーロジャーを見つけ、ウソップが双眼鏡を覗いたままサンジに声を掛ける。
「見つけた、あのマーク。多分あいつらだ」
「くそっ、コソ泥野郎め」
すぐにでも乗り込もうとするサンジを、ウソップが慌てて止める。
「待てよ、まずは持ち主のゾロに伝えてからのがいいんじゃねえか?」
「はあ?あんな、どこにいるかわからねえ迷子野郎を見つけてる間に、あいつらが出港しちまったらどうするんだ」
「けどよ」
「やり口見てても乱暴な奴らだ、目的を終えたらすぐに船出しちまうかもしんねえ。俺が飛び込むから、お前迷子を捜して来いよ」
「馬鹿野郎、お前一人を飛び込ませられるか」
ウソップが膝をガクガク震わせながら後に続くのに、サンジはまっすぐに海賊船に向かって歩いていった。


「なんだなんだ兄ちゃん、船間違えたのか?」
「ここが逆撫でのゲ・・・っ」
皆まで言わさず、サンジの蹴りが炸裂する。
ふらりと現われた二人連れに甘く見ていた海賊達はいきなり吹き飛ばされて、訳もわからぬまま砂浜に埋もれた。
「なんでえてめえら」
「うるせえ、この盗人ども」
サンジは軽い身のこなしで船に乗り込むと、ウソップが後方から援護射撃してくれるのに任せて、真っ直ぐに船長室へと向かう。
「邪魔するぜ」
バアンと扉をけり飛ばし、慌てふためいて飛び出そうとする海賊を3人ほど蹴り倒して一番奥に座っていた船長らしき男の前に立つ。
「なんだてめえ」
ごてごてと飾りつけた羽帽子を被り、斜に構えて座る船長はさすがに慌てず、突然現われた闖入者をギロリとねめつける。
「ああ?ちと尋ねたいことがあってな」
サンジはポケットに片手を突っ込んで、もう片方の手で煙草を挟みふーっと口端から煙を吐いた。
「てめえら、島の鍛冶屋で盗み働いただろう」
「ん?なんのことだ」
「とぼけんじゃねえよ、そこに預けてあった刀を、盗りやがったな?」
サンジはふっと気障な仕種で肩を揺すり、煙草を咥え直す。
「別に、俺だってあんたらに喧嘩売ろうってんじゃねえ。ただ、刀だけ返してもらえりゃあそれでいいんだ。てめえらが盗人だなんて騒ぎ立てたりなんかしねえし、海軍に言いつけたりもしねえ」
「なんだとお」
床に倒れ付しながら、半身を起こして睨み付ける部下たちを船長は手で制した。
「なんのことかわからねえなあ」
「惚けるのか?んじゃあ、この船徹底的に壊して勝手に探すだけだ」
「なにふざけたこと言ってやがる!このチンピラ風情がっ」
いきり立つ部下を横目に、船長はあくまで余裕の笑みを浮かべた。

「探してもらってもいいが、多分あんたが探してるモノはこの船にはないぜ」
「なんだと?」
「確かに、ちょいと手癖の悪い部下が島を荒らしたってえ報告は受けてる。だが俺らは、島を荒らしっぱなしで出るような野蛮人じゃないんでなあ。島で得た分は島に還元してるんだ」
船長はそう嘯き、口ひげを撫で付けた。
「だから、盗った刀ってのは領主に売っ払っちまった」
「なんだと?!」
サンジの表情が険しくなる。
こう早く余所に出回ってしまうと、余計にややこしい。
しかも相手が領主では、海賊と違って蹴り飛ばして強奪する訳には行かない。

「てめえこの野郎、人のモン盗んどいて売りつけるたあ、ふてえやろうだ」
「悪かったよ、まさかこんな威勢のいい兄さんが必死になって追っ掛けて来るようなシロモノだなんて思いもしなかったんだ」
船長は肩を竦め、降参するように両手を掲げて見せた。
「お詫びにと言っちゃあなんだが、そこの領主に俺から話を付けてもいいぜ」
「・・・なんだと?」
「あんただって、いきなり領主んとこに怒鳴り込む訳にも行かねえだろう?どうだ、俺が穏便に話を通してやる」
「なにが通してやる、だ。元々はてめえらが盗みを働かなきゃ、こんなことにならなかっただろうが」
呆れるサンジに、船長はくっくと巨体を揺すって見せた。
「悪かったよ、せめてもの俺からの詫びと誠意だ。一緒に領主の元に案内するぜ」

そうして、サンジとウソップは海賊に連れられて浜辺に立つ領主の別荘へと連れられていった。



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