それすらも恐らくは平穏な日々 7

新しいスポンジは泡立ちがいい。
食器洗いも案外楽しいものだと、ゾロは意外な発見をしていた。
一人で暮らしていた時はほとんどコンビニ弁当で済ませていたし、たまに食器を使っても3日ほど水につけて置いて漱ぐ程度だった。
汚れが目に見えて落ちるってのは面白いもんだ。
まるでサンジのように鼻歌のひとつも飛び出そうで、慌てて口元を引き締める。

洗い物をゾロに任せてサンジは風呂に入っている。
いくら押しかけとは言え、家賃も折半する同居人だ。
お互い学生でもあるから、役割分担は平等にしなければならない。
サンジは食事の支度も後片付けも趣味の範疇に入るらしく、負担になっていないようだがそれではゾロの
気が済まない。
今の生活はまるで三食昼寝付き、上げ膳据え膳で居心地のいいことこの上ないが、それに胡座をかける
ほどゾロは育ちが良い訳ではない。
幼い頃親戚をたらい回しにされた経験上、人に気を遣う術も持ち合わせている。
根底にあるそんなところが、自分とサンジは似ているのではないか、とふと思った。

先ほどのサンジの話を思い出す限り、今の彼には身寄りがないようだ。
母親が幾つの時に亡くなったのかは知らないが、それから一人で生きてきたのだろうか。
父親は、わかっているのか。
ここに越してきた当時、色々な雑貨を買い込んだようだが、生活費はどうして捻出しているのだろう。

はたと、手が止まってしまった。
出逢った切欠は痴漢狩りだった。
変態オヤジをぼこって金を巻き上げてやがった。
ナミからは援交の情報も得ている。
もしかして奴の金の工面の方法は・・・

想像し始めると、どんどん考えが怖い方向に進んでいく。
今までどんな生活してやがったんだ?
よく考えれば素性の全くわからない男だ。
自分が天涯孤独なのをいいことに、何か利用する為に近づいたのかもしれない・・・
疑い出せば切りがない。
ゾロは首を振って自分の疑念を振り払った。
自分がサンジの素性を知らないように、サンジもゾロのことは知らないだろう。
向こうが話さない限り、こちらの尻尾も掴ませないことだ。
知られてまずい過去がある訳ではないが、赤の他人と必要以上にかかわるのは面倒だ。



かちゃりとドアが開いて、足元から湯気が立ち上る。
「お先―、いー湯だった。」
腰にバスタオルを巻いた格好でサンジが出て来た。
何度見ても肌の白さが見慣れなくて、ゾロは視線を逸らす。
そんな胸中は知る筈もなく、サンジはずかずかと近づいて冷蔵庫からビールを取り出した。
「おいゾロ、水流しっぱなしにして皿洗うなよ勿体ねえ。漱ぐ時だけ出せ。」
細かい男だ。
ゾロは振り向かないで蛇口を捻った。
「早くそこ空けろよな。明日の弁当の仕込みもしたいしよ。」
不用意に近づいて手元を覗き込む。
まだ水気の残る髪から香る、甘い匂いに鼻腔がくすぐられ、くらりと来そうだ。
「てめえバイトとか、しねえのか。」
気を逸らすつもりで、それとなく話を振ってみた。
「お前くらい器用だったら、何でも勤まるだろうによ。」
ゾロの言葉に、サンジは煙草を銜えてうーんと唸った。
「そういやあ、最近稼いでねえよなあ。」
泡だらけの手からつるりと皿が滑り落ちた。
シンクに跳ねて、派手な音を立てる。
「あにやってんだ、割れなかったか?」
サンジはまだ裸でうろついている。
いい加減に服を着てくれ。

「てめえ邪魔だ。服着ねえと風邪引くぞ。」
「ちぇ・・・」
邪険にあしらわれて口を尖らせて横を向く姿は、まるっきりアヒルだかひよこだ。
頭の中までピヨピヨに違いねえ。

ぱりん

「あ」
力を込めすぎたのか、スポンジでひと拭きしただけのサンジお気に入りカップが割れてしまった。






「あーあ、お気に入りだったのによ。」
見事に砕けた黄色いひよこ型カップを、パズルのように緻密に合わせてみながら大仰にため息をついてみせた。
前面にオレンジのくちばし、取っ手の下には黄色に尾っぽのついたふざけたカップだ。
「・・・弁償する。」
たかがカップ一つでねちこくいびられてはたまらない。
ゾロは憮然とした表情で言った。
「これスキー行った時買ってきたんだぜ、もっかい行くか白馬。」
どおりでねえよな、そんなカップ。
「白馬でも八峰でも好きなとこ行って買って来い。金は出すから。」
ゾロとて気の長い方ではない。
いや、一般人よりはるかに短い。
そうなくともさっきから目に毒な格好でちらちら周りをうろつかれているのだ。
口調が多少苛ついていても、仕方がない。
「金出しゃあいいって思うなよ。」
ギン、とサンジが正面から睨みつけた。
何でひよこカップ一つでこんなマジな状況になってるんだ。
展開の不条理さに言葉を詰まらせるゾロに、サンジはにこっと笑って見せた。
悪鬼の如き凶悪な目つきから一転快心の笑み。
―――百面相?

「だからゾロ、買い物付き合え。」
何がだから、なのだろう。
サンジの表情がころころ変わるのについて行けないゾロは、サンジの言っていることにもついていけてない。
「平日学校で土日バイトばっかりか、ゾロ。空いてる日ないのかよ。」
さすがに寒くなったのか、サンジは煙草を消して、頭からTシャツを引っかぶった。
腰に巻いたバスタオルを外すと、素早くパンツを履く。
一瞬でも白い尻が目に入って、又ゾロの思考が止まってしまう。
サンジはゾロから譲られたジャージを履いて、又煙草を銜えた。
火をつけて一服吸ってから、首をこきこき鳴らして、盛大にため息をついた。

「ゾロ、てめえ人の話聞いてる?」
名前を呼ばれてようやく我に帰った。
「あ、なんだったっけ。」
「土日の予定の話してんだよ!頭沸いてんのかてめえ!!」
とうとうサンジがキレた。
そう、そう言えばそんな話してたっけな。
「一緒に住んでんのに会話も成り立たねえのかよ!日本語通じないのかてめえ。」
頭から湯気が立ちそうなほど怒るサンジに、ゾロは反論できない。
元はと言えば、さっさと服を着ないサンジに否があると思うのだが、流石に口に出すの憚られた。
「あー・・・そうだな、土曜日は夕方からフリーだ。なんも予定ねえ。」
いつもなら道場に行って、奥さんの手料理を食わせてもらっていた。
だがこれからは必要のないことだろう。
「じゃあ、土曜日の4時?5時?」
「5時には終わってる。」
「なら5時に、駅前のニノキンの前で待ち合わせようぜ。」
「なんだよニノキンって。」
言葉の通じないのは、サンジの方だと思う。
「男が俯いてる銅像があっだろが。あの角度が二宮金次郎に似てんだよな。だからニノキン。」
「待ち合わせなら、誰にでもわかるように言え。」
ゾロの至極まっとうな突込みにもにへりと笑って答えない。
いつの間にか機嫌は治っているようだ。
今の話を総合的に判断すると、どうやら土曜日の夕方5時からサンジと駅で待ち合わせてカップを買いに
行かなければならないらしい。

・・・まあ、いいか。
特に予定があるわけではない。
空いた台所で、サンジは冷蔵庫から食材を取り出して弁当の仕込みを始めた。

とりあえず今は、早く風呂に行って先刻の白いケツを思い出しながら一発抜いとこう。
ゾロにすればそっちの方が切実だった。


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