それすらも恐らくは平穏な日々 1

暮れのラッシュ時、電車の中は疲れた表情の人間で溢れ返っている。
人波に押されながら、ゾロは軽くため息をついた。

――これから週3日、この電車かよ。



バイト先の支店が変わったため、いつもと違う路線に乗りかえた。
1駅とはいえ、この混雑に身を投じるのはうっとうしい。
――うんざりだぜ・・・。
仕方なく窓の景色に目をやる。

ネオンが点り始めた街を映すガラスに、派手な金髪が光った。
すげえ、キンキン頭。
いまどき金髪は珍しくないが、染めてある風でもない。
根元から毛先まで混じり気のない金髪だ。

外人か。
色素の薄い顔立ちをしている。
同い年くらいか。
じっと窓の景色を凝視している。
思いつめたよう目をして、時折眉根を寄せる。
白い頬に赤味が差して、唇を噛んでいる。
なんか、様子が変だ――。
がたんと電車が揺れた拍子に、金髪は身を捩り、ぎゅっと目を瞑った。



―――痴漢か?



ゾロは唐突に理解した。
男、だよな、あれ。
男でも痴漢もありか。
驚いている間に電車は駅に滑り込み、ホームに人が吐き出された。
ゾロも人ごみに押されるまま改札を出る。






少し前を金髪が歩いている。
その後ろに、背広を着たサラリーマン風の中年男がぴたりとつけている。
やや不自然な動きで、二人は公衆トイレに入っていった。
まずいだろ、これは。
何の関係もないが、気付いてしまったものは気になる。
なんとなく尿意をもよおした。
ションベン、すっか。
あくまで用を足しに行くのだとトイレに入る。



ゾロが入ると同時に個室の扉がパタンと閉まった。
後ろを気にしながら、用を足す。
もしかすると好き者同士のプレイかもしれねえしな。
余計な首を突っ込んでバカをみる可能性もある。
悲鳴でも聞こえりゃ、ましなんだが・・・。



逡巡していると、突然個室のドアがだんっと鳴った。
ぐう・・・と唸り声が聞こえ、どさりと何か倒れる音がする。
「なんだ?」
振り向いたゾロの前で、個室のドアが開いた。
金髪男が鼻歌交じりで出てくる。
ゾロと目が合い、にやりと笑った。
手に財布をひらひらさせて、そいつはゾロの横を悠々と通り過ぎる。
その後ろ姿を呆気に取られたまま見送って、
開け放たれた個室を覗いた。

おやじ狩りかよ・・・しかも、痴漢おやじ―――

そこには租チンを剥き出したまま、気絶した中年男の姿があった。













ゾロにとって、授業中は大切な睡眠時間となる。
進学組ではないので、教師も授業を中断させてまで、あえて注意などしない。
ゾロは毎日、学校で充分な休養を取り、終了のチャイムとともに目を覚ます。

着替えの入った鞄を持って下駄箱を開けると、廊下を走って行き過ぎたルフィが戻ってきた。
「ゾロ、今日は道場かバイトか?」
「バイトだ。」
「なら明日、昼休み古文教えてくれ。」
ルフィはゾロより学年が1つ下だが、同級生ですら親しい友人の限られている強面のゾロに、
何故か最初から物怖じせずに懐いてきた。
限りないアホだが、どこか豪胆なところのあるルフィを、ゾロは時折頼もしいとさえ感じる。





駅のトイレで簡単に着替え、混雑したホームに降りる。
相変わらずの車内で、人に押されるまま窓際まで流された。
1駅の辛抱だ。
不意に、ごく近くに鮮やかな金髪が揺れた。
このキンキン頭は―――

鞄を持ち直す振りをして覗き込む。
横顔は前髪に隠れてよく見えないが、顎にひょろひょろと薄い髭が生えている。
やはり、昨日の男だ。

何とはなしに、意識して自然に目が行く。
金髪は昨日と同じように、俯いている。
時々ゆらりと身体が揺れて、軽く息をつく。
頬がうっすらと紅い。


―――またかよ。


世の中にはこれほど痴漢が多いのか?
それとも誘ってんのか。
嵌めてんのか。
この車輌はホモ専用か?
どうなんだ!


ゾロは何故かムカムカしてきた。
注意して見ると、斜め前のハゲ頭の動きがおかしい。
右手は吊革に掴まり、鞄は足の間に挟んでいる。
左手は―――
伸ばされた先で、金髪のブレザーの端が盛り上がっている。
間違いねえ。
こいつだ。




がたんと電車が大きく揺れた。
それに乗じてゾロはハゲ頭の手を掴み上げる。
驚いて振り向いた男に、これ以上ないくらい凶悪な顔で睨みつけた。
男は顔面蒼白になり、目を白黒させている。
電車がホームに滑り込んだ。
開かれたドアから人が溢れ、ゾロの手から開放された痴漢も押し退けるように慌てて逃げ降りる。
ゾロと金髪は並んでゆっくりと降りた。


「礼くらい、言っとこうか?」
どこか揶揄を含んだ声音で金髪から声が掛かる。
「俺が助けたのはあの男だ。お前じゃねえ。」
「カッコいー、でも余計な真似すんなよな。」
早足で歩くゾロに、同じ歩幅でついてくる。
「いーカモだったのによ。」
今日の金髪は制服姿だ。
S高の生徒か―――
「お前、あんま変態舐めてると痛い目に遭うぞ。」
自分でもジジ臭いと思うが、どこか危なっかしくて言わずにはいられない。
「ご忠告、いたみいります。」
馬鹿丁寧に返事を返し、笑って改札を抜けた。

「サンジ!」
呼ばれて振り向いた先に、頭の悪そうなのがたむろしている。
サンジと呼ばれた金髪は、ゾロに振り返りもせず人波に消えていった。

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