それすらも恐らくは平穏な日々 8


「期待以上に凄いわ、このお弁当v」
「あああ、うめえええ」
まるでナミまで欠食児童に仲間入りしたようだ。
ゾロがわざわざ紙袋に入れられて持たされた弁当が、小気味良く平らげられて行く。

「これからもお願いしたいけど、実費ぐらい持つべきよね。」
守銭奴のナミもさすがに気が引けるのだろう。
「実費もそうだが、俺の運び賃も入れろよ。」
「却下。」
「何でだよ!」
教科書は殆ど学校に置きっぱなしとは言え、3人前にしては多すぎる運ぶのは気も遣うし結構かさばる。
大体何のために通学してるのか本末転倒な気がしてきた。
「まあ、私の分はサンジ君にキスの一つもすれば帳消しになると思うけど、問題はルフィよねえ。」
そっちの方も大問題だと思うが、あえてゾロは無視した。
「俺もナミみたいにちゅーで返すの、ダメか?」
「・・・多分、サンジ君嬉しくないと思う。」
ゾロは軽い眩暈を覚えた。
こいつら、付き合ってんだよなあ。

「あいつは純粋に作るのが好きみてえだから、金のことはどうとか言ってなかったぞ。」
それではいけないだろうと、ゾロも思うのだが。
「まあね、サンジ君お金には困ってないでしょうけど。一応ケジメってものがあるでしょ。」
ナミにしてはまっとうな意見だが、やはり金に困ってないのか?
「あいつ、バイトもしてねえのに、どうやって生活費賄ってんだ?」
あれからいろいろ怖い想像をして結局風呂で2発も抜いてしまった事柄を、あえてナミに聞いてみる。
こいつからなら恐らく明確な答えが引き出せるはず。
知るのが怖い気もするが、勝手に想像を膨らませるのも厄介だ。
「言ってなかったっけ?サンジ君にはパトロンがいるの。」

ふうっと、後頭部のあたりで気が遠くなった。
そうくるか。
「本人が言ってたんだけど、その人のカードが使い放題なんですって、だからあたしもデートのとき
 調子に乗って色々ねだったけど、あんまりなんでもほいほい買ってくれるから却って興醒めしちゃった。」
ゾロは箸を置いて頭を抱えた。
このナミをして、カモにする気も起こらなかったってことか。
「カード払いのとき、名義見ちゃったんだけど・・・」
続けるナミをゾロは手で制した。
「もういい。てめえの口から聞くのは、フェアじゃねえ気がする。」
サンジはただの同居人だ。
一緒に住んでいる以上、ある程度相手の素性を知る権利はあるだろうが、他人のナミから一方的に情報を
得ている自分に気がついた。
いつまで同居が続くのかしれないが、一度きっちり話し合った方がいい。

「そうね。あたしもそれがいいと思うわ。」
どこかホッとしたような顔でナミが笑った。
いつもそんな風に笑ってりゃあな、と心のどこかで思うゾロがいる。







不景気とは言え、金曜の居酒屋は混む。
ろくに賄いも食えないままフロアの中を走り回って、さすがのゾロもへとへとになった。
道場での鍛錬とは違う、精も根も尽きたような嫌な疲れだ。
―――ったく、女の酔っ払いはみっともねえんだよ。
客の醜態をいちいち思い出しながら、ゾロは重い足を引きずって家に戻った。

時刻は深夜の2時。
明日、正確には今日だが、10時から別のバイトが入っている。
なんか食うもん、あるかな。
いつもならコンビニに寄って帰るのだが、最近の習慣でそんな気にもならなかった。
暗い路地を抜けて自分のアパートの2階を見上げる。
灯りがついている。
疲れた身体に、どこかホッとした暖かいものが流れた。

その時、背後に人の気配を感じて振り向いた。
電球が切れて、ちらちらと点滅する街灯の下、電柱の影に男が立っている。
身を隠している訳ではない、ただ突っ立って一点を見つめている。
その視線の先は、自分のアパートで、今明かりが漏れる窓・・・

「おい、あんた。」
ゾロは臆することなく声を掛けた。
だが、男はゾロの言葉が届かないのか振り向きもしない。
暗がりのせいか、頬がこけて目の下にクマのある人相は、死神のように見えた。
「おい、聞こえねえのか。」
語気を強めて、肩に手を掛けようとした。
一瞬早く男が身体を引く。
完全に陰に隠れて姿が消えたように見えた。
実際には、電柱の影で光る目がゾロを見ている。
怒りでも、恐怖でもない、何も映さない瞳。

――――イっちゃってんのか・・・こいつ。
ヤク中だろうか。
尋常ではない様子の男をただ睨みつけていたが、相手に攻撃する意思は認められなかった。

ゾロは警戒を解いて背中を向ける。
立ち去るゾロに興味を無くしたように、男の視線が逸らされたのが、わかった。
なんだあいつ、気味の悪い。
階段を上りながらもう一度振り向くと、先ほどまでと同じように宙を見つめている。
視線の先は、自分達のアパート。
俺の部屋の窓。
ゾロは今度こそ殺気を孕んで、踊り場から男に射殺すような視線を投げた。
男は気づかない。
ただ、ひたすらに一点を見つめている。






深夜なのを配慮して、静かに鍵を開けた。
明るい室内に人の気配はしない。
靴を脱ぎ捨てて部屋に入ると、サンジは卓袱台に突っ伏して眠っていた。
Tシャツ1枚だけの薄い背中が規則正しく上下している。
待ってたのかよ。
まさかと思いつつ、自分の為に用意されたのだろう、卓袱台の上の食器に目をやる。
伏せられた湯飲みと茶碗、汁碗と箸。
ラップを掛けられた煮物と天ぷらは、きっと冷めてたって美味い。

コンロに用意された味噌汁を火に掛けた。
炊飯器の蓋を開けると保温された飯が湯気を立てている。
ポットの湯を急須に注ぎ熱い茶を煎れ、ゾロはおかずに掛けられたラップをそっと外した。
上着を脱いで、サンジの肩にそっとかける。
何故か、起きて欲しくなかった。
すうと軽やかに立てる寝息に安心して改めて向かいに座り、手を合わせる。
一人で取る食事だが、侘しくはない。
誰かの寝顔を見ながら飯を食うなんて、多分初めての経験だ。
もしも起きてしまったら、おかずを温めなおすだの、何か一品増やすだの言い出すに決まっている。
面倒くさいとは露ほどにも思わず、最適の状況で食事をさせようとする奴だということは、ゾロはわかっていた。
親切とか押しつけとかそういったものでなく、純粋に美味い飯を食わせるのが好きな男だとわかっているから、
起したくはない。

疲れて帰ってくると部屋にこいつがいて、飯がうまい。
それだけでいいじゃねえか。
こいつがどんな風に暮らしてきたとか、金はどこから沸いてくるとか、そんなことどうでもいいことだと思う。
問い詰めて、サンジが自分の下を離れてしまうことを恐れているだけかもしれないが、少なくとも今は、
昨日の母親の話のように、自分から口を開くまで何も聞かないことにしよう。

ゾロはそう、心に誓った。

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