それすらも恐らくは平穏な日々 10

両手に紙袋を下げて、安い居酒屋に入った。
あちこち歩いて足が棒のようだ。
鍛錬したりするのとは疲れ方が違うらしい。
サンジはと言えば、別段疲れたふうでもなく上機嫌でメニューを見ている。

ゾロは先に頼んだ水みたいな薄いビールで、とりあえず喉を潤した。
サンジは適当に料理を注文して、それから奥のテーブルの女子大生の集団にチェックを入れてから
ゾロに向き直った。
やはり嬉しそうにへにゃんと笑う。
「てめーとこんなとこ入るって、なんか新鮮だな。」
確かにそうだが、倦怠期の夫婦みたいでゾロはなんとも妙な気分だ。
こうしてサンジと差し向かいで座ってビールを飲んでいること事態、悪い気分でないのが余計に
気になる。

「てめえさっき、得体の知れねえ金っつったよな。」
ポツリと呟いたサンジは、視線を枝豆に移している。
「ああ。」
とゾロは声に出して肯定した。
「俺には金の成る木がついてんだぜ。」
へへんと頬杖ついて視線を流すサンジは、薄いビール一杯で酔ったみたいに頬が赤い。
「そいつがいる限り、俺は一生喰いっぱぐれがないからよ。やりたい放題好き放題だ。別に
 高校なんて行かなくてもいいし、他の奴らみたいに就職なんて目の色変える必要もねえ。」
ゾロは無言で相槌も打たなかった。
自分がとやかく言う義理はない。
「とりあえず卒業までずるずる行って、その後はフリーターかな。ゾロ、てめえはどうすんの。」
話を振られて、片眉だけ上げて見せた。
「お前バイトばっかしで全然勉強してね−じゃねえか。何しに高校行ってんだよ。就職どうすんだ。」
余計なお世話だと突っぱねたいが、ここで打ち切ってはサンジの話も聞き出せない。
ゾロは空のジョッキをお代わりして枝豆を摘んだ。
「俺は、今通ってる道場で勤めさせてもらうつもりだ。一応高校を卒業するってのが師匠との約束だし。
 その後は道場を手伝って、生活費はバイトで稼ぐ。」
「道場?そういやお前剣道凄いんだってな。」
サンジが身を乗り出す。
「ダチが言ってた。ロロノアっつったら、去年インハイで優勝したって。すげーなあ。俺、
 日本一生で見んの初めて。」
似たようなことをさっきも聞いたなとゾロはくいなによく似た顔を思い出す。
「お前くらいなら推薦の話も出てんだろ。その気になりゃ、大学だって行けんじゃねえのか。」
「別に大学行く気はねえ。たいした目標もねえし。」
「情けねえこと言うなよ、勿体ねえなあ。」
料理が運ばれてきた。
サンジが取り皿と箸を手早く置いて、お代わりを注文する。
「お前ほどの腕持ってたら、もっとこう熱くなんねーの。試合に勝ちまくって日本一ならぬ
 世界一とかさ。強さを極めるとか・・・」
「スポコンの見すぎだろ。」
ゾロが突っ込むとサンジはそっかあとおどけて笑った。
「生憎だが、俺はどうでもいい。優勝したから言うわけじゃねえが、俺は勝負の世界はもう見切った。
 本当に勝ちたい奴には勝てなかったし、そいつとは二度と戦えねえ。師匠の手伝いをして暮らしてく
 以外考えてねえよ。」
「勝ちたい奴って、ライバルか?男の友情?」
興味深げに目を輝かせている。
「お師匠さんって響きもいいなあ。なんか義理固そうで。そのお師匠さんになんか恩があるのか。」
薄いビールに酔ったわけではないが、ゾロは珍しくサンジに促されるままぽつりぽつりと身の上を話した。
早くに死んだ両親のこと。
引き取ってくれた師匠のこと。
だがくいなのことは、さっきのたしぎの顔がちらついて話さなかった。



「そっか、ゾロも苦労してんだなあ。」
ずず…とサンジが鼻をすする。
「いい人に拾って貰ってよかったなあ。てめーの仏頂面にそんな過去が隠れてるなんて知らなかったぜ俺あ。」
相当酔っ払ってきたのか、おしぼりで目尻を拭いながらグラスを舐めている。
「そっかーてめえ天涯孤独なんかー。俺と一緒だな。へへ・・・。ああでも俺は全く一人って訳じゃねえ
 かなあ。でも一人がいいなあ。」
言ってることが良くわからない。
ぐでんとなりそうな身体を、首根っこを掴んで引き上げた。
「言っとくが俺はそういう訳で至ってシンプルな人生だ。てめえみたいに得体が知れなくて、
 無責任にふらふらしてるだけの人生とは訳が違うんだから、よっかかってくんじゃねえぞ。」
自分でも意地が悪いと自覚するほどに、邪険に言い放つ。
寂しい人生なんて言うなら、母親の為に幼い頃から台所に立っていたこいつの方がよっぼど
不憫じゃねえか。
その母親も早くに死んで、どうやって生きてきたんだろう。
けれどサンジはそれ以上は口を閉ざし、むにゃむにゃ言いながらゾロの肩に懐いて来た。

「ここは安いだけあって美味くねえな。まずかねーが美味くもねえ。」
ゾロは誰に言うでもなく呟いた。
サンジと暮らし始めてから、舌が肥えたのかもしれない。
「俺あよ、適当に生きててなんもないけどよ、今は楽しーんだ。」
くふふとサンジが耳元で笑う。
「てめーの飯作ってよ、待ってっ時が一番楽しい。」
ふわりと肩口で咲いた笑顔に目を奪われた。
「誰かに食ってもらうのが好きなんだけど、レディはダメだな。色々してやりたくてするのに
 尽くされてるみたいで気味悪いんだと。なんか見返りが欲しいんじゃねーかって疑ってくんだ。
 俺はやりたくてやってるだけなのによ。」
独り言みたいに言葉が続く。
「かといって野郎じゃよお。人のこと女房みたいに扱うんだぜ。家のことやって当たり前みてーに
 なってきて・・・冗談じゃねえ、俺は家政婦じゃねぞってんだ。」
ちょっと巻き舌気味になってきた。
絡み酒か?
「誰かに食わせて、美味いって言ってもらえたらそんだけで俺あ幸せだ。特にてめえならもう
 どうしようってくらい幸せなんだ。」
最後の方は呂律が廻らなくて良く聞き取れなかった。
あまり動かなくなった身体を、ゾロは仕方なく枕代わりになって支える。
恋愛ごっこの次は、同棲ごっこか?
どうやらサンジは駆け引きなしに、人に何かをしてやるのが好きらしい。
だがそのことでいろんな誤解を受けたり不当な扱いを受けたりしてきたんだろう。
危なっかしいよな。
綺麗な面で、金には不自由してなくて、横柄な態度で好き勝手に振る舞っているように見えて、
こいつなりに辛い目にもあってんだなと、ゾロの中に初めて庇護欲みたいなものが生まれた。








あったけー。
何かに抱きついて、ゆらゆら揺れている。
サンジは気持ちよすぎて目を開ける気にもならなかった。
何か固いけどとても暖かいものに抱きついている気がする。
同じリズムで揺られて、すんげー気持ちいい。
そのままとろとろと眠りたかったけれど、それが何だか知りたくて薄目を開けた。

目の前は暗い緑色。
珍しいよなあと納得して眠りに入って、はたと目を開けた。
「うえっ」
慌てて身を起こすと、目の前の緑がぐるんと動く。
「なんだ、起きたのか。」
真夜中の住宅街を、ゾロはサンジを背負って両手に荷物まで抱えて歩いていた。
頼もしい姿だがカッコいいもんじゃない。
「悪イ、俺寝てた。」
慌てて降りようとするのに、ゾロの太い腕はガッチリ組まれていて足を引き抜けそうもない。
「てめえ降りんな。全然足が立ってねえんだ。そのまま乗っかってた方が早え。」
そう言われて、サンジは身を縮こませた。
なんとなく身体に力を入れて腰を浮かせる。
この方が少しでも軽いんじゃないかと思った。
「わりーな・・・金、たったか?」
「おう、なんとかな、後で割り勘しろよ。」

見慣れたアパートの前まで来る。
街頭が相変わらずちらちらして、もう直ぐ切れそうだ。
「そういやあ、この前ここに変な野郎がいたぞ。」
ゾロは街頭の下で立ち止まって、なんとなく上を見上げた。
「顔色の悪い、頬のこけた男がじっと見てやがった。」
「ああ。」
背中のサンジの声は抑揚がない。
「そりゃあギンだ。」
「知ってんのか。」
なんとなく、そうじゃないかとは思った。
「ん、前言ったろ。俺のストーカー。」
でも無害だぞと首の後ろでもぞもぞ呟く。
「ありゃあ地縛霊だ・・・可愛そうに。俺が縛っちまった。今度、飯・・・食わせてやんなきゃ、な。」
ゾロの首筋に、サンジの猫っ毛がほわほわと当たる。
ぐなんと力の抜けた腕が肩から垂れ下がった。
また寝やがったか。
ゾロはよいしょと背負い直すと、慎重に少し傾いだ階段を登り始めた。

next