それすらも恐らくは平穏な日々 18

「・・・おい、聞いていいか。」
「なんでも。」
ゾロはごくりと唾を飲み込んだ。
ペットボトルの茶でも買ってくればよかったと思う。
喉が、カラカラに渇いている。



「てめーのおふくろさん、5年くらい行方眩ましたって言ったな。」
「ああ。」
「てめーが鰐淵に引き取られたの、5歳になる前って言ったな。」
「ああ。」
「―――てめえの、父親は誰なんだ。」


瞬きすら忘れてサンジの顔を凝視しているのに、白い顔はうろたえるそぶりも見せない。
ただ口元に薄ら笑いを浮かべてまっすぐにゾロを見返している。

「知らねーよ。おふくろはなんにも言わなかったし。なんせ俺はおふくろと生き写しだったからな。」
「・・・鰐淵は―――」
「わかってっかもな。けどDNA鑑定した訳じゃねえから。」

あくまで可能性の域だ。
だが、ゾロは確信した。

そっくりだ。
愛した女と似ているから子供でも抱く。
誘われたから寝る。
触られたから金を取る。
あまりに短絡的で、身勝手な思考回路。
似すぎている。
反吐が出るくらいに。




ゾロは薄ら寒さを覚えて肘を撫でた。
いつの間にか力を入れすぎて強張った肩を動かして、ゆっくりと背後の柱に凭れる。

耐えなければ、いけない。
サンジと暮らすと決めた以上、何もかもひっくるめて受け入れるしかないと思っている。

赤の他人の自分でさえ、過去のこととして告げられた事実に挫けそうになっているのに、
当のサンジは相変わらず間の抜けた表情だ。
ただの阿呆だと思っていたが、今ならわかる。
アホでなければ生きて来れなかった。










「ただのガキに、なにができんだ。なあ…」
ゾロは宙を睨んで独り言みたいに呟いた。
「保護者のいねえ、ただのガキだ。一人でなんて暮らしていけねえ。ガキだったんだから、
 てめえは全然悪くねえよ。」

はじめて、サンジの表情が揺らいだ。
見開いた目が逸らされる。



「もしかして、ギンって先公はこのことに巻き込まれたのか。」
サンジは驚いて顔を上げた。
「ウソップに聞いた。てめえの中学ん時の先生だろ。」
かくかくと、何故かロボットみたいにぎこちなく頷く。

「ギンは、はじめて持ったクラスん中で俺だけちょっと浮いてんの心配して、結構親身に話し掛けてくれたり
 したんだ。俺も最初うざかったけど、まあ悪い気はしなかったし、友達にも話せねーこと話したり、
 当り障りのないくらいまで相談したり・・・」
はじめて、サンジの顔が辛そうに歪んだ。
「ギンも何か、感づいてたんだと思う。夏休みの家庭訪問で一度帰っておきながら、忘れもんしたとか
 言って戻ってきやがった。丁度俺は、鰐淵に悪戯されてた。」
言って、サンジはふるりと身震いした。
淡々とした口調とは裏腹に、サンジの手は、少しずつ体温を失ってきている。
「それでも、ギンは問い詰めたりしないで、ただ俺の話を聞いてくれた。だから、俺はつい余計なことを―――」
口端が引き上がって、笑いの形に歪む。

「ずっと怖くて、誰にも聞けなかった。もしかしたら、悪いことなのかって。ち、ち親かも知れねえ男と・・・」
サンジは片手で顔を覆った。
長い前髪に隠されて、表情が見えなくなる。
「だって、ギンは優しかったから。俺の言うこと全部聞いてくれたから、だから俺、甘えちまったっ・・・」
僅かに覗く口元は、それでも笑みのままだ。
「全部話して・・・そしたら、ギン・・・すげえ顔になって。なんか泣きそうで、でも怒ってて、俺を抱きしめて、
 絶対助けるって・・・だけど―――」
ぱさりと髪を払って、サンジが顔を上げた。
泣いているかと思ったのに、その瞳は乾いたままどこともしれない空を見ている。
「一介の新人教師に何ができる?鰐淵は実質上立派な保護者だ。しかも只の男じゃない。地位だって権力だってある。
 それでもそれなりになんとかしようとしたみてえだけど、俺のプライベートな問題がでかすぎる。
 正攻法で攻めてもだめだからって、鰐淵の裏の顔をあれこれ探ったらしい。」
へへ・・・とサンジは声に出して笑った。
自嘲みたいに。

「そしたら――――ギンの実家が火事になった。年取った親とお兄さん夫婦が焼け出されて、怪我人も出て
 大変だったらしい。」

サンジは思い出したようにポケットを探って煙草を取り出した。
なんでもない風に咥えて火をつける。

「火事の後始末に駆けずり回ってる筈のギンが俺の前に姿を現したのは、3日くらい経った頃かな。」
流れる紫煙を目で追って、少し首を傾げる。
その瞳に感情の色は見えない。
「連れ込まれたアパートでギンは俺を抱いた。多分、そん時ギンは壊れたんだ。俺を助ける、守ると言って
 おきながらやってることは鰐淵と同じだ。根がマジメで正義感の強い男だったから自分の犯した罪に
 耐え切れなかったんだろう。」
ろくに吸いもしないで灰皿に煙草を押し潰す。
「監禁されて2日後に、鰐淵の手下に助けられた。ギンはそれきり姿を消して、新学期が始まった頃には
 退職してた。それから――――俺はまたフツーに暮らしてて、高校入って、そしたら鰐淵の周辺がバタバタ
 し出して、電撃的に逮捕されて・・・そうすっと俺また立場がやばいんだよ。」
新しい煙草に火をつけて目だけで笑う。
「なんせ近くで奥方が目え光らせてっから何されっかわかんねえし。で、家を出たんだ。けど・・・高校生が
 一人で暮らすって無理なんだよな。まず部屋貸してくんねえし、保証人がいないしよ。だから自然
 ダチんとこ泊まり歩いて、ナンパした奴んとこ転がり込んで・・・でも一応ガッコには行って・・・」
何が可笑しいんだか、顔を歪めて笑う。
「時々オヤジ狩りして?すげー自由ですげー刺激的?てめーと会うまで――――」
ゾロと目線を合わせないままサンジは話し続けた。
それが免罪符のように。

「俺はこんなんだ。こんなんなんだよ。鰐淵んとこ出た頃から、亡霊みたいにギンがついてきた。
 鰐淵だってもうすぐ保釈金積んで出てくる。なんせ俺のこと愛してっから。人の一人や二人、殺したって
 構わねえほど愛してっから。なあ、なあゾロ俺は・・・こんなんだぞ。俺は。こんな俺と暮らすって?
 これから俺と?なあゾロ・・・」
可笑しくて溜まらないといった風にサンジが笑う。
「ゾロ、俺なんかもういいよ。てめえはさ。お師匠さんとこで道場継ぐんだろ。それにたしぎちゃんっつったか。
 お師匠さんの娘さんそっくりな人なら、てめえと結婚して道場継いだら万々歳じゃねえか。俺なんかに感けて
 ねえで、てめえももう卒業だろうが。ちゃんと自分の進路とか幸せとか、考えろよ。」

サンジは胡座をかいたまま、両手を後ろに置いて身体を反らした。
何もかも語り終えたと余裕を見せて、口元にはにやにやした笑いが残っている。

ゾロはその顔をずっと凝視していて、ふと思い出して瞬きした。
壁に凭れていた背を起して息を吐く。
渇いた唇を舌で湿らせて、さてどこから話すかと考えた。

重すぎるサンジの過去を共に背負うのは簡単ではないだろう。
けれど、ゾロの腹はとっくに決まっている。

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