それすらも恐らくは平穏な日々 17

「相変わらず、なんもねえのな。」

サンジは、俺のポリシーに反するとかなんとかぶつぶつ言いながら、戸棚の奥にあったカップラーメンに
湯を入れている。
揃いのカップにもコーヒーを煎れて粗末な食卓を囲んだ。
向かい合ってはふはふ言いながら麺をすする。

視線を上げれば、湯気の向こうに不器用そうに箸を操るサンジがいる。
それだけで、いいんじゃねーのか。
なんとなくゾロはそう思ってしまった。


今までもこれからのことも、もうどうでもよくて
目の前にこいつがいればそれだけで―――

ゾロは思い直してラーメンの汁を啜った。
箸を置いて立ち上がり、小引出しの上の写真を手に取る。

こいつだけは、ケリつけとかねえとな。






まだ食っているサンジの目の前にそっと置いた。
麺を咥えたままサンジの動きが止まり、視線がそこに釘付けになる。
「こいつはくいなって名で、俺の幼馴染だ。」
サンジは黙って頷いて咀嚼した。
「前に話した師匠の一人娘で。この写真を撮った3日後くらいに、階段から落ちて死んだ。」
ごくんと音を立てて麺を飲み込んで、ゾロの顔を見上げる。
「てめえらが日曜に見たってのは、こいつの従姉妹でたしぎって奴だ。まあ間違えんのも無理はねえ。
 俺だって最初見たときびっくりしたからな。たしぎはずっとアメリカで暮らしてて大学に通う為に
 日本に帰ってきた。今師匠んとこに下宿してる。だから、彼女とかそんなんじゃねえから。」

サンジは2.3度瞬きして、すとんと肩の力を抜いた。
「そっか・・・彼女じゃねーの・・・」
小さく呟いて、慌てたように首を振った。
「いんや、関係ねーぞ。てめえに彼女がいよーがいまいが、俺には全然関係ねえし。」
「関係ねえこたねえ。俺はこれからもてめえと暮らして行きてえと思ってっから、少なくともてめえ勝手に
 気い回して余計なこと考えんじゃねーよ。」

サンジは、妙な顔をしている。
怒ってるんだか困ってるんだか判別つかない表情だが、なんとなくゾロは嬉しがってんじゃねーかと思った。
「一緒に暮らすのか、俺と?」
「てめーさえよけりゃあな。」
ゾロは胡座をかき直して、サンジの顔を見据えた。
「ただし、条件がある。てめえのバックについてるパトロンとやらとは縁を切れ。」
サンジの、テーブルを見つめる目が少し揺れた。
「他人のカード使ってほいほい無駄金ばっか使ってんじゃねー。俺らはまだ学生だから自立ってのも
 難しいかもしれねえが、バイトでもなんでもして、真っ当な金で生活してみろ。」
サンジは頭を垂れたまま、数度頷いた。

それでもへらりとした笑みを口元に張り付かせて、手元のバッグをごそごそ探り出す。
取り出した学生証をゾロの目の前にそっと置いた。
心持ち変顔で映っている写真の傍らに、姓名と住所がある。


「俺の名前、鰐淵サンジっての。住所は鰐淵んとこ。養子縁組まではしてねえけど、実質世話になってんだ。」
サンジはちろりと舌を出して、唇を湿らせた。
「俺のおふくろが死んで児童養護施設に入所したとき、鰐淵が来たんだ。なんでもおふくろは鰐淵の愛人
 だったらしくて、死んじまったことを知って慌てて飛んできたらしい。なんかすげーおふくろのこと
 愛しててよ。ちゃんと嫁さんも子供もいるんだけどすげー愛してて・・・でもその嫁さんってえか奥方が
 それなりに気位が高くて嫉妬深かったから、おふくろは身の危険を感じて鰐淵の元から離れてたらしいんだ。
 行方眩まして5年目くらいに死亡事故の記事でおふくろの居場所を知って、迎えに来たってわけ。」
サンジは学生証を何度か撫でて、いそいそと鞄にしまい込んだ。
バカみたいに口元は笑ったままだ。

「そんな訳だから俺を引き取っても籍に入れることはできねーで、名前だけ名乗らせて、離れに住まわせて、
 学校にも行かせてくれた。」
ゾロは眉を顰めた。
「それじゃあ、お前にとって鰐淵ってのは恩人じゃねえのか。」
「恩人だよ。おふくろと同じように、俺のことすげー愛してくれている。」

何故か、ゾロの胸の奥がむかむかする。
普通に聞いていれば美談だが、サンジの表情が引っ掛かる。
「恩人なら、パトロンなんて呼ばねえだろ。」
ゾロの言葉に、サンジは黙って肩を竦めて見せただけだ。
ゾロは少し逡巡して、それでもサンジの顔を見据えて口を開いた。

「鰐淵とは、いつからだ。」
「ああ、ん―・・・引き取られたのはもうすぐ5歳って頃だから・・・それからお手伝いさんとかに面倒見て
 もらってて、一人で離れに住むようになったのが小学校ん時?それからだから、5年生くらいっかなー」
ゾロは静かに息を飲んだ。
相変わらず口元を緩めたままのサンジの横っ面を張り倒したい衝動を、辛うじて押さえる。
テーブルの下で拳を握り締めて、呼吸を整えた。
「そういうのは、犯罪ってえんじゃねえのか。・・・児童虐待、とか。」
「かもなー、でもさっきも言ったけど、鰐淵はほんとにおふくろを愛してて、俺のことも愛してんだ。
 おふくろが死んだ今でも愛情は変わってねえらしい。」
それとこれとは話が別だろうが。
言いたいことを、ぐっと堪える。

「それに、ぶっちゃけ言うと俺のハジメテの相手は鰐淵じゃねーもん。…奥方に唆された使用人だった。」
立て続けの爆弾発言に、ゾロは内心必死で耐えた。
ともすれば他人事みたいに暢気に告白するサンジを責めてしまいそうになる。
「でもそいつ、次の日交通事故で死んじまったし。まあ事故かどうかってのは、ほんとんとこわかんねーけど。
 なんせ鰐淵激怒したから。それから時間があれば俺の離れに入り浸るようになって・・・そっから、かな。」

サンジは肘をついて、軽い世間話のついでみたいに冷めたコーヒーを啜った。
だがゾロの頭からは、引っ掛かったものが離れない。


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