それすらも恐らくは平穏な日々 6

「ぞーろ、お昼よ。」
優しげな囁きと共に、ばさりと本が落ちてきた。
教科書にまみれながら覚醒する。
「・・・おう、昼か。」
「あんたよく当たり憚らず爆睡できるわね。」
心底あきれたという風に、ナミが腰に手を当てて仁王立ちしている。
ゾロはばら撒かれた教科書をまとめて、立ち上がった。

「ルフィにパン買いに行かせたけど、学食はもう一杯でしょうね。」
「天気がいいから、中庭行こうぜ。」
ゾロが手に取った包みに、注目する。
「それ、何?」
ナミの問いに、たっぷり1分間ゾロは沈黙した。

正直に言うべきか。
この場は誤魔化せても、いずれバレる。
隠し事をすると後が面倒だ。
ゾロにしては珍しく、かなり考えた。
ここ数年で一番じゃないかと思うほど考えたてから、ようやく口を開いた。

「弁当だ。」
「はあ?」






陽射しを受けて温まった芝生に腰を下ろし、空を見上げた。
抜けるような青空に雲雀が舞っている。
のんきに見上げているのはゾロだけで、ナミの視線は弁当に釘付けだ。
「なんか凄いわそれ、早く開けてよ。」
「美味そうな匂いがするぞー。」
こいつらはハイエナか。
ゾロは少々もったいぶって風呂敷を解く。
鞄にしのばせやすいように、細長い重箱は三段重ねだ。
「すげー三段弁当だ。!」
ゾロの手も恐る恐るといった感じで、敷かれた風呂敷の上に弁当を広げた。

「うはv」
「ああ、まぶしい!」
燦然と輝く豪華幕の内。
さすがにゾロもびっくりしている。
「何これ。高級弁当屋にでもバイト行ってんの?駅弁でもここまで美味しそうじゃないわよ。」
「うまそーうまそーうまそ――・・・」
マジで涎を垂らしそうなルフィを張り倒す。
「で、誰が作ったの。」
笑顔のまま投げかけられるナミの質問が厳しい。
「彼女?」
ぶんぶんと首が折れるほど横に振る。
「じゃあ、誰よ。」
誤魔化しおおせるものでもない。
ナミの目が獲物を追うハイエナの如く光っている。
ゾロは覚悟を決めた。

「サンジ君?」
素っ頓狂な声が響いた。
「すげーなあいつ、こんなんできるんだ。」
「あー信じらんないわ。このお芋の含煮に味がよく沁みて・・・卵焼きが又絶品で・・・」
「お前等喰い過ぎだ!」
ルフィが買ってきたパンの袋を投げつけて、弁当を死守する。
朝早くから何をごそごそしているかと思えば、出かけに手渡された弁当にはびっくりした。
「けど、あんたがまさかサンジ君と同棲するなんて・・・」
「同居だ!!」
思いっきり訂正する。
ついでに言うなら、あっちが勝手に転がり込んできただけだ。
「ってことは、まだ何もないの?」
ナミが可愛い顔で怖いことを言う。
「当たり前だろが。大体男同士でなんでそっちに話が行くんだよ。」
ゾロにしてみればそっちの方が理解できない。
「だって、サンジ君なんだもの。」
あくまでナミはしれっと言い放つ。

「前にオヤジと援交してたらしいし。」
思わずが顔をしかめる。
「中学ん時、教師が一人サンジ君に手出して退職したって話よ。ノイローゼになったらしいわ。」
ゾロは凶悪な顔でナミを睨んだ。
涼しい顔でナミも見返す。
この女は魔女だが、嘘は言わない。
友人であるゾロなら尚のこと。
ナミの情報は正確だ。

「そうか。」
真摯な忠告として、ゾロは素直に頭を下げた。
「まあ、せいぜい毒牙にかからないように気をつけなさい。」
ナミの励ましは悪魔の囁きにしか聞こえない。
ゾロはぶるりと身震いした。

俺の部屋には、悪魔が住み着いたのか・・・
気が付けば弁当はルフィの腹にすっかり収まっていた。





「ゾロ、今日はお夕飯いらないの。」
早々に帰り支度を始めたゾロに、奥さんがエプロンで手を拭きながら声をかける。
「はい、すみません。ちょっと野暮用で。」
「あらまあ。」
どこか眩しげに目を細めて、奥さんは笑った。
「漸くってとこね。これでも結構心配してたのよ。」
「違いますよ。」
否定する声も聞かず、奥さんは笑いながら奥に引っ込んだ。
ムキになって誤解を解くこともないが、騙したようで気も引ける。
―――部屋に悪魔が住み着いてるから、心配なんだ。
まるで自分に言い訳するように、荷物をまとめて道場を後にする。



帰ったらもぬけの殻ってのはありえるな。
奴も学校行く振りをして、遊びに行ってるってこともある。
そのまま朝帰り、いや下手すりゃ帰って来ねえかもしれねえ。
ってことは、俺は夕飯喰いっぱぐれるのか。
どっかで喰って帰るか。

奴が家にいる保証はない。
飯を作っているとは限らない。
でも。
なぜかゾロには予感があった。

扉を開けたら暖かな湯気が待ってる気がした。
バカバカしい。
絵空事を夢見る年でもねえだろう。

それでも、帰って確かめてから飯を食いに行っても充分だ。
やはり自分に言い聞かせるように、ゾロは一人ごちて足を速める。




「おかえり。」
想像どおりの光景が広がっていた。
いや、ピンクのエプロンを身につけている分、想像より遥かにグレードアップしている。
「今日は早かったんだな。バイトじゃなかったのか。」
「ああ、・・・と、ただいま。」
取ってつけたように挨拶して、ゾロはぎこちなく靴を脱いだ。

やっぱりこいつは帰ってた。
飯作ってた。
俺を、待ってた。

多分今、胸の中に広がってる暖かい物は喜び。
なに喜んでんだ、俺。

「手洗って来い。今日は鯖が安かったから煮付けにしたぞ。」
途端にくう〜と腹が鳴った。
飯食ってこなくて、本当に良かった。



テキパキと皿を出すサンジの横に突っ立って、何をするでもなく手元を見ている。
「今日、学校に行ったのか。」
「当たり前だろ。」
味噌汁の匂いが鼻をくすぐる。
「連れと遊びに、行かなかったのかよ。」
「連れ?」
鯖の形が崩れないように慎重に盛り付け、生姜を添える。
「居ただろが、あの頭の悪そうな・・・」
「ああ、あいつら滅多にガッコこねえしよ。携帯がねえから連絡のしようがねえんだ。」
そう言や、そうだな。
「何ぼーっとしてやがる。邪魔だ。座ってろ。」
邪険に扱われても腹は立たない。

腰を下ろして傍らのサイドボードに立てた写真に気がついた。
思わず手にとって、まじまじと見る。
端が破れて所々色の変わったセピア色の写真の中で、子供二人が笑っている。
「こんなもん、どこにあった。」
ゾロの声音が変わっていることに気付いて、サンジは振り向いた。
「机どかしたら出てきたんだ。・・・勝手に飾って悪かったか?」
相手の変調にすぐ気付く、動物めいた感の良さ。
乱雑な言葉や行動に隠された、サンジの繊細な一面。
「いや。」
それだけ言って、ゾロは写真をボードに戻した。
「こんなボロっちいもん、よく飾ろうって気になったな。」
ゾロ自身忘れていた、過去の思い出。
「確かにひでー状態だったぜ、でもそれどう見てもお前だし。お前がどうでもいいもん後生大事に
 置いとくとも思えなかったからよ。ここ引っ越すときわざわざ持ってきたもんだろ。」
ご名答、だ。
色褪せた景色の中で、俺とくいなが笑っている。
ほんとの姉弟みたいに。
肩組んで。
二人とも傷だらけで。

「さ、できたぞ。」
サンジの声を合図にゾロは正座して、手を合わせた。
「おっさん臭いくせに、妙にガキっぽいんだよな。」
「そう言う事は、思っても口に出すな。」
プシュっとビールを開けて、どちらかともなく乾杯した。



「弁当、綺麗に食べてあったな。」
少しのビールで頬を染めて、サンジは上機嫌だ。
「ああ、美味かった・・・らしい。」
「は?」
ゾロは悔しそうな表情を見せた。
「殆ど喰われたんだ。」
「誰に。」
「お前も、知ってる奴。」

ナミとルフィのことを話すと、サンジの目が丸くなる。
「お、お前ナミさんと友達だったのか!いやほんとにおトモダチなんだろーな!あんな麗しい女神の
 ようなレディとてめえじゃ美女と野獣じゃねえか。」
「話が他所行ってっぞ。」
どうもサンジのこういうところが掴めない。
何処をどうひっくり返したら、ナミが麗しの女神でレディなんだろう。
「あとルフィって前ゲーセンで暴れてたクソガキか。目元に傷のある、無茶する奴だったぞ。」
そのクソガキと麗しの女神がデキてるって聞いたら、こいつはどんな反応を見せるのだろう。
ゾロは楽しみに取っとくことにした。

「そういう訳で、悪りいが弁当もうちょっと多めに作ってくれねえか。いや、面倒ならいっそなくていい。」
サンジとて、ただの同居人の弁当を作る義理はないはずだ。
なのに―――
「よしわかった!っくしょう、腕が鳴るぜ。」
サンジは異常にテンションが上がっている。
――――俺は明日から、一体何段の弁当を持たされるんだろう。
ゾロの胸を不安が過ぎる。
「ナミさんの弁当はちゃんとカロリーを計算してあげなきゃな、あとデザートも・・・くう楽しみだぜv」
マジで楽しそうだ。
「お前、料理好きなんだな。」
「ああ、物心ついた頃から包丁握ってたから。」

なんでだ。
思わず口をついて出そうになった疑問を飲み込む。
たかが同居人に、踏み込んだことを聞くのは憚られる。

いきなり黙って飯を掻き込むゾロを見て、サンジは表情を緩めた。
「俺は、お袋と二人で暮らしてたんだ。」
唐突に語りだしたサンジにゾロは目を向けられない。
「お袋は家事もてんでダメで、夜の仕事行ってたから食事の支度するのは俺の仕事だった。」
ゾロの脳裏に、年端も行かない子供が一人で台所に立つ風景が浮かぶ。
子供は一生懸命に危なげな手つきで火を使って、母親の帰りを待っている。
「俺が作る飯を、お袋はすげ―喜んでよ。今ならもっといいもん作ってやれるんだろうが、何作っても
 喜んでな。isaの味だっつって。」
「イ・・・何?」
「お袋の国の言葉で、オヤジってイミらしい。俺のジジイは料理人らしいんだが、詳しいことは聞いてねえ。」
サンジは煙草を取り出して火をつけた。
深く吸い込んで吐き出す。
「今から思うと、どう考えてもお袋はファザコンだったな。なんで国飛び出して来たかなあ。」
口調がすべて過去形なのが、いやな感じだ。
「自分のオヤジの味を俺ん中に求めてよ、俺もお袋が喜ぶの単純に嬉しかったし、色々頑張ったぜ。
 今思えばほんと変なガキだったが。」
「これ、全部独学か?」
「ああ。」
国のジジイってのの遺伝子は、本物なんだろう。

「聞きてえことは山ほどあったのに、お袋はとっとと死んじまった。」
ゾロに聞かせている訳でもない、独白のような口調。
「道の真ん中に馬鹿みてえに突っ立って、俺見て笑ってよ。ご丁寧に真っ黒な服着て夜中に立つんじゃねえよ。
 トラックの運ちゃん、大迷惑じゃねえか。」

――――それって・・・
「お袋は、白い服のが似合うのによ。」
へへっと笑って、サンジは煙草を揉み消した。

「悪イ、妙な空気作っちまった。」
慌てた素振りで、冷めた味噌汁を啜る。
ゾロは気の利いた言葉一つも掛けられないまま、綺麗に食べ終えた食器を重ねた。

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